人間の思想は、「右、左」で色分けできない
野口健氏: 色々活動をしていて思うのは、先ほども少し言いましたが、自分の正義が必ずしもみんなの正義じゃないということです。富士山は世界遺産を目指していますが、指定されると入山規制しなきゃいけないから、公共事業ができなくて困る人もいる。遺骨収集も、あの戦争は絶対悪というところから始まるので、「お前は戦争を美化して、右翼じゃないか」と言われる。色んな立場の人に彼らにとっての正義があって、彼らの都合もあるわけですよね。ただ、コツコツと現場で10年続けると冷ややかに見てたりボロクソ言っていた連中が、横で一緒にゴミを拾っていたりするわけです。中にはどんなに一生懸命伝えても伝わらない人がいるけど、それはもうしょうがない。すべての人に好かれようと思ったら活動は何ひとつできない。でも、自分が良いと思っていることを叫ぶだけだと、街宣車で騒いでる右翼団体の連中と変わらない。バランスは難しいんですけれども、活動を通して伝え続けるとだんだんわかってもらえるということはありますね。遺骨収集も本当に色々言われました。僕の落ち度もあったんですけれども、フィリピンに日本人が骨を探しに行くと、旧日本兵の骨を見つけたら金になるということで墓を荒らして洞穴の中に骨を投げちゃうんですよ。それが混じったものを持って帰ってきたということをある週刊誌で報道されました。ただ僕からすると、60数年間ほったらかしにしていたツケなんですよ。そういうことも起こり得るけれども、続けていくしかない。
不毛な議論「原発推進、それとも反原発」
――レッテルを貼って区別するのはわかりやすくて、楽でもありますね。
野口健氏: 今だったら、脱原発か原発推進派かっていう話ですね。僕みたいに環境の活動をしていると脱原発の連中が来るんです。「野口健は環境問題をやっているから当然、脱原発だろうと。お前も官邸の前に行って山本太郎と一緒に旗を振れ」と。僕は必ずしも脱原発という考えは持っていない。今、再稼働反対とだけ言うのは無責任だし、もし本当に原発をなくしていくなら、そこから先の絵を描かなきゃいけない。原発に頼ってきたのも事実だし、経済発展してきたのは原発のおかげもあったわけですしね。本当に色んな国に行くと、四六時中停電です。電気がないことを日本人は想像できないじゃないですか。でも今の話をすると、原発推進と言われる。ネットで「野口健・原子力」で検索するとたくさん出ますよ。僕は何年か前に富士山の清掃のときに、東京電力っていうワッペンをつけていたことがあるんです。その写真がネットで出回って、「野口健は東電におかされている」とか。見方がすごく短絡的ですよね。
――原発の問題は確かにそういう傾向がありますね。
野口健氏: 原発はゼロにできるとは思わないんですけれども、半分ぐらいにできるのかなと思っているんです。火力って、石油を買わなきゃいけないという弱点がある。日本はソーラーと風力はまだあんまり計算できない。期待できるのは地熱なんです。日本はこれだけ火山があるのに、地熱発電所はほとんどない。でも調べたら世界中の地熱発電プラントの心臓部ともいえるタービンの7割を富士電機、東芝、三菱重工が作っているんです。日本は世界でトップレベルの地熱発電の技術を持っているんですね。地熱のタービンは故障が多くてほかの国がどんどん撤退する中、日本のメーカーがほぼ独占状態です。そして地熱資源は、日本は世界で3番目。1位がアメリカ、2位がインドネシアですね。日本では国立公園、自然公園をある程度いじらないとダメなんですけれども、フルに地熱発電所を作ったら計算上では原発だいたい20基分なんです。そうすると他国に頼らなくてもいいし、原発の半分は地熱でいける。地熱は天気に左右されず安定的ですしね。今、地熱発電について色々調べていて、今年はそれをテーマにまとめてみたいですね。
自分のB面を出せば、もう何も怖くない
――野口さんは本も多数執筆されていますが、執筆はどういったスタイルでされていますか?
野口健氏: ヒマラヤで書いていることが多いんですよ。例えば『自然と国家と人間と』っていう本は日経で2、3年間連載していたのですが、新聞は毎週、締め切りがあるのでヒマラヤからでも毎週送る。衛星機材とパソコンを持ち込んで現場で書いているんです。
最近出した『それでも僕は現場に行く』の後半はヒマラヤで書きました。僕はテントで書いているときの方が燃えるんですよ。環境は厳しいんですけど、ガッと気持ちが入る。悪天候のときは3日間ぐらいテントの中に閉じ込められますからね。逆に、『100万回のコンチクショー』は集英社が気を使って旅館のデカい部屋を用意してくれたんですけれども、酒飲んで終わっちゃって全然ダメでした(笑)。
――野口さんの本では、『落ちこぼれてエベレスト』などでも、かなり私生活に関する赤裸々な描写がありますね。
野口健氏: あの本は正直に色々書きすぎました(笑)。母ちゃんの不倫の話とか、僕自身もシェルパの女の子と結婚した話とか。色々書いたら親戚会議みたいなのが開かれて、机に『落ちこぼれてエベレスト』が置いてあった(笑)。「家族の事をそこまで書くか」とすごく言われたんです。でも、人間の中でもA面B面があるじゃないですか。その両方を出さないと、自伝なんて書く意味がないんですよ。一志治夫さんというライターが僕を3年ぐらい取材して『僕の名前は。』っていう、私に関する本を出版するときもそれを大事にしました。私が本来出したくない部分を一生懸命彼にしゃべって、それをもとに編集するのですが、あがってきた原稿を読んで私は「オブラートに包みすぎ。もっとはっきり書いて欲しい」と言いました。彼は色んな人の本を書いたけど、そこまで言われたのははじめてだとあとがきに書いています。でも自分のB面を出しちゃうと、もう何も怖くないんですよ。登山家ごときには週刊誌も来ないと思うんですけれども、仮に僕が女性とホテルから出てくる写真を撮られたら、うちの事務所の対応はもう決まっていて、「仕方がありません、好きですから」だそうです(笑)。日本の社会は表面的なモラルを美化しすぎなんですよね。
――主張を人に伝えるためにも「A面B面」両方を表現することが重要ということですね。
野口健氏: どう書けば伝わるかなというのが最大のポイントで、過去の自分が決して模範的じゃないという情報も出すことによって伝わりやすくなることもあるんです。やっぱり環境問題って、どこか上から目線になりやすいんです。自分も昔ゴミを捨てた時期があるのに、それを隠して「お前ら、きれいにしろ」と言ったところで人には伝わらない。世の中に絶対に正しいことなんてないと思います。だから自分の考えがすべてに当てはまるとは思っていないけど、こういう考えもあるんだな、と知るきっかけになればいいなと思うんですよね。特に、僕の活動は多くの人が避けてきたテーマが多いので、伝えがいがありますね。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 野口健 』