浜口直太

Profile

1960年生まれ、兵庫県出身、東京在住。米国テキサス大学経営大学院経営学修了(MBA取得)。在学中より、国際経営コンサルタントとして活躍。米国KPMGピート・マーウィック、プライスウォーターハウスクーパース(PwC)で、最短・最年少で役員待遇に。1997年には日本へ逆進出。現在、株式会社JCI、Musubu Dining株式会社、株式会社Sbarro Japanの創業者・取締役会長。外食事業を主に展開しながら、コンサルタントとして組織研修のほか、個人向けセミナー、勉強会等も行う。今までに、1,200億円以上の資金調達と50社以上の上場を支援。また、ビジネス作家として、執筆100冊以上、発行300万部以上の実績がある。『あたりまえだけどなかなかできない仕事のルール』は28万部を突破。

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たくましく生きてもらうために、親が子供たちにしてあげられることは?


――浜口さんは努力の裏にたくましさを感じます。「最近の若者は」という言葉がありますが、今の若い人達を見ていてどう思われますか。


浜口直太氏: 急激に時代が変わりつつありますので、あまり比較する必要はないと思いますが、あえて言うとすると、昔は、親は子供をほったらかしにしていましたよね。外で勝手に遊ばせて自然の中でたくましく育っていく。今はオタクっぽい子供ばかりで、室内でのゲーム、パソコン、携帯、テレビ等々で遊ぶので、たくましさがなくなりつつあるのかなと思いますね。

――たくましくなってもらうためにはどうすればいいでしょうか?


浜口直太氏: たくましさをつけていくためには早く独り立ちさせ、さっさと海外に行かせるなりしてみるのはどうでしょうか。うちも息子を高校の時に1年間ニュージーランドに行かせたり、娘も短期ですがロンドンに行かせたりしました。息子は今大学2年生で、大学が遠いので、家を出て一人暮らしをしています。おそらくその地域で一番安い2万円いくらの家賃のオンボロ古アパートに住んでいます。たくましくなってもらいたいと思っているので(笑)。

――親は過保護になってしまいそうですが、浜口さんは親として、子供のためにどのようなことを大事されていますか?


浜口直太氏: 生き方や稼ぎ方を教えるほうが、お金をあげたり、いい暮らしを与えたりするより大事だと痛感しています。独り立ちできないのは不幸ですので。いつか親はいなくなります。結局頼れるのは自分ひとり。ひとりでたくましく生きていく力をつけさせてあげることが親として子供に対する最大の愛情だと思うんです。自分で稼ぐ、自分で生活力をつけていく環境に早く送り込むことが大事かなと。

人生を変える出会い、そしてアメリカでのホームレス生活からの逆転劇


――次は、人生の転機となった本をお聞きしたいと思います。ご自著の中で、「たまたま手に取った本で国際経営コンサルタントになろうと思った」ということが載っていましたが、その本とはどのように出会ったのでしょうか?


浜口直太氏: 実は、私は英語がずっと苦手でした。高校3年生の夏休みに、担任の先生が英語だけでも少しは出来るようにしてあげたいということで、アメリカで1か月間、ホームムステイをさせてもらったんですね。

――海外でたくさん活躍されてらっしゃるので、英語が苦手だったというのは驚きです。その時アメリカでどういったことを学ばれましたか?




浜口直太氏: アメリカという国の素晴らしいところ、特に寛容なところを学びました。日本は偏差値教育でまんべんなくできなければいけない風潮がありますが、アメリカは1つでも特技があったらいいという考え方。日本は減点主義なのに、アメリカは加点主義。要するにいいところがあったら褒める。ホームステイ中にアメリカの素晴らしさに触れて、アメリカの大学に行き、アメリカで就職したいと思うようになりました。そこで日本に帰ってきてから本屋さんに行った時、山田勝さんの『英語留学と国際派就職』という参考になりそうな本を見つけたのです。

――国際経営コンサルタントになるきっかけの本と出会ったんですね。


浜口直太氏: その本は、最初は留学とか国際的に活躍するという話だったのに、読み進めていくと、「もっと人間的に成長しないとだめなんだよ」という話になっていたので、すごく魅惑されたんですね。本来なら読んで「へー、勉強になった」で終わるはずが、その著者にどうしても会いたくなり、本の中の著者連絡先電話番号に連絡して会いに行ったんですね。

――すごい行動力ですね!


浜口直太氏: とにかくお会いしたいという気持ちが強かったですね。山田さんは国際経営コンサルタントという職業をされていたのですが、お会いして話を聞いていて、すごくわくわくしました。それから山田さんに頻繁にお会いしに行くようになったんですが、その度に、「この人のやっている仕事がしたい」と思うようになりました。

そこで、どうしたら山田さんのような仕事につけるか聞いてみたところ、まずアメリカの大学に行くことを勧められました。山田さんは明治大学を出て、カリフォルニア大学(バークレー校)経営大学院(ビジネススクール)というアメリカトップクラスのビジネススクールで経営学修士号(MBA)を取得されたことから、私に対しても同じようにアメリカのビジネススクールでMBAも取ることも勧めてくれました。

――そこでアメリカに留学を決意されたんですか?


浜口直太氏: 私は残念ながら英語の成績が著しく悪かったため、アメリカの大学には行けず、付属高校から推薦で日本の大学に行きました。その時に書いたのが「人生計画」です。私は半分本気、半分希望的観測で、自分の苦手なこと、特に国語と英語を克服したくて、「本を書く」とか、「アメリカの大学院に行く」等を書きました。もしそれが実現すれば、最も苦手だった国語と英語を克服できたことになるので、人生怖いものしらずになると(笑)。

――日本の大学を卒業後、アメリカに留学してからの生活はいかがでしたか?


浜口直太氏: 日本の大学を卒業する頃、アメリカのビジネススクール7校に応募したのですが、全部落ちてしまいました。その結果、1年間ホームレス、ジョブレス、不法滞在をする羽目になってしまいました。
私はなんとかアメリカのビジネススクールでMBA取ってから、世界最大の国際会計・経営コンサルティング会社、KPMGのニューヨーク本社に入りたいという夢を持っていました。KPMGという会社は、当時からMBA持っていてもなかなか入れない超難関の世界的なプロフェッショナルファームでしたので、ビジネススクールに落ちた時、「これでKPMGにも入れないし、国際経営コンサルタントにもなれない」と諦めモードになってしまいました。しかし、応募したところ、ビジネススクールを出ることなしで、奇跡的にKPMGのニューヨーク本社に入社することができたのです。後になって幸運にもテキサス大学ビジネススクールに入学でき、修士・博士課程を働きながらということもあって、7年もかかって何とか修了することができました。

―― 一度は無理かもと思ったKPMGに入社された時はどのように思われましたか?


浜口直太氏: 憧れのKPMGニューヨーク本社に入社でき、「ラッキー!」と思いましたが、超一流プロフェッショナルファームということもあり、仕事についていくのに大変で、「もっと楽な人生を選べばよかったのかなあ」と後悔もしました(笑)。

著書一覧『 浜口直太

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