内田樹

Profile

1950年東京都生まれ。1975年東京大学文学部仏文科を卒業。大学時代の学友、竹信悦夫から多大な影響を受けてレヴィナスの研究を志す。東京都立大学人文科学研究科博士課程を中退し、東京都立大学人文学部助手となる。 1990年から神戸女学院大学文学部助教授、総合文化学科教授を経て、2011年退職、同大学名誉教授。 同年、第3回伊丹十三賞。合気道六段、居合道三段、杖道三段の武道家でもあり、神戸女学院大学合気道部顧問を務める。専門はフランス現代思想、ユダヤ人問題から映画論や武道論まで幅広い。現在は、武道の稽古と研究教育活動道場兼学塾である『凱風館』を拠点に物書き兼業武道家として活動する。

Book Information

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――今後、電子書籍が紙と同じようになると思われますか。


内田樹氏: 成り立ちが違うので、紙と同じようにはならないと思います。紙というのは基本的に書棚に並べるための物ですよね。書棚というのは自分の脳内地図であって、内面を外界に投射しているわけですよね。自分の頭の中ってこんな風になっているんだということを、背表紙を見て理解する。



皆さん誤解しているんだけども、書棚に並んでいるのは読み終えた本であるわけじゃない。実際には、これから読まなきゃいけないと思っている本が並んでいるわけです。それっていうのは、自分がどんな本を読む人間でありたいのかという、一種の理想我というか、自分自身の知的な自己形成のマップを壁に描いているわけです。これは自分に対してつよい影響力がある。

朝起きて、机に向かったとき、本棚に並んでいる『まだ読んでいない本』の背表紙たちが僕に向かって、『いつになったら読むんだよ、コノヤロー』って切迫してくる(笑)。この教化的な圧力というのは、すごく大きいわけですよ。

『まだ読んでいない本』に支配されているわけですよ、僕ら自身が。1回読んだ本だって、1回読んだだけであって、中身が分かったのかって言われたら、分っちゃいない。だったら『読んでないじゃん』と本に凄まれる(笑)。優れた本て、何十回もの再読にも耐えられるもので、その書物がこちらを向いていて、絶えず読まれることを要求している。

不思議なもので、何か考えごとをしているときに、本棚の前をふらふら歩いていると、パッと本と目が合うということがある。この本にもしかして、今自分が知りたいことが書いてあるのかなと思って、取り出して読むと、まさに知りたかったことが書いてある。そういうことって、よくあります。だから、日常的な空間のまわりにずらりと背表紙が並んでいるというのは、僕みたいな仕事をしている人間にとっては、大事なことだと思うんですよね。

だから本棚は自分自身の知的な自己形成のある種のロードマップみたいなものであって、これから踏破すべき道が図像として表象されているわけなんだけれど、電子書籍の場合は、そういうことはまずあり得ない。電子の場合って『いずれ読もう』と思っている本を買って『積ん読』なんてことしないから。

紙の本だと、目についたときに買っておかないと、絶版になっちゃうかもしれないということがあるでしょう。今買っておかないと、読めなくなるかもしれないからって。

だけど電子書籍の場合、基本的にオンデマンドで買えるわけだから、読もうと思った時に買えばいい。買い置きをしておく必要がない。本棚に並べる必要がない。ということは、まだ読んでない本と『目が合う』ということが起こらないということですよ。だから何万冊の電子書籍の蔵書があっても、何もインパクトがない。

紙の本というのは、必ずしもon demandじゃないんですよね。on desireだね(笑)。だから紙の本と電子書籍は成り立ちが違う。読者の側の幻想や欲望と書物の蔵する未知のものとの双方向な関係の中に書庫というものは存在する。

電子書籍というのは、『お腹が空いた、あんパン食べたい。じゃあ、あんパン買おう』という具体的な実需要に基づいて構築された制度でしょ。でも、読書というのは、もともと実需要に基づく行為じゃないんです。『虚の需要』というか。『いつかこの本が読めるような人になりたい』とか『こういう本を読んでいると人だと他人から思われたい』とか、そういう自己幻想が駆動する行為なんですよ。

たぶん、電子書籍っていうシステムを発明した人っていうのは、あまり本を読まない人だと思う。少なくともあまり本好きじゃない人だったと思う。アメリカの大学院生なんか、来週までに参考書10冊読んで来いと教授に言われたので、図書館にこもって、必死になって徹夜して読むというようなことを何年もしているわけでしょう。こういう読書の仕方をしている人たちからすれば、いかに効率よく、速く読むかというが最優先になる。それに、課題を出されて図書館に行ったら、もう誰かに先に借りられていて本がない、ということだってあるわけで。紙の本なら、そういう冊数の限界があるけれど、電子書籍なら何万人が同時にアクセスしたって、同時に読める。たぶんそういうことで学生時代に苦しんだ人が発明したシステムだと思う。

舐めるように読むとか、味わい尽くすように読むとか、あと机の周りに関連する物、興味のままに次々と色々な本を並べていって、その中をぼんやり散策するみたいな感じの、書物を読みつつ時を忘れるという、そういったタイプの読書経験のある人が設計したものではないと思う。読まなければならない本をすぐに読めるという利便性を追求した人が設計したものだから、その人は、たぶん本好きじゃない(笑)。あくまで、資料として本を読む人だと思う。

――日本では、いわゆるビジネスマンの方達もデバイスを持っている方が増えてきて、電車の中でチラッと見ると本らしき物を読んでいますね。


内田樹氏: 池谷裕二さんはiPadで、最新のネイチャーとかサイエンスの論文をどんどん、どんどんダウンロードしてるそうですけど、信号待ちをしている時に読めるから便利だと言ってましたね。
でも、それは『読書』というのとはちょっと違うと思う。最新のデータに不断にアクセスするという行為は読書とは違う名前を、違う言葉を与えるべきだと思いますね。

――資料や論文ではない本に関して、電子化された本をデバイスで読むことは、読書と言えるんでしょうか。


内田樹氏: それは読書でいいと思うんです。主に持って歩くのが面倒だというだけの事であって。1週間ぐらい旅する時って、昔は肩が重たくなるぐらいカバンに本を入れていたけれども、今はiPadがあるので、読む本がなくなったら青空文庫で古典を読めばいい。楽になりましたよ。

――今iPadでも書棚みたいな形の空間の中に、背表紙付きの形で見る事は可能ですね。電子書籍が登場した事によって、『私の本棚はこうです』と人に見てもらったりってことが、流行ったりしないかなと思うんですけど、いかがですか。




内田樹氏: でもデバイスの「自分の本棚」って人に見せます?「俺の本棚こうだぜ」なんて見せても意味ないでしょ(笑)。本棚って、その人が世間からどんな人間だと思われたいかという、いわば欲望がダダ漏れしている所ですからね(笑)。プライベートな空間でしょ。昔、僕の友達に、本棚を見られると俺の中身がわかっちゃうからって絶対見せないという人がいたもの。本棚に鍵かけてカーテンしてて(笑)。

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