探求をあきらめない
刑法、医事法、生命倫理が専門の法学博士、作家の小林公夫さん。各種難関受験教育のエキスパートでもあり、人間育成に焦点を当てた司法試験の受験指導や医学部受験指導では、これまで多くの合格者を生み出してきました。「探求を諦めない」小林先生の想いとは。歩みを辿りながら伺ってきました。
文章で伝える 読者と対話する
――東洋経済オンラインでの連載コラムが好評です。
小林公夫氏: おかげさまで、多くの方々に読んで頂いて、アクセスも殺到しています。ある記事は、PVが70万を超えました。こちらは普段の執筆とは少しアプローチが異なり、普段頭の中にあるもの、考えているものをつなげて棚卸しする感覚で書いています。読者のコメントや反応もダイレクトでわかりやすく、私自身も楽しめていて、書きながらも勉強になっています。
一方で、書籍や論文の執筆の場合は、資料にあたりながら書いていくので、なかなか大変です。参考資料になるものはごっそり購入してしまうので……家にはいつも本が溢れていて、手放さないと次が買えない状態になっています。ある日、苦渋の決断で段ボールに整理したら、50箱ぐらいになりました。
――こちらに年季の入った本をご用意頂いています。
小林公夫氏: この古ぼけた「山川方夫全集」の『箱の中のあなた』と三島由起夫「真夏の死」に収められている『雨のなかの噴水』は私が好きな短編で、作中に描かれている女性像に惹かれました。前者は怖い女性像ですが、こういう女性はいるだろうな、という気がします。また、後者の女性像はボーッとしているようで力強いですね。こういう女性には今まで出会ったことがありません。学生時代に買ったものですが、これだけはどうしても捨てられずに手元に置いてあります。大塚仁博士の『私の刑法学』は、博士からご寄贈いただいた貴重なもので、座右の書です。
また本だけでなく、論文作成のため資料のバインダーも無限増殖しています。2年ほど前になりますが、師と仰いでいる大塚仁博士から依頼があり、「大コンメンタール刑法」という偉大な注釈書に論文を書きました。公刊は2016年早々の予定ですが、執筆の過程で明治時代から1000程の判例、文献を研究しましたので、その資料も膨大なものになってしまいました。
膨大な資料からいかに適切なものを探し当てるか。手元になかったものは国立国会図書館まで行って全部調べていきます。そうして書き上げた書籍や論文は、DVDになったものも含めると300近くになります。
――資料にあたるところから、先生ご自身で。
小林公夫氏: 基本はそうです。とにかくなんでも自分でやらないと気が済まないのです。何かひとつの真実に向かって、こつこつと努力する。そういう行為が好きなのかもしれません。昔から、そういう性格でした。
バッタ社会の創造主
小林公夫氏: 活発な性格で、好きな事しかやらない子どもでした。遊びと言ったら草むらで遊ぶような時代で、また親から「勉強しろ」と言われることもなく、のびのびと好きなことばかりしていましたね。
特に生物学に興味を持っていて、家ではトノサマバッタを飼っていました。通常の大きさのものから、なにか突然変異のような大きなものまで30匹くらいいました。大きなおけのような容器をふたつ用意し、飼っていたのですが、ずっとその中に入れておくのは可哀想だと、一日一回、必ず運動の時間と称して、容器から放すのですが、あっちこっち飛び回って困るので、顔と翅の色を暗記して自分なりに番号をつけ、30匹を点呼していました。
――バッタの個体識別ですか……。
小林公夫氏: もちろん返事はないのですが、一匹もいなくなったことはありません。バッタのほうも、容器に戻らないと申し訳ないと思ってくれていたのではないでしょうか(笑)。違う種類のバッタも混在していたのですが、喧嘩もせずに水を飲んだり、草を食べたりきちんと統率が取れていましたよ。
ある日、お別れのために庭で一斉に放しました。すると、巨大な突然変異体を除きかなりの勢いで飛んでいきました。不思議なことに家の周りを一群が一周するようによそに飛び去っていったのです。感謝の気持ちでしょうか。迫力のある“絵”でしたが、親からは特に怒られることもありませんでした。今、私が同じことを子どもにやられたら……ちょっと嫌ですね(笑)。
――自由な環境でのびのびと育ちます。
小林公夫氏: 蚕を飼っていた頃は、朝5時半に起きて桑の葉を取ってきて与えるのですが、蚕が餌を食べる音って意外と大きいんです。母親からは「ちょっとうるさくて起きちゃうかな」と言われましたが、特に怒られることはありませんでした。何かを強制することなく育ててくれたことに感謝しています。
そのうち、生物学から天体に興味を持つようになりました。小学四年生の頃に書いた作文は、ティコ、ケプラー、コペルニクス、グラヴィウス、プラトーなど科学者や哲学者の名前を冠したクレーターの名称を延々と解説したものでした。宇宙や天体、とりわけ「月」に興味を持っていたようで、中学生になってからは、当時、1万円もする高価な月面地図を、お年玉を貯めて買いました。
先程の作文は、私が30代の頃に、「部屋を掃除していたら出て来たから送ります」と小学校時代の担任の教師から送られてきたものです。その先生からも、大きな影響を受けました。「とにかく本を読め」というご指導のおかげで、自然科学系の図鑑や、偉人伝のシリーズを読みあさっていました。