検察・特捜の仕事から「コンプライアンス」の伝道師へ
――いまの郷原さんのキャリアというのは、どのように形成されていったのでしょうか?
郷原信郎氏: 私は東大理学部で地質をやっていて、それを廃業して司法試験の勉強を始めて、たまたま迷い込んだのがこの法曹の世界なんです。検事の仕事を23年間やる中で、最後のころには、今、度重なる不祥事で信頼を失墜している特捜部のようなやり方ではなく、コンプライアンスの観点に基づく自分なりの手法を生み出したんですが、残念ながら検察は私のそういう発想を受け入れようとしなかった。そこで、別の方向に展開したのがこのコンプライアンスという活動です。検察官の現職のまま、桐蔭横浜大学の特任教授を兼任してからそのテーマを中心とする活動をするようになり、検察に所属して出向の形でロースクールで研究や教育をするようになってからも、引き続き、コンプライアンス研究センターの活動をつづけました。現職検事であり、なおかつコンプライアンスの伝道者ということで活動をしていましたが、2006年の3月に検察の組織から離れて大学教授と弁護士の専業になったんです。
法律の道に入る前、20代前半ぐらいまで、あまり将来のことを突き詰めて考えず、やることがいい加減だったので、行き詰まってしまった(笑)。それで、同じことならゼロからやり直したほうがいいと思って理科系の世界を捨てて、法律の道をめざしたんですね。そして法律の世界に入ってからも、法学部を出た普通の検事とはちょっと発想が違っていたと思います。検察の世界についても、その常識を知らないので、自分の独自の発想で検察の組織を見てきたんです。だから「おかしいものはおかしい」ということは言い続けてきた。そうする中で、自分のやることが次々と見つかっていったということです。
――学生時代、本は読まれていましたか?
郷原信郎氏: その時その時に面白いと思ったものを読んできましたね。だから古典とかそういうものをしっかり読んでいるかといったらそうでもないし、どちらかというと、人から学ぶのではなく、自分なりの発想で、自分なりの体系的な視点でいろいろなことを考えてきた。そういうタイプの人間なので、十分な「知」の蓄積があるわけではないんです。
コンプライアンスの啓発に、本は欠かせないもの
――本を執筆されるようになったのは、どういったきっかけからでしたか?
郷原信郎氏: コンプライアンス研究センターでは、『コーポレートコンプライアンス』という季刊誌をずっと公刊しきて、19号まで出しました。そういう定期的な公刊物とは別に単著でもいろいろ本を出してきました。最初が2004年、『独占禁止法の日本的構造制裁・措置の座標軸的分析』という本です。2004年当時、独占禁止法の改正の問題にいろいろかかわっていて、そこで、独禁法改正のに関しても、制裁措置体系の基本的な観点からいろんな問題を指摘していました。そういう私の独禁法の見方・考え方を本にしたらいいんじゃないかという話が経団連の方からあって、清文社という出版社から初めて本を出しました。原稿は確か1カ月足らずで書き上げたと思います。
それからいまのフルセット・コンプライアンス論を前面に打ち出して、三菱自動車問題や雪印問題などの企業不祥事について検討した『コンプライアンス革命』を書きました。とにかく本というきちんとした形にしないと、世の中の多くの人にコンプライアンスという概念を理解してもらうことができないだろうと考えて、その後も、いろいろ本を出しました。その中で、最も注目を集めた本が『「法令遵守」が日本を滅ぼす』だったということです。
――本の電子化についてはどのようなご意見をお持ちですか?
郷原信郎氏: 『検察崩壊~失われた正義』、『組織の思考が止まるとき』は既にKindle版で電子化されています。『「法令遵守」が日本を滅ぼす』も新潮社が電子化する話になりました。それ以外にもいままで書いてきたものを電子化したいと考えています。特に『コーポレートコンプライアンス』に19号までいろいろな分野の問題について、私なりのコンプライアンス論に基づいて書いているので、何とか電子化したいと思っています。
著書一覧『 郷原信郎 』