無我夢中にやっていくと『道』が開けていく
――大学で国際関係学を専攻されたとのことですが、専攻されたきっかけを教えていただけますか?
堤未果氏: 初め私は芝居をやりたくて、アメリカに行ったんです。自分が演じ、脚本も書きたかったんです。でもアメリカに行って住み始めたらまず、すごいカルチャーショックを受たんです。色々な国の友達がたくさんいて、それぞれバックグラウンドや文化がみんな違うんですよね。そうすると友達の行動にしてもつきあいにしても、自分の予測を全部裏切られるんです。思い込みや先入観が、ことごとく壊されるんです。それがもの凄く面白くて、その人たちの事をもっともっと知りたいなと思ったんです。そしたら、そもそも自分は世界の事を何も知らなかったという事に気がつくわけです。「もっと大きい世界をみたい」と強く思いました。例えば脚本ひとつ書くにも、視野が狭ければ人間は描けないんですよね。それで芝居から転向して、世界がどういう風に絡み合っているのかを一から勉強しようと思い、大学と専攻を途中で変えたんです。
――大学や専攻を途中から変えることって可能なんですか?
堤未果氏: いや、変えられますよ。でもゼロからのスタートなので、ものすごく大変でした。勉強に関しては本当に苦労しました。
――どのくらい努力をしたんですか?
堤未果氏: う~ん、もう死ぬほどやりましたね(笑)。
――どういった勉強をされたんですか?
堤未果氏: 世界の色々な事情に関して基礎知識もろくにないのに好奇心だけで、国際関係論という学問をいきなり専攻したものの、アメリカの授業はディベートが中心なんです。みんな自分の意見を持って討論に参加しなければならないんです。けど最初は基礎知識もないからちんぷんかんぷんで、悔しいから勉強していって意見を言うと、今度は四方八方から反論されるんです。最初は慣れてないから悔しい思いを沢山しました。英語が話せるという事と、ディベート力は全く別物だからです。でも、無我夢中でやっているうちに道は開けてくるもので、良い感じになってきたころに卒業だったんです。4年間ではとても足りず、次に大学院に行った時に初めて自分の考えを自由にぶつけあう楽しさみたいなものが、わかったように思います。
――なぜ大学院に進もうと思われたのですか?
堤未果氏: 国連に入りたかったからです。国連って修士号以上が条件なんですよ。それが理由の一つで、二つ目は大学だけでは物足りなかったからですね。大学というのはベーシックは学べるんですけど、それを自分で分析して自分なりのセオリーにしたり、自分なりの物の見方を掴んでいくところまで行くには、時間が足りないんですよ。だから大学院に行って、今度はセオリーを作っていくというところまでやりたいなと思ったんです。
――大学院の4年間はいかがでしたか?
堤未果氏: 駆け抜けた4年間でしたね。もう最後もすべりこんで卒業みたいなスピードでした。素晴らしい教授が沢山いたのに、教わるばかりだったから、意見交換するレベルになりたかったですね。それでもう2年間居ることにしました。大学院に来ている生徒も、国連の現役の人や研究者などの専門家が多くて、本当に刺激的でした。
著書一覧『 堤未果 』