千田琢哉

Profile

愛知県犬山市生まれ。岐阜県各務原市育ち。東北大学教育学部教育学科卒。日系損害保険会社本部、大手経営コンサルティング会社勤務を経て独立。コンサルティング会社では多くの業種業界における大型プロジェクトのリーダーとして戦略策定から実行支援に至るまで陣頭指揮を執る。のべ3,300人のエグゼクティブと10,000人を超えるビジネスパーソンたちとの対話を通じて得た事実と培った知恵を活かし、執筆・講演・ビジネスコンサルティングなどの活動を行うとともに、多数の上場企業や商工会議所等の研修講師、複数の組織で社外顧問を務める。著書はデビュー5年で50冊超、累計110万部突破(2012年11月現在)。現在、南青山在住。

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人生のすべてを〈執筆〉にしたかった



――遅い決断は、どんなに正しくてもすべて不正解。(『死ぬまで仕事に困らないために20代で出逢っておきたい100の言葉』(かんき出版)より)。ストレートに心に響く言葉で読者を惹きつける千田琢哉さん。東北大教育学部卒業後、日系損害保険会社、大手経営コンサルティング会社勤務を経て独立。コンサルティング会社では、さまざまな業界の大型プロジェクトリーダーを務めてきた。現在までに3000人を超えるエグゼクティブ、1万人を超えるビジネスパーソンと対話。それらの経験を生かし「タブーへの挑戦で、次代を創る」を自らのミッションとして活動している。『人生で大切なことは、すべて「書店」で買える。』(日本実業出版社)、『「やめること」からはじめなさい』(講談社)など著書はデビュー5年足らずで50冊超。「95歳までには著作数1000冊通過しています」(千田氏)。その精力的な執筆活動や、読書歴、電子書籍への考え方など、独特の価値観についてお伺いしました。

うまくいく秘訣は「本能に従って生きる」こと


――まずは、近況をお聞かせいただけますか?


千田琢哉氏: 毎月30日のうち25日は自由時間。毎日夏休みみたいな感じで、その自由時間に執筆活動をしています。で、残り5日間は講演をしたり複数の会社の社外顧問を務めたりしてのんびり過ごしています。人生のすべてを「執筆」にしたかったんですよ。脱サラしていまの生活になってからもありがたいことについて来てくれた人がいたので、いくつか社外顧問はさせてもらっています。私は最後にコンサルティング会社に勤めていましたが、本当は独立したら経営コンサルタントはもうやるつもりはありませんでした。もともと、コンサルティング会社に入った最大の理由が、「本を出しやすそうだから」ということでしたから。

――とにかく執筆をされたかったんですね。


千田琢哉氏: そうなんです。最初は保険会社に勤めていたんです。内定をいただいた企業の中で一番自分の肌に合いそうになくて、遠回りできるから将来の執筆のネタになるだろうと直感で決めました。次のステップとして「執筆活動=人生」にするために、文筆活動で生きていくためのハードルを一番低くするには何をすればいいかとターゲットを絞ったら、経営コンサルティング会社に行きついた。例えば名だたる大企業に入っても、そこの社長ですらなかなか本なんて出せない。でもコンサルタントって、大手ならごく普通と思える人でもそこら中で本を出していたから、「あ、ここだな」とピン!ときて、転職しました。95歳で著作数が1000冊を超えていること、いまのペースをずっと続けるのが夢ですね。

――ご自著の中で、「何かをしたければ毎日が夏休みのような人生を送らないといけない」と書かれています。どうしてそうした考えにたどり着いたのでしょうか?


千田琢哉氏: 積み重ね型ではなく、本能に従って生きてきたのが大きいですね。周りの意見は聞くけど従わなかったのが、人生の分岐点でうまくいった理由じゃないかな。話は聞く、最初から否定はしない。でも、てんびんに掛けた時に、みんなが賛成してくれそうな方と、賛成してくれない方、AかBで迷ったら、Bを選ぶ。みんなが賛成してくれないのにてんびんにかけてみたら50で釣り合う。みんなが賛成してくれているという下駄を履いているのに50で釣り合っているAと比べたら、Bの方が「本当に自分がやりたいこと」ですよね。もし、Bを選んでうまくいかなくても、自分のせいだから言い訳できないし納得がいく、死に際に笑えるんです。後悔しない、誰のせいにもできない方を選んでいくとスピードが出る。人のせいにできないから、道を誤ったと思ったらすぐ軌道修正できますよね。みんなが賛成してくれた方を選んだら「だってお母さんそう言ったじゃない」、「先生そうやって言ったじゃない」って人のせいにしてスピードが鈍る。人のせいにしてばかりいるような依存心の塊のような人間では、夢から遠のいてしまう。いつも、自分が死ぬ時に笑える方を選ぶと決めているんです。自分が好きな方を選んで失敗した方が、人の言うことを聞いて我慢の人生を送るよりもはるかにいいですよね。

――常に好きな方を選ぶのはなかなか難しいと思いますが、何かコツはあるのでしょうか?


千田琢哉氏: コツは、1回だけ自分の好きな方を選んでみること。どんな小さなことでもいい。例えば、職場のみんなとランチに行く時、みんなはカレーを食べに行こうと言っているけど、自分だけは牛丼を食べに行く。ささいなことでも、自分が好きな方を選んでみると、必ず人生、変わってくる。いままでみんなと一緒にランチを食べに行っていた時には絶対に会えなかった人と出逢うかもしれないし、一人だから、たまたま携帯していた文庫本で人生を一変させるような運命の言葉に出逢うかもしれない。ハードルを下げて、小さいことでわがままを通してみると、意外に何でもないことに気づけます。こんな休み時間のランチでさえ新しい人や言葉に出逢ったのだから、今度はもう少しハードルを上げてみよう、と思えるようになる。小さなことでいいから、群れから飛び出す。そうするとやみつきになって最後は経営の決断、転職や独立など人生の重要な決断にまでステップアップしていくんじゃないかな。

人のリアルな喜怒哀楽を書く


――普段はどんな場所で執筆活動をされるんですか?


千田琢哉氏: この部屋で、パソコンを真ん中にドカンと置いて書いています。で、1時間に1回、10秒~20秒、正面のビルを見ると目の運動になる。だから視力はいまでも2.0。



――かなりの読書家でいらっしゃいますが、目は悪くならなかったんですか?


千田琢哉氏: 視力は両眼とも0.1をはるかに下回っていましたよ。2006年にレーシックで手術をして「同じ生活をしているとまた視力が元に戻ってきますよ」と言われたので、医師に対策を聞いたんです。そうしたら「1時間に10秒でいいから遠くを見るようにするといい」とアドバイスをくれて、それを忠実に守っている。目を悪くする人ってそういう生活習慣なんですね。読書家や受験勉強を頑張っちゃった人は、参考書が一番見やすいように視力が適応していく。それを打破するためには、遠くをたまに見ると目の筋トレになる。いまは、完ぺき。手術が終わった後の、あの感動の状態のままです。

――執筆する際、参考資料などはそろえますか?


千田琢哉氏: 本を書くために色々な本を買うということは一切ないですね。本を書くネタは、人との出逢い。いままで一対一で面談してきた数は、独立する前の時点で1万人を超えています。3000人以上のエグゼクティブと言われる人たちと話をしてきて、そのシーンを覚えているんです。例えば「コミュニケーション」をテーマに書く時、「あの会社のお局さまは手ごわかったけど、泣いた瞬間のあの言葉って何だったかな」というのがフッと降りてくる。社内でね、この人がネックだと言われている人と面談をしたときに、確かに最初は手ごわいけれども、ある言葉を投げかけた瞬間にその人の目からバッと涙がこぼれた。そういうシーンが思い出として残っているんですよ。それが多分、ネタになっているんじゃないですかね。人の喜怒哀楽に触れた瞬間、口説き落とした文句、それがキャッチコピーになっている。女性でも、男性でも、若い方でも、大先輩でも、喜怒哀楽に触れる瞬間はありますよね。その時の言葉が降りてくる。それが本になっているんです。私の本は、普通の著者と比べて言葉がキツイ、強いと思います。でも、角をやすりで削って、小さじ一杯の愛情を混ぜておくと読みやすくなる。なぜなら、それが実際のリアルな話だから、人の心を動かした事実だから。誰々の名言集と違って、実際に千田琢哉が目の前の人から受け取った、キャッチした喜怒哀楽のメッセージだからだと思います。

――執筆のスピードは、速い方ですか?


千田琢哉氏: 1冊の本を書くのに、タイトル決め、章立てから始めて脱稿するまで、最大5日間ですね。それ以上になると私の仕事スタイルには合いません。だから、月に3冊出すとすると25日の自由時間のうち15日間しか執筆しないから、あとの10日間は散歩をしたり、カフェ巡りをしたり、ホテル巡りをしたり。執筆している人にとったら、それも仕事なんです。色んな場面でカチンときたり、感動したりという喜怒哀楽を吸収できますから。

――1冊、最大で5日。1、2冊を、一生かけて書く方もいらっしゃる中で、常人には考えられないようなスピードですね。


千田琢哉氏: 渾身の1冊を出すだけなら本気とお金があれば、いまの時代は必ず出せますよ。難しいのは、出し続けること。作家の賞って毎年200タイトルぐらいあるのかな。そのタイトルを取って10年後に残っている、名前の思い浮かぶ人って1人とか2人ですよね。あと奇跡的にミリオンセラーを出しても、ピークから2年もすれば過去の人になっています。どんな世界でも継続できることが、プロの条件なんです。自分が一番大事だなと思ったのは、デビューは必ず遅らせようということでした。本は出したかった。もう大学を卒業してすぐ、出せるなら出したかった。でも、よく著者を観察してみたら10年、20年、ペースを変えずに継続して出しておられる先生と、1冊ドカン!とブレイクして終わりっていう先生の2通りいたんです。本を書きたい人間は、とにかく理屈抜きで書くのが好きなんです。だから、一生書き続けるためには、書き続けている人のまねをしないといけない。書き続けている先生のパターンは、デビューが比較的遅かったんです。最低10年間はみんな遠回りしていた。サラリーマンや、フリーターみたいなことをやって。で、デビューが、例えば浅田次郎さんなら、40歳位になってから。火山のマグマじゃないけど1回きっかけができたら、その後、あふれるようにグワーッと出し続ける。デビューが遅いと、ものすごい量のマグマがたまっているから、1回吹き出したらもう止まらない。この状態を作るためにはどうすればいいかと考えて、一番自分に不向きそうな業界、内定をもらった中から誰も賛成してくれなかった会社に迷わず入ったんです。すごくつまらなそうだなと思った。保険会社だからね。で、入社当初、期待のハードルが最低ラインだったから、思ったより面白くて。「このきれいな一等地のオフィスで何がそんなにみんなつらいの」、みたいなね。恵まれて給料はいいし。有り難いなと思っている時に、ちょっと変わった1つ下の後輩が「千田さん、将来独立するならコンサルティング会社に入っておくといいですよ」って。それがきっかけで転職したんです。

――人との出逢い、縁があったんですね。


千田琢哉氏: 積み重ね型じゃないと言ったのはそこです。全部、本能に従っていく、分岐点で好きなものを選んでいくと、必ずうまくいくんですよ。何でみんな、積み重ね型で苦労して地獄の人生を歩んでいくのかなって。例えば、超難関資格に合格して、その後その職業で生きていく人。好きならいいんですよ。三度の飯より六法全書が好きなら、それは幸せですよね。でも、資格試験に合格するまでが地獄なら、それを仕事にしていくのは地獄続きの人生ですよね。積み重ね型って、向いている人はいいけど、自分みたいに向いていない人間は注意しないと。受験勉強に向いていない人って、夜の8時から勉強しようと思っても、面白いテレビをやっているからって見ちゃって、勉強を後ろ倒しにしていくじゃないですか。でも、好きなことをやっている人って8時からなんて悠長なことを言わずにすぐやろうと思いますよね。「また今日もこんな遅くまで書いちゃった」というのが、自分のいまの仕事なんです。こういう人生って、お得ですよね。我慢とは無縁の人生。

自分だけの〈道〉、競争率は1.0倍


――いままでに50冊以上、100万部以上、世の中に発信されていると思いますが、執筆されている間はどういった生活ですか?


千田琢哉氏: 朝起きて最初にやることが、歯磨きや顔を洗うことではなく、書くことなんです。極端な話、夜中の3時に目が覚めたら、サラリーマン時代は「ウワッ、損した」と思ってまたすぐ寝るじゃないですか。いまは目覚めたらすぐにブログを書いています。ノッてる時、次々にいいアイデアが思い浮かんでくる時は、歯も磨かず顔も洗わず、起きたての顔で夕方まで過ごす場合もありますね。当然、飲まず食わずで。これが多分、最高の幸せじゃないかと思います。おいしいものを食べるより、書いている方が好き。だから1日、うっかり今日は何も食べていないっていう日が、増えているんじゃないかな。だから仕事で締め切りに追われたことは一度もないです。全部「あり得ない!」って言われるスピードで仕上げて脱稿している。例えば、来月末までにお願いできますかって心配そうな顔をされても、その週の金曜日の朝イチには送っている。かえって向こうにドン引きされますけどね(笑)

――世の中に発信し続ける、何かご自身の使命みたいなものを感じられていますか?


千田琢哉氏: これを取ったら自分には何も残らないなというものが「執筆」。それにたどり着けたことが大きいですよね。サラリーマン時代は、やっぱり何だかんだ序列をつけられたり、競争をさせられたりしますよね。でもいまは、競争相手がいない。自分ひとりで好き勝手にやらせてもらっているから。もちろん、すごい先生方はたくさんいますし、それは心の底から拍手できる。でも、自分は自分の分野で一本の道を走っているだけだから、競争率は1.0倍。

――そんな風に、いま競争率1.0倍の道を走ってこられている人生に影響を与えた読書体験をお聞きしたいのですが、作家の世界に入るきっかけになった本は何ですか?




千田琢哉氏: 中谷彰宏さんの『人は誰でも作家になれる』(ダイヤモンド社)との出逢いです。この本が私のいまの人生を決定づけました。いまでも鮮明に憶えています。この本の19ページに「職業作家として食べていけるのは、50冊を越えてから」と書いてあります。この言葉は、宇宙で自分だけのために書かれたものだなと全身に電流が走って気を失いそうになりました。中谷彰宏さんはデビュー5年で45冊の本を世に出されていました。「なるほど。5年で50冊出せばスタートラインに立てるんだな」と全身の細胞が始動したのです。これまで以上に読書に拍車がかかり、狂ったように手当たり次第読みまくりました。

――本との出逢いの場である書店の変遷。本屋ってこんな風に変わったなとか、世の中にあふれている本自体、変化してきたなと思われる点はありますか?


千田琢哉氏: 書店はサービスが良くなってきていますよね。昔と比べたら売上が3分の1ぐらいに下がっているから、店員さんの「ありがとう」の迫力、魂のこもり方は、逆に3倍になった。昔は立ち読みの人を嫌な目で見たりしたけど、いまは立ち読みをしていても感謝ですよね。おまけに、全国的にはジュンク堂あたりがはしりだと記憶していますが、「どうぞ座り読みをしてください」という風になってきた。一方で読者の立場から言わせてもらうと著者のレベルは落ちてきていますね。だから著者としてはチャンスだと思ったんです。昔はビジネス書って、カリスマ経営者とか、偉い学者さんとか、そういう人たちの専売特許だった。すごいことが書いてあったし、1冊本を出すって恐ろしいことだなと思うくらい威厳がありましたが、いまは本を出すこと自体のハードルが下がっている。だから、たいして売れないのに参加者だけはやたら増えている。出版社としては売れないからどんどん本を出してごまかす。たくさん本を出すためには、レベルダウンさせるしかない。プロのレベルを知っている著者から見たら、いまのハードルの低さがチャンスなんです。単に1冊出すだけならすごく簡単です、本気になったらね。で、参加者が増えれば増えるほど、プロのレベルを目指している人間にはチャンス。身銭を切るお客さんはばかじゃないから、分かる人は分かるんですね。分かる人が、100人のうち1人しかいなかったとしても、そういう本が売れるんですよ。目利きができる人は、やはり各々の世界でちゃんとした地位や影響力を持っている。その人が発信したSNSなどで、どんどん広がっていく。100人のうち1人のすごい人の琴線に触れる本は、やはり、あるレベルでないと、通じ合うものがないんです。

――結局、本物は一つですものね。


千田琢哉氏: こんなにも参加者が増えて大変でしょう、倍率も高いしって言われますが、どれだけ増えても、自分の競争率は1.0倍だから。だから「千田さんの本ソックリな本が出てましたよ」って、写メールやハガキで教えてくれる人がいるけど、これはとてもいいことなんです。まねしてくれる人が増えるということは、それだけ自分が役に立っているということじゃないですか。その人たちもちゃんと印税が入って生活できる。結果として、オリジナルの私の地位も上がる。ピーター・ドラッカーがすごかったのは、ドラッカーのおかげで飯を食える人たちをたくさん増やしたこと。これって、すごいじゃないですか。ドラッカーでもなんでもない人たちがどんどん偉くなっていっている。それは、やっぱりドラッカーが天才だった証拠です。天才のすごさは、その人は普通に1.0倍で頑張っているだけなのに、その人で飯を食える人が勝手に増えていく。しかも恩着せがましくない。

大切なのは人材、救世主は外からやって来る


――ブログや自費出版、電子出版など、本を出すハードルはどんどん低くなっていると思いますが、そんな中で出版社、編集者の役割はどんなところにあると思いますか?


千田琢哉氏: 編集者がいないと、目も当てられない本がたくさん出て来ると思う。だから、編集者の役割はこれからもっと重要になるんじゃないかな。紙媒体の本のハードルが下がっていますがこれが電子書籍になれば、もっとハードルが下がる。電子書籍の究極の形ってメルマガやブログだと思うんです。自分で勝手に文章を書いて、誤字脱字がたくさんあるみたいなね。それで商売ができる、すそ野が広がっていくと、「これはお金を取っちゃいけないでしょう」という文章があふれまくるわけだから、編集者の層も広がっていくはずですね。電子書籍を仕上げる、紙の本は作れないけれども編集のまねっこができる、セミプロ編集者みたいな人が出てくるようになるでしょう。デジタル化が進化すればするほどアナログの価値が高まっていくのが、すべての業界の本質だと思うんです。ですから、紙の本はこれから逆に価値が高まっていくはずです。電子書籍は、どんどんハードルを下げて参加者を入れる。紙の本は場所も取るしお金もかかるから、ハードルがどんどん上がって「あの人、紙の本を出してる、すごい!」と言われるようになる。電池式時計が比較的安くて、機械式時計の価値が高まるのと似ていますよね。今日だってお会いして話をしているのはアナログ。こういう面談、一対一の対話の価値が高まっている証拠ですね。動画や本、インターネット、ブログとかで幾らでも情報なんて仕入れられるのに、やはり、アナログが頂点なんです。アナログの価値を極限まで高めていくのがデジタル化なんですね。

――デジタルがアナログを滅ぼすという言い方をされますが、そうではない。


千田琢哉氏: 逆ですよね。だって、本質的に地球の構造がアナログだし人間もアナログだから。100%デジタルで埋め尽くすことは不可能なんです。ロボットになってしまう。99%デジタル化を成し遂げられたとしても、その1%のアナログを高めるための手段を必ず残す。例えば携帯電話やスマートフォン。これが、デジタル化だと言いますが、メールやスマートフォンが広がれば広がるほどアナログがバレる。うそがつけなくなるんです。デジタル化が進化すればするほど、うそがつけなくなる時代になる。これまで恋愛小説を書いている作家さんの強みは何だったかというと、自分の容姿が隠せたこと。こんな素晴らしい恋愛小説を書く人ってどんな美人なんだろう、どんな素晴らしい恋愛をしてきたんだろうと。実際、実物を見たら「ウッソー!」みたいな人がたくさんいた。それが、いまはうそをつけない。顔でもインターネットではりつけられるし、動画もバンバン、アップされる。

――デジタルがアナログを顕在化させるということですが、電子書籍についてもお伺いします。電子書籍は利用しますか?


千田琢哉氏: 全くないです。展示会とか催し物、著者パーティーなどで触らせてもらったことはありますが、自分で購入したことは1回もないですね。

――購入しない理由はありますか?


千田琢哉氏: 昔のパソコンと同じで、Windowsのような決定打が出ていないのが大きいですね。パソコンがここまで一般化したのは、Windowsが出たからだったと思うんです。ハードルが下がった。電子書籍の最大のネックは、出版業界を観察したり電子書籍の専門家を見ても、まだ人材が本物じゃない。出版社の中でも、どちらかというと窓際みたいな人材が担当者にあたっているんですよね。サラブレッドみたいな人材がそこに関心を持つと、もう少し使ってもらえるようになるんじゃないかなと。かつて株価が100円を切って総合商社の時代が終わったと言われた時代があったんです。でも、またいま息を吹き返して元気になってきているのは、商社という器が失敗だったとしても人材がサラブレッドだったから。ビジネスってやっぱり頭脳で回っている。どれだけでも息を吹き返してくるんですね。コンサルって、これだけ批判も多いのに、必ずしぶとく存在している。なぜかというとトップレベルの人材が集まっているから。何が言いたいかというと、ある極限の分岐点でボン!とブレイクするには、まだ電子書籍にかかわっている人材のレベルがそこに到達していないと考えるのが自然です。

――本物がいないと。


千田琢哉氏: 色々な業界を見てきましたが、そういう本物は多くの場合外からやって来る。畑違いの異端児が、次代を創るんですよ。まだこれから可能性はある。でも、このまま本物が参加してくれなければ、電子書籍の時代は多分このまま終わってしまう。人材、救世主が現れれば市場は全く変わると思う。そういう人がまだいないというのは直感で分かるんです。色々な電子書籍の本を読んでも、分厚くて詳しいけれども心に響かない、記憶に残らない。極めつけの「男は黙ってサッポロビール」みたいな殺し文句のキャッチコピーがないんです。Windowsってすごいじゃないですか。つい20年前までとてつもなく複雑で、パソコンができることがすごいって社内でヒーローになっていた。それが、Windowsが出た瞬間に、地球上全部に広がってしまった。あの衝撃が出版業界にはまだない。このままいけば、かなりの確率で電子書籍の時代は終わってしまう。これからブレイクできるかどうかは“種と金”で決まる。種とは精子です。遺伝子、知能ですよね。そしてやっぱりお金の力は絶大です。斜陽業界は種と金が集まって初めて復興していくんです。救世主はいつも「君みたいな人が本当にこの業界に入ってくれるの?」という人材なんです。

――何かを救う者は、全く違うところからやって来る。


千田琢哉氏: その確率が高いですね。色々な業界を見てきましたが、業界の中の人って序列をつけたがるから。「課長に向かってそんな口の利き方はダメじゃないか」と言った瞬間にアイデアは殺されてしまう。でも外から来た人は何も知らないから、本当のことをポン!と言っちゃう。「電子書籍の専門家にイケてる人がいない」って、出版業界の人は言えないですよね。でもそれが事実なんです。事実を言える人っていうのは、その業界に無垢な愛情をもっていて、もし干されたとしても痛くもかゆくもない人。この二面性を持っている人しかこんなことはできない。

――千田さんは音声CDの販売をされています。音声CDは電子書籍の可能性の先駆けだと思います。千田さんご自身が電子書籍業界にメスを入れるというお考えはありますか?


千田琢哉氏: 全くないです。私は文筆家として筆一本で生涯をまっとうします。命を狙われることもあるかもしれません。コンサルで業界変革をしたり、組織を作って会社を経営したりする道は、もう捨てました。捨てた瞬間に自分の役割ってハッキリするじゃないですか。「自分にはこれしかない」と思うのは、新しい動きをして電子書籍業界を変えていくことではなく、筆の力で世の中を揺さぶっていくこと。この道ですよね。電子書籍について何か文章を書くかもしれないけど、そこに入って寿命を削ることはしない。それは、そういうことに命をかけたいという人に譲るのが筋です。役割が違う。

――これからも、執筆活動で世の中を揺さぶっていく。


千田琢哉氏: 風船に針を刺す、みたいなことが好きなんです、昔から。

本を自分の血肉にしてほしい


――千田さんは、どんな子どもだったのでしょう?


千田琢哉氏: 両親や親せきが集まった時に話を聞くと、大人をドン引きさせるのが得意だったみたい。親せきでワーワーやっている時に、ポンと何か恐ろしい一言が出て来るというような子どもだったみたいです。自分では憶えていないんですけど(笑)小学校の時にデパートに行くと、最初に走っていく場所がおもちゃ屋さんではなく宝石屋さんだった。なんで宝石屋さんかというと、数字を見るのが好きだった。300万円とか500万円ってダイヤモンドが並んでいるじゃないですか。もう一つはダイヤモンドが100個ぐらいついているのが300万円なのに、1個しかついていないのが500万円、それに納得できなくて、店員さんにしつこく聞いていた。そういう、少しズレている子どもでした。「本当のことを知りたい、本当のことを言いたい」というのが、そのころからあったんじゃないかな。学級会とかでもよくドン引きされていましたね。学校の先生も顔が引きつってブルブルブルって震えちゃうぐらいのことが何回もありました。なぜそれが許されたかというと、そこに邪気がなかったんでしょうね。本当にその問題を解決しようと思っているからポン!とストレートに口から言葉が出るんですよ。そうすると学校の先生ってすごくまじめで建前を重んじる人が多いから、困っちゃうんですよね。「そんな、いきなりストレートに本当のことを・・・」って。

――真理、本質を言う。


千田琢哉氏: だから、自分はあまり口を開いちゃダメだっていうコンプレックスが、いつもどこかにあったような気がします。保険会社の時もそうだったんです。会議で「これってこうじゃないですか」と言った瞬間にシーンとなっちゃって。場の空気を全く読めない。で、それが初めて絶賛されたのがコンサルティング会社に入社した時。「あらら・・・またやっちゃったかな。空気読めてないな」と思っていたら、「おい、お前、すごいじゃないか。ちょっと飯食いに行こう」と、ひと癖もふた癖もある天才コンサルタントに言われて(笑)

――千田さんのストレートな言葉が読者に響くのでしょうね。ブックスキャンは個人の蔵書を電子化する事業です。スキャンするには本を裁断しなければならないのですが、それでも電子化して手元に持っておきたいと。そういった読者に何かメッセージはありますか?




千田琢哉氏: 読者はお金を払って本を買います。その本は、破ろうが煮ようが燃やそうが、もう何をしても勝手。一番大切なのは、自分の血液の中に流し込むことですよね。千田琢哉の本を買ってくれて本棚に全部飾ってくれるのもうれしいけれど、全部捨てました、血液の中に流れていますというのもうれしい。一番うれしいのは「いままでできなかったことが、この一言のおかげで背中を押されてできました」というメールなんかをもらった時ですね。自分も、1か月に1回は本棚からあふれた本を全部処分する。前は本棚にパンパンに本を詰めていたんですが、そうすると他人の書いた本に圧迫されて自分の本がこれから増えていかないような気がした(笑)余計なものを置かないと、そこにラッキーが舞い込んでくる。そう考えると、ブックスキャンのビジネスって、電子書籍の突破口になるんじゃないかな。

――最後に、95歳までに1000冊以上出すということですが、今後書きたいテーマ、展望はありますか?


千田琢哉氏: あの…ないんですよ、それが(笑)いま、本にしているのは、編集者の悩みごとに応えたものです。出版社がいま行列を作って待ってくれていて。会ってくださいとか、メールでやり取りをする時に、売れそうな企画を持ってくる。でも、それって私が過去に書いた内容と似ているんですよね。「その本はまねっこになって売れないから、自分がいま悩んでいることはないの」という話をすると、「実はいま、リーダーになって、どうやって動けばいいか悩んでいる」と「じゃあリーダーシップの本を書こうよ」となったり。すると無限に本が書ける。問題を与えられて、それに対する変化球を投げるのが好きなんです。普通の人なら、模範解答はこうでしょうってなるのを、ひっくり返すのが昔から好きで。要は、優等生の考えた模範解答よりも千田の考えた誤答の方がはるかに面白いって、100人いたら100人がキャー!ってこっちに集まってくるような本を書きたいんです。「ちょっとそこの優等生、静かにしてくれない?千田さんの誤答が聞こえないじゃないの!」というように。だから編集者の数の分だけこれから本を出せる。自分の悩みごとを解決するために、地球上でただ1冊、自分のために書いてくれた本だから、本人は一生懸命売ろうとするじゃないですか。「これって全部うまくいくな」って、それは後から気づいたんですが(笑)編集者も「サインしてください」とか、「仏壇に置いて頑張ります」って言ってくれるから。売らんかなという本じゃなくて、いま目の前の人が喜ぶ本を書く。1冊書くとまた次の1冊がそこから派生していく。それは多分、良いことなんじゃないかな。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 千田琢哉

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