小説を書く資格があるのは、たくさん小説を読んで「面白い」と思える人
2007年に文庫本で発表された連作長編『MM9』(東京創元社)は、日本SF大賞候補になり、SF小説のランキングを主体にしたガイドブック『SFが読みたい』でも、国内編の第2位を獲得した山本弘さん。現在もファンからの絶大な支持を受けている話題のSF・ファンタジー作家です。その不思議な世界はどのようにしてできたのか、過去をたどって行くと、幼いころにそのスタイルは確立されていました。「好きなことを書くのは、楽しくて仕方がない」と語る山本さんに、小説家を続けるために大事なこと、電子書籍への希望や理想などを、独自の観点でお話していただきました。
持ち運びや下書きには、PCよりポメラが便利
――今現在のお仕事や、活動についてお伺いできますか?
山本弘氏: 仕事の方は、2年前に出した『去年はいい年になるだろう』という本が、9月にPHPから文庫で出版されました。それが一番の近刊ですね。
――反応はいかがでしたか?
山本弘氏: 「星雲賞」の日本長編部門をいただきまして、僕の作品の中では評判になった部類です。これからの新作の予定としては、PHPで連載していた長編『UFOはもう来ない』が、12月に出る予定です。
――普段、原稿を書かれるときには特定の場所があるのでしょうか?
山本弘氏: ほとんど仕事場で書いています。自宅とは別にありまして、そこでパソコンに向かっています。最近は、下書きはポメラを使って喫茶店で書くことが多いですね。自宅でも深夜に執筆したりするんですけれど、普通のパソコンだと起動するのに時間が掛かる。ポメラなら一瞬でパッと出てくるので非常に便利でね、しかも余計な機能が何もないので、逆に使いやすい。ただ、辞書機能が貧弱で、漢字が出ないことが多い。でも、下書きということで割り切れば結構使えると思います。USBメモリーや、USBケーブルでつないですぐパソコンに移すこともできるので、便利ですよね。
っているということです(笑)
――本を書くことを始めるのに、何かきっかけになるようなことがあったのでしょうか?
山本弘氏: 確か僕の兄が、小説みたいなものを書いていた記憶があるんですよ。兄の方はすぐに飽きてやめちゃったんだけど、僕はそれをまねして便せんとかに書き始めました。当時『ボーイズライフ』っていう少年向けの雑誌がありまして、そこに海外の小説を若者向けに要約したような作品が載っていたんです。それに影響されました。1960年代の雑誌に、核戦争で生き残った人のサバイバルの話とかがあったんですよ。最初はそれを書き写していました。でも、何か面白くないなと思って、オリジナルの話を書き始めた。それが最初ですよね。今思い出してもひどい内容だったけど(笑)。
――ご家庭の中に、普段から文章に触れるような環境があったのでしょうか?
山本弘氏: 父がよく、週刊や月刊の小説誌を買っていました。いろんな小説が載っていて、それをね、子どもの目のつくところに無造作に放り出しておくんですよね。やっぱりあの当時の雑誌だからエロい作品とかも載っているんだけど、そういうのも全く気にせず。山田風太郎なんかも小学校のころに読んでしまいました(笑)。そういうのに影響を受け、確か小学校5年生だったかな、筒井康隆さんの『アフリカの爆弾』を、雑誌で読んだんです。それですごい衝撃を受けて「大人でも、こんな小説を書くんだ、こんな小説書いてよかったんだ」って。あれは子ども心にすごくうれしかったんですよ。小説って堅苦しいものだと思っていたから。あの時から、筒井さんのすごいファンになりましたね。
――それがSFの方へ進むきっかけになったのですね。
山本弘氏: そうだと思います。あと、筒井さんと豊田有恒さんと伊藤典夫さんの共著で、『SF教室』(ポプラ社)という本がありまして、中学生向けにSFを紹介する本があったんですよ。多分、今絶版で、入手困難でしょう。古本市場にもほとんど出ない。筒井さんのSF論をその本で読みましたが、今読んでもしびれるんですよ。やっぱりあの方の文章はかっこいいです。
――どういったことが書かれていたんですか?
山本弘氏: SFの書き方とかレクチャーしてくれるんだけど、たとえばアイデアにこだわっちゃダメなんだと。「SFをはじめて書くきみが、やっと見つけたアイデア――そんなものは、とっくに、どこかのプロ作家が考えだし、書いてしまっているに、きまっているのだ。しかも、ずっとおもしろく、ずっとうまい文章で!」と、身もふたもないことが書いてあって、「ああ、確かにそうだよね」と思いましたね(笑)。その本でどういうSF小説があるか、ということを中学時代に知ったんですよ。で、高校時代になって本格的に読み始めたという感じでね。
――『SF教室』が一つの大きな出会いだったのですね。それから先、何か印象深い本は、ありましたか?
山本弘氏: これはエッセイでも書いたんだけど、僕は工業高校で、隣のクラスのやつにSFマニアの男がいたんですよ。高校一年なのにコレクターで、すごい数のSFを持っていた。しかも京都の山のふもとにある旧家で、立派な塀に囲まれているような広い家でね、彼の部屋に行くとSFマガジンのバックナンバーがずらりと並んでいた。それで彼に頼んで5冊ぐらいずつ借りて読んだんです。その影響を受けて自分もコレクションをするようになった。今でも覚えているけれど、最初に読んだSFマガジンが1972年の4月号。それより前のものは友人から借りて、さらに友人の持っていなかった号も探し出して全部読みました。
――ではその旧友のおかげで、山本さんの作品の土台づくりができたということですね。
山本弘氏: そうですね、ずいぶん勉強しましたね。昔のSFマガジンに載った作品の中で影響を受けた作品、ヒントになった作品もたくさんありました。「こういうことを書いてよかったんだ」とか、「こんな文章を書く人がいたんだ」とか、いろいろと学びましたね。
著書一覧『 山本弘 』