「どの道に進むべきか、そもそも道はあるのか」
演劇、数学、天文学、ディスコ……頭の中はカオス状態
今野紀雄氏: 一番興味のあった数学を志して入った東大でしたが、やはり都会の誘惑は魅力的で、せっかく東京に来たのだからと、情報誌の『ぴあ』や『シティロード』を広げては、面白そうな「アングラ劇」を見に行っていました。清水邦夫さん作の『幻に心もそぞろ狂おしのわれら将門』が上演されていて、そこで演劇のたたみかけるような言葉のシャワーが、頭に、脳に、心地よく入ってきて……それからは、多い日は1日に三つくらいはしごして、朝・昼・晩と演劇に通うようになりました。寺山修司さんの「天井桟敷」、唐十郎さんの「状況劇場」は何度も見ていました。
教養時代は、数学の道へ進むのか天文に進むのか、はっきりと決めていませんでした。自然科学研究会に所属していて、天文学科に進むことも考えました。けれど、天文学は天文に特化するけれど、全ての学問の基礎となる数学なら、それを軸にさまざまな領域に飛び込んでいけると考え、数学科に進むことにしました。
――ついに、数学者今野先生の誕生ですね。
今野紀雄氏: ところが、ちょうど数学科に進路を落ち着かせてひと安心していたところに、やってきたのがディスコブーム。ふたたび大学からは遠ざかり、ほとんどディスコばかり。ぼくのキャンパスは駒場から離れ、新宿・六本木・渋谷とそちらがメインキャンパスになってしまいました。
一番最初に新宿歌舞伎町のディスコで聴いた曲は今でもその情景とともに鮮明に覚えています。Arabesque(アラベスク)の『Hello Mr.Monkey』。さらにそこでお酒まで覚えてしまい……ぼくの学生時代は、演劇、数学、天文学、ディスコ(ミラーボウル)と、頭の中は本当にカオス状態でしたね。カオス状態だったからというわけではありませんが、数学は確率論を勉強していました。確率論は、カオティックでいろいろなところとつながっていると感じて、純粋数学よりも自分には合っていると考えていたからです。
卒業後に進んだ東工大大学院でも確率論を勉強しました。けれど、新宿や六本木で見た世界が頭から離れず「寺山修司さんのように劇団を立ち上げて全国を行脚するのも面白いし、映画をつくるのも良いな」と、大学院進学後もしばらくは自分の道を迷い続けました。
その当時、建築家でもあり現代音楽家でもあった(ヤニス)クセナキスの『フォーマライズド・ミュージック』という本に出会い、音楽の分野でも確率の世界と関わりが持てるのだということを知りました。数学と芸術の接点が見つかった瞬間でした。その影響もあって、現代音楽の教室に、月に1~2回通ったりもしていました。
修士課程から博士課程に進んでも、まだ確固たる自分の道は決まっていませんでした。ふわりとした気持ちのまま研究していたのですが、ちょうどそのころ、北海道の室蘭工業大学での就職の話があったんです。30歳だったので、これを節目に今の状況を吹っ切って、全部リセットしようと、北海道行きを決めました。室蘭に移り、無限粒子系にテーマを絞ると決めて、本格的に研究者としてようやくスタートを切りました。
やりたいことはこれだ!
「本」で研究成果を還元し、共有する喜び
――長い道のりを経て、ようやく……。
今野紀雄氏: 室蘭工大にいる間に、在外研究員という制度で1年間アメリカのコーネル大学で研究員を務めたのですが、そこでぼくの道を示してくれる大きな出会いもありました。そのうちのひとり、デュレット先生は、数学者としては珍しく、コンピューターシミュレーションを積極的に用いていて、伝染病の感染状況などを動画として可視化していました。彼の本には数式だけではなく、シミュレーションの図も沢山あったのですが、ぼくはそこに芸術性も感じました。「まさに自分がやりたいことはこれなんだ!」ようやく道が見えてきました。30代も半ばのころです。
その時期に、World Scientific社から無限粒子系に関する英語の本の執筆依頼がありました。この時書いた本がぼくの最初の本で、これをもとに学位論文を書き学位を取得しました。
帰国後、はじめて一般向け書籍となる『確率モデルって何だろう―複雑系科学への挑戦』を書きました。その後、無限粒子系の分野の面白さを知ってもらいたくて、その入り口としての本でもある、最初の「図解雑学」シリーズ『確率』を書きました。ぼくは絵を描くことが苦にならないので、「図解雑学」シリーズの右ページ、絵の下書きは全部自分で描いています。左ページの文章よりもむしろ右ページの絵のほうがオススメだったりして(笑)。
今まで研究してきた「無限粒子系」、「複雑ネットワーク」、「量子ウォーク」、これらをぼくは「三本の矢」と表現しています。この三本はバラバラではなく、ぼくの中でつながっていて、これを入門から専門まで本に書くことによって、ひとつのつながりを見せています。ぼくたちの研究分野に興味を抱いてくれる人を少しでも増やしたい、という強い想いで本を書いています。