日常を創作の現場に変える、圧縮再現装置としての「本」
鈴木康広氏: このころはじめて、読書を通して「知」に対する関わり方やそれらを活かす技術を学んだのだと思います。その引き金になったのが「都市論」という講義で扱われた、東京を題材にした数々の本や作品でした。それまで自分で買った本といえば、宮沢賢治の『風の又三郎』だけでしたが、赤瀬川原平さんと尾辻克彦さんの『東京路上探険記』、藤原新也さんの『東京漂流』や、映画だと小津安二郎の『東京物語』などなど……ほかにも地図や演歌に描かれた東京などを学びました。ぼくは田舎からの上京組だったので、東京という場所自体が面白い場所であり、テキストとして最高の現場にいる興奮と、それを生活の中で読み解いていくことのスリリングさを体感しました。
とくに夏目漱石の『三四郎』は、そこに描かれた芸術論や科学論に衝撃を受けて、初めて本を読破するに至りました。近代化、都市、西洋と日本の出会いにおいて、日本人がどう生きていくべきかということを、三四郎を主人公としてぼくに追体験させたのです。
本が底知れぬ高度な圧縮力を持つこと。それを読書によって個人が生活の中で解凍していくことで、日常を創作の現場に変える力を持っています。本が体験型の再現装置であることに気づいてからは、それまで無縁だった図書館にも足しげく通うようになりました。
徐々に読書や表現の技術を習得しながら、18歳までの経験を、そこから同じく18年かけて、子ども時代の「浮遊したままの経験や記憶」を、ようやく形にすることができて、今に至ります。
18年の形 言葉になった感覚
鈴木康広氏: 最初に『まばたきとはばたき』という本を作ったときは、自分の本をどういうものにしていくべきなのか、まったく定まっていませんでした。きっかけは編集者の方に声をかけていただいたことなのですが、作品集を作りたいというシンプルな気持ちで、本をつくることの意味も何もわかっていませんでした。
当時、デザインのプロジェクトでお世話になったグラフィックデザイナーの原研哉さんに相談に伺ったのです。原研哉さんとの出会いは、大学生の頃に応募した文房具のコンペの受賞式でお会いしたのが最初で、さらにその翌年に応募した作品では原研哉賞をいただきました。その後、展覧会の会場で偶然の再会があり、竹尾ペーパーショウ2004「HAPTIC」への参加によって、作品集の制作へとつながっていきました。
本の相談をする時、まず作品のことをよく知ってもらわなければと思い、それ「以前」のぼくの活動を伝えるために、スケッチと言葉、作品の仕組みを描いた図面のラフを持参しました。そうしたら、原さんがそのスケッチがとてもいいと言ってくださり、本に載せるつもりもなく、ただ作品のことを伝えるために描いた絵をメインにすることになりました。
「本」という形を元に、原研哉さんに導かれ、自分の頭の中にある考え方の進み方をかたちにしていく中で、自然体という言葉の意味することや自分自身のアートワークそのものを新鮮な目で捉え直すことができました。『まばたきとはばたき』は、原さんがデザイナーであり編集者として、自分を素材にして調理する方法を体験として学ばせてくれたものだと今は思っています。
――『近所の地球』は、いつでも、どこからでも読むことが出来る本だと感じました。
鈴木康広氏: この『近所の地球』というのは、原さんから教わった形式に習いつつ、初めて自分でかたちにした本です。テーマは、ぼくが2001年にノートに書いていたものでした。この本は、ぼくが子どものころから疑問に思っていたことや、言葉に対するコンプレックスなど、作品制作というかたちで自分のリズムで掴んできた世界の見方をまとめたものです。『まばたきとはばたき』は長い検討の結果、作品を掲載する順番を制作の時系列にしましたが、今回は章を立てて作品を分類することで、僕自身の考え方を伝える本になったと思っています。
著書一覧『 鈴木康広 』