唐沢俊一

Profile

1958年生まれ北海道札幌出身。作家、カルト物件評論家、コラムニストと学会の発起人の一人で運営委員。青山学院大学文学部卒業後、東北薬科大学を中退。1995年、岡田斗司夫、眠田直とともにオタク芸人「オタクアミーゴズ」を結成。大ベストセラー『トンデモ本』シリーズを生んだ「と学会」の中心メンバーであり、TV番組「トリビアの泉」のスーパーバイザーも務め、「雑学王」とも称される。その後、TV番組「世界一受けたい授業」の雑学講師として出演。かつては、朝日新聞書評委員も務め、現在はNHKの番組のゲスト出演が多い。また、近年では落語会や舞台演劇などにも積極的に出演し、演者としての新境地も切り開いている

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スマートフォン登場で、ベッドで読むのはほとんど電子書籍に。



――電子書籍の出現で、出版することが非常に容易になってくる中で、ますます読者と書き手との垣根が低くなってくると思いますが、電子書籍の特質や、将来性をどのように考えていらっしゃいますか?


唐沢俊一氏: 今から20年位前に、電子書籍ではなくて、ネット専用に本を書くとか読むとかっていう話があって、私はそれはまだ早い、ソフトが整っていない、業界が整っていないということで反対してました。その時に電子化の先頭を切っていた作家の先生は、「これからは紙で読むのはばかだ。紙の本で出すほとんどの費用は紙代、印刷代、製本代、それから運搬代で消えちゃうけど、ネットはそれがいらないから印税取り放題なんだ」とかって言っていた。でも、私は出版社はそう言ってないし、今変にそういう流れを作って、業界でインフラが整備される前に私道を作っちゃうと、逆に邪魔になるという意味で反対していたんですね。インフラの整備が完了したな、と感じたのは古書店さんたちが、これまでの手作り目録の魅力というものを諦めてネット販売が主になって、ある意味全国の古書店の目録が一挙に見られるようになった。これができて初めて、「よし、他の分野もこれだったら大丈夫」と思った。電子書籍もあと一歩ハードの分野で踏み出せば、「よし」と言うと思います。電子書籍の未来については、ソフトそのものっていうのは今までの蓄積がいくらでもあるんだけども、ハードはほとんどものがいまだし、ですね。そもそも重過ぎる、大き過ぎるんです。私も、蔵書の半分近くは寝転んで読んでいるんですよね。そのときに、紙の本なら、寝ちゃって顔の上にばさって落としてもあ、寝ちゃったかですむんですけども、iPadを顔に落とすとかなり痛い。しかもそのまま床に落ちれば壊れたり、床に傷がつく。電子書籍のハードの分野の人たちには、とにかくベッドで寝転がりながら読めるものを作ってくれっていうのを常に言ってるんですよね。軽く、壊れにくいものができれば、あっという間に広がると。

――私も顔に落としたことがあります。あれは痛いですね(笑)。


唐沢俊一氏: そうでしょう(笑)。だからスマートフォンが出来てきてから「これはいいかもしれない」と、ようやく明るい日差しが見えた。本当にスマートフォンの形、大きさっていうのはベッドで読むのに最適ですね。寝っ転がって横にしようが縦にしようがちゃんと読めるし、ページをめくるのも簡単。バックライトがあるから明かりつける必要がない。それから飽きたらすぐ次の本に飛べるってこととかがあるので、今はベットの中で本はほとんどスマートフォンで読むような感じになってますね。あれがもうちょっと読書に特化したという形になればいいですね。別に色んな機能は必要なくて、本を読むだけで良いんだから。ほかのものはお試し期間で使ってくれって言われて貸与していただいたこともありますけど、やっぱり重かったんで、あんまり使わなかった。スマートフォンの大きさ、重さが限度ですね。

――まだまだ伸びしろはあるということですね。


唐沢俊一氏: 伸びしろはありますね。ニーズにもうちょっと応えるようにしないと電子書籍は今後の伸びの角度が緩やかになってしまうという感じはあると思いますね。

劇場で、電車で。広がる電子書籍の可能性



――街中でも電子書籍を読んでいる人を見かけるようになりました。


唐沢俊一氏: 昨日ちょっとお芝居を見に行ったんですけども、開演を待ってる間、前の席の人間がコミックをずっとスマートフォンで読んでたんですよね。
電車の中なんかでも段々電子書籍を読むっていうのがでてきた。私、電車のイスで本を読んでる人の隣に座って、何を読んでるかって見る悪癖があるんですよね。かわいい女子高校生が一生懸命文庫に見入っていて、何を読んでるのかなと思ったら文鮮明自叙伝だったりして、がくぜんとするというような経験もしてるんですけどね(笑)。何年前だったかな。暮れに小田急線に乗ってた時に、キンドルで何かを熱心に読んでるOLがいたんですよね。イヤホンをつけて。それでほうほうと思って見ると、何かぶつぶつ言ってる訳ですよ。朗読してるのかなと思ったら「そうじゃねえよ熊さん、何を言ってるんだ」って落語を演っている。手書きの原稿みたいなものを取り込んで、それを読んで口でぶつぶつ。多分寄席番組かなんかを自分で筆写して、それを見ながらけいこをしてるんでしょうね。多分忘年会のけいこかなんかでしょう。こういうやり方もできるのかと思って。段々電子書籍的な読み方が出て来ているということでしょうね。

コレクターの大問題。蔵書は誰が相続する?



――自分の蔵書を電子データに変えて保存する人も増えていますが、唐沢さんは電子化を検討されたことはありますか?


唐沢俊一氏: 私も本が2万冊ではなくて、2千冊だったら「自炊」と称して全部コンピュータの中に取り込もうかなっていう気がしますけど。「と学会」の人間で自炊マニアになっちゃったやつもいますよ。電子化する業者もいますからね。お気に入りの業者のデータとか、ここ良いよみたいな感じの情報も、例会で飛び交ったりしますが。でも、私は古本人間なんで、いまいち裁断するのが抵抗がある。裁断しないで取り込めるものがあればなあというのがあるんですけれども。本を傷めずにということであれば、電子書籍として取り込んで、本は古書の市場に戻していくってことになるかもしれません。ただ気になるのが、自炊というか取り込んだ蔵書、その電子書籍の中のメモリに入っている蔵書というのは、死んだ後誰のものになるのかなっていう問題がありますよね。われわれの世代はそういうことも考えますよね。

――電子データの相続問題ですか。


唐沢俊一氏: 昔は奇書とか古書、貴重な本はそれなりに古本屋さんというプロが分類して、買い取るなり何なりというのがありました。
私なんか2万冊程度でヒーヒー言ってるけども、志水一夫というと学会の友だちがいて、浦和の三階建ての一軒家に4万冊持ってた。志水一夫の蔵書というのは、かなり大きい、前は三世代で住んでいたっていう三階建ての家を、ほとんど埋め尽くして廊下なんかまっすぐ歩ける所がないんですよね。で、ベッドの上まで本が積み重なって本人が寝室を追い出されてソファで寝ていて。背中が痛いのをソファで寝てるからだっていうので、長らく放っといたらすい臓がんだったんですね。早期に病院に行けば助かったかもしれないんだけども、これ、言ってしまえば本に殺されたみたいなもんです。それで遺族から蔵書の整理分類をしてくれと言われて、友だち何人かで行ったんですけど、とてもこれは個人で整理分類出来る状況じゃないということになり、古書店に引き取ってもらおうかと思ったんだけど、トラックを積んでも4万冊ということになると、100万円以上かかるんですよね。そんなお金は後に残ったご両親に負担させる訳にはいかない。どうしようかって考えた挙げ句に明治大学に相談したら、じゃあ引き取って志水一夫文庫みたいなものを作ろうかということになって、学生たちがやってくれたのでほっとしたんですけど。本のコレクターたちがどこに安心感を持っているかっていうと、自分は古本屋で本を買ったんだから自分が死んだ後も古本屋さんがこれをまた色んな人に回してくれるっていうのがあると思うんですよね。中には俺のコレクションだから絶対ばらけさせないで「何とか文庫」という形で保管してくれっていう人もいましたね。それだって個人のそんなところというのは、めったに利用できないですよ。結局全部死蔵になっちゃいますからね。色々考えた末にやっぱり古本屋さんに任せるのが一番なんです。

――それが電子データになるとどうなるのでしょうか?


唐沢俊一氏: 例えば私の本を欲しがってる親せきがいるとして、電子データをその親せきに与えた場合その権利っていうのはどういうになるのかなと。本だと物っていうような形としてちゃんとありますから、これも財産になります。ただ電子書籍の電子データとして入ってるものの相続権であるとかですね、そういうのってのはどうなるんだろうと。また、電子データは自分で読む目的で、商売に使わない、他人に譲渡しないから著作権に関してはフリーになってるかもしれないけども、人にこれを譲るというとなった時に、どうなるのかっていう問題ももうそろそろ生じてくる。電子書籍で本を中に取り込むというのが始まって数年ですけども、10年たつとそういう問題が生じてくる。そういうことも含めた上で法律ってどうなのかっていうことは、まずリサーチしていただきたい。そういうところで、何か法律的とか財産的な問題っていうのは起こり得ないのかは気になります。

――電子データを売り買いする市場も出てくるかもしれませんね。


唐沢俊一氏: 電子書籍に含まれたデータというのを一冊一冊に分類して、これは価値あるデータ、これは価値がない、と言う風に価値をABCDってつけてこれは何ランクのどこのランクっていう風に見極めるプロがまずは必要になってきますよね。その上で、「何バイトいくら」というような形のセコハン商品として何度も何度も商品にする、というのも必要になってくるんじゃないかと言うようなことも今考えてますね。

――データだけがあって、元の本がない場合も出てきますね。




唐沢俊一氏: 世界で一冊しかない本をデータで取り込んで元を処分しちゃうっていうのだってあり得る訳ですよ。ましてや今の古書価値っていうのは、昔みたいに古典だとかあるいは文学賞を取った作品ではなくて、今から20年位前からの古書価っていうのは、私なんかがワーワー言ったせいもあるんだけども、いわゆる大衆娯楽的な雑誌。私らはB級と言ってますが、B級雑誌、B級本が今最も古書価が高い。なぜかというと残そうと誰も思ってなかったんで、きちんと美本の形で残ってるものっていうのは極めて少ないんです。もともとその週刊誌なんかの特に丸綴じなんかの週刊誌は、保管しにくいっていう部分もありますので、これをきちんと美しい形で保存しているっていうのは極めて値段が高くなる。映画のポスターとかもそういうのもそうですよね。こういう大衆文化的なものは個人所有がほとんどで、図書館とか公共物にはまず、いい形では保存されてません。昔、新聞社の仕事でサブカル業界ではかなり有名な雑誌のバックナンバーを調べに国会図書館に行ったんですが、もう、保存されてない号の方が多いような状態で往生しました。で、個人のコレクションというのは、その人間が死ねば家族がすぐ燃しちゃったり、捨てちゃったりするんですよ。大体家族というのは、自分に本来注がれるべき愛とお金がそっちに行っちゃったっていうことで、そのコレクターの所蔵している本を憎んでますから(笑)。でも、データになると、さすがに憎らしいから消去しちまえっていうやつはいないと思うんです。これをどうするかっていう基本の形を早く決めておかないと、個人ではどうしていいか分かんなくなって、結局パソコンの中にデータとして置かれたままパソコンごと処分されてしまう。あるいはハードの中のデータとしてもそのハードごと処分されて消去されてしまうということがあり得ます。

――相続に限らず、スキャンされた作品の権利関係は非常に難しいですね。スキャンされて譲渡された場合に、書き手が印税なりを得るシステムも必要になってくるのでしょうか?


唐沢俊一氏: そうですね。特にネットのヘビーユーザーたちっていうのは、この世の中のものはただで読めるっていう思っているところもあるようです。ですからどうやってその代価を得るかですよね。その告知というものを、徹底しなきゃいけないということになりますよね。

著書一覧『 唐沢俊一

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