未来志向で生きていく
「未来志向で生きていく」――30年以上にわたり、アドラー心理学に基づく勇気づけやリーダーシップ、コミュニケーションの研修を通じて「人生を豊かにする方法」を伝えているヒューマン・ギルド代表の岩井俊憲さん。言行一致をモットーにする岩井さんの未来志向の源とは。幼少期から今までの歩みを辿りながら、その想いを伺ってきました。
30年歩み続けた アドラー心理学の実践者
――ヒューマン・ギルドのお取り組みについて伺います。
岩井俊憲氏: 21世紀の人間(ヒューマン)の幸せと進歩発展を目指す専門家集団(ギルド)から成っています。
Cカウンセリング(個人)、Cコンサルティング(企業)、Eエデュケーション(個人および組織)このCCEの中で、アドラー心理学を用いてカウンセリングや、各種講座の企画を実施しています。
わたしたちヒューマン・ギルドは、研修・講演に関してユニークさを提供しています。「勇気」「やる気」「活気」「元気」「本気」「根気」(五つの「気」)を高めるもので、「よかった」「感動した」の言葉を感想に書きながら、一週間もすると元の状態に戻り、日常生活に何の変化ももたらさないようなものではなく、効果が持続し、真の意識改革・行動変革をもたらす研修です。
アドラー心理学を中心とした心理学的なバックグラウンドを有するヒューマン・ギルドの講師陣は、その場が楽しく表面的に、ためになるような研修を超えて、効果が持続し、意識改革・行動変革につながる研修を提供しています。さらには、「勇気欠乏症」のこの時代に必要な「勇気」「やる気」「活気」「元気」「本気」「根気」を確実に高める研修を展開し実績を上げています。
今では北は北海道、南は沖縄まで1,300名の会員の皆様が、ヒューマン・ギルドの趣旨に賛同してくれています。
――ヒューマン・ギルドが設立されて30年が経ちます。
岩井俊憲氏: 今から30年前、過去の負の経験を背負い込んで生きている人が、あまりに多いと感じた、世の中への違和感からヒューマン・ギルドは始まりました。
過去の物語の中に生きている人は、生き方を複雑にしてしまいます。アレが悪かったコレが悪かった……と「悪かったオンパレード」になり、自己への否定に繋がります。アドラー心理学では、目的論の自己決定性を突き詰め、過去の出来事や社会の事象を原因にはせず、全て責任を自分に帰属して考えます。自分に帰属した責任をどう果たしていくのかが、「使命」につながるのです。
私自身、サラリーマンを辞め事業を興したのも、やはりアドラー心理学の、未来志向のシンプルな生き方が影響したからです。「何をしたいのか、そのために何が出来るか」自分の可能性を追求していくと、一点に集約されます。
一日の始まりと終わりには「菩薩道を実践するための愛と知恵と勇気と富と健康をお授かりしていることに感謝します」という風に唱えています。本当は菩薩道を実践するための愛もなければ知恵も、勇気と富と健康もない、ないないシリーズだけれど……あると決めるのです。未来志向で進んで行けば、条件はどんどん備わってくるのです。
「アズイフ(as if)の哲学」と言っていますが、心理学を自分の生き方に取り入れ、まるで自分があたかもそうであるように「決めてしまう」。そうすると、必要なものは後からついてくるのです。反対に決めてしまわなければ、何かと理由が出てきて一生懸命足を引っ張ります。終わった事は、取り戻せない。それよりは未来の、既にもう起きたかのごとく見る未来、これが自分を方向付けていくのです。
門前の小僧 人間の陰陽を読み解く
――岩井さんはどのようにして、未来を方向付けてきたのでしょう。
岩井俊憲氏: 私は、栃木の比較的裕福な家の5人きょうだいの末っ子として生まれました。地元の有力者である父の元には、色々な人がやって来ました。幼い頃、私はそんな父の元にやってくる人間を観察するのが大好きでした。
この人凄いなぁとか、あの人ほんとはアホだなぁとか……(笑)、本質を見抜く訓練をおのずとしていましたね。そうして、わからないはずの大人の会話をこっそり聞きながら、人間とは、経営とはというようなことを考えていた子どもでした。
図らずも人間の陰陽を覗いてしまったことで、その後の思考に深く影響を及ぼしたように思います。また、中学2年生の時に姉から新潮社の『日本文学全集』を丸ごと譲り受けたことで、武者小路実篤を読むようになり、彼の楽天主義、人道主義に大きな感銘を受けました。
小説もまた、アドラーが言うように物事を「相手の目で見、相手の耳で聞き、相手の心で感じる」共感力を磨くことに繋がります。小説には色々な人物が登場しますが、彼/彼女らが織りなす物語を、まるで自分もまた主人公のひとりになったかのように、想像するのです。だから『友情』を読んだ時は、自分が失恋したような感じになりました(笑)。そうして読書によって、私は知らない出来事を仮想、擬似的に体験していました。
また小説だけでなく、上に兄たちが沢山いたので、年齢よりも上の本が、家にはたくさんありました。高校2年生の頃には、光文社のカッパブックスシリーズで、社会学入門、心理学入門、文学入門、小説入門と読み漁っていました。
――領域にも縛られず、自由な読書をされています。
岩井俊憲氏: 父も母も本が好きで、家人は皆よく読んでいました。また「本」に関しては、小遣いとは特別の予算枠があり、本だったらいくらでも買ってよいということになっていました。兄たちは、百科事典や科学全集などの高価なシリーズものをまとめて買っていましたね。
それはのちの読書の姿勢にも影響を与えて、例えばビジネス書など特定の分野を学ぶ時は、まず関連するものを一気に読み進める様になりました。それが「何かを突き進めて行く」というポリシーにも繋がっていきました。
読書で“周辺領域”を広げる
――これと決めたら徹底的に。
岩井俊憲氏: その繰り返しで、読書によって徐々に知識を吸収し、自分の領域を広げてきました。アンテナが広がっていくような感じです。高校1年の時に、急性腎炎で入院したのですが、その頃日記をつけていました。そこには、一日の出来事と一緒に読んだ本を書いておくのです。入院自体は1ヶ月ほどでしたが、閉ざされた空間で、外界とのつながりは唯一小説でしたから、貪るように読みました。それがクセとなり、その年に読んだ本は276冊と、ほぼ1日1冊の読書ペースが出来上がったのです。
もっとも中学生のころから(恥ずかしくて誰にも言っていませんでしたが)、作家になりたいと思っていました。授業中、外を眺めながらストーリーを妄想する少年でしたね。そんなわけでずっと身近に本があり、読書が生活の一部になっていたので、将来、文学か哲学か心理学の道に進もうと考えていました。