千田琢哉

Profile

愛知県犬山市生まれ。岐阜県各務原市育ち。東北大学教育学部教育学科卒。日系損害保険会社本部、大手経営コンサルティング会社勤務を経て独立。コンサルティング会社では多くの業種業界における大型プロジェクトのリーダーとして戦略策定から実行支援に至るまで陣頭指揮を執る。のべ3,300人のエグゼクティブと10,000人を超えるビジネスパーソンたちとの対話を通じて得た事実と培った知恵を活かし、執筆・講演・ビジネスコンサルティングなどの活動を行うとともに、多数の上場企業や商工会議所等の研修講師、複数の組織で社外顧問を務める。著書はデビュー5年で50冊超、累計110万部突破(2012年11月現在)。現在、南青山在住。

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人生のすべてを〈執筆〉にしたかった



――遅い決断は、どんなに正しくてもすべて不正解。(『死ぬまで仕事に困らないために20代で出逢っておきたい100の言葉』(かんき出版)より)。ストレートに心に響く言葉で読者を惹きつける千田琢哉さん。東北大教育学部卒業後、日系損害保険会社、大手経営コンサルティング会社勤務を経て独立。コンサルティング会社では、さまざまな業界の大型プロジェクトリーダーを務めてきた。現在までに3000人を超えるエグゼクティブ、1万人を超えるビジネスパーソンと対話。それらの経験を生かし「タブーへの挑戦で、次代を創る」を自らのミッションとして活動している。『人生で大切なことは、すべて「書店」で買える。』(日本実業出版社)、『「やめること」からはじめなさい』(講談社)など著書はデビュー5年足らずで50冊超。「95歳までには著作数1000冊通過しています」(千田氏)。その精力的な執筆活動や、読書歴、電子書籍への考え方など、独特の価値観についてお伺いしました。

うまくいく秘訣は「本能に従って生きる」こと


――まずは、近況をお聞かせいただけますか?


千田琢哉氏: 毎月30日のうち25日は自由時間。毎日夏休みみたいな感じで、その自由時間に執筆活動をしています。で、残り5日間は講演をしたり複数の会社の社外顧問を務めたりしてのんびり過ごしています。人生のすべてを「執筆」にしたかったんですよ。脱サラしていまの生活になってからもありがたいことについて来てくれた人がいたので、いくつか社外顧問はさせてもらっています。私は最後にコンサルティング会社に勤めていましたが、本当は独立したら経営コンサルタントはもうやるつもりはありませんでした。もともと、コンサルティング会社に入った最大の理由が、「本を出しやすそうだから」ということでしたから。

――とにかく執筆をされたかったんですね。


千田琢哉氏: そうなんです。最初は保険会社に勤めていたんです。内定をいただいた企業の中で一番自分の肌に合いそうになくて、遠回りできるから将来の執筆のネタになるだろうと直感で決めました。次のステップとして「執筆活動=人生」にするために、文筆活動で生きていくためのハードルを一番低くするには何をすればいいかとターゲットを絞ったら、経営コンサルティング会社に行きついた。例えば名だたる大企業に入っても、そこの社長ですらなかなか本なんて出せない。でもコンサルタントって、大手ならごく普通と思える人でもそこら中で本を出していたから、「あ、ここだな」とピン!ときて、転職しました。95歳で著作数が1000冊を超えていること、いまのペースをずっと続けるのが夢ですね。

――ご自著の中で、「何かをしたければ毎日が夏休みのような人生を送らないといけない」と書かれています。どうしてそうした考えにたどり着いたのでしょうか?


千田琢哉氏: 積み重ね型ではなく、本能に従って生きてきたのが大きいですね。周りの意見は聞くけど従わなかったのが、人生の分岐点でうまくいった理由じゃないかな。話は聞く、最初から否定はしない。でも、てんびんに掛けた時に、みんなが賛成してくれそうな方と、賛成してくれない方、AかBで迷ったら、Bを選ぶ。みんなが賛成してくれないのにてんびんにかけてみたら50で釣り合う。みんなが賛成してくれているという下駄を履いているのに50で釣り合っているAと比べたら、Bの方が「本当に自分がやりたいこと」ですよね。もし、Bを選んでうまくいかなくても、自分のせいだから言い訳できないし納得がいく、死に際に笑えるんです。後悔しない、誰のせいにもできない方を選んでいくとスピードが出る。人のせいにできないから、道を誤ったと思ったらすぐ軌道修正できますよね。みんなが賛成してくれた方を選んだら「だってお母さんそう言ったじゃない」、「先生そうやって言ったじゃない」って人のせいにしてスピードが鈍る。人のせいにしてばかりいるような依存心の塊のような人間では、夢から遠のいてしまう。いつも、自分が死ぬ時に笑える方を選ぶと決めているんです。自分が好きな方を選んで失敗した方が、人の言うことを聞いて我慢の人生を送るよりもはるかにいいですよね。

――常に好きな方を選ぶのはなかなか難しいと思いますが、何かコツはあるのでしょうか?


千田琢哉氏: コツは、1回だけ自分の好きな方を選んでみること。どんな小さなことでもいい。例えば、職場のみんなとランチに行く時、みんなはカレーを食べに行こうと言っているけど、自分だけは牛丼を食べに行く。ささいなことでも、自分が好きな方を選んでみると、必ず人生、変わってくる。いままでみんなと一緒にランチを食べに行っていた時には絶対に会えなかった人と出逢うかもしれないし、一人だから、たまたま携帯していた文庫本で人生を一変させるような運命の言葉に出逢うかもしれない。ハードルを下げて、小さいことでわがままを通してみると、意外に何でもないことに気づけます。こんな休み時間のランチでさえ新しい人や言葉に出逢ったのだから、今度はもう少しハードルを上げてみよう、と思えるようになる。小さなことでいいから、群れから飛び出す。そうするとやみつきになって最後は経営の決断、転職や独立など人生の重要な決断にまでステップアップしていくんじゃないかな。

人のリアルな喜怒哀楽を書く


――普段はどんな場所で執筆活動をされるんですか?


千田琢哉氏: この部屋で、パソコンを真ん中にドカンと置いて書いています。で、1時間に1回、10秒~20秒、正面のビルを見ると目の運動になる。だから視力はいまでも2.0。



――かなりの読書家でいらっしゃいますが、目は悪くならなかったんですか?


千田琢哉氏: 視力は両眼とも0.1をはるかに下回っていましたよ。2006年にレーシックで手術をして「同じ生活をしているとまた視力が元に戻ってきますよ」と言われたので、医師に対策を聞いたんです。そうしたら「1時間に10秒でいいから遠くを見るようにするといい」とアドバイスをくれて、それを忠実に守っている。目を悪くする人ってそういう生活習慣なんですね。読書家や受験勉強を頑張っちゃった人は、参考書が一番見やすいように視力が適応していく。それを打破するためには、遠くをたまに見ると目の筋トレになる。いまは、完ぺき。手術が終わった後の、あの感動の状態のままです。

――執筆する際、参考資料などはそろえますか?


千田琢哉氏: 本を書くために色々な本を買うということは一切ないですね。本を書くネタは、人との出逢い。いままで一対一で面談してきた数は、独立する前の時点で1万人を超えています。3000人以上のエグゼクティブと言われる人たちと話をしてきて、そのシーンを覚えているんです。例えば「コミュニケーション」をテーマに書く時、「あの会社のお局さまは手ごわかったけど、泣いた瞬間のあの言葉って何だったかな」というのがフッと降りてくる。社内でね、この人がネックだと言われている人と面談をしたときに、確かに最初は手ごわいけれども、ある言葉を投げかけた瞬間にその人の目からバッと涙がこぼれた。そういうシーンが思い出として残っているんですよ。それが多分、ネタになっているんじゃないですかね。人の喜怒哀楽に触れた瞬間、口説き落とした文句、それがキャッチコピーになっている。女性でも、男性でも、若い方でも、大先輩でも、喜怒哀楽に触れる瞬間はありますよね。その時の言葉が降りてくる。それが本になっているんです。私の本は、普通の著者と比べて言葉がキツイ、強いと思います。でも、角をやすりで削って、小さじ一杯の愛情を混ぜておくと読みやすくなる。なぜなら、それが実際のリアルな話だから、人の心を動かした事実だから。誰々の名言集と違って、実際に千田琢哉が目の前の人から受け取った、キャッチした喜怒哀楽のメッセージだからだと思います。

――執筆のスピードは、速い方ですか?


千田琢哉氏: 1冊の本を書くのに、タイトル決め、章立てから始めて脱稿するまで、最大5日間ですね。それ以上になると私の仕事スタイルには合いません。だから、月に3冊出すとすると25日の自由時間のうち15日間しか執筆しないから、あとの10日間は散歩をしたり、カフェ巡りをしたり、ホテル巡りをしたり。執筆している人にとったら、それも仕事なんです。色んな場面でカチンときたり、感動したりという喜怒哀楽を吸収できますから。

――1冊、最大で5日。1、2冊を、一生かけて書く方もいらっしゃる中で、常人には考えられないようなスピードですね。


千田琢哉氏: 渾身の1冊を出すだけなら本気とお金があれば、いまの時代は必ず出せますよ。難しいのは、出し続けること。作家の賞って毎年200タイトルぐらいあるのかな。そのタイトルを取って10年後に残っている、名前の思い浮かぶ人って1人とか2人ですよね。あと奇跡的にミリオンセラーを出しても、ピークから2年もすれば過去の人になっています。どんな世界でも継続できることが、プロの条件なんです。自分が一番大事だなと思ったのは、デビューは必ず遅らせようということでした。本は出したかった。もう大学を卒業してすぐ、出せるなら出したかった。でも、よく著者を観察してみたら10年、20年、ペースを変えずに継続して出しておられる先生と、1冊ドカン!とブレイクして終わりっていう先生の2通りいたんです。本を書きたい人間は、とにかく理屈抜きで書くのが好きなんです。だから、一生書き続けるためには、書き続けている人のまねをしないといけない。書き続けている先生のパターンは、デビューが比較的遅かったんです。最低10年間はみんな遠回りしていた。サラリーマンや、フリーターみたいなことをやって。で、デビューが、例えば浅田次郎さんなら、40歳位になってから。火山のマグマじゃないけど1回きっかけができたら、その後、あふれるようにグワーッと出し続ける。デビューが遅いと、ものすごい量のマグマがたまっているから、1回吹き出したらもう止まらない。この状態を作るためにはどうすればいいかと考えて、一番自分に不向きそうな業界、内定をもらった中から誰も賛成してくれなかった会社に迷わず入ったんです。すごくつまらなそうだなと思った。保険会社だからね。で、入社当初、期待のハードルが最低ラインだったから、思ったより面白くて。「このきれいな一等地のオフィスで何がそんなにみんなつらいの」、みたいなね。恵まれて給料はいいし。有り難いなと思っている時に、ちょっと変わった1つ下の後輩が「千田さん、将来独立するならコンサルティング会社に入っておくといいですよ」って。それがきっかけで転職したんです。

――人との出逢い、縁があったんですね。


千田琢哉氏: 積み重ね型じゃないと言ったのはそこです。全部、本能に従っていく、分岐点で好きなものを選んでいくと、必ずうまくいくんですよ。何でみんな、積み重ね型で苦労して地獄の人生を歩んでいくのかなって。例えば、超難関資格に合格して、その後その職業で生きていく人。好きならいいんですよ。三度の飯より六法全書が好きなら、それは幸せですよね。でも、資格試験に合格するまでが地獄なら、それを仕事にしていくのは地獄続きの人生ですよね。積み重ね型って、向いている人はいいけど、自分みたいに向いていない人間は注意しないと。受験勉強に向いていない人って、夜の8時から勉強しようと思っても、面白いテレビをやっているからって見ちゃって、勉強を後ろ倒しにしていくじゃないですか。でも、好きなことをやっている人って8時からなんて悠長なことを言わずにすぐやろうと思いますよね。「また今日もこんな遅くまで書いちゃった」というのが、自分のいまの仕事なんです。こういう人生って、お得ですよね。我慢とは無縁の人生。

著書一覧『 千田琢哉

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