陰山英男

Profile

1958年兵庫県生まれ。岡山大学法学部卒。兵庫県朝来(あさご)町立(現朝来市立)山口小学校教師時代から反復練習で基礎学力の向上を目指す「陰山メソッド」を確立し脚光を浴びる。2003年4月尾道市立土堂(つちどう)小学校校長に全国公募により就任。百マス計算や漢字練習の反復学習を続け基礎学力の向上に取り組む一方、そろばん指導やコンピューターの活用など新旧を問わず積極的に導入する教育法によって子供たちの学力向上を実現している。立命館大学 教育開発推進機構 教授(立命館小学校副校長兼任)。文部科学省・中央教育審議会 教育課程部会委員、大阪府教育委員会教育委員長。

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“レッテル”は要らない――デジタル化による新しい教育の姿



大阪府教育委員会教育委員を務め、教育の世界のスペシャリストである陰山さんに現在の教育の問題や執筆活動や蔵書の電子化、そして今後の教育の未来に関して大いに語って頂きました。

人間性の二極分化が進む現代、教育界を襲う問題とは?


――早速ですが、今皆さんに近況として仕事内容含めお伺いさせていただいているんですが、大阪府の教育委員長などのお仕事含めて近況をお伺いできますか?


陰山英男氏: 最近は教育のデジタル化や教育委員会の制度に関するものが多いですね。教育の根幹の部分が改革を求められている時代の潮目に入ってきたなと感じています。10年ぐらい前まではそうした制度の中での提言で済んでいたのが、今は立場上、やることなすこと言うこと、責任の重さを感じるようになってきました。自分としても大きな転機の時期だと感じます。

――潮目ということですが、それは具体的にいうと?


陰山英男氏: 早くなることが求められている時代、と言えば分かりやすいでしょうか。教育委員会というのは基本的にさほど早いところじゃないのですが、それを早くしなければならない。動きにくいものを無理やり動かさなければならない立場なので、しんどさを感じますね。

――具体的には今、どんな案件が?


陰山英男氏: ここしばらく想定外に現れてきた「いじめ問題」の対応ですね。

最初は、「自殺の練習をさせるようないじめって酷いんじゃない?」という、いじめの内容についてだったものが、「なぜ教育委員会はそれを隠ぺいするのか?」という制度問題に転換していきましたよね。
僕らからすると「教育長としてあの人は適正だったのか」という人事問題と当初見ていたのが、教育委員会制度そのものに対する疑念に変わりましたよね。滋賀県教委などから是正指導がなされるなど、自浄作用が働くような動きがあれば流れはまた違ったものになったんでしょうが、学校や教師なんて同じようなものと思われ、ネットでは “陰山さん、あんたも同じ穴のむじなかよ”という風に言われてしまったりして。

――自著の中で「子ども自身の成長の鍵は学校だけじゃなく家庭の中にある」といった内容を書かれていますが、現在では家庭の力もどんどん弱まっているんじゃないかとも思います。


陰山英男氏: 家庭の力は弱まっていますし、実際のところ、一般の方々が思っておられる以上に“モンスターペアレンツ”の存在が教育界を歪めています。いじめに限らずさまざまな問題行動を起こす子どもの“親”にも問題があるのに、誰も議論の俎上(そじょう)に乗っけない。なぜならば加害者の子供たちの人権が重視されるから。

教育委員会の隠ぺいはもちろん看過できない問題ですが、それはあくまで二次的な問題で、一次的にはそういう事件を起こす子ども、そしてその親が居るわけです。教育基本法では、教育の一次的な責任者は「親」としているんですよね。ところが実質的に親の責任が問われることはありません。大津の事件でも、大津市が組織した第三者委員会の調査委も、加害とされる生徒の親はこれに協力してないということが言われています。実は非常におかしいんです。

大阪府では一所懸命いじめ問題の対応をやっていますが、やっていながら同じように叩かれる。それが僕らからすると一番つらいところですね。

――教育、あるいは子どもと読書の関連性についてはどのようなお考えをお持ちですか?


陰山英男氏: 意外に思われるかもしれませんが、子どもたちの読書は全体的に増える傾向にあるんですよ。特に2000年から状況は良くなっています。それは、文科省は読書元年とし図書予算が増やしているからです。子どもたちは新しい本が好きだから、昭和のころに買ったような古い本が図書室にたくさんあったところで読書は進まないんです。時代に即した本を子どもたちは読もうとしているのです。

森本哲郎さんの『旅シリーズ』に学んだ日常と非日常の境界線


――ところで、先生ご自身の読書体験の思い出をうかがえればと思うのですが。


陰山英男氏: どちらかというとあまり読まなかった方ですね。それでも若いころ、僕は2回読書に狂った時期があって、そのころの読み方は異常でした。1回目は高校生の時。哲学にはまって、哲学書を読みまくりました。2回目は教師として教育書を読みまくった時期。でも、両方ピタっとやめたんですよね。なぜか激しく読むうち、自殺したくなってきてしまって。
活字中毒って行き過ぎると自殺したくなるよね。それ以降はのめり込む読書じゃなく、むしろ自分自身の生活を重視しながら、その生活そのものをよりよくするための読書へ変わってきているような気がします。

――中でも印象深いというか、今でも影響を及ぼしているような本はありますか?


陰山英男氏: 森本哲郎さんという方の『旅シリーズ』ですね。高校時代の哲学書にはまる前に出会ったものです。森本さんが世界中の旅をしながら文明論を説いていくものなんですが、田舎の高校生だった自分がそういうものを読むと、凄く人生の幅が広がっていろいろな夢が持てるようになった気分がありました。
中でも『生きがいへの旅』というのが非常に印象に残っていて、スウェーデンとベトナムの2つの国の若者たちを比べてるんですね。ベトナムは当時ベトナム戦争の最中ですから、非常に悲惨で、スウェーデンは当時高度福祉のトップに行っていましたので、天国と地獄だと。
ところが実際にその国へ行ってみると、ベトナムの若者たちは活き活きとしていて、スウェーデンの若者たちはむしろ表情が暗い。一体この違いは何なんだろう、人間が生きることとは何なのだろうかっていうようなテーマで語られていて、特に答えらしい答えがあったわけではないけれど、自分自身がどのように生きていけばいいのかを考える上で、表面的に考えちゃいけないんだと思い知ったんです。

ただこれが面白いんだけど、この「生きがいへの旅」、実は教科書に載っていた一節が最初の出会いでした。その続きが読みたくて書店で探したんです。それで旅シリーズの存在も知ったんですが、その中でも当時面白かったのが、インドに旅したときの見聞録。そこから10年近く経って、実際僕もインド旅行に行ったんです。

――どうでしたか?


陰山英男氏: やっぱりあそこに書かれていたことは本当なんだなと。森本さんのインドの見聞録を読んでいると、バックパッカーでないとインドは分からないみたいなノリでしたから、これはバックパッカーしかないだろうと。それも1日2日行くだけじゃダメで、やっぱり彷徨わなきゃいけないんだとインドは。だから、デリーから入って、それから定番のアグラーとジャイプール、ヒンズー教の聖地バラナシに行って、それからインド洋が見たくて、ブバネーシュワルという街に飛行機で飛んで、それからカルカッタへ行きました。26歳くらいのときです。初めての海外旅行がインドへの3週間のバックパッカーだったというね。ほんとバカですよね。



僕らの世代はエネルギーがあるけど、常識がなかったから突飛なことを平気で言ったりやったりしてたんですが、今の子供たちはわれわれが思っている以上にものすごく常識があるんですよ。いきなり「インド行きます」なんていうやつはまずいないですよね。

――そのとき、周りから止められなかったんですか?


陰山英男氏: 止められましたよ。兵庫県の自分の実家の近くの小学校に転勤してきて数カ月くらいのときのことしたし。「夏休み3週間海外に行く」と言ったら校長も教育長も口あんぐりですよ。僕は「英語の研修だから」とか適当なこと言ったら、今でも忘れられないんだけど、「前例がない」と言われました。
教育の世界で前例がないと言ったらダメという話なんだけど、前例がないから、どういう方法があるか考えるって言ってもらって。「見所あるじゃねえか」と。結局、研修旅行という手続きを取ってくれたんです。当時は「(行かせてくれて)当たり前だよ」だなんて思ってましたけど、今考えるとよく許してくれたなと思いますね。今そんなこと本校の教師が僕に言ってきたら「お前バカじゃねえのか!」って言いますから(笑)。

インド旅行は僕にとって特別な体験でしたが、それ以降もどこかに出かけていっては、日常ではないことに思いを馳せるっていうことを日常的にやっていますから、そういう意味では『旅シリーズ』との出会いはとても重要でしたね。

読書は、考えを整理すること


――先生は講演旅行などで出張されるとき本はお持ちになられますか?


陰山英男氏: はい。世の中をどう見るのかみたいな本を持っていくことが多いですね。哲学書だといつかみたいに自殺したくなるんで。そういうときの読み方は“一人企画会議”みたいな感じですね。

例えば海外旅行で12時間ぐらい飛行機に乗ってたりするじゃないですか。そこでスケジュール表とか、データを入れた手帳1冊と、その時々の時代を象徴するような本を1冊持って、この旅行の後どうするのかをずっと考えるんです。“今から会議を始めます、テーマはこれですアジェンダは”みたいなことを考えながら、日常の雑然としたことを1つの方向に収束させていくにはどうすればよいかを考えるんです。12時間電話がかかってきませんから、これほど作業が順調に進むところはないですよね。

――先生にとっての読書は、考えを整理することだと。


陰山英男氏: そうですね。会議というか対話といえるかもしれませんが、自分自身の考えを整理してくれたりとか、新しいインスピレーションを与えてくれたりとかそういう感じですよね。

――本屋に足を運ぶこともあるかと思いますが、今と昔で本屋がこんな風に変わったなと思ったりすることはありますか?


陰山英男氏: とにかく大きくなりましたね。本屋さんが大きくなって、何か自分なりの目的を持っていないと本当に居づらくなってきた。行き場がないからね。ただインターネットなどで情報が得られるようにもなりましたので、あらかじめ読みたい本の目星もある程度付けられますから、いい傾向じゃないですか。

本について言えば、最近は娯楽として本を読むことが少し減ったのが自分の中で少し残念に感じています。昔はラブロマンスや推理小説を読むのが好きでしたが、それが皆目なくなりました。またそういう本が減った。非日常的過ぎたり、シチュエーションが非常にマニアックだったりで、最近の小説は読みづらいなという感じがします。ありふれていながら面白い作品というのはしばらく出会っていませんね。

僕の中では、本って読むものっていうよりは書くもの、情報発信を念頭に置いているところが絶えずあります。ネタに使えるものとか、あるいは他の人がガンガン言っていることは書けませんから、書くとしたらどういうことをテーマにしなきゃいけないのかみたいな、物書きとしての悲しい性みたいなものもあったりして(笑)。

絶望と揺るがぬ決意から生まれた『本当の学力をつける本』


――書くというお話も出ていたので、執筆活動についてもお聞きしたいのですが、最初の本を出すきっかけはどんなことだったんですか?




陰山英男氏: 1996~97年くらいの段階で、日本の教育状況は僕から見てほぼ最悪になりかけていたんですよね。親が子どもを甘やかすのがいいことだという風潮になっていて、子どもをしかる親は悪い親みたいな。これはマズイと思って、きちんと基本的なことをやる勉強をさせないといけないだろうということで、そのためには僕らがやってきたことを本にまとめて世に問おうと。

たまたま同時期に学校の同僚の先生が亡くなったこともあったんですが、2週間で原稿用紙200枚分くらいの原稿を書き上げたんです。それを当時私の師匠だった岸本先生のところに持っていって、書籍化できないかみたいな話をして、出版社を数社紹介していただいたんですが、「こんなレベルの低いものは出せない」とすべて断られまして。

30代の間に本を1冊書くことが自分が成功する人生の基準だと勝手に決めていたのですが、自分の30代最後の日である1998年3月6日は目標を達成することなく挫折の日として過ぎていきました。だから「人生にまたしても失敗してしまった」と思い込んでしまって、地元の和田山町(現在の兵庫県朝来市)から1時間半車で北へ向かいました。そして城崎という海辺の温泉町で原稿を握りしめて大声で泣いたんですよ。バカでしょう? でも人間っていうのは面白いもので、泣いてエネルギーを放出してしまうと冷静になるじゃないですか。冷静になったら馬鹿かお前はって思えてきて、早く帰ろうと思ったんですが、このままだと面白くないじゃないですか。第一悔しいし。

それで帰りに車を運転しながら決めたんですよ。「この本は、今出ないということは将来ベストセラーになるために今本にしてはいけないということなんだ」と。この本はどこかの大手出版社から出版されて、ベストセラーになって日本の教育を変えるように神様が運命をお作りになったんだと考えたんです。

だからその時に重大な決定もしたんです。「世の中を変える本だから、そうなると出版社が重要」と。ただの大手出版社じゃだめで、世の中を変える出版社じゃないといけないということで、文藝春秋から出そうと決めたんです。だって文藝春秋って、そうやってときどき時代を変えていましたから。それでその後小学館やPHPから出版の打診があったんですが、じっと文藝春秋が来るのを待ってたんですよ。

でも来るわけないじゃないですか。来るわけないから、ある日の放課後、PHPに電話して、本当はいますぐ本にできる原稿があるから見てくださいって連絡しようと思ってたんです。そうしたらその日の昼に「陰山先生電話です」って職員室に呼び出されて、電話に出たら文藝春秋からで「キター!」ってなりましたよ(笑)。

それで数日後に原稿を見せて、じゃあちょっと考えましょうかって話になったんですが、このときもう2001年の暮れだったんですよね。原稿は1996年に書いたもの。相当時間が経っていたんです。携帯電話の普及などで生活環境も原稿執筆時からかなり変化していたので、全体の3分の1を書き直しさせられたんです。ところが時間もないし忙しいですし、そんなことできませんって押し問答していたら最後にはただ一言、“うちは文藝春秋ですから”って。もう一言で終わり、聞き入れてもらえない。とにかく仕方がないので、言われるがまま全部受け入れてようやく出したのが『本当の学力をつける本』です。

この話には続きがあって、当時インターネットの掲示板で僕のファンの人との繋がりができかけていたんですよ。自分にとって一番重要な原稿を本にしたので、楽しみにしていてくださいと、お願いをしたんです。それで当日を迎えたら、どこの書店にもないと。「街中の書店を回りましたけどありません」ってメールが全国から寄せられて、慌てて文藝春秋に電話して、「おい! ないって言ってるぞちゃんと出してんのかよ」って言ったら、「出してます、間違いありません」って。おかしいなと思っていたら、置いた瞬間に売れているらしいという知らせが文藝春秋からきたのです。

だから翌日に緊急増刷してもらったんですね。それでも行き渡ってなかったので第3刷で一気に5万部増刷してようやく行き渡っていったんです。当時文藝春秋では毎週火曜日が増刷会議の日だったんですが、火曜日の夜になると、増刷が決まりましたって毎週電話が掛かってきましたね。5月いっぱいまで毎週火曜日は増刷していたので毎週火曜日は増刷の日だと勝手に思い込んでました。

結局その年の年末までに50万部出て、100マス計算のニーズも高まったんですが、100マス計算のいわゆる問題集が売っていなかった。ちょうどそのころ、僕の家に参考書の行商がたまたま来たんです。それで70万円くらいの教材セットを買えと。バカかと。書店に行って俺の本を見ろと言いたかったんだけど、70万円の教材に騙される人がいる以上は、それは由々しき問題だと思って、超格安で学力が伸びることを証明したいと。当時ワンコインという言葉が流行っていたので、「よし、500円だ。ワンコインで学力を伸ばそう」と考え、100マス計算ドリルを500円で出すことを決めたんです。

――それでワンコインだったんですね。


陰山英男氏: 小学館から出してもらったんです。必ず5万部は売れる自信があるって説明して。結局これが300万部以上売れてるんですよね。それが2002年の12月だったかな。

そして2003年の4月に広島・尾道の土堂小学校に行くわけです。折りしもそのとき、民間校長自殺事件があったので、メディアが尾道なり陰山なりに注目するわけですよ。100マスドリルのヒット、本当の学力のヒットも重なっていたんですが、僕には喜んでいる余裕がないわけ。民間校長自殺事件があって学校の中がぐちゃぐちゃになっていたから、もう朝も昼も夜もないし、金はどうでもいいからこれを鎮めてくれみたいな気持ちでしたね。

つっぱるな しょせんあんたは 3級品


――尾道の土堂小学校に行く前に、最後に学級通信を生徒に配るわけじゃないですか。ああいったことをされるのは根幹部分で、教師の大切さをお忘れになっていないということですよね。


陰山英男氏: そうですね。僕は教師になろうと思って教師になった人間ではなく、教師をさせてもらっているという感謝の思いがずっとあります。子どもたちがいてくれれば僕は何があろうと大丈夫だと思っています。

――感謝の気持ちというのは、すべてにおいて言えるかもしれませんね。


陰山英男氏: “つっぱるな しょせんあんたは 3級品”が、僕の格言です。自分が立派だと思った瞬間に人間は停滞を始めます。3級品だという自覚があれば1級品を目指して努力しようという気持ちが出てきますから。教育もひっくるめて完成品なんていうものは仕事には存在しません。

原点にあるのは、子どもたちのお陰で食わせてもらっている、子どもたちのお陰でこんないい夢を見させてもらっているということ。特に僕の場合は山口小学校に行って、そこでの子どもたちとの関わりの中で見えてきたものがあるし、土堂もそうですが、その学校でなければ出会えなかった子どもたちだって思えるんですよ。君たちが居てくれたから今日の僕があると。

最近、Facebookで教え子が連絡くれたりとか、「先生今度飲みにおいでや!」みたいなのがあって、すごく嬉しいんですよね。カリスマ教師とか、大阪府教育委員長とか肩書きはいろいろですが、子どもの前に行ったら担任と教え子、ごく普通の人間対人間の関係に戻ります。向こうも大人になっていますから、すごく気が楽なんですよ、お互いに。教え子とはすごく気楽に喋れるんですよね。そういう意味で教師であることの喜びが最近まったく違う形で味わえるようになりました。これは他の職業にはなかなかないですよ。



子どもを追い詰めた瞬間に教師は追い詰められる、しかしそうしないのは教師にあらず


――やっぱり陰山先生だからこそというのがお話を伺っていても感じます。先生はどんな授業を繰り広げられているんですか?


陰山英男氏: とにかく絶えず、怖く楽しく。極端ですね。授業はエンターテイメントだと思ってますけど、言うこと聞かなかったら死ぬほど叱りますから。そういう点で子どもを甘やかすのは許せなかったですね。

「君のままでいいよ」って言ったら楽ですよ。指導しなくていいですから。「てやんでえ! 要するに何もしないだけじゃねーかよ!」って思うんだけど。僕は、実際に手を出さないとしても、「てめーのここが気に入らねーんだ!」とか、それこそ殴りかかるような気持ちで接していくんだけど、子どもがしゅんとしたときにそれで別れてしまったら、ただのいじめです。その子をできるようにして初めて教師じゃないですか。

子どもを追い詰めた瞬間に教師は追い詰められるわけです。子どもを追い詰めない教師は僕から見るとただの怠け者です。あと、子どもに伸びようとか勉強しようとかできるようになりたいとか思わせないと絶対にできるようになるわけないじゃないですか。こういうことを言うと陰山は心の教育をないがしろにしていると言うやつがいるんですよ。あぁこいつは教育やったことがないやつだなと反論するのも馬鹿馬鹿しくなりますね。その間に1人でも2人でも子どもを伸ばしている方がこちらも楽しいし、精神衛生上もいいから相手にしないんですが。そういう点でいうと、やっぱり現場が楽しいです。

電子教科書は教師、子ども、学年などの“レッテル”をなくしていく


――教育における電子書籍の可能性についてもお聞きしたいのですが、電子書籍、もしくは電子媒体は教育にどんな効果、可能性をもたらすと思いますか?


陰山英男氏: 一番象徴的に言うと、電子教科書なら小学校1年生から高校3年生ぐらいまでの教科書を全部1台の端末に入れることもできますよね。ということは、小学校3年生が中学校の勉強をしていいんですよ。中学生が小学生の勉強のやり直しをしてもいいんですよ。できるんです。

つまり、伸びようと思ったらどこまでも伸びることを保証できるシステムを生み出してくれるわけです。教科書だけでなく、問題集や授業動画だって提供できますよね。そうすると、そうしたデバイスが学校や教育システムそのものになります。その子にやる気があれば、それだけで勉強ができてしまうわけですから。可能性が劇的に広がります。

%結局のところ、ITは境界とかレッテルといったものを取り去ってしまうんですよね。教師、子ども、学年などのレッテルが外されて、インテリジェンスに対して、素のままそこに入っていける可能性を持っている、ということなんです。そうしたときにじゃあ教師の存在って何だろうっていう問題が改めて問われますよね。やはり人間でなければ導くことのできない教育的営みを専門的に高めていかなければ、存在意義が失われますから。

例えば子どもたちにPCで小説を書かせると、漢字なども普通に変換されて画面に出てきますよね。子どもの文字で書かれていたものなら「読みにくいな」とか感じるかもしれませんが、そういうものがなくなって、どっちが面白いかだけが残りますよね。子どもたちの持っている可能性が大人と対等の土俵の上に立ってしまうわけで。そういう点でもデジタル化は、ありとあらゆる垣根、レッテルを壊してくと思います。

――例えば視覚に障害がある方で、字へのアクセスが困難な方とか、そういった方にも電子書籍は有用ですよね。


陰山英男氏: 音声とかね。いろいろな方法ができると思います。特に音声とか映像、さまざまな情報を表現できますから、点字だってできるかもしれませんよね。

――“ブックスキャン”というのが個人の蔵書を電子化するという業種になっていまして、今回のインタビューの経緯も、先生の著作物の依頼が沢山来ているんですね。捨てたくない、ずっと持っておきたいという方がいらっしゃるんです。


陰山英男氏: 僕の本を? ああいいね。それは結構多いのですか?

――多い方にお声がけをしています。


陰山英男氏: じゃあ要するに、蔵書として持っていたい本なんだね。光栄ですよ。

――いろいろなお考えの方がいらっしゃるので、例えば“俺の本を切るとはけしからん”と言う方もいらっしゃったりするわけですが、先生ご自身はどんなお考えですか?


陰山英男氏: 多くの人に読んでもらえるんだったらそれでいいかな。僕の場合は物書きで生計を立てているわけではなくて、あくまで副次的にできたものですから。僕の事業に対してお金が全然回ってこないなら、それはちょっと待てという話になるけど、本についてはそうじゃないですね。

――考えが広まるという意味ではその方がいいということですか?


陰山英男氏: その方が僕にとっては大事です。陰山という時代の流れとはまったく関係なく子どものためだけに生きようとしていた教師がいることをより多くの方に知っていただけるなら、僕はそれが一番ありがたい。

教育のデジタル化は僕の最終チャレンジ


――なるほど。では最後に今後の展望といいますか、どういったことに取り組んでいかれるつもりなのかをお聞かせいただけますか。


陰山英男氏: やはり教育のデジタル化です。僕の最終チャレンジ。今までやってきたことはすべてアナログの世界ですが、それをデジタル化することで教育の未来を提案していきたい。

僕は学級担任を離れていますし、もう自分自身の中でやれることはそう多くはない。そうした中でやってきたものをきちんとまとめて、デジタル化するのが、僕がやってきたことを次の世代に引き継いでいくための責務だと思っています。
それからいろいろ抜きにして、やっぱり好きなんですよITが。コンピューターを作っちゃ潰し、CPUをクロックアップして煙を出すとかね。ああいう世界が大好きですから。自分のアナログでまっとうな仕事人としての側面と、極めてパーソナルでオタクな部分とかの融合している部分が教育のデジタル化なんですよね。

(聞き手:沖中幸太郎)

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