寄り道から生まれるモノが、未来の価値となる
数学者で横浜国立大学教授の今野紀雄さん。量子ウォーク、無限粒子系、複雑ネットワークを専門に研究されています。無限大の好奇心で、数学のみならず、音楽、自然科学、アート、果ては精神世界……と学問領域を「境越」してきました。「寄り道こそ、ぼくの人生そのもの」という今野先生の歩みを辿りながら、学者、教育者としての想いを伺ってきました。
分類不能、アヤシイ本棚とメモ日記の秘密
――(今野先生の本棚を案内されて)音楽、哲学、精神世界まで……あらゆるジャンルの本が並んでいます。
今野紀雄氏: ここには音楽、哲学、自然科学、テクノロジー、精神世界と様々な分野な本があります。ぼくは数学者なのですが、専門領域を飛び越えてサイエンスやアート、あらゆることに興味があります。最初にこちらの本棚をご案内したのは、これがぼくの考え方、頭の中そのものでもあることを見ていただきたかったからなんです。
ぼくが、確率の時系列解析を研究する時に、時間と空間に興味が移ったとします。その時「時間と空間の認識は、時間軸と空間軸を定めて同列に扱われているが、実はもっとドロドロした関係なのではないか」といった妄想が、頭を巡るわけです。そこから、精神病疾患における特徴的な時間について書かれた、たとえば『自己・あいだ・時間―現象学的精神病理学』 (ちくま学芸文庫)というような本を手にとるようになるのです。これが別の興味対象に移れば、またそれに関連する本を読んでいく。はたから見ると、何を研究しているのかわからない、あやしい分類不能の本棚が出来上がります。
また本に限らず、普段からいろいろなものを集めることや、メモをとることも大好きです。メモや領収書などは、全部ノートに貼り付けています。喫茶店に入った時はコースターなどをメモ代わりにしています。そうすると、後でそれを見た時、日記のような効果があって、そのときの情景が思い浮かんでくるんです。あえて整理せずにベタベタと。これは20年以上続いている習慣です。ただ、このノートには結構危ない秘密の情報やメモも残っているので、死んだ時は早めに燃やして、と言っています(笑)。こんな風に昔から、何気なく領域を飛び越えて、好奇心の赴くまま、雑多な情報を自分のフィルターへ通してきました。
先祖は伊達藩の絵師だった!? 体に流れる観察と好奇心のDNA
今野紀雄氏: ぼくの生まれは、東京は江戸川区にある平井という下町でした。父の仕事の関係ですぐ小田原に引っ越したので、東京育ちではありません。今野家は代々、伊達藩に仕える絵師の家系だったそうで、確かに、親戚には絵描きが多いらしく、ぼく自身も小さいころから絵を描くのが大好きでした。
小学校入学前は、『少年チャンピオン』のような漫画雑誌を一冊丸ごと真似したマンガ本を、近所の女の子たちに見せて回っていました。するとみんな喜んでくれて……ひとり人気連載漫画家を気取っていました(笑)。将来は漫画家になりたいと思っていました。
しゃべるのが大好きで、授業中も落ち着きがなくバケツを持って廊下に立たされるような子どもでした。廊下に立たされても、まだひとりでしゃべっている……先生に注意されれば、しめたもので、さらに漫才のように返す。おしゃべり好きなのはこの頃からですね。
観察のクセがついたのは、中学生になってからでした。天文に興味を持ち、親に買ってもらった望遠鏡で、太陽の黒点を観察記録したり、月を観測してみたり。ひとつのことに興味が向けば、ずっとそれに集中するんです。中学三年までメンコ遊びにハマっていて、朝から晩までずーっとやっているもんだから、周りに心配されました。「生涯一日しか働いたことのない」変わり者の祖父だけが、そんなぼくを面白がってくれて、おもちゃ屋のふりをして、問屋で大量のメンコを買ってくれていましたね(笑)。
中国の古典にも興味を持ち、やはり『論語』『老子』『荘子』などを読み漁っていました。『論語』の一節にある「吾十有五にして学に志す」を読んで、15歳の時にぼくも一番自信のある学問、研究の分野で志しを立てようと、将来研究者になるという目標を据えました。
進学した湘南高校という学校は、不思議なところでした。「解析概論」という大学で勉強するような小難しいテキストを、これまた小難しい顔をして授業中読んでいるクラスメートが、教室中にいたのです。
その光景は、ぼくにカルチャーショックを与え、コペルニクス的転回を促しました。もともと好きだった数学に磨きをかけるため、高校生レベルですが、数学を研究するクラブに入部し、彼らに負けないように数学のテキストを読んでいると、不思議なもので、はじめは難しいと思っていた内容も、だんだん理解できるようになっていきました。理解できれば、さらに面白くなっていく、といった風にどんどん数学の面白さに取り憑かれていきました。もっと究めたい、一番の数学を学びたいと思い、東大へ進むことにしました。