――その本とはどれくらいの付き合いになりますか。
内田樹氏: 最初に読んだ時が、28とか29才のときですからね、かれこれ30年ですね。
――今でも、事あるごとに読まれたりしますか。
内田樹氏: 何かのきっかけで、『あ、そういえば、レヴィナス先生はこんな事を言っていたな』と本を取り出す。どうして、そんな意味が分からない本を読みふけったかというと、それは文章がかっこいいからですよ。素晴らしくかっこいい。意味がわからないんだけども、めちゃかっこいい。そういうことって、あるでしょ?
――今、この本棚の中でこれから読んでみようかなと思う本は何割ぐらいですか。
内田樹氏: 8割ぐらいじゃないかな(笑)。もちろん読んでいる本もあるんですよ。小説なんかはたぶん全部読んでいるんですけど、研究書の類は事典に近い使い方ですから、用があるところだけ、つまみ食いですね。
――1冊、例えば文庫本だと350ページぐらいの本だとどれくらいの速さで読まれますか。
内田樹氏: 読むのは速いですよ。集中して読むと、あっという間に読み終えてしまう(笑)。よくわかんないけど、ふつうの人の本を読む速さとはだいぶ違うんじゃないかな。
――読む速さというのは、読書の経験によって変わってくると思いますか。
内田樹氏: もちろんそうですよ。子どもの頃から読んでいる文字量の累積と読むスピードは相関しますね。ある程度読み方が速くなってくると、速く読まないと楽しめない。ご飯と同じで、美味しく食べられるスピードが決まっていて、のろのろ食べると味がしない。
――いわゆる速読とは違うわけですよね。
内田樹氏: 違いますね。全部読んでいるから(笑)。読み終えて『一丁上がり』っていう感じじゃなくて、基本的には楽しむために読んでいるから。
本は沢山読めば読むほど、本の歴史的な位置づけができるようになる。この時代に、どんなことがホットなトピックで、この人は誰と何について論争していたのか、というような周辺情報がわかっていると、文脈が分かる。
どんな本も、是非でもそれが書かれねばならなかった、止むにやまれぬ事情があるわけです。その事情がわかれば、本は非常に読みやすい。文脈のわからない本を読まされるのが一番つらいですね。
レヴィナスが難しかったのは、どういう文脈に置いていいのか、わからなかったからです。西洋の哲学の歴史のどこにこの人を置いたらいいのか、僕自身がその頃持っている手持ちの思想史のマップの中にはレヴィナスのための場所がなかったんです。
――今はどこかにマップされたんですか。
内田樹氏: 今はちゃんと神棚を作りましたから。レヴィナス神社(笑)。
自分が一番尊敬する書き手を「書物の殿堂」というか、hall of fameを個人的に作って、そこに祀るということってしませんか?本棚のそのコーナーに、自分が個人的に大好きな作家たちのものをずらりと並べていく。前に芦屋のマンションにいたころ、6畳の和室を『娯楽の殿堂』と命名して(笑)、そこに自分の大好きな本とDVDとCDだけを集めて、こたつに寝転がって、すっと手を差し出すと、手に触れたものを読んだり、見たり、聴いたりして、終わったらまた棚に戻す・・・ということをやっていました。
またそれとは別に『名誉の殿堂』というのがあってもいいんじゃないですか。ときどきひとりで『審査委員会』を開いて、誰のどの本を『殿堂入り』にするのか審議する。そこに一度入った本はもう別格で、時々取り出して、表紙を撫でて、数頁読んで、『いいなあ』とため息をついて、また戻す。そういうのが、本の読み方としてはベストなんじゃないかな。
――電子書籍の登場で便利になりますけど、そういう楽しみの機会が減りますかね。
内田樹氏: でも、本好きの人はこれからは紙の本も電子も両方買うんじゃないですか?だって、電子書籍って不安定でしょ。100年後に、電子書籍が残っているかというと、僕はたぶん残っていないと思う。ツールの改廃が激しいから。VHSで録画したものはもう今でさえ再生できないし、FDに入れたテキストももう取り出せない。それと同じで、電子化されたテキストも100年後にはそれ専用の「古道具」を持ち出さないと読めなくなっている。でも、ここにある紙の本は、100年後でもそのまま全部すぐ読めるよ。でも、iPadで読もうとしても、100年前の機械ですからね、もう動きませんよ(笑)。
紙って、やっぱりすごく危機耐性が強い媒体だと思う。電子書籍は停電したらもうおしまいでしょう。震災でライフラインが止っても、紙の本は『蛍の光、窓の雪』で読めるんです。無人島にも持って行ける。iPadは無人島で読めないでしょ?(笑)。電気がないから。
――外的要因に関わってくる分、iPadなどは独立していないですね。
内田樹氏: 社会的インフラが安定していて、すべてのサービスが順調に機能している場合には便利だけど、単品としては非常に脆弱ですよね。
紙はやっぱり強いです。持ち運びできて、飛行機の中でも、トイレの中でも、無人島でも読める。水に濡らしても、床に落としても、読める。危機耐性の強い媒体じゃないと、時代を超えて、環境の激変に耐えて生き残ることはできません。
電子書籍でしか存在しない書物って、あまりに脆弱だと思う。雷が落ちても、太陽の黒点運動が変化しても、もののはずみで『データが全部消えました』っていうことになりますからね。
阪神淡路大震災の時、スチール製の本棚は倒れて、ぐねぐねにねじ曲がったのに、本は壊れていないんですよ。でも本は角がボロボロになったものがあったけれど、基本的に地震のせいで読めなくなった本というものは一冊もなかった。家具は弱いが本は強い。
――そういう意味では本は、電子よりは強いですね。
内田樹氏: 本ってパーソナルなものだからね。電子書籍の場合は、誰かが悪意でネット上で改竄したり、全部Deleteされてしまったということがあり得るけれど、書物は一回手に入れて書棚に置いたら、完全に僕のものだから。
――電子書籍の利便性として絶版が無いという事が挙げられると思いますがいかがでしょう。
内田樹氏: 発行部数とか値段の設定とか見ると、どんな本も、どういう読者を対象にしているか、誰を宛先にして本を書いているか、だいたいわかりますよね。本屋で手に取ったときに『ああ、これは俺が買わなきゃいけない本だ』って思えば買うでしょ。絶版になるというのは、とりあえず『買うと想定されていた読者』が一通り買ってしまったということですよね。とりあえずのニーズは満たしたわけです。でも、後から来る世代の読者のためには、リファレンスとしては残しておいて欲しい。図書館に所蔵してもいいし、クラウドの上にあってもいい。僕はクラウドの上にあれば十分だと思いますけど。
――年間多くのペースでお書きになられていると思うんですけど、制作効率がアップするようなコツはありますか。
内田樹氏: あの、僕、全然仕事の効率なんか上げたくないんです、本当に。もっとのんびり書きたいんだけど、編集者がやいのやいのせき立てるので、泣く泣くやってるんです(笑)。だから、効率を上げたいなんて思ったこともないし、術も知りません。
――先ほど仰っていた思考回路のオンオフについてですが、何か訓練のようなことをされたんですか。
内田樹氏: オンオフの切り替えが得意なのは、武道をやっていることに関係あるかも知れません。瞬間的に意識を切り替える、体感を切り替えるというのは、武道ではたいせつな訓練ですから。瞑想と同じです。瞑想に入ると、時間の流れや意識の流れが切り替わって、それまでとは違う流れに乗る。武道に限らず、宗教的な瞑想もそうですが、ちょっと、この世界の外にふっと出るという感じ。
――では、最後に内田さんの本との関わり方を教えてください。
内田樹氏: 僕は本を読むことと、物を書くことが最大の楽しみという人間なので、とにかく本を読んで、物を書いていればよいという大学教師は夢のような仕事でした。だから、職業選択にはとても満足しています。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 内田樹 』