紙に書いてある文字は、一度手に取るとすぐに頭に入るんです
――今回、本との関わりについて伺っていますが、益川さんは、電子書籍を使われたことはありますか。
益川敏英氏: 僕は、手を出したことがない(笑)。本っていうのは、仕事場に置いといて積んでおくものだと思ってるんですよね。気が向いた時に同じような本を10冊くらい集めてきて、これどう違うか見比べながら読んだりとかするのが好き。電子書籍でもきっと、本と同じことができると思うんだけども、まだ使っていないっていうのは、私が使うことに慣れてないっていうことなんだろうね。
――実際にご覧になったことはありますか。
益川敏英氏: ありません。積極的に手にしません(笑) 。というのも、プログラム書いて、デバッグやる時に、パソコンの中で読むのはどうしてもやりにくいんですね。やっぱり打ち出して紙を見るとね、一遍に分かるんですよ。紙と電子とでどこが違うのか知らんけども、視野がやっぱり狭くなるんだと思う。
――電子書籍のメリットを挙げるとしたら、例えば遠隔地にいる学童だとか視聴覚にハンディキャップがある方などが、等しく知へのアクセスすることが容易になってくるといったことも挙げられています。そういった意味で電子書籍が、教育界においてどんな変化をもたらすと思いますか。
益川敏英氏: 例えば、これまでにも私は本代にはかなりたくさんお金を使っているんだけども、場合によってはお金がないこともあるわけね。それでも、ほとんどお金を持っている、持っていないに変わりなく本にアクセスすることができる。だから、そういう意味では、かなり環境が特殊なんでしょうね。どんな本でも検索するのも楽だし、入手するのも楽だというような環境は整っていくんだと思いますね。
話は変わるけど、最近本書いてもね、本屋さんに平積みしてあるのは2週間くらいなんですよ。もうジャンジャン新しく生産してくるわけね。だから本を並べる場所がいるわけね。1冊置いてあった本も2週間くらいでなくなって、なくなると追加しない。最近は印刷が楽になったらしくて、本屋さんで注文すると、注文が1冊あったら1冊だけ作るわけね。だから、そういう意味で本の回転が早くなる。「この本が絶版になってしまったら大変だ」と思って買うわけですよ。
子供のころ、図書館で一冊の本を抜き出すときに、感動で手が震えた
――益川先生の幼少期から学生時代の読書遍歴や、影響を受けた本などをお伺いできますか。
益川敏英氏: 思想文化面の本は、特にないんですよ。我々高校の終わりぐらいから大学の初めくらいに定番であったのは、阿部次郎さんの『三太郎の日記』。だけど読んだ時に難しくてわからなかった。何回読んでも分からなかった。最近もう一回買って読んだんだけど、「なんだ、こんな簡単なことが書いてあったのか?」と思ってびっくりしました。
でもね、こういう体験をしてみると、若い時は読むだけの準備ができていなかったんだと思う。読んだ時に日本語は分かるんだよ。「これが何を意味しているか」っていうことはね。でも言葉というのは、読んだ後にもう一度膨らむもの。だから、「ここで言っていることは、こういうことだったのか」って分かるには、ある程度体験もいるんです。最初に本を読んだ時に、分からなくても半年経って読んでみれば分かるとかね。だから僕はね、「読んで分からなかったら飛ばしておいて、時期をずらしてもう一回読んでみろ。そしたら分かるようになっているよ」ってよく言っている。
あと、物理の本は、ほとんど読まない。なぜかっていったら、論文で読むから本で読んだってしょうがない。ここに数学の本がたくさんあるんだけどね、物理屋だとね、仕事のために数学の本があると思われがちなんだけど、そうじゃないの。数学の本っていうのは面白いから読んでるだけなの。
――子供のころからやっぱり本はお好きだったんですか?
益川敏英氏: 僕が覚えている一番鮮烈な本の体験は、小学校の5年の時。グループ研究っていうのがあるでしょ? クラスメイトを何班かに分けて、その1班にテーマを与えて、それを調べてというやつ。そこで、なんていうテーマだったか忘れたけど、友達のところに集まって、議論して手分けして、調べたわけですよね。そして、名古屋でちょうどその頃に鶴舞(つるま)図書館っていうのが出来るんですよ。そこへ行って、調べ物をするわけですけど、小学生の課題ですから10分くらいで終わっちゃうわけですよ。その後に時間が空いているものだから、図書館内を探検するんです。
図書館の中にずらりと本がたくさんある中から、1冊の本を抜き出すときに手が震えた。多分、期待感だったんでしょうね。そのときの感覚は、今でも覚えている。それまでは、学校で指定された本を一括購入して、配られるだけだったから。たくさんある本の中から1冊自分で選ぶという経験はほとんどしたことがなかったから、その時は非常に緊張しましたね。実際、どんな本を選んだかは覚えてないんだけどね。
あと、図書館に行くとき、半分ぐらい下心もあったんですよ。うちは砂糖屋をやってたもんだから、家の近辺をうろうろしているとね、お使いを命ぜられるわけ。「この砂糖をどこどこへ配達してこい」とか。だから、「図書館に行って調べものしてきます」というとね、家を抜け出せるわけ。それで、図書館にいる時間のうち4分の3ぐらいの時間を使って『十五少年漂流記』だとそんなものを読んで、4分の1くらいのところで、勉強に関係するようなことをやって。
高校3年生のとき、「芥川論」が書きたくて芥川作品の98%を読破!
――鮮烈な読書体験ですね。中学に入った後も、やはり読書はお好きだったんですか?
益川敏英氏: 中学生になると、今度は図書係になってしまいました。図書係は、購入したものを最初に読めるわけ。そんなこともあって中学校までくらいは、自分で本を買ったことがなかったんです。でも、中学3年になって初めて自分の意志で本を買ったわけ。というのも、僕の家は砂糖屋をやっていることもあって、結構お小遣いをくれる家だったんだ。当時は、砂糖の入ってた空袋を売りに行くと、結構いい値段で買ってくれるところがあったんですよ。例えばキューバ糖なんかはね、麻の袋に100kgくらい入っちゃう。それでいらなくなった麻袋を売ると、結構いいお小遣いになったんですよ。その袋をなにに使っていたのかは、知らないけど(笑)。
――いったい当時はどんな本を買っていたんですか?
益川敏英氏: 初めは小説みたいな文学書をたくさん買ってね。高校3年の時かな? 芥川の作品は98%までくらい読んだ。芥川全集なんてものは買わない。1冊ずつ古本屋で見つけてきて、「あ、これ持ってない」とか言って、リスト作って消していくわけね。これだけ読んでいたから「いつか芥川論を書いてやろう」と思ったんですね。なぜ芥川は自殺しなければならなかったかってことを書こうと思った。彼は、短編が多いでしょ。どの短編でも、ストーリー展開して、見事に終わってみせるわけ。彼はそれが目的だったわけね。
でも、そんなストーリーをいくつもいくつも作れるわけはないじゃない。それで次第に追い詰められていって、何に逃げたかっていうとね、キリシタン。キリシタンの奇跡は勝手に作れるでしょ? だから、見事に終われるわけ。だからキリシタンに逃げるんですよ。しかしそれにも種が尽きるし、虚しくなるんでしょう。そこで、自殺したと。せざるをえなくなったというのが僕の説ではあったんだけども。それを書いてやろうと思ったわけ。そしたら、僕が考えたことと同じようなことを書いているやつがいるんだよ。こりゃやられたぁ~と(笑)。
数学の本は後ろから読んだほうが、理解が早い
――世の中には同じことを考える人間がいるんですね(笑)。本の内容やつくりなどで以前と比べて変わったなと感じるような点はありますか。
益川敏英氏: そういう意味では、数学の本でもそうなんだけども、実に手が行き届いていますよね。まず、最初に要約が書いてあってね。こういう本はどういうことが書いてあって、1章は何がテーマかっていうことが、初めに書いてあるのね。
僕は、数学の本は、後ろから読むの。なんでかっていうと、数学の本はね、構造がしっかりしているから、たいてい最後にその本の結論が書いてある。「なになにの定義」とか。それを証明するための準備がずっと書いてあるわけでしょ? それが分かるようになるまでね、遡っていくわけ。初めから読んで分かるわけない。ずっと遡っていって、「ああ、こうか」と。分かった段階で終わるわけ。
そうするとね、とんでもないことが分かる。何かっていったら、本の中で脇道に逸れている話があるわけ。「ここのところでこういう面白い脇道があるよ」っていう。僕は、そういうのを読み落とすわけ。で、同じ本を読んだ人に「益川、お前この本を読んだって言ったじゃないか?そこに書いてあるだろう」と言われる(笑)。