自分は小説家にしかなれない…と気がついた時、がくぜんとした。
――SFに限らず、文章を仕事にしたいと思っている方に、何かメッセージをいただいてもよろしいですか?
山本弘氏: 2年ぐらい前かな、某社のライトノベルを担当している編集さんに「ライトノベル作家って、年に何十人も生まれているのに、どんどん消えていくじゃないですか。あの人たちっていうのは、編集者の側から戦力外通告するんですか? それとも作家の側からもう書けないって言うんですか?」って聞いたんですよ。そうしたら、大抵の場合は作家の側が「もう書けない」って言うそうです。要するに、続かないんですよ。今、出版不況もあって、初版部数が絞られているでしょ。それで食っていこうとしたら年に最低でも3~4冊出さなきゃいけないですよね。最低でも3ヶ月に1冊、もっと書こうと思ったら2ヶ月に1冊ぐらいのペースで書かないと食っていけない。それが続けられない人間は、もう脱落するしかないんです。とにかく書かなきゃダメだと。書けない人はやらない方がいい。僕はよく「小説家は老後の保障がないからつぶしがきかないよ」と言っています。本当はすごく不安なんだけど、まだ子どもが高校生だからもうちょっと養わなきゃいけない。そのためにはとにかく書き続けなきゃどうしようもない。それができるかどうかですよね。これも編集さんから聞いたんだけど、新人賞をとってデビューした人には必ず「仕事は辞めないでください、とりあえず2年くらいは辞めないで」と言うそうです。作家として続けられるかわからないから。すぐに弱音を吐いて脱落するかもしれないし、その後にもういっぺん仕事に戻るって、難しいから、とりあえずサラリーマンとかを続けながら作家も続けてくださいと言うんですって。
――書き続ける、出し続けることは、すごいエネルギーがいるということですね。
山本弘氏: それだけのペースで書けない人は、専業じゃなくて、副業として趣味でやるしかないといった感じですよね。
――本当に書くのが好きで、お金がもらえなくても書きたいぐらいの熱意のある方じゃないと難しいですね。
山本弘氏: やっぱり書くのが好きじゃないとダメですね。知り合いで小説講座をやっている人がいて、アマチュア向けに小説の書き方をレクチャーしているんだけど、小説家志望者の中には小説を書いたことがない、それどころかほとんど読まないという人が結構いるらしいんです。「小説家というのは、楽しくて儲かりそうな商売だから俺もやってみようかな」と、受けにくる人がいるそうです。そんな甘いもんじゃない(笑)。というか、やっぱり好きじゃないと続けられないから、そもそも小説を書く資格があるのは、いっぱい小説を読んで面白いと思える人じゃないとダメだろうと思います。そして書いて、読んでと反復している人間が小説家になるんだと僕は思うんですよ。嫌いなことなんか続けられないから。普段野球を見ない人が、野球選手になったら儲かるからなろうとは思わないじゃないですか。漫画を読まない人がいきなり「俺は漫画家になって儲けてやるんだ」とは思わない。ところが、なぜか小説家だけは、誰でもなれると思っているんです。要するに、文章を書くのは簡単なことだと思っている人たちがいて、ただ書き方がわからないからちょっと教えてくれみたいなことで、小説講座に来る。そもそも今の日本の作家というのは、ほとんど新人賞でデビューしている。倍率数百倍なんですよ。東大の合格率なんて比べ物にならないぐらい狭き門で、しかも新人賞を受賞してもつぶれていく人も多いから、結局千人に一人ぐらいしかなれない。「どうしてもやるんだ」という意思がないとダメですよね。
――そんな中、山本さんは小説家になろうと決めたんですね。
山本弘氏: 僕はサラリーマンとかになっている自分を想像できなくて、高校時代に、「自分は小説家にしかなれないんだ」と気がついた時に、ちょっとがくぜんとしたんです。自分の将来なんてわからないけど、「小説家になるしかない、ほかに道がない」と思いました。ただそれもね、売れるようになるまで紆余曲折ありましたけど。
「ラプラスの魔」のノベライズの仕事が、何年も続いたスランプから抜け出すきっかけをくれた。
――お聞かせいただけますか?
山本弘氏: 18歳の時に書いた小説が、「問題小説」という雑誌の新人賞の最終候補まで残ったんです。そのあと今度は、78年だったかな、「奇想天外」という雑誌の新人賞で佳作に入った。そこから足掛かりにデビューして作家になれると思ったら、その後すごいスランプになっちゃったんです。そこからが大変でした。作家になれると思って文章を書いていると、「もっともっとうまく書けるはずだ」と、そういうプレッシャーが掛かっちゃって、全然進まない。たった1行書くために、何回も原稿用紙を破っては捨て、当時ワープロなんかないから原稿用紙が埋まらないんですね。そうすると何十枚無駄にしても話が前に進まない。そういう時期が何年も続きましたね。プレッシャーというのが非常に大きいです。だから新人がつぶれていくというのは、多分そういうことだと思うんですよね。1作目だけで消えていく人は結構いるから、多分2作目以降が続かないんじゃないかな。
――どのようにして、そのスランプを乗り越えたのでしょうか?
山本弘氏: これは『去年はいい年になるだろう』の中でも書いたんだけども、翻訳家の安田均さんが、グル―プSNEというゲーム会社を作って、僕はその設立時からのメンバーで、ゲームのシナリオを書いていたんですが、安田さんが作られたパソコンゲーム『ラプラスの魔』のシナリオをどんと目の前に置いて、「山本さん、ノベライズ書いて」って言うんですよ(笑)。安田さんは僕が小説を書いているのを知っているから、「山本さんなら書けるでしょ?」って。もう書くしかないじゃないですか。それまで僕、短編ばっかりで長編なんて書いたことないんですよ。でも任されたから一生懸命書いたんですね。で、その時にスランプが吹っ切れた。
――それはなぜですか?
山本弘氏: 書かなきゃいけなくなっちゃったから。何でスランプだったかというと、締め切りがなかったからなんですよね。いつまでもずるずると長引かせられるから、もうちょっと手を入れればもっと良くなるとか、考えすぎるからスランプになる。何月何日までに書いてと言われると、それに合わせなきゃいけないから、ちょっと不満があっても前に進むしかないんですよ。その時に身についたことは、小説は100%を目指しちゃダメだと。90%を目指そうと。完ぺき主義者になったら小説は完成しないというのがわかったんです。だから今、自分の小説を見て「ここ、もうちょっとどうにかならなかったのかな」と、悩むこともあるんですよ。特に、今は連載を持っているから、締め切りまでに書かなきゃいけないでしょう? そうなると、自分でも「ここの文章は、ちょっと荒れているな」と、書きながら気がつくんですよ。
小説は、決して一人では書けない
――本作りについてですが、編集者とのやり取りを重視される方、編集者は校正作業担当だという方、執筆スタイルがさまざまあると思うんですけれど、先生の場合はどのようなタイプでしょう?
山本弘氏: 僕の場合は、小説の内容そのものについては打ち合わせとか、編集者と話したことはあんまりないですね。僕の方から大体最初に企画して、何種類かプロットを提出するんですけれど、その中から面白いのを選んでもらってそれを書く。書き方は、大体の場合、自由に任せてもらいますね。ただ細かい文章とかは、校正が帰ってきてゲラで直します。だから作家としては、編集者の校正作業というのは、とても大事だと思っていますので、いつも感謝しています。
――電子書籍になると、出版するということが容易になり、垣根が低くなって文章というものが世の中にどんどん増えていくと思われます。電子化時代に、出版社・編集者の役割というのは、校正も含めてどのくらい重要視されると思いますか?
山本弘氏: ネットでアマチュアが書いた小説をたまに読むことがあるんですけれど、もうやっぱり文章がダメですね(笑)。「この人、小説を読んでいないな」というのが、わかっちゃいますよね。なのに、自分には小説を書けると思っているのが、見ていて痛々しいんですよ。小説を読まないと、自分のどこがダメかっていうのに気がつかず、欠点を直すこともできないから、克服できない。やっぱり「ここがダメだよ」「ここを直しなさい」とか、指摘してくれる人がいるべきだと思うんですよね。
――そういう意味では、編集者というのは指摘や文章を見抜く役目が重要でしょうか?
山本弘氏: そうですね。特にアマチュアとか新人の場合は、編集者の力が大きいと思いますよ。編集者さんでもいろんな人がいて、本当に任せっぱなしにしてくれる人と、「こうこうこうして」と細かいところを指摘してくれる人と両方いるんですけれど、どちらがやりやすいとかではなく、結論は、「やっぱり小説は決して一人では書けない」ということ。
著書一覧『 山本弘 』