奥野宣之

Profile

1981年大阪府生まれ。同志社大学文学部社会学科でジャーナリズムを専攻後、出版社、新聞社勤務を経てフリーランスに。独自の情報整理術を公開した『情報は1冊のノートにまとめなさい』(Nanaブックス)で著作デビュー。第2弾『読書は1冊のノートにまとめなさい』(同)、第3弾『人生は1冊のノートにまとめなさい』(ダイヤモンド社)のシリーズ3冊は累計50万部を超えるベストセラーとなる。メモやノート、文房具の活用法から発想法、デジタル・アナログを問わない情報活用、知的生産術まで、わかりやすく書き下ろした著作は、若手ビジネスパーソンを中心に支持を集めている。

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編集者がいなくて本が書ける作家って、ほとんどいないと思います


――先ほどのお話で、本が増えて仕方ないから、スペースの問題で捨てている、ということでした。スペースを取らない電子書籍はご利用されていますか?


奥野宣之氏: 利用しています。電子書籍はたぶん初めて読んだのは、任天堂の「DS文学全集」だったと思いますよ。初めて見たときに、あれ、いいなと思って。最近はAndroidで読んでいます。携帯端末のスマートフォンです。

――どんな時に読みますか?


奥野宣之氏: 電車の中とか、移動中とかですよね。荷物が多くてカバンから本を出すのが大変なときとか。

――その時に読まれる本のジャンルは、情報を取り入れるための本、あるいは文学作品などでしょうか?


奥野宣之氏: ジャンルは青空文庫にあるエッセイや批評がほとんどですよね。有料の電子書籍は、1回ぐらい買ったことあるかもしれないですけど。まともに読んだのは、青空文庫の福沢諭吉を読んだりしたぐらいですかね。結構、夏目漱石の講演とか全部あるじゃないですか、『私の個人主義』とか。ああいうのを一つずつ読んでいくという感じですね。

――インターネットの電子図書館「青空文庫」は、結構品ぞろえがありますね。


奥野宣之氏: そうそう。『無人島に生きる十六人』という本を、この間、新潮文庫で買って感動したんですけど、青空文庫にあってビックリしたんです。品揃えがいいんですよね。

――電子書籍がもっともっと普及し、今後どんどん紙の本と一緒に出版されるようになったら、書き手側として書く意識の変化というのはあるのでしょうか?


奥野宣之氏: 書き手としては、基本的にテキストとしての完成度を追求しているので、「電子書籍だからナントカ」というのはあまり無いですね。もうそのほかのレイアウトとかは、編集の人が考えてくださいということです。著者としてはテキストの精度というか、文章のよさだけを追求しているから、装丁とかもハッキリいってしまえば、あんまりこだわりが無いんですよ。

――『人生は1冊のノートにまとめなさい』のデザインであるノートの様な表紙は、出版社が考えたものですか?


奥野宣之氏: そう。僕は編集者と組んだ時点で、「あなたのセンスに任せる」という感じです。むしろ僕が、めちゃくちゃこだわるのは、タイトルや小見出しの言葉や、どこにマルや点をつけるか、カタカナで書くか、です・ますで文末がかぶらないようにするとか、リズムがいいかどうか、そういう言葉選びの所ばっかり見ています。ビジネス書でも何でもそうだと思うんですけど、新しい概念とか画期的なものってなかなか無いので、結局、言い方だと思うんですよ。

――同じ言葉でも、言い方ひとつで伝わり方が変わってくる、ということでしょうか?


奥野宣之氏: うん。ネーミングとか、言い回しです。「あ、それうまいこと言ったね!」みたいなことをどれだけ作れるかが勝負ですね。世の中には、もやもやしていることがいっぱいあるけど、こういう悩みってあるなぁ……と思ったときに、それをちゃんと言語化して、ロジカルにというか納得する形で文章にしたい。読んだ人が「ああ、それだ、それ!」というのを書けばいいと思っています。

――この著作本は、それが響いた結果ということですよね。


奥野宣之氏: そうですね。タイトルやキャッチコピーも、すごく大事だと思いますけどね。

――コピーは奥野さん自身で考えられるんですか?それとも編集者と一緒に考えるのですかですか?


奥野宣之氏: 本のタイトルや帯コピーなどの「外側」は、ほとんど編集者やエージェントと一緒に考えていますね。反対に中身の目次のタイトルとかは、全部自分で考えています。本文との兼ね合いもあるし、ゴロがよかったりしないと本文が書きにくくなったりするところだから。

――そうなると電子書籍が普及していっても、出版社の役割の中で言うと、編集者の力というものはかなり必要ですね。


奥野宣之氏: 編集者がいなくて本を書ける人って、ほとんどいないと思いますよ。

――そうですね。本は、作家と編集者が一緒に作っていくものですからね。


奥野宣之氏: 舞台監督がいなくて舞台ができるか、という感じなんですよね。役者だけでは無理だと思うんですよね。

――客観的に何をやったらいいか、主観的な立場ではわからないですよね。


奥野宣之氏: そうです。自分が主演していたら自分の舞台は見えないわけで。池波正太郎が、「編集者と著者は舞台監督と役者みたいな関係だ」って言っていました。その言葉が、一番ふに落ちた気がします。実際問題、1人で書いているとやっぱり独りよがりになりますからね。そうならないようにと、1人でいくら頑張って客観的になろうとしても、無理があると思います。主観をあんまり突き放すと「これが自分の考えだ」ということが書けなくなってしまいます。主観ばっかりだと夜郎自大(自分の力を過信して尊大にふるまうことのたとえ)なものができるし、反対に客観ばっかりだと人の目ばっかり気にしたような本しかできない。だから主観と客観のバランスが大事なんです。

本に出会うことは、運命的で、ものすごい奇跡なんです


――それでは最後に、奥野さんにとって本もしくは読書、それはどんなものですか?




奥野宣之氏: 僕は、読書をすることというのは、「人に会う」という感覚にすごく近いと思います。人と話すような体験という感じですよね。現実に生きていたら、外を歩いている人って、今の時代の人だけですよね。本だったら昔の人としゃべることができるし、意見交換できるし、ギリシャ時代やローマ時代の人、さらにはフィクションの人にも会える。さらには著者にも会える。だから本は、人そのものみたいな感じですね。友達を見つけるみたいな気持ちで本を探すわけですから。いろいろな本を読んでいて、「この人って何かいいな」と感じたら、「友達になろうかな」と思って読んだりします。歴史の本を読んでいて、「この登場人物は面白いな」と思って調べてみたらら、「ああ、やっぱりこの人とは親友になれるな」と感じたりする。ものすごく古い時代に書かれたものが、今、自分に届くって、すごく奇跡的なものだと思うんですよ。本は、先生だったり、友達だったり、師匠という感じですね。

――考えたら、本当にそうですね。昔の作家と会える方法なんて、本でしかないかもしれません。


奥野宣之氏: 古代の西洋の人の頭の中にひらめいたものがあって今ここに来て僕がそれを受け取った! っていう、この関わりというか、つながり方とかは、光回線なんて問題にならない。ものすごい奇跡だから、そのことに感動しますね。僕は自分の書いた本とかも、部数が売れたというよりも、全く知らない人、全く会ったことも見たことも聞いたことも無いような人、あるいは田舎のおばあちゃんの意識の中に僕の本が居場所を見つけたということがすごいと思いますよね。見知らぬ人の意識に居場所をもらったというのが、僕は1番うれしいです。読んでいる最中は、1時間なり2時間なり、僕がその人の意識を独占させてもらうわけですからね。素晴らしい奇跡だと思いますね。

――本があっての出会いですね。


奥野宣之氏: そう。人の意識の中で居場所を得られたというのはすごいことだし、そういう運命的なものに感動するんですよね。一冊の本を読むのに2時間ぐらいかかっているとすると、50万×2時間の時間を、僕がいただいたことになる。その事実がすごい。

著書一覧『 奥野宣之

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