既存に油断しない
自由な時間軸で生み出す 感覚のかたち
東京大学先端科学技術研究センター中邑研究室客員研究員、武蔵野美術大学空間演出デザイン学科准教授を務めるアーティストの鈴木康広さん。鈴木さんが子どものころ日常に感じつつも言語化されなかった「浮遊したままの経験や記憶」に言葉を与えられた数々の作品は、人々の想いにリンクし、共感されています。鈴木さんの歩みを辿りながら、本のこと、活動、そしてこれからについて伺ってきました。
浮遊する“魂”に言葉をのせて
――素敵なアトリエにお邪魔しています。
鈴木康広氏: 東京大学先端科学技術研究センター中邑研究室に所属しており、敷地内にあるこの研究室をアトリエにしています。ここで日々の作品制作や打ち合わせなどおこなっています。時間の使い方が自由でしたが、3年前から武蔵野美術大学で教員も務めていることもあり、それ以前よりは社会的といいますか、規則のある生活を送っています。
ただその社会のリズムに合わせる生活には多少の危機感も感じていて、そもそもそうした社会のルールが理解し切れなかったのが、ぼくがアーティストという生き方を選ぶきっかけでもあったわけで、作品制作の発端となる不協和音を感じにくくなるんじゃないかなと、少し心配しています。
ぼくは、自分の考えや思いを伝える言葉の代用として作品を作っているという意識は一切なく、子どもの頃に感じたけど言語化できなかった「浮遊したままの経験」や、心の中にあったものを再現したい。それは、自分自身が感じたことに対して返事をしてあげることだと思うのです。
そうした浮遊したままの経験や記憶をノートに収めています。ここにあるものは、2001年から15年間のものです。初めの4冊だけナンバリングしていましたが、その後は順番を付けなくなりました。ここには日付も時間も書いていないので、いつ開いてもリアルタイムなのです。時間軸を外したことで、連続性が消滅し、以前描いたものが別のものに見えたりすることもあるわけです。久しぶりに開くと、既に自分でも何を描いていたのかわからないような状態でペンを止めておくことで、新たなアイディアとアイディアが出会うことができます。
このグレーの帯がお気に入りだったのですが、いま販売されているものは黒になってしまいました。18歳の時に上京して18年間経ち、経験と活動が一区切りしたので、そろそろ“黒帯”にしようかなと思っています。
スーパーの棚で定点観測
鈴木康広氏: ぼくの実家は浜松でスーパーマーケットを経営していました。店の商品棚がぼくの目の高さの定点観測台でした。身長が伸びるにともない、見えてくる棚も徐々に変わっていきました。見える商品が変わっていくことから世界が少しずつ広くなっていった感覚を覚えています。
ぼくは小さいころ、文章の読解力が低く本を全く読めませんでした。記号や物語によって広がる世界を積極的には広げず、自分の目で見て体で感じる、限られた等身大の世界で過ごすことに集中していました。そのかわり、モノや人で溢れかえった場所に身をおいていたことで、子ども時代のぼくにとっては膨大な情報量が自分の中に飛び込んできました。
文字を読むことが苦手だったので、国語はおろか算数も社会科も勉強全般が苦手でした。「言葉」という、本来は感覚から生まれたはずのものと自分の経験が噛みあわずに、ずっと違和感を抱いていました。言葉の発生に立ち会っていないぼくたちは、後参加なのにどうしてスイスイと読めるのか不思議で仕方ありませんでした。
走るのは速かったのですが、それ以外はだいたい人より遅れていました。しかし、間がちょっとずれているおかげで、みんなが既に知っていることも、あとで「そういうことだったのか!」と、大きな発見をしたかのように感じられて、いつしかそれが喜びに変わりました。
また、うちは代々商売をしてきた家で、高校を卒業したら家業を継ぐのが普通の感覚としてありました。親が勉強に関しては寛容だったことも、ぼくが自分のペースで過ごすことが出来た一因だと思っています。