多くの人が避けてきた「B面」にこそ本質がある
7大陸最高峰の最年少登頂を成し遂げるなど、日本を代表する登山家の野口健さんは、近年は環境保護活動に熱心に取り組み、エベレストや富士山の清掃登山や地球温暖化対策に関する発言で注目されています。世界の登山家の活動をサポートするネパールの山岳民族であるシェルパへの支援、フィリピンや沖縄での旧日本兵の遺骨収集など、従来光が当たらなかった対象へのまなざしはどのように生まれたのか。活動にかける想いをお聞きしました。
目の当たりにした難民、少年兵の現実
――世界各国で活動されていますが、近況を伺えますか?
野口健氏: 昨年は春にヒマラヤに行って、8、9月にはアフリカに行きましたね。アフリカの「A面B面」をテーマに、3年間回っています。アフリカというとキリンがいてライオンがいて、これも事実ですけれども、もう一方には現在進行形で大変な状況があってそのコントラストが非常に激しいんです。
――アフリカではどのような現状をご覧になったのですか?
野口健氏: 例えばケニアなら観光客はほとんど国立公園に行きます。公園は保護されているし、立派なホテルもあって極めて快適です。でも近くには貧困の象徴であるスラム街があって、また少し離れると難民キャンプがあって、スーダンなりソマリアなり紛争地帯から難民が流れてきている。ケニアには大きな難民キャンプが2ヶ所あって、そのうちの1つのカクマというところに行きましたが、13ヶ国から難民が10万人ぐらい集まっているんです。ウガンダには少年兵の問題があります。ゲリラが夜、農村を襲って子どもを誘拐していくんですけれども、誘拐するときにまず子どもに自分たちの親を殺させるんです。斧か何かで手足や首を落とさせて。自分の親を殺した人間は他人を簡単に殺せる。要は殺人兵器を造っているんです。しかも同じ村人を子どもに殺させて誘拐すると、脱走しても自分の村に帰れない。そこに日本のNGOが入って保護された少年兵の再教育を最前線でやっているんですが、彼らは小さいときに誘拐されて、10年ぐらい少年兵をやっていますので、社会復帰できない。何かあったら殺せばいいと教えられているので、帰って来てもまた何かやってしまうんです。
父の教え「物事にはA面とB面がある」
――A面とB面という考え方を持つようになったきっかけはありますか?
野口健氏: おやじが外交官で、赴任先は中東が多かったんですけど、僕がちっちゃいときに「A面は放っておいても見えてくる。ところがB面っていうやつは自分から行かないと見えてこない」と言っていました。おやじがイエメンに赴任したとき、小さい車を買って、大使館員とバレないようにイエメン中を走るんですが「お前も来い」と言われて一緒に回りました。至る所で紛争をやっていて、特に病院が悲惨でした。首都のサヌアに救急病院が1ヶ所しかなく、救急車がないから大怪我をしても地方から運ばれて来る途中で死ぬ。そして運ばれてきても治療できない人は廊下に放置されていくんです。
――おいくつくらいのときでしょうか?
野口健氏: 高1のときかな。それでおやじに「何で俺を連れて歩くの?」と聞いたんです。おやじが言うには、ODAの援助というのは大きく分けると2つの要素があって、1つは困っている人を助けるということ、もう1つには外交カードです。援助することによって相手の政府の対日感情が良くなって、国連で何か任務をやるときには日本を支持してくれる。相手の政府に感謝された方が外交上は日本が強くなるんですね。税金を使っている時点で国益も当然考えなければならないから、おやじは外交官としての気持ちにウェイト(新聞等ではウエイトか?)がいく。これはこれで1つ正論です。ただ僕みたいな素人が行くと、「おやじ、これ何とかした方がいいんじゃないか」という意見が出るわけじゃないですか。援助のパイが決まっていて、それをどう振っていくかというときに、素人ゆえに見えてくることがあると言っていました。やっぱり専門家だけでは偏っちゃうんですね。
――相手国の政府から求められるものと本当に必要なものが異なることもあるのでは?
野口健氏: 相手の政府とか、首長が作ってくれというものは基本的には彼らにとって必要なものなんです。つまり権力者にとっての必要なもの。
イエメンなどは国家の概念がなくて部族社会です。地方に行くと民兵がそれぞれ武装してて、井戸か何かの奪い合いでドンパチやっているんですよね。まるで戦国時代なんです。彼らは国家という概念はないので、国民のためにという概念もない。その部族にとって必要なものとなるんですよね。だからイエメンも、この間追放されましたけども、独裁的な人が力で押さえ付ける。イラクもそうだったし、リビアなんか典型的ですよね。
日本と世界の最高峰で活動する意義
――お父さまの教えは、今でも野口さんの中に息づいているのですね。
野口健氏: 小中高でそんな経験をしたので、考え方が染み付くんですね。山の世界に入って、今やっている活動も全部そうです。例えば遠くから見たらきれいなエベレストも実際に行ったらゴミだらけです。富士山にも樹海にトラックがいっぱい来て不法投棄する。はじめて富士山の樹海に行ったときに、昔、おやじが言った「A面B面」というのがパッと出てきました。新幹線から見る左右対称の富士山はAです。投棄物の墓場は紛れもなくBです。エベレストも登山隊が挑戦する感動的なテレビ番組ではゴミは映っていないでしょう。映っちゃうとテレビを見ている人は登山家に共感できなくなりますから。うそをついているわけじゃないけど、作り手の意図があって、すべてを描いているわけじゃないわけです。
――富士山のゴミ投棄については、野口さんの活動もあってだんだん知られるようになりましたね。
野口健氏: 特に医療廃棄物が多くて、使用済みの注射器とか点滴の管が山になって、異様な光景です。県外からもたくさん来ていて、よく見ると病院の名前が書いてある。別に病院が捨てるわけじゃなくて、病院が産廃業者に出してその下請けの下請けとかが捨てているんです。会社の資料とかも住所が書いてあるので、だいたい、何県のどこから来たかもわかっちゃうんです。静岡、山梨県に限らず、富山とか石川県とか日本海側からもかなり来ていますね。
――エベレストの活動では、「登山家によるゴミ投棄」という問題に光を当てることになりました。
野口健氏: エベレストでゴミを拾っていると、ゴミを捨てる隊、捨てない隊は出身国によってはっきり区別されるんです。今はだいぶ変わりましたけど、当時は、ゴミを持って帰るのはドイツ、デンマーク、ノルウェー、スイス。反面ゴミを置いて帰るのは日中韓、インド、ロシアですね。あの時代は日本隊のも多かったです。エベレストが汚いのも問題だけど、エベレストのゴミから見えてくる話の方に意味があるんです。ゴミを持って帰る登山隊の出身国に行くと、環境問題に積極に取り組んでいる。ゴミを置いて帰る登山隊の国に行くと、環境問題に対する取り組みが教育も含めて、遅れている。最初は日本の登山家はひどいなと思いましたけれども、そんなちっぽけな話じゃなくて、これは日本の社会の縮図かもしれないと思うようになりました。
――ゴミひとつから見えてくるものはもっと大きいのですね。
野口健氏: 富士山の活動をやっていることで、全国の色んな団体から一緒にゴミを拾えないかというラブコールが来るんです。ゴミを拾うのは僕の趣味だと思っている人が多くて(笑)。この13年、北海道から沖縄まで不法投棄の日本のB面を見て歩いてきたんですよ。やはり富士山だけじゃないんです。ただ富士山は樹海が広くて、夜、真っ暗で林道がたくさんあって人の目がない。犯罪者からすると一番気になるのは人の目なんですよね。樹海は不法投棄する連中にとっては最高なんですよ。まず見つからないし捨てる場所はごまんとある。僕らみたいに意図的にゴミを探して入らない限り林道の中より奥に入っていく人っていないですから。僕らが日本の最高峰である富士山を徹底的にやることによって、全国で民間の団体と市町村なり県なり環境省なりが連携して山を守っていくというモデルが広がっていくと考えています。
著書一覧『 野口健 』