ようやく見つけた光
鈴木康広氏: 中学生になってはじめて勉強に取りかかりましたが、文字よりも写真などが気になって時間を忘れてじっと見入ってしまったり、理科の資料集の図を見れば、矢印の書き方が気になって書き写しはじめたり、教科書に書かれたひと言が気になって問題を解くことに気が向かなかったりと、自分なりの翻訳作業みたいなことに時間を使いすぎてしまったせいか、勉強はスムーズに進みませんでした。今わからないことをとりあえず脇において、できることから進めるという能力が欠けていたんですね。
高校では、「国語が苦手だから理系」と消去法で進路を選んできましたが、数学もだめ、物理もだめということで、どんどん選択肢が無くなっていきました。当時の自分にとっては大問題でした。高校3年の夏期講習が終わろうとしていた段階で、やはり数学と国語で勝負するのは無理だろうと確信しました。
ところが丁度その頃に、友達の友達が美大に行くという噂を耳にして、その手があったかと、目から鱗が落ちる思いでした。しかし、「高3の秋だし、もう9月だし……。」となかなか踏ん切りがつかず、美術予備校の門を叩いたのは夏期講習の最終日で……。
――……そこでようやく門を。
鈴木康広氏: 美術アトリエは夏期講習の会場の近くにあったのですが、友人と自転車で通り掛かったとき、一旦立ち止まりつつ、勇気がなくてそのまま帰ろうとしたんです。通り過ぎた次の交差点で信号が赤になった瞬間、「やっぱ俺、行ってくる」と引き返して、ようやく門を叩くことになりました。今でも覚えている人生の分かれ道でした。
そこは、「緑屋美術研究所」という美術予備校で、古い趣のあるアトリエでした。1階が画材屋になっていたのですが、そこにいたおばさんに生徒と間違えられて、「もう授業は始まっているから」と。「まだ生徒ではありませんが……」という声もかき消されて、上階のアトリエに通されました。そこで、先生に事情を話して、即、入ることになりました。
もともと絵を描くのが好きではありましたが、専門的に学んでいたわけではなかったので、自分がどのくらいの腕前かもわからず、ただ美大を目指すには相当な遅れをとっていたことだけはわかっていたので、食事やトイレに行く時間も惜しんでデッサンに取り組みました。イーゼルを立てて描く鉛筆デッサンは初めてで、鉛筆の持ち方から覚えました。受験までの3、4ヶ月集中してデッサンに取り組み、東京造形大学デザイン科に合格しました。
大学に入学してからも、とにかく人よりずっと遅れていた分、「時間が足りない。全部知りたい」と、今までの時間を取り戻すように勉強しました。自分の目の前にあるのは、長いアートの歴史。人類が始まって以来、人は何故絵を描いたのか、という広大なスケールの中で、現代に生まれた自分の感覚で過去のものがどう感じられるかを4年間のうちに自分なりに問い続けました。
高3の秋にどこも行く場所がなさそうだと諦めた上でようやく見つけた道でした。「名字も鈴木だし、特別な作家になるとは思えないけれども……」とにかく4年間しかない。そのリミットの先は崖っぷちという感覚でした。限られた時間で学ぶために、ありとあらゆる本を読みました。