「一字入魂」― 世界の「トップ」になるために必要なもの ―
アメリカで起業し、日本に帰国後は経営コンサルティング業、美容・健康事業、飲食事業など世界中で活躍する浜口直太さん。多忙な一方で、ベストセラーの『あたりまえだけどなかなかできない仕事のルール』をはじめ、ビジネス本を100冊以上執筆しています。ビジネスも執筆も世界の「トップ」を目指す浜口さんに、人生を変えた本との出会い、パワーの原動力についてお伺いしました。
どの事業も、「人が幸せになることを応援する」ことが共通点
――浜口さんは様々なお仕事をされていらっしゃいますが、現在のお仕事や、お取り組みについてお伺いしてよろしいですか。
浜口直太氏: 前は仕事別に名刺を全部持ち歩いていたのですが、名刺がなくなったりして収集つかなくなりまして(笑)。まずJCIはもともとアメリカでもやっていた会社です。起業・投資・資金調達に関するコンサルティング業をやっています。経歴書をお渡しすると手っ取り早いのですが…。
大学を出てすぐアメリカに行って、最初1984年から90年までKPMGピートマーウィックに就職しました。アメリカの大手会計・コンサルティング会社で、6年ほどお世話になりました。その後、プライスウォーターハウスクーパース(PwC)という同業他社に2年間勤めて、その後PwCはトップとたまたま知り合うことがありまして、どうしてもということでお話を頂き2年間アドバイザーとして関わりましたので、計4年間ですね。
その後アメリカで、JCIの前身を作りまして、1997年に日本に逆進出したような形で現在までやっています。
――こうして改めてお名刺を拝見しますと、非常に多くのお仕事をされていらっしゃいますね。
浜口直太氏: 3年前に飲食事業に進出しました。焼肉屋さんを7店舗ほどやっております。その100%子会社で「Sbarro(スバーロ)」という世界的なイタリアンのファストフード会社のアジア進出をする際、顧問になりまして、2年半前に「株式会社Sbarro Japan」を作りました。今こちらは7店舗です。
――美容や飲食以外も手がけられているのですか?
浜口直太氏: はい。ネイルサロンが5店舗。そして、PCEジャパンは、アメリカの化粧品関係の商品を輸入して日本で販売しています。(要確認)
他にジェルネイルを販売始めた株式会社マハロ。「マハロ」は名前がハワイっぽいのですが、サンリオさんのブランドを使わせていただいて、全国のヤマダ電機さんで販売させて頂く仕掛けで動いています。
そして、まつげエクステのお店を1店舗テストで出して、今後広げていく予定です。
グローバルエナジーは、環境関連商品を海外から輸入し、販売しています。それからスーパー温熱。遠赤外線を使って体をほぐしてからマッサージすることによって、体温を1℃くらい上げて病気になりにくくするのが狙いです。こちらは30店舗のフランチャイズ展開をしています。少し前までは私が創業社長をやっていましたが、今は顧問という形で定期的に見に行っています。
同じように若天。創業してからまだ1年経っていません。医療健康関連商品を作って売っているのですが、立ち上げ時は私が社長をやって、こちらの会社も今は顧問です。
その下のAsia Herb Associationはタイ古式マッサージチェーン店。タイのバンコクに7店舗ほど展開しています。部屋が100から200くらいある大型店ですね。タイでは最大のマッサージ店と言われているようですけれど、そこも現地の社長が経営しているので私は会長です。
――すごいですね。それだけでも多くの事業を手掛けてらっしゃるなと思いますが、他にも手掛けられていらっしゃるんですね。
浜口直太氏: はい。他には、ビジネススクールもやっています。次が4期生です。ある程度の段階になったら、グロービスさんとか慶應ビジネススクールのように本格的にやりたいなと、準備しています。
あとは、中国の大連に投資ファンドを作りまして、日本並びに中国のコンテンツの会社、映画やアニメーションの会社に投資して中国に持っていって放映したりするという事業を、1年ぐらい前から始めました。文化の輸出ですね。日中文化交流というテーマです。
それから一般社団法人で復興支援・人道支援、特にシングルマザーの応援ですね。震災でご主人を亡くした方や働けなくなった方、突然大黒柱がいなくなって生活が苦しいという方を応援しています。
アモールクリエーションは、結婚支援とか婚活のお手伝いをしていた会社ですけれど、友人から引き受けて社長をやっています。婚活のみならず生活支援をやっていこうとしています。
また、一般社団法人百歳万歳サポートは、『百歳万歳』という雑誌の出版に加え、高齢者のお手伝いをしています。遺言状を書きたいとか老人ホームを探しているといった、迷った時に、まずコールセンターで相談に乗り、必要な所へつなげてあげるといったことです。
最後に、NPO法人ブロードバンド・アソシエーション。日本のブロードバンド分野が弱かった時に、これでは韓国やアメリカから引き離されていく、ちゃんとインフラを整えなくてはということで、私の呼びかけで協会を作りました。
ほかには、例えばサッカーチーム横浜FCの持株会社の監査役をやっております(笑)。
――本当にたくさんの業種のお仕事をされていらっしゃいますね!
浜口直太氏: 美容や健康の事業は、外面的に綺麗になったり若返ることによって、人を精神的に豊かにしていきますよね。自分自身も事業をやっているという感覚はなく、人が幸せになることを応援できるのであればお手伝いするという感じです。
『ハリーポッター』のような世界的ベストセラー本を書く!
――これだけたくさんのお仕事をされていて、寝る時間はありますか?
浜口直太氏: もう十分(笑)。2時とか3時くらいに寝て6~7時くらいに起きる、という感じですけれど。
――まるでナポレオンのようですね(笑)。
浜口直太氏: ナポレオンは好きですけれどね(笑)。昔から寝ない子というか、小学校の時から睡眠時間は3、4時間くらいです。競泳をやっていた関係であまり寝なくても大丈夫な体ですね。
――これだけご多忙で、本などを読む時間というのは取れるのでしょうか?
浜口直太氏: はい。本はいつも2、3冊持ち歩いていて、行き帰りの電車の中で時間を見つけては読んでいます。自分自身が今ビジネス書とか自己啓発書を中心に書いていますので、読む本も参考にするためにビジネス書が多くなっちゃいますね。私は執筆することで、どんなテーマでも人を元気にする…勇気・元気・やる気・希望を与えるのが夢ですね。
――直近に読まれた本はありますか?
浜口直太氏: 今は、『ハリー・ポッター』を読んでいます。というのも、『ハリー・ポッター』みたいな世界的なベストセラーを書きたいと思ってるんです。あれだけの世界的なベストセラーになると、そこにすごく魂が入っていますよね。そこを学ぼうと思っているんです。実は小説を2冊ほど書いたんですけれど、けちょんけちょんに言われたんです。読み直してみたら、確かに自分が一般の読者だったら絶対買わないなと。つまんなさすぎると。(笑)
『圧倒的努力』を続けてきた浜口氏の人生計画とは?
――ご自身の作品を、改めて読者視点で見るというのはなかなか難しいのかと思いますが、浜口さんはご自身の作品についても読者の目でご覧になっているんですね。ご自身の作品をご覧になってどのように思われますか?
浜口直太氏: 今まで100冊以上書いてきたんですけれど、100点満点で付けると正直言いまして10点もいっていないなと思ってるんです。基本的に自分で自分のことを認めていないんです。仕事の量とか質とか。
――10点ですか!?
浜口直太氏: もうまったく、自分のやっていることはだめですね(笑)。もう1人の自分がいつも見ていて、自分のやっている仕事の量やら質やらが信じられない。正直言って私は、非常に怠惰、レイジーなので、すぐ手を抜こうとするんですね。
――こんなにたくさんのお仕事をされてらっしゃって、すごいなと思うばかりなのですが、浜口さんは、まだ足りないと追求されていらっしゃるんですね。
浜口直太氏: いつも自分自身に言い聞かせているのは、「圧倒的努力」という言葉。私はそれしか頭になくて、普通のことをやっていたら人より結果が出ない。だったら私より頭がいい人、記憶力のいい人、理解力がある人でもなかなか結果が出せないこの世の中で、自分も本当に優秀な人くらい結果を出さないといけないので、まだまだと思うんですね。
実は私は、10年ごとに人生計画を立てているんです。22歳から32歳が大学を卒業して働きますよね。32歳から42歳が独立して会社を立ち上げる。42歳から52歳で会社を成長させてバトンタッチするという感じです。あと1週間で52歳なんですけれど、これからは自分のやるべきことをやっていこうと思っているんです。
――52歳からはどういったことを計画されてるんですか?
浜口直太氏: 私は80歳ぐらいで死ぬことを想定しているので、これからガンガン本を書いてガンガン講演をやっていこうと思っています。本は1人でも多くの人に読んでいただかないと意味がないし、自己満足になってしまいますよね。
――これまでも100冊以上本を書いてらっしゃいましたが、これからはもっと執筆される予定ですか?
浜口直太氏: 今まで自分自身が人を応援する意味で書いてきたものの、さらさらさらと書いているだけで、まだまだ文字に魂が入っていないんじゃないかと思うのです。それこそ魂がこもったものが1ページでもあればすごい。短い本でも、ものすごい強烈なインパクトを与えるような本を書きたいと思っています。例えば最近売れている本ですと、学校法人ノートルダム清心学園理事長の渡辺和子さんの『置かれた場所で咲きなさい』(幻冬舎)。この本もそういうところがありますよね。
「圧倒的努力」を意識し続ける浜口さんを叱る人は?
――これまで努力されて、成功されている浜口さんに対して、叱ったり注意をされたりする方というのはいらっしゃいますか?
浜口直太氏: 株主ですね(笑)。でも、今一番言ってくれているのは、友人であり、弊社の大株主でもあるH I.Sグループの澤田秀雄代表だと思います。あとは同じく友人で、元ビジネスパートナーでもあったワタミグループの渡邉美樹代表ですね。すごく叱られたのは、イー・アクセス創業者、千本倖生(せんもとさちお)会長。千本さんは、ある雑誌の対談があって再会したのですが、いきなり「久しぶり。対談の前にあなたにちょっと話したいことがあんだけど……」と言われて、15分くらいテープを止めて、淡々と叱られました。
――15分もですか!?
浜口直太氏: そうです。千本さんは、「何でそんなに遠慮している!? 素晴らしい師をお持ちなのだから、もっと自分を全面的に出してガンガン主張していったほうがいい」と叱ってくださった。で、テープを再度回して対談を始めた時は、ニコニコしながら、「こんにちは」と。「すごい!?」と思わせるくらい、見事に普通に戻っていました(笑)。
実は本を読むのが苦手でした。ベストセラー『ルール』シリーズ誕生秘話。
――次に、ベストセラーになった『あたりまえだけどなかなかできない仕事のルール』についてお聞きしたいと思います。最初は自社向けのマニュアルとして作られたとのことですが、どういったきっかけで書かれることになったのですか?
浜口直太氏: 実は私は本を読むのがすごく苦手でした。専門書以外は大学を卒業するまでに2冊しか読んだことがないのです。『小鹿のバンビ』と『野口英世』、その2冊とも読み切ることができなかったんですね。
――そうなんですか!?
浜口直太氏: そう。8年前にアメリカから正式に帰国したのですが、7年前くらいに、苦手を克服するために本を書くことに挑戦しようと思ったんです。まず、自分の経歴書と企画書を持って、出版社回りをしました。文章が下手だし中身もないので、どこも軽く門前払いだろうと想定し、とりあえず自分の出したい出版社、出してくれるかもしれない出版社を150社リストアップして、業界トップの講談社から回り始めました。
――150社回られる覚悟だったんですね。
浜口直太氏: はい。33社目に行ったところが明日香出版社。企画書を5つ持って行ったのですが、出てきた編集者に見せた瞬間、「これだめ、はいこれもだめ」という感じで見事撃沈。ところが帰りがけに「浜口さんってユニークですよね」という話になり、「実は今、仕事についての書籍企画があって新たに著者を探しているんです」と。仕事の本は、当時から山ほど出ていたので、どう差別化するかがポイント。それでその編集者は、著者はユニークな人がいいんじゃないかと考えていたようです。そのとき私が現れた。
――お話する中で、明日香出版社の編集者は浜口さんのユニークさに気づかれたんですね。
浜口直太氏: たぶん。私はその話を伺って、「ちょうど今会社を作って新入社員用にマニュアルを書いているので、そんな感じであれば」と提案したら、編集者は、「じゃあもう、構成とか任せます。ただ、できたら仕事の規則的なものとか成功術とかルール的なものにしたいんです」と言われましたので、私は仕事の100のルールを紹介しようと思いました。タイトル名もストレートに『仕事のルール』と、そのとき決めてしまいました。
――その本がきっかけで『ルール』のシリーズが始まったんですか?
浜口直太氏: 書いているうちに出版社さんに『ルールシリーズにしたらいいと思いますよ』と提案したのですが、その編集者は「いやいや、とてもシリーズにはならない」と反論されたので、「じゃあ『仕事のルール』を出してから、売れ行きを見ながら考えましょう』と。そしたら、結構売れちゃったんです(笑)。それで、当時の明日香出版社の社長が飛んできて、「ご提案通り、シリーズにしましょう! 次の本を至急書いてください」とハッパをかけられました(笑)。
――第一作が成功して、シリーズが誕生したんですね。
浜口直太氏: 次の本のテーマは何にしようか考えて、『仕事のルール』が新入社員用であれば、上級クラスの管理職用にということで、『組織のルール』として書いたら、それもまた売れちゃった(笑)。「じゃあもっと書いて」との依頼を頂いて、真ん中辺の30代くらいをターゲットに『出世のルール』を書いたらそれもまあまあ売れました。
――どんどんシリーズが増えていったんですね。
浜口直太氏: 出版社の方には「もっともっと」と言われたのですが、私は「似たり寄ったりの本になるので、もう限界です。申し訳ないのですが私の友人を紹介しますので、彼らに書いてもらっては如何でしょう?」と打診したところ、受け入れられ、友人たちに引き継ぎました。今ルールシリーズは60タイトルくらいあるのかな。本当にひょんなことで始まり、まさかあんな地味な感じの本がこんなに売れるとは思ってもみなかったですね。表紙が黄色かったから目立ってよかったのかもしれません(笑)。
101冊目からの「挫折」。世界の「トップ」を目指すために必要なこととは?
――出版社へ売り込みに行き、32社に断られた時点であきらめていたら、『ルール』シリーズは誕生しなかったと思いますが、33社まで続けられた気力というのは、どこから湧いてくるのでしょうか?
浜口直太氏: そもそも私は挫折慣れしているんです(笑)。小学校の時から勉強からスポーツから人間関係から何をやってもうまくいきませんでした。今でも、うまくいくと「あれっ、おかしいなあ。自分じゃないみたい」って警戒してしまう。だから、『仕事のルール』が売れたので、すごい警戒しました(笑)。「あり得ない。自分の人生でこんなに最初からうまくいくなんて、そのうち落とし穴が出てくるに違いない」と思ったくらいです。そこから勢いで100冊まで一気に書いてしまったのですが、101冊目からは正直少し挫折気味ですね。何でミリオンセラーを1冊も出せてないかって。自分は努力しないからけしからんなって(笑)。
――100冊を一気に書かれたというのは、すごいことだと思いますが、著作を出版するにあたって目標のようなものはありましたか?
浜口直太氏: 当初は100冊書いて1冊10万部発行で1000万部の予定だったのが、実際には300万部ですので、その3分の1もいっていない。それはもうめちゃくちゃ自己嫌悪ですよ、ちょっと自分を許せないですね。私は物事を始める場合、別に野心はなく、ただやるからにはそこで一番になるというのを最終目標にします。でも一番になるというのは確率的に非常に難しい。
――1番を目指されていらっしゃるから、努力を続けていらっしゃるんですね。
浜口直太氏: 何事でもトップを目指していますから、ビジネス書においてもトップを目指し、世界一のビジネス作家になりたいと思います。そうすると今自分のやっている結果や努力について許せない。だって世界一を目指すんだったら世界一の努力をしないといけないのに全然していないので。やるからには全部世界一の努力をしないと。事業もやっているので、物理的、時間的な制約もありますが、最低でも限られた時間の中で全力を尽くさないと。
今の自分では、世界の「トップ」に100%なれない自信がある
――ビジネスでは結果を求められるかと思いますが、「トップ」を目指し続ける浜口さんは、やはり結果を求めていらっしゃいますか?
浜口直太氏: 正直結果はどうでもいいと思っています。よく中学校、高校に講演に行きますが、「学年で300人いる中で要領を使ってトップになるよりも、誰よりも努力してペケの方が価値がある」と必ず言うんです。誰よりも努力することで人間が磨かれますし、魅力的になれます。要領を使ってトップになる人はまず人間的に魅力がない。
――なるほど。人間的な魅力を培うことが重要なんですね。
浜口直太氏: ペケかどうかは別として、全然結果が出なかったという人は、悔し涙を流し、挫折します。そこから乗り越えて成長していくことで、人間的にどんどん磨かれていき、人間としてすごく輝いていく。そこが一番ポイントです。
例えば「稼ぐ」ことをテーマにした私の著書があります。私がこの本で一番言いたかったのは、「稼いだかどうかはどうでもいい。常時稼げる人になれる努力を絶えずする」こと。そこまで努力し続ければ、お金は必ず後からついてきますから。
――「稼ぐ」ことが目標だけれど、すぐに結果を求めるのではなく、努力があってこその結果を得ることが大事なんですね。
浜口直太氏: 例えばオリンピックでも競争がありますね。その前に皆さん不安になります。「どうしよう、決勝に残れるかな? 優勝できるかな?」と。それは運命が決めることなので、そんなことを悩んでいてもしょうがない。そんな悩んでいる時間があれば、まず誰よりも練習する。それで結果が出なかったらそれはそれでしょうがない。運命ですから。努力もしないで、また人よりも練習しないで、結果だけ一番になろうとするのはあり得ないし、虫が良すぎる。
同じ考え方で自分が今やっていることを見ると、先ほど「世界一を目指す」と言いましたし、実際目指してはいますが、今やっているレベルの努力では100%絶対にまだ世界一になれないという自信があります(笑)。もっともっと努力している人は数えきれないほどいるでしょうから。
たくましく生きてもらうために、親が子供たちにしてあげられることは?
――浜口さんは努力の裏にたくましさを感じます。「最近の若者は」という言葉がありますが、今の若い人達を見ていてどう思われますか。
浜口直太氏: 急激に時代が変わりつつありますので、あまり比較する必要はないと思いますが、あえて言うとすると、昔は、親は子供をほったらかしにしていましたよね。外で勝手に遊ばせて自然の中でたくましく育っていく。今はオタクっぽい子供ばかりで、室内でのゲーム、パソコン、携帯、テレビ等々で遊ぶので、たくましさがなくなりつつあるのかなと思いますね。
――たくましくなってもらうためにはどうすればいいでしょうか?
浜口直太氏: たくましさをつけていくためには早く独り立ちさせ、さっさと海外に行かせるなりしてみるのはどうでしょうか。うちも息子を高校の時に1年間ニュージーランドに行かせたり、娘も短期ですがロンドンに行かせたりしました。息子は今大学2年生で、大学が遠いので、家を出て一人暮らしをしています。おそらくその地域で一番安い2万円いくらの家賃のオンボロ古アパートに住んでいます。たくましくなってもらいたいと思っているので(笑)。
――親は過保護になってしまいそうですが、浜口さんは親として、子供のためにどのようなことを大事されていますか?
浜口直太氏: 生き方や稼ぎ方を教えるほうが、お金をあげたり、いい暮らしを与えたりするより大事だと痛感しています。独り立ちできないのは不幸ですので。いつか親はいなくなります。結局頼れるのは自分ひとり。ひとりでたくましく生きていく力をつけさせてあげることが親として子供に対する最大の愛情だと思うんです。自分で稼ぐ、自分で生活力をつけていく環境に早く送り込むことが大事かなと。
人生を変える出会い、そしてアメリカでのホームレス生活からの逆転劇
――次は、人生の転機となった本をお聞きしたいと思います。ご自著の中で、「たまたま手に取った本で国際経営コンサルタントになろうと思った」ということが載っていましたが、その本とはどのように出会ったのでしょうか?
浜口直太氏: 実は、私は英語がずっと苦手でした。高校3年生の夏休みに、担任の先生が英語だけでも少しは出来るようにしてあげたいということで、アメリカで1か月間、ホームムステイをさせてもらったんですね。
――海外でたくさん活躍されてらっしゃるので、英語が苦手だったというのは驚きです。その時アメリカでどういったことを学ばれましたか?
浜口直太氏: アメリカという国の素晴らしいところ、特に寛容なところを学びました。日本は偏差値教育でまんべんなくできなければいけない風潮がありますが、アメリカは1つでも特技があったらいいという考え方。日本は減点主義なのに、アメリカは加点主義。要するにいいところがあったら褒める。ホームステイ中にアメリカの素晴らしさに触れて、アメリカの大学に行き、アメリカで就職したいと思うようになりました。そこで日本に帰ってきてから本屋さんに行った時、山田勝さんの『英語留学と国際派就職』という参考になりそうな本を見つけたのです。
――国際経営コンサルタントになるきっかけの本と出会ったんですね。
浜口直太氏: その本は、最初は留学とか国際的に活躍するという話だったのに、読み進めていくと、「もっと人間的に成長しないとだめなんだよ」という話になっていたので、すごく魅惑されたんですね。本来なら読んで「へー、勉強になった」で終わるはずが、その著者にどうしても会いたくなり、本の中の著者連絡先電話番号に連絡して会いに行ったんですね。
――すごい行動力ですね!
浜口直太氏: とにかくお会いしたいという気持ちが強かったですね。山田さんは国際経営コンサルタントという職業をされていたのですが、お会いして話を聞いていて、すごくわくわくしました。それから山田さんに頻繁にお会いしに行くようになったんですが、その度に、「この人のやっている仕事がしたい」と思うようになりました。
そこで、どうしたら山田さんのような仕事につけるか聞いてみたところ、まずアメリカの大学に行くことを勧められました。山田さんは明治大学を出て、カリフォルニア大学(バークレー校)経営大学院(ビジネススクール)というアメリカトップクラスのビジネススクールで経営学修士号(MBA)を取得されたことから、私に対しても同じようにアメリカのビジネススクールでMBAも取ることも勧めてくれました。
――そこでアメリカに留学を決意されたんですか?
浜口直太氏: 私は残念ながら英語の成績が著しく悪かったため、アメリカの大学には行けず、付属高校から推薦で日本の大学に行きました。その時に書いたのが「人生計画」です。私は半分本気、半分希望的観測で、自分の苦手なこと、特に国語と英語を克服したくて、「本を書く」とか、「アメリカの大学院に行く」等を書きました。もしそれが実現すれば、最も苦手だった国語と英語を克服できたことになるので、人生怖いものしらずになると(笑)。
――日本の大学を卒業後、アメリカに留学してからの生活はいかがでしたか?
浜口直太氏: 日本の大学を卒業する頃、アメリカのビジネススクール7校に応募したのですが、全部落ちてしまいました。その結果、1年間ホームレス、ジョブレス、不法滞在をする羽目になってしまいました。
私はなんとかアメリカのビジネススクールでMBA取ってから、世界最大の国際会計・経営コンサルティング会社、KPMGのニューヨーク本社に入りたいという夢を持っていました。KPMGという会社は、当時からMBA持っていてもなかなか入れない超難関の世界的なプロフェッショナルファームでしたので、ビジネススクールに落ちた時、「これでKPMGにも入れないし、国際経営コンサルタントにもなれない」と諦めモードになってしまいました。しかし、応募したところ、ビジネススクールを出ることなしで、奇跡的にKPMGのニューヨーク本社に入社することができたのです。後になって幸運にもテキサス大学ビジネススクールに入学でき、修士・博士課程を働きながらということもあって、7年もかかって何とか修了することができました。
―― 一度は無理かもと思ったKPMGに入社された時はどのように思われましたか?
浜口直太氏: 憧れのKPMGニューヨーク本社に入社でき、「ラッキー!」と思いましたが、超一流プロフェッショナルファームということもあり、仕事についていくのに大変で、「もっと楽な人生を選べばよかったのかなあ」と後悔もしました(笑)。
1年、1日が一生の単位。恵まれた環境にいるからこそ世界の「トップ」を目指す。
――日本、アメリカで、努力し続ける浜口さんの原動力というのは、どういったものでしょうか?
浜口直太氏: 世界中には、学校へ行きたくても学校がない、ご飯食べたくても食べ物がない、仕事したくても仕事が全くないという貧困地域がいっぱいあります。今この瞬間も餓死、病死、戦死していっている人がいっぱいいる。そんな中、自分がたまたま平和で恵まれた国、日本に生まれ育ったということで、のうのうと生きていていいのかという思いに常にかられます。
それから、9.11の世界同時多発テロ事件で、ワールドトレードセンターに激突したアメリカン航空ボストン発ロサンゼルス行きの飛行機に乗っていた友人がいるんです。まさかあんなところで彼が死ぬと思いませんでしたが、本人もさぞかし悔しかったことでしょう。私は、崇高な志半ばで亡くなった彼の分も倍頑張らなければ、また彼のやり残したことを実現しなければといつも自分に呼びかけています。とても近い存在でしたので、彼の思い・志が乗り移ったのかもしれません。
――周りの環境によって、何かをやりたくても出来ない、出来なかった人が世界にはたくさんいますね。
浜口直太氏: どれだけ自分が恵まれているか、いつも感謝の念が絶えません。五体満足で住む場所があり、毎日ご飯も食べられて仕事もある。地球上に60億人以上いる中、そんな恵まれた環境にいる人がどのくらいいることでしょう。それこそ一握りの人ではないでしょうか。
なぜ私が世界一を目指したいかと言いますと、世界一を目指した時、東京一とか日本一と比べて、努力の度合いが雲泥の差になるからです。私は世界一を目指すための努力をしたいと願っています。世界一を目指す一方で、今自分がどれだけ恵まれた環境にいるかを忘れず、感謝し続けることの大切さを痛感しています。
――恵まれた環境にいても、そこに甘んじることなく努力を続けていらっしゃる浜口さんが、その努力を継続するためにどういった工夫、取り組みをされていますか?
浜口直太氏: 私、毎年11月に全財産寄付しています。だから毎年12月には、お金がゼロになるんですね。22歳からやっていて、30年間やり続けてきました。ですので、稼げたとしてもお金持ちではありません。そのお蔭でまた12月から頑張って働き始められるエネルギーになっています。1年間一生懸命働く。そして今年も生き抜いたと。1年も私にとって大事な時の単位ではありますが、1日はもっと大切にしている単位です。1日一生みたいに生きたいからです。明日生きていないかも知れないので。
本は「人生を変えるもの」。「言葉」ではなく「想い」で、『一字入魂』。
――では、最後の質問です。浜口さんにとっての本はどういった存在になりますか?
浜口直太氏: おもしろいとか楽しいとかで読まれる人もいると思いますが、本は読者の「人生を変える」使命があるものと認識しています。例えば私は18歳の時に山田勝さんの本を読んで国際経営コンサルタントになる決意をしました。たった1冊の彼の本が私の人生を一瞬にして変えました。自分の転機を振り返りますと、毎回本がきっかけで人生が大きく変わっています。本の値段は1000円か1500円位。ですので、費用対効果、投資対効果はとてつもないものがあると思います。読む側の心次第で人生が信じられなく変わります。
――書き手として浜口さんはどういったことを意識されてますか?
浜口直太氏: 読者の人生を変えるきっかけになるためには、「一字入魂」で書かないといけないと肝に銘じています。自分の書く一言一言がすごく責任が重く、読者の尊い人生を思うと本当に言葉だけで軽々しく書けないと思ってまいす。従って52歳からの課題は「一字入魂」です。私は講演もしていますから、講演での課題は、「一言入魂」です。そういった一つひとつの積み重ねがと大きな力になっていくと思います。もっと言うと、そこに言葉ではなく強い強い想いがあれば、まさに「一言入魂」、「一字入魂」になるのではないでしょうか。
9.11の世界同時多発テロで亡くなられた方々の遺族をワールドトレードセンターに招待して追悼式を行った際のことです。クリントン元大統領が政府を代表して追悼の辞を述べることになっていました。当時遺族は悲しみのどん底でした。ですので、どんな言葉も彼らを癒すことは不可能でした。それを察知したクリントン大統領は、結局一言もスピーチしませんでした。
その代り彼は、遺族達を強く強く抱きしめました。遺族達は感動し、クリントン大統領の無言のハグは最高の激励となりました。彼は言葉の限界を知っていたのです。だから、想いをハグによって表したのです。
言葉で想いを表現することに限界がある以上、言葉を武器にする我々、著者はいつも限界に挑戦しているのです。言葉ではなく、想いで書く、話すということが、これからの自分の課題だと痛感しています。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 浜口直太 』