栗田昌裕

Profile

1951年生まれ。東京大学理学部卒、同大学院修士課程修了、同医学部卒。医師、医学博士、薬学博士。薬物動態学、肝臓病学、医学統計、システム理論などの研究を進める一方、講演や執筆も行う。日本初の速読1級の検定試験合格後、速読を入り口としたSRS(スーパー・リーディング・システム)能力開発法を提唱。「読む」ことを音韻言語のみの世界から視覚でキャッチするすべての情報に対応・発展させた情報処理を教える。世界伝統医学大会3回連続グランプリ受賞をはじめ、毎日21世紀賞、2001年提言賞等受賞も多数。指回し体操創案者。手相も指導。大学・大学院で医療・医学・薬学・リハビリ等を講義。著書百冊以上。

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大学に入ってからは1日1冊を読んでいた



栗田昌裕氏: 中学のときには創造性ということに興味があって、創造性の開発に関連した本を読んでいました。
しかし、ファーブル昆虫記のような自然関連の本が相変わらず一番好きなジャンルでした。好きでない本も読みましたが、何となく心の空白を埋めるために読んでいたものです。
高校になってからは、数学者になりたいと思っていたので、文学に関連するジャンルには一般的には興味がありませんでした。ただ、今から思えば、詩集などは読みましたし、唐詩選などの漢詩の類も読みました。
大学に入ってからは、1日1冊読むと決めていました。

――1日1冊ですか。


栗田昌裕氏: はい。愛知県の学生寮にいたのですが、図書室がありましたので、そこの本を端から1冊ずつ読んでいくことをしていました。端から読むというのは、えり好みせずに全部読むことを意味します。大学時代はとにかく目の前にあるものを一通りを読むことを目指していました。
ただし読んでどうこうするという別の目的があるわけではないのです。ただ読むという、それだけのことをしていたのです。
そういった乱読体験の中で印象に強く残っているのは古典です。

――古典ですか。


栗田昌裕氏: 私の実家は禅宗の寺院でした。私は長男ですから父の跡を継ぐ気持ちがありました。だから精神世界の本を多く読み、そこから大きなインパクトを受けていました。
自宅には仏教関係の本が多くありましたが、ランダムに読む中で印象に残ったのは仏教関係の古典でした。大学では座禅のクラブにも属していましたので、「臨済録」とか「碧巌録」といった禅の本も読みました。また、空海には特に興味を持ち「三教指帰」や「性霊集」を読みました。そういう古典の影響は今にいたるまで続いています。空海の詩人としての特質にも興味を持ちました。

――そうなんですか。


栗田昌裕氏: 空海は漢詩を多く残しており、和歌も作りました。漢詩は文章も巧みで内容もとても良いと思います。
能力開発という観点で見ると、空海は日本の歴史の中でとても貴重な存在です。彼の精神を能力開発という側面からきちんと多くの人に教えたいと思っています。ですから「速読と空海」という本をいつか書きたいと思っています。
実際に空海の本を書く企画が以前ありました。「空海の伝説」について書く企画でしたので、空海に関する本を数多く集めました。伝説も面白いのですが、今は気持ちが少し変わって、「空海と速読」というタイトルで、空海のどこが時代を超えていたかということを「情報処理」の方法という観点から示したいと思っています。

記憶に関心を持っていたので、南方熊楠という人物にも興味を持ち、熊楠全集を読みました。その1番最初は「十二支考」(平凡社)でした。文章は上手とは言えませんが、その博識と不思議な書きぶりにとても興味を持ちました。後には和歌山の熊楠記念館なども訪れて、問題意識を深めました。熊楠にはてんかんの発作があり、脳神経系の特殊な状態と連動して記憶力が亢進していた可能性があります。私の書いた記憶術の本には空海や熊楠を扱った部分がありますが、空海や熊楠のやっていたことを記憶という側面から比較してさらに詳しく書いてみたいとも思います。

役に立たない学問を目指して数学科へ、その後医学部へ


――その後、1回数学科を卒業されて大学院に行かれましたね。


栗田昌裕氏: そうですね。数学科の大学院を卒業して、同時に医学部に入り直しました。世の中に少し役立つことをしなければいけないなと思って。
実は数学は「最も役に立たないことをしよう」という考えで行ったのです。そういう人生もあっていいかなと。人間には色々な生きざまがあるわけだから、私は最も役に立たない分野に行こうと思ったのです。そういうことで理論数学をずっとやっていたのですが、「このままでは本当に私は役に立たない」ことがよくわかったので、その揺り返しで、役に立つ分野に進もうと思い直したのが東大の数学科の大学院の2年目のときです。



数学より泥臭い分野を、ということで色々検討しましたが、結局、修士課程の2年の秋に医学部へ行くことにしました。修士課程を修了すると同時に受験をして東大の医学部に行ったのです。医学部に行ってからはより一層何でも読むという姿勢になりました。
医者になって3年目に交通事故に遭いました。82年に卒業して85年に交通事故に遭ったのです。そのときに病棟で、以前と同じように1日1冊を読みましたが、その速度を次第に加速していきました。「新潮文庫の百冊」を順番に読破していったのですが、その過程で速読に目覚めたのです。そして、そこで得た速読のスキルを、それまでに私が能力開発を目指して追求しながら会得した体系的な内容の「玄関」に配置すると良いと思ったのです。

――玄関ですか。


栗田昌裕氏: それまでに私が追求して作り上げていて内面の世界があるのですが、そこには多くの分野が含まれています。寺を継ぐことも考えていましたので、精神世界に関わることは一通り全部、東洋医学も含めて勉強して身に付けていたのですが、そういうものを人に教える際に、その入り口で速読を指導しておけば、学ぶ人の修得が加速できるし、そのこと自体が能力の基礎作りとして役立つのです。

――入り口としての速読だったんですね。


栗田昌裕氏: はい。能力開発法の全体を学ぶスタート地点として、知性自体を加速する速読を教えることが重要であると気づき、自分の作った体系の玄関に速読を据えたのです。それが1985年のことでした。

日本人で初めて「速読一級」の試験に合格する


――栗田さんは日本人で初めて「速読一級」の試験に合格されましたね。


栗田昌裕氏: 87年に速読一級の試験に合格し、1分に1冊本を読み、30分に30冊の速読をテレビで実演したりしました。医師としての仕事とは別に、講演や速読の指導をする日々が始まりました。その後2年ほどの間に、出版社から本を書く依頼が来るようになりました。最初は文藝春秋社や角川書店からの依頼でした。それが執筆をする日々の始まりでした。
私の体系の基本は「情報処理」が入り口で、その中身は「能力開発」なのです。
「能力開発」とは何かというと、実は「よく適応すること」です。いわゆる「知能」も、その定義は実は、社会の変化や自然の変化に対して、いろいろな問題を解決して人生や環境によりよく適用する能力に他なりません。だから、簡単に言えば、よく適応する力がその人の「能力」なのです。「有能な人」とは、計算が速くできるとか、記憶力が良いといった断片的なことではなく、世の中でよく生き延びていく力が強い人のことをいうのです。

色々なものを読まなければいけない



栗田昌裕氏: ただし、あらゆる環境変化に対してよく適応するためには、多くのものを「読む」必要があるのです。自分を読まないといけないし、他人を読まないといけないし、社会を読まないといけません。自然の動きも読まないといけません。結局「読む」ということが大事になるのです。しかも、それに速やかさと的確さが必要です。
ではそのように「速やかによく読む」ためには何をしたらいいかということで、「分散入力、並列処理、統合出力」という、3つの基本概念を目的地とします。こうして、読むことを加速して、しかもその働きを強力にすることを教えるのが栗田式能力開発法、スーパーリーディングシステム(略してSRS)なのです。

能力開発をして適応力を高める過程では、自分自身を総合的に高めないといけませんから、紙の本も読むのですが、人も社会も読むし、環境を司る自然も読む必要があります。
だから私自身も、自然をよりよく読むためにアサギマダラの研究をしているわけです。
それにともなって多くの旅行もします。これまでに風景、動物、植物などの3D写真の本を7冊出版しましたが、それらは自然を探求する道筋の副産物として出しているのです。いつもカメラを持ち歩いているのもそのためです。

たとえばどこにいても雲を撮影します。雲は、時々刻々と変化するところが素晴らしい。その変化には地球上のあらゆる現象が反映されています。たとえば、雲が西から東に移動することには地球の自転が反映しています。雲の形や動きに陽射しの影響も現れていますし、大地や海洋の状態や、熱の移動や海温も反映されています。だから雲を見てそれを「読む」ことには大きな意義があります。気象のとらえ方も人に教えています。
そういう作業を通して、自然と人間の情報処理と生活と、最終的には人間の運命というレベルまで、自分なりに読み、解明し、とらえ方を体系化したいと思っています。手相を会う人ごとに撮らせていただいているのもそういった作業の一環です。

執筆する上で大切にしていることは、従来とは違う方法論


――執筆では、どういったことにこだわっていらっしゃいますか?


栗田昌裕氏: 単なるコマーシャリズムには陥りたくないという気はしています。どこか従来とは異なるインパクトがあるようにしたいし、従来とは違う方法論や体系を示したいとも思っています。SRS、スーパーリーディングシステムという能力開発の体系は、今は十分には理解されなくても、将来は必ず必要になる技術だと私は思っています。これは知性の新しい技術なのです。その本質がどこかで伝わってくれるといいと思います。
しかし、薄めて受け取られたり、誤解される可能性もあると思います。例えば速読にしても、本を速く読めさえすればいいなどと言ってるのではなくて、情報処理の質の変革をしなければ意味がないと述べているのですが、接する人によっては、安易な側面から受け取るだけで終わってしまうこともあるのです。それはその人の受けとる姿勢にも依存します。

――速読っていうその2文字だけを取って従来のイメージで見てしまうんでしょうか?


栗田昌裕氏: 速読はスピードの変革ではないんです。クオリティー・質の変革なんです。
情報処理のクオリティーを変革するためには、使っている頭の場所を変えなければいけない。場所を変えるためには、新たな方法論、新たな訓練が必要なのです。
だから単に目を速く動かせば速読になるわけではないし、紙を速くめくれば速読になるわけではないんだけれども、そういう風に受け取られがちな世の中の常識がないわけではないので、それと戦わないといけません。すでに教え始めて25年以上経過していますが、私の提案していることがしっかりと理解されるにはさらに20年30年とかかると思うのです。
いかに他の速読法とは違うか、ということを主張し、説得するチャンスを少しずつつかんでいきたいと思います。

著書一覧『 栗田昌裕

この著者のタグ: 『考え方』 『速読』 『情報』 『テーマ』 『本質』 『文化』 『記憶』 『音』

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