秋津学

Profile

アットホームで実践的な株チャート研究会『積乱雲』を主宰し、幾多の黒帯投資家を輩出してきた株投資ナビゲーター。海外のカリスマトレーダーについて造詣が深い投資ジャーナリストでもある。元英国ロー・スクール客員フェロー(Ph.D.)。 著書に『株価チャート練習帳』(東洋経済新報社)を始め、『「雲と線」私だけの株・FX教科書』(毎日新聞社)、『「移動平均線」満足度99%の株売買術』『大きく稼ぐトレーダーは「ブレーク法」を使う』(東京イーブックス)などがある。

Book Information

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自由を求めて 好奇心で進化する



自由であり続けたい――株、投資に関する情報を発信される株式アナリストの秋津学さん。そのキャリアは“フリーランス”から始まりました。「自由とは何か」の解答を求めて英国に渡り研究を修め、帰国後はその分析力を激動する株・相場に応用……と常に挑戦の連続である秋津さんの原動力とは。秋津さんが「経験の先取りができる最良の手段」と定義する本への熱い想いとともに、その歩みを辿りながら挑戦の軌跡を伺ってきました。

株道場『積乱雲』


――株道場「積乱雲」での取り組みについて伺います。


秋津学氏: 株式アナリストとして、株式チャートを研究する株道場『積乱雲』を主宰しています。苦労をしても初級レベルを脱出できない、売買ポイントを見逃してしまう、心理的な弱点が邪魔をする……等々、さまざまな問題に苦しむ投資家の皆さんが暗夜の灯を求め研究会に参加されています。掲示板を利用したカジュアルな株研究会ですから女性はもとより、熱心な会員が集まり、同じテキストを使って互いに研鑽されるのを私がお手伝いするのがこの会の趣旨です。

さらに大学院生、研究者時代に培った分析力で、国際情勢を見極めながら、会員と一般の方にレポートを発信しています。会員の使用テキストは、多数の電子書籍化で対応し、その一部はアマゾンとDLマーケットで発売しています。また会員プレミアムのe学習による特別個人指導は株式投資力もパワーアップに結果しています。これまでは学者という全く別の道を歩んでいましたが、今、過去の点と点が私の中ではうまく一本線に繋がって、この仕事に活かされていると思っています。

“私家版”漢字字典で文字を覚え、偉人伝で“自由”を目指す



秋津学氏: 奈良は薬師寺周辺の牧歌的な田舎で生まれ育ちました。お寺あり史跡ありという具合に、子どもの遊び場には不自由のない環境で、関西で言うところの「やんちゃ少年」で、何にでも興味を持ち、観察して分析ゴッコをしたがる子どもでした。ですから、小学校へ行くのが待ち遠しくて・・・。

小学3、4年生の頃に漢字に強く興味を持ちはじめ、とうとう自分で字典づくりをするまでになりました。そうすると読める漢字がどんどん増えていって、結果的にたくさんの本を手に取るようになりました。

特に好きだったのは偉人伝。子どもながらに、「未知の世界を、疑似体験できる。経験の先取りだ!」とわくわくしました。なにしろ偉人ですから、天才ですし、ユニークな人格・性格を持ち、歴史に名を残すほど波瀾万丈の人生を送ったわけで、少年はその生涯のダイナミズムに圧倒されたのですね。日本人の偉人伝は道徳臭が強く、西洋人の方が面白かった。ただ少年少女相手の偉人伝ですから、執筆者側にイデオロギー的な意図があったのでしょう。後年人物叢書などを読むと、野口英世や石川啄木のように人格破綻者的なエピソードが偉人伝には隠されていたことがわかりますね。一種の人心操作でしょうか。

偉人伝を読んで思ったことは、自由であるフリーランスの生き方の具体例があるということでした。サルトルも「人間は自由だというより、自由そのものである」と言いましたが、そういう自由な生き方に憧れるようになり、図書館に通っては、次から次へと全集を読込んでいましたね。

私が述べる自由は、責任に裏打ちされた自由のことです。権利を主張するときには、必ず義務を伴うという形と似ています。この自由は動物がもつ野性的な自由とは違って、理性的な思考と決断を可能にする力です。ただ小学生だった私には、まだまだ自由の概念は漠然としていましたが。

卑近な例を挙げますと、中学入学を控えて、自由でありたいと願う私の前にひとつの「自由を阻害させる事例」が立ちはだかります。

――それは……。


秋津学氏: 校則でした。当時の中学生男子の髪型は、押し並べて「丸刈り」。小学6年生の私は、髪を丸刈りにしないと入学できないと知り愕然としました。今にして思えばたいしたことはないのですが、当時はそれがまるで囚人みたいにひどく屈辱的で、「私の自由を侵すもの」に思えました。もしかすると理髪業界と文部省の癒着があったのでしょうか(笑)。それで「髪型が自由である」――この重要な点だけのために、中高一貫の私立である東大寺学園に進みました。進学校だから選んだつもりはないのですが、人は信用してくれません(笑)。

――ボーズ頭が嫌で、寺院系の学校へ(笑)。


秋津学氏: なにしろ中学1年から漢文の授業が始まります。しかも漢文担当が東大寺という名にふさわしい僧侶上司永慶先生でした。通称「かっちん」。授業では『唐詩選』の五言絶句や七言絶句を暗唱するのですが、出てくる漢字は、難しい漢字ばかり。漢字字典を作ったくらいでは、追いつかない・わからないの連続で、かなり焦りましたね。かっちんの授業の常態は教える姿勢に気合いが入っていました。今でも鮮明に覚えていますが、東大寺の年中行事であるお水取りの時期に、ご自身が不眠不休の修行をされているにもかかわらず、授業を一度も休むことなくいつものかっちんでした。その神々しい姿から私は責任感、信頼、尊敬などを学んだのでしょうね(参考:浦上義昭編『東大寺二百十五世別当上司永慶――華厳のこころ』)。

――“かっちん先生”はどんな本を読むように、指導されたのでしょうか。


秋津学氏: 中1の夏休みの課題図書では、中国史家・鳥山喜一さんの『黄河の水』です。旧漢字の洪水にたじろぎました。

漢字スパルタ時代というべき頃で「角川の漢和中辞典」が手放せず、いまだに私は当時の辞典を使っています。この体験がその後の自分の血肉となっています。続いて同じく鳥山先生の『支那・支那人』も興味深かったです。現在「支那」という単語をタブー視しているようですが、この本を読みますと「支那」という言葉を使ってもよい正当性を論じていて、マスコミの方と会ってこの正当性を説明すると「知らなかった」と言われて……残念なことですね。



殺風景な男子校の六年間は、大学受験勉強を除き読書三昧で、鹿の顔を見ながらのんびり過ごしていました。カミュ、カフカらの実存主義作品をかじったかと思うと、築城コンペティションを題材にした『富士に立つ影』という白井喬二の5巻ものの長編時代小説を読んだり、田中香涯(たなかこうがい)の医事怪奇モノのトンデモ本まで。そして大学受験期になると、尾崎士郎の『人生劇場』でしたね。舞台となった早稲田での生活模様や、「雄弁会」の存在に憧れ、そこで学ぼうと思うに至りました。極めて単細胞「であるんである」。「であるんである」は、早大創設者・大隈重信の演説の終わり方の癖です(笑)。

――いつも節目に本の存在が。


秋津学氏: 大学に入って初めて麻雀、しかも徹夜した時も、事前に三時間ほどハウツー本を読んで臨んだおかげで、「本当にビギナーか?」と、あきれられました。繰り返しますが、本は経験の先取りが出来る素晴らしいものです。もちろんその“疑似”体験だけを鵜呑みにしてしまうと、思わぬ落とし穴が待っているのですが……。

早稲田大学“法学部文芸科”


――『人生劇場』の舞台である、早稲田での学生生活はいかがでしたか。


秋津学氏: 社会の根幹である「秩序」、英語で言うところのORDER、その成立過程を学びたいと思い、法学部に進みました。ところが学生生活は、「人生劇場」に描かれていたようなことは起こらず、そして講義もあまりのイメージとの違いに愕然とし、初端から放心してしまいました。いわゆる「五月病」とは異なった病いにかかったようで。そこで「もう自分の勉強をしよう。そして本を読もう」と、所属する学部とは無関係の本ばかり、それも小説からノンフィクション、近現代から古典の哲学書まで、ありとあらゆる本を夢中で読み漁りました。今で言うところの文芸学科のようなことを、法学部の中で「秋津学独歩行」でした。もちろん学業成績は良いに越したことはないので、法律関連書も読み込みました。我妻の民法、宮沢の憲法、団藤の刑法といったメインストリームなどです。

自由を求めてフリーランス、そして英国へ



秋津学氏: そんな心持ちでしたから、卒業後はしばらく、出版社の外注スタッフとして糊口を凌いでいました。友人たちは皆就職していましたが、私の求めるのは「自由」。つまり私のキャリアはフリーランスから始まったのです。

主に教育関係の記事に携わっていましたが、原稿取り、編集、取材記者、インタビュアー、企画を立てて雑誌を作るプロデューサーなど、何でもやりました。少しずつ仕事が認められるようになり、生活も安定して来た頃、また自由への衝動が湧き起こります。実は一度、高校生のときアメリカ留学するプロジェクトに失敗したことがありますが、やはりもっと大きな視野に立って考えてみたかった想いを実現することになりました。

妻の父親が亡くなり、相続に関する内輪の揉め事が起こりました。妻は実母を子どもの頃に亡くしており、その後来た継母は、岳父が亡くなった途端に豹変したのです。妻は「世の中ってこんなものね」と達観していましたが、私はそうした無常観ではなく岳父の「自由意思」が尊重されなかった現実を腹立たしく思いました。

大学時代に相続法の基礎は身につけていましたので、速読が可能で、伊藤昌司教授の相続根拠から読み始めて判例渉猟まで必要と思われる関連書はすべて読み込みました。伊藤先生から読み始めたのは、むろん従来の判例を打ち破る根拠を見つけるためでした。夜中に独り専門書を熟読していると、自分が置かれた環境によって読む本のジャンルが変化するのだなあ、とつくづく思ったものです。そして担当弁護士と話を重ねるうちに、法の奥深さと面白さに再び魅了され、法を深く掘り下げようと英国行きを決心しました。



――「自由の虫」が騒ぎ出したと。


秋津学氏: 「どう思う?」と妻に聞くと、「もしかすると父はあなたに人生の課題を与えたのかしら?」と言って、即座に了解してくれました。とはいえ、やはり費用のこともありますので、懸命に仕事をして、留学の準備に取りかかりました。最初選んだのは法社会学と法哲学、これでシェフィールド大学ロー・スクールに入ります。いざ研究が始まりますと、英国人の学者や同僚から刺激を受け、興味と学問的深さが増します。犯罪学、心理学と関心が広がり、結局修士論文は「犯罪における自由意思」に関するもので、幸いなことに、修士課程の成績が優等(Distinction)でしたから、その後の博士課程の費用として英国から奨学金をいただき金銭的に随分助かりました。必死に勉強をした成果という意味で嬉しかったですね。

実はこの修士課程の間、友人と論文執筆に役立つ英単語辞書を作り、格調高い文章作成のノウハウを作りました。いずれアマゾンで電子ブック化したいと考えています。こんなふうに、当初の目標修士号、博士号を取得し、その後ジャーナリストを経て、バース大学、ロンドン・キングス・カレッジで研究を重ね、エッセイ発表も行いました。するとまた次に自分の何かを「進化」させたいと思うようになりました。

英国にはトータルで10年近く住んでいました。ロンドンから西156キロにあるバース市で暮らしていた初夏のある午後、市内を流れるエイボン川の遊覧船に乗って川面を見ながらそよ風に吹かれていた時の心地良さは、人生最良と言えるものでした。「これが自由である」と実感できたのです。

――秋津さんの原動力は。


秋津学氏: 株式相場分析で私はしばしば「キーワード思考術」を使うのですが、脳裏にキーワードを飛ばします。例えば自由、自由意思、意思決定、目的、手段、美徳、利益、習慣、情念、直観、モラルなどと、自由に。するとこうしたキーワードは私の頭の中で遊びつつ、私を動かそうとしてくるのです。たぶんこの思考の運動自体が心地よく、自由なのでしょうね。

一昔前に活躍した米国の社会哲学者にエリック・ホッファーという方がおられましたが、「魂の錬金術」を読むと、ページにあふれる彼のアフォリズム(箴言)の一片一片が踊り出す気分になります。彼はドイツの移民の子で、正規の学校教育を受けず沖仲仕をやりつつ独学した学者です。つまり社会の底辺に身をおき、肉体労働をしつつ読書と思索に打ち込んだ人です。私の愛読書で、時々それを読むことが私に原動力を与えてくれます。YouTubeで彼の古いインタビュー番組が、ちょっと劣化していますが見られますよ。

妻の素人視点が役に立った


――そんなふうにしてはぐくみ培われた知見が「株」という分野で発揮されることになったのは。


秋津学氏: 最初はやはり学者として「教育」という観点からのスタートでした。英書もずいぶん読んだし、論文も書いたところで、それを役に立てたいと考えました。しかしフリーランスでどこまで出来るか、誰に何をどこでどんな方法で教えられるか。そこでテキスト、読者の根幹となる教科書を作ろうと思ったのです。フリーランスの立場や学問トピックでいくら良質な教育を提供したところで、人々は興味を持たないことは、アマゾンで関連本の動きや傾向を見ると、およそ検討がつきました。考えあぐねたあげくに、妻に聞いてみたところ次のような答えが返ってきました。

「あなたが読者から反響を受けたもので、もっとも熱狂的な読者がいたトピックて何? その読者を対象にした教科書を書いてみたらいいと思う」

妻が話し終わる前に、私は答えを浮かべていました。それは「株投資の教科書」を書くと言うことでした。株本の処女作『株で毎日を優雅に暮らす法』は掲示板をつかった株投資家の学びの場から生まれた本でした。「積乱雲」の初期の形態を備えており、現在3年半になる「積乱雲」はその反省点を解決し、学びの要素を強くした掲示板で実験を続けています。

――東洋経済新報社で出された『勝率8.5割を目指す株価チャート練習帳』以下三部作はベストセラーになりましたね。


秋津学氏: 取次店ビジネス部門で年間ベスト10位以内にランクされたほどでした。実は売り物となった、チャートを読者に見せて「買いか、売りか、様子見か」の視覚的な設問形式は、今はどの株本にも真似られていますが、アイディアを出してくれたのは妻でした。「なぜ、売る、買う、休む、ということがわかるの」という単純な質問がきっかけだったのです。



お陰様で大好評を得て、三部作後『勝率9割を目指す 株価チャート練習帳』、『「雲と線」私だけの株・FX教科書』と続いていきました。最近はキンドルで『「移動平均線」満足度99%の株売買術』を出しましたが、読者に受け入れられているようです。キンドルなどの電子ブックは、株教科書作りをする著者の私にかなりの有利性があります。

例えば①読者の要望がダイレクトに電子書籍に生かせる、②取材編集記者経験を丸ごと使える、③企画から出版まで無駄がなく早い、④改訂がしやすい、⑤原稿枚数・分量の制限がない、⑥図表の多用が気にならない、⑦企画がすぐ実現、⑧紙本では出版が難しい上級者向けの本を出せる、⑨著者が進歩したら本も進歩する、⑩読者が読みたいエッセンスだけの本も作れる、などと、まさに私が求めてきた自由な世界で本を出版できると言えると思います。

――本のタイトルにも“変化”が見られますね。


秋津学氏: タイトルの変化は進化の証でもあると思っています(笑)。「雲と線」という詩的な表現をタイトルにつけることを試みたのも、一目均衡表の従来の読み方を超えて、創意工夫をプラスしたかったのです。その結果「秋津式8の法則」を編み出せました。やはりチャートの読み方を進化させたいものですから。

どの株教科書づくりにおいても、素人である妻が「なぜチャートではこういう現象が起きるの?」などと非常に素朴な質問を投げかけてくれます。その影響で、私のキーワード思考が刺激されて、新しい読み方の発見や知恵の断片や株価の動きのイメージが浮かび上がります。そして私はそうした偶然的な果実を会員にできるだけ提供しています。現在抱いている私の最大の関心は、金融経済の指数・指標や情報をいかに利用すれば、明日、1か月後、そして1年後の相場の姿を予見できるか、です。言葉を換えれば、今日の新聞に未来の記事を書いておきたいのです。

どこまで書けるか分からないですけれど、投資家心理、出来高エネルギー、チャートパターンの形状など流動的な因子を利用しつつ、「本丸」に迫っていくつもりです。株式売買は人間であるトレーダーの意思決定から、時代はシステムトレードに向かってダイナミズムを展開させているようですので、その中にヒントはあると思います。

読者から与えられた「役割」で進化する



秋津学氏: 物事が起こる前にその事を見通す予見がどこまで可能なのか。このテーマは将来に渡ってずっと研究していきたい。経済金融社会を分析してこの国の先行きが見えるなら、これはライフワークですね。

株式相場のダイナミズムが私の心に響く以上、新しいものは書けると思います。使命という表現は大げさでしょうが、良いことを持続すれば役割は増殖すると思います。良い本を出せば、読者に評価してもらえる相乗効果が生まれるでしょう。役割は評価によって作られるはずです。これからもチャレンジを重ね、進化し、そこで得た成果を本に書いて伝えていき、読者から与えられた「役割」で貢献したいと思います。それが、私が求める自由の先にある願いかも知れません。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 秋津学

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