作家という職業が成立しない時代が来るかもしれない
――おっしゃる通りだと思います。著者も読者も幸せになれる仕組みが必要ですね。
有栖川有栖氏: いろいろ難しい問題あります。個人のものをどう使おうがっていう、バラした本を売るのもなぜ悪いっていう形式的なロジックもあると思うんですよ。でも、複製コピーが大々的に流通するようになり、1冊の本をスキャンして無制限に増殖させたら、古本屋さんも図書館も全部要らなくなるでしょう。まあ非現実的ですけど、1人が本を買えばあとみんなコピーしましたといったら、本は1冊でよくなってしまう。何か仕組みを作らないと、小説家という仕事が職業としてもう成立しなくなる時代が来るかもしれない。その時代、年齢からして私は生きていないでしょうけれど、後の人たちが大変です。「金を払って読むほどでもない」という本だけの世界になりかねない。文化的な壊死ですね。
――創作意欲を高めて、より良い作品をこれからの世の中に広めていくためには、還元されて、作家としての生活していくことが必要ですね。
有栖川有栖氏: 作家が職業として成立した時期っていうのは実は短いとか、近代になってからだとかいう見方もあったりします。まあ議論の余地はあるかもしれませんが。ただ、時代の流れで、なし崩し的に小説を書いて対価を得られる時代じゃないんだってなるっていうのは、いいのかな?と思います。本ってCDよりもっと安いですよね。映画その他に比べても総じて廉価なものです。そんなものを違法にコピーして作ったり買ったりメリットが小さいはずだし、本ってそんなに大量に消費できない。月に10冊も読んでいたら、「10冊も読んでいるんですか!」っていわれる。でも、値段にしたら大した額ではありませんよ。月1万円程度で済む道楽なんて、世の中にそうはない。いくら好きでも月100冊は読めないから、消費する量が決まっている。そんなものをじゃんじゃか違法に売り買いしてどうするんですかと。
――大量に消費できないものだからこそ、購入して読むということが大事ですね。
有栖川有栖氏: 電子書籍になって、本を読むスタイルが多様化して読者層が広がり、出版界に利益をもたらせばいいかなと思うけど、不安も抱きます。電子書籍は必要なときに買えばいい。これまでは、本屋で面白そうな本を見たら、私などは「一期一会。今買っておかないと」思って、ただちに買っていたわけです。でも電子書籍だとそれをしなくてよくなります。どんなカルトな本でも、読もうっていう瞬間に買えばいいわけですから。だから皮肉なことに、読書家が本に使うお金って減るかもしれないです。自分のことなのでありありと想像がつきますよ(笑)。初版に飛びつくこともない。コレクションをしない。そんなことも考えられます。作家とか出版社にしたらちょっと当て外れ。読者にしたら無駄がなくなる。と思っていたんですが、電子書籍をどんどん購入して、もう「電子積読」になりかけている人の噂を耳にしました。どうなるんでしょうね。
プラットフォームに依存する電子書籍は買ったもの? 借りたもの?
有栖川有栖氏: 全集本っていうのは場所取って重くてしょうがないんですけども、それもまた楽しい。大好きな作家だからその人の全集を買うんですけど、持って歩けないからなかなか読めません。美しい造本の全集を棚に並べる喜びを味わいつつ、中身は持ち歩きやすい電子書籍で読めたらいいな、といったことも考えてしまいます。やっぱり紙と電子と両方とも持っていたい本がありますね。
――紙を愛する人も、電子を必要とする人もどちらも満足できる仕組みが必要ですね。
有栖川有栖氏: 基本的なことを伺いますけど、生まれたときから電子書籍で育って、本の虫になって、家に5000冊ダウンロードした人がいたとします。この5000冊をその読書家は所有しているといるんでしょうか? Amazonで買った5000冊、Amazonが倒産したらどうなるんですか?
――確かにAmazonではありませんが、一部プラットフォームの閉鎖にともなって電子書籍が読めなくなるケースがありましたね。
有栖川有栖氏: 今恐怖を感じました(笑)。パソコンはそう簡単になくならないでしょうが、レコードやビデオの衰退を見てきていますから安閑としていられません。パソコンなんて数10年後にはなくなっていて、生まれたときにみんな頭にインプラントして埋め込むようになっていたりして。そこまで先のことは考えないとして、もっぱらKindleで読書していたら、Amazonが倒産したとたんに読めなくなるのなら悲劇です。そんなことを心配してしまう。旧世代の杞憂でなければいいのですが。
編集者がチェックしない本を出すのは不安ではないのか?
――たくさん可能性があったり、懸念もある電子書籍ですが、電子書籍の登場によって、セミプロの人たちも出版しやすくなったというのもあると思います。そういう状況において、出版社や編集者の役割はどういった点にあると思いますか?
有栖川有栖氏: そもそも「編集」というのは何なのか、ということがクローズアップされてくるでしょうね。編集者の目を通さなくても、誰でも作品を世に出し、誰でも販売できるってなったら、じゃあプロって何だって話になります。プロは出版社が発売元になっているんだ、編集者という人がパートナーとしてついているのだ、ということで区別されそうです。きれいなイラストをつけたり、スマートなデザインを施すということは、電子書籍でもつけられるでしょう。すると、何が一番のポイントになるかというと、編集者の有無ですよね。編集者っていうのは、字が間違っていますとか、言葉遣いや文法が変ですとか、文章の掃除してくれるだけの人なのか、あるいは作品の中身に影響を与えたり、作家の成長を促してくれるところまでしてくれる人なのか。前者なら「報酬をくれたらやりますよ」という人材がたくさんいそうですが、後者は簡単に見つかりそうもありません。一流の編集者がパートナーになっている人と、俺は俺で勝手に書いている人とで質的に違うならば、やっぱりプロとアマチュアの垣根っていうのは消えはしないかもしれないですね。編集者というのは、これから存在理由を問われる(笑)。実績のある作家にしても、独立して印税が今までの何倍にもなるとしても、編集者に「もうけっこうです」といったとして「俺、やっていけるのか?」と。そのとき実績もあって実力も蓄えたんだからっていって、客観的に作品を見てくれるそのプロフェッショナルから離れていいの?って思います。自分の可能性や能力が狭くなっていくかもしれないけど、そういうのは承知なんだなって、作家が自問する場面もあるかもしれないですね。
――ますます編集者の役割が明確になっていきますね。
有栖川有栖氏: 私は物書きになって20年以上になりますが、自分の書いたものは何人もの人の目を通って読者のところに届くっていう意識っていうのが常にある。ブログを書いたりTwitterしてる人いっぱいいますよね。私があの本を読んだ感想はこうだとか、私の日常はこうだとか。プロの作家もどんどんやっていますが、私は気乗りがしないのでやっていません。そういうものを書かない理由の1つは、誰の目も通ってない文章を世に出すことに抵抗があるからです。自分しかチェックしてない文章というのを公表するのを私はためらうんですよ。かといって、知り合いの編集者さんに「じゃあ、私がブログをチェックしてあげましょう」といわれても嫌ですけれど(笑)。自分が面白いと思ったからもうゴーだというのと、誰かにチェックされてからゴーなのかというのは、書くときの心構えからしてかなり差があるような気はしますね。
自分が面白いと思うものを一緒に面白がってくれる人が増えるとどんなに楽しいだろう
――最後に、読者の方にメッセージはありますか?
有栖川有栖氏: 自分の書いた本を読んでくれっていう願望は当然ありますけども、それだけではありません。さっきいったように私、子どものときから推理小説が大好きで、「ああ、こんなのを自分は書きたいな」「こういう面白さがあるなあ」という世界に自分も飛び込んでいきたいと思い続けて現在があるので、「あなたは推理小説がうまいね」っていってもらいたいのだけではなく、「推理小説って面白い」といってほしい。それも、私の好きなタイプの推理小説を好きな人が増えてほしいなあっていう思い強くあります。私が面白いと思うものを一緒に面白がってくれる人が増えるとどんなに楽しいだろう。そんなことをいったら、「あなたが好きなものって何なの? はっきり説明してください。作品で示してください」という言葉が返ってきますから、それをずっとやっているわけです。「私、推理小説うまいでしょ?」っていうより「私の好きな推理小説ってこんな感じなんですけどね」っていうのを表現しているのかな。時代がたつと推理小説ファンもいろいろ変わってきますから、私から見て「ああ、そういうタイプの小説が最近人気なんですねー」とか「そんなのは昔なかったけど、ああ、なるほどね。それもありかな」とかいろいろ思うところはあります。それでいいんですけど、「私が好きなのはこういうもの」という作品を、これからも書いていきたいと思います。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 有栖川有栖 』