大学とジャーナリズムが変わらなければ、日本の活字文化は滅びる
浅野健一さんは共同通信記者時代に報道のあり方を警告する本を世に問い、退社後は大学で新聞学、ジャーナリズム論を教えながら、フリージャーナリストとしても活動。特に、一貫して記者クラブ問題をはじめとする日本の報道問題を鋭く追及し続けています。浅野さんに、日本の報道機関の現状と課題、ジャーナリズムの意義、SNS等ネットメディアの可能性、新聞・出版の未来などについて伺いました。
30年前に警告したマスメディアの崩壊が顕在化している
――早速ですが、浅野さんのお仕事の内容について伺えますか?
浅野健一氏: 22年間共同通信の記者をやって、今は大学で19年間メディアについて教えていますから、20年位ずつメディアの現場と、大学にいることになりますね。
――教え子がジャーナリズムの世界に行くことも多いのではないですか?
浅野健一氏: 卒業生は、新聞社、通信社に毎年3、4人位。少ない時は、1人か2人なんですけど、多い時は6人位入りますね。合格率が高いですよね。ゼミは10人前後しかいないんですけど。逆に言えば、本学の社会学部メディア学科に来た学生で記者になりたい、テレビで報道番組を作りたいっていう人の多くは私のところに来る。他学部や他大学からの“潜り学生”もいます。もともと、一生懸命勉強する学生が来ているので、別にゼミに来たから受かったわけじゃないんですけれど。
――ジャーナリズムの現場と教育とでは違ったむずかしさがあるのではないですか?
浅野健一氏: 大学教育の場合は学生を全員をしっかり教えようっていうのはもうあきらめていますね。100人教えたら、10人位はきちんと育ったら良いかなという感じです。あとは本人の問題なんでね。大学は、幼稚園や小学校とは違うから、わりと冷たく突き放しています。どこかで僕の姿を見て勉強してくれたら良いなと思ってますね。大学とマスメディアの両方に勤めてたんですけど、そこはだいぶ違います。ジャーナリズムでは、やっぱり皆にちゃんとした正しい情報を伝えたいなって思ってます。
――確かに、ジャーナリズムは「分かる人には分かる」というわけにはいきませんよね。しかし最近、受け手をミスリードするような報道も多いと感じます。
浅野健一氏: 尼崎の不審死事件で被疑者・被告人の写真を取り違えましたね。あとは週刊朝日の被差別部落に関する記述の問題とかIPS細胞のMさん。50年に1回しか起きないようなメディアの虚報が続いていますよね。私が共同通信の現職記者時代、メディアを根本的に変えなきゃいけないんじゃないかと問題提起して、相当社会に衝撃を与えたと思います。第一作『犯罪報道の犯罪』(学陽書房、講談社文庫を経て04年に新版として新風舎文庫)を84年9月に出版しました。同書に大幅に加筆、改題した『裁判員と「犯罪報道の犯罪」』を09年6月に昭和堂から刊行しています。
この本が出て数年はかなり大きな議論が起きました。しかし、社内では公式には一度も取り上げられませんでした。逆に社内でいじめ、弾圧が続いた。
その後も私を排除して私の主張をマスメディアに載せない。最近はマスメディアでも「ジャーナリズムのあり方を考えなきゃいかん」「根本的に何かがおかしい」って言っているでしょ?それ、浅野健一に聞きに来ればいいじゃないですか。英BBCの会長が辞めた問題でも、新聞・通信社から絶対僕に電話がかかって来ないんですよ。こっちから電話して、自分で取材に応じるわけにはいかないしね(笑)。出てくるのは、他の有名な先生方ばかり。僕の言葉からするとメディア御用学者とか、労働組合の方についてるかどうか別にしても、メディア関係にすごく理解のある人。つまり企業メディアに甘い人。僕は「実名報道主義ムラ」と言ってんだけど、記者クラブの人たちですよね。僕と同じようなこと言ってる人は、ほかにもいるんです。例えば、元東大の奥平康弘さんとか、読売を辞めて週刊金曜日やレイバーネットで活躍している山口正紀さんとかね。その人たちは絶対大手メディアには出ないという状況ですね。僕と僕の仲間を黙殺してきたことの、つけが回ってきたと思っています。
基本中の基本「ジャーナリズムは権力チェックのためにある」
――あらためて、本来メディア、ジャーナリズムは何のためにあるものでしょう?
浅野健一氏: そりゃもう、権力チェックですよ。市民の「知る権利」にこたえる。野球やサッカーでどっちが勝ったかとかも必要ですけど、何でジャーナリズムがあるか、メディアがあるかって言ったら権力監視です。というのは、要するに行政っていうのは、誰もチェックすることがないわけですよね。国会は選挙があるし、裁判所には一応国民審査もありますけど、行政機関っていうのは、全くチェックする仕組みがないんですよ。要するに、霞ヶ関の官僚、検察、警察を誰もチェックできないわけでしょ? それをチェックするのが一番大きな仕事だと思う。もちろん、司法も政治家もチェックしなきゃいけないんだけど。そもそも何でジャーナリストになるかって言ったら、それが一番面白いわけです。強いものと一緒になって、弱いものをいじめるんじゃジャーナリストになる価値はない。ジャーナリズムが時の政府の権力チェックだっていうのは、日本以外ではごく普通なんですが、日本ではそういう風に誰も思ってない。部数を伸ばすためとか、せいぜい好奇心を満たすという感覚の人が多いでしょう。日本では新聞とかテレビ、ラジオは、体制側が広報する機関だという考えじゃないですか。
ジャーナリストは本来、ニューズリポーターです。「リ」がついてるんですよね。日本の記者はニューズ「ポーター」なんですよね。権力の流す情報をたれ流すのではなく、自分たちで吟味して伝えるから「リ」が付いている。もっと言えば、日本では記者クラブで発表されるプレスリリースのポーターですよね。
要するに、日本にはまだ市民革命が起きてないんだと僕はずっと思っています。形式的には民主主義社会になってるけども、実態として民主主義社会はできていない。
――記者になろうという人でも、ジャーナリズムを理解していないということですか?
浅野健一氏: 日本のマスコミの記者は、ジャーナリズム教育を受けてない。権力チェックすることがジャーナリストの仕事だとか、どういう歴史を経て人類が「表現の自由」を獲得してきたかとか、教えてないでしょ?記者も「ワンダーフォーゲルをやってます。体力あります」みたいな(笑)。ジャーナリズム学を勉強をしてない人を、朝日新聞や共同通信が採用して記者にするわけでしょ。むしろ、そんなの知らない方が良いっていう考え方じゃないでしょうか。だから、ああいうバカなこと起きるんです。最低限勉強してれば分かるじゃないですか。写真が違ってたらどうしようとか、被差別地区の地名を書いたらいけないということぐらい誰でも分かることでしょう。だから、僕は「専門バカ」が「バカ専門」になっていると言っています。狭いところでしかやっていないから広く大局が見られない。歴史を見られない。
完ぺきな情報はない、必ずバイアスがかかる
――メディアの状況が、報道の内容にどのような影響を与えているのでしょうか?
浅野健一氏: 今のメディアの議論の仕方は100対0なんです。正義か悪かの単純な二元論で、理性が働かず情緒で取材し報道しています。朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)の問題で言えば、日本人の遺骨が3万人くらい朝鮮にあるって言っていますよね。それを日本に返して、反対に、強制連行や徴用で日本に来て炭鉱や、あるいは兵隊で死んだ朝鮮人の遺骨が日本や海外にいっぱいあるわけですよね。向こうに遺族がいるっていうの分かってる人がかなりいるんですね。それを、朝鮮に返さないといけない。それも絶対報道しない。拉致の議論はあっても、戦争のために日本に来た朝鮮人の人がいっぱいいて、帰った人と、帰ってない人もいる。そういう問題もあるわけでしょ。それは絶対に取り上げない。また金正日さんが急逝したのに、弔意を全く表しない日本の総理大臣や外相って何なんでしょう。小泉純一郎元首相と飯島秘書だけが朝鮮総連に出向き、弔意を表明した。それはどちらが正しいのって言ったら、やっぱり小泉さんが正しいですよね。どんなに嫌いな人でも隣の国の元首が死んだんですからね。でも、日本のメディアは100対0なんです。1対99もない。
光市の事件の少年も、本当に殺意はあったのかという争点に関する議論が「1」もないわけです。英国人英会話講師の事件でも被告人のIさんにしても、女性が死んでるから、殺人だと決めつける。間違いなく強かんと傷害致死ではあるんです。だけど、殺人かどうかっていうのはまた話が違うでしょ。どうせ死んでるんだから殺人なんだっていうのは違うんですよ。殺意があったかどうか、計画性があったかが問われて、量刑も変わってくる。いくら自動車で人をはねて、ひき逃げしても殺人ではないんです。それでも光市の事件で安田弁護士たちが殺意はなかったっていう証明を一生懸命しようとしたら、卑怯者とか言われバッシングを受けているわけでしょ。弁護士はどんな凶悪な事件でも、法律と証拠に基づく公正な裁判を求めて、被告人のために弁護するのは当然じゃないですか。
――メディア情報の受け手となる市民は、どのようなことを心がけていけば良いのでしょうか?
浅野健一氏: 市民の側は、記者クラブメディアから、どういう仕組みでニュースが読者・視聴者へ流れて来てるのか、どういう人たちが取材して記事を書いてるのかを、知ってほしいですね。これは子どものころからメディアリテラシー教育が必要ということでもあります。例えば、上から写真を撮ったらみすぼらしく、謝っているみたいに見えるし、下から撮ったら逆に偉そうに、居直って見えるわけですよね。テレビは四角い枠内しか映らないから、大きな教室で多数の学生が皆居眠りしていても、まじめな学生だけを写しオンエアしたら同志社大学の学生は皆まじめになるわけです(笑)。テレビってそういうもんなんだっていうことを教えなきゃいけないんですよね。外国では、子どもに実際に写真やビデオを撮らせてそれを教えているわけです。逆に言えばメディアを信用するなってことですよ。また、テレビの画面には匂いがない、風がない。だから、実際にシリアで今どんなことが起きてるかという時に映像だけでは伝わらない。死体の匂いが伝わらないから。それを見て全てが分かったと思ってはいけない。もちろん、僕が書いても絶対に真実は伝わっていないんです。僕がチェルノブイリで1週間実際に見たものを書いても、僕のバイアスがかかっている。どんなに立派な人でもそうです。家の中でもそうじゃないですか。どんなお父さんでも何か絶対問題はある。完全なお父さんも、完全なお母さんもいないんです。人間って間違うものだから、NHKだから、朝日新聞だからと言って信用するなと。ネットだってそうです。このネットは立派な人たちが作ってるからといって、信用してはいけないんです。このメディアはどのような情報を取って載せてるかということを理解して、できるだけ多様なメディアに接することですね。
「記者クラブメディア対SNS」の構図がはっきりしてきた
――良質な報道を増やすために、市民が積極的にできることはあるでしょうか?
浅野健一氏: 新聞とか雑誌とかインターネットも含めて、情報を取ってる人は皆、情報の消費者です。女性が資生堂の化粧品を買って、肌が荒れたら、ちゃんと肌が荒れないものを作れって抗議する。だから、朝日新聞も記事を書いてる以上は、できるだけ多くの正しい情報をちゃんと提供しろ、っていう消費者の感覚を持つことだと思うんですね。民放テレビやネットなどの無料のメディアだってバナー広告とかで、自分たちが広告料払ってる様なもんですから。カスタマーとして、間違えてたら文句を言う。もうひとつは、良い記事があったら褒めてあげるっていうことかな。共同通信ってそんなに直接読者からは電話がないんですけど、それでも読者から反応があるとすごくうれしい。今大学生はこういう記事が好きなんだとか分かるでしょ? だから、メールでもはがきでも、電話の一本でも良いから「今の番組良かったから、もうちょっと良い時間に放送したら良いんじゃないですか」とか伝えることが大事ですね。
――最近では、ブログやSNS、Twitterを使って自分で情報を発信することが容易にできるようになりましたが、ネットメディアの可能性はどう感じていますか?
浅野健一氏: それは大きいと思いますよ。SNSの普及ってまだ3、4年でしょ?インターネットもせいぜい、十数年ですよね。だから、これは一種の革命ですよ。SNSで情報発信できるようになって、マスメディア以外からも情報を取れる。それはすごく希望ですよね。僕は「記者クラブメディア」対SNSと言ってるんです。あるいは、記者クラブメディア対民衆のメディアって言うかな。これはくっきり分かれますよ。東電福島原発の事故のあとにFace bookなどで、広河隆一さん、森住卓さん、綿井健陽さんらが、3月12日から現場に入って、14、15、16日と発信しました。放射性物質が放出して危険だから逃げるべきだと警告した。それで、既にメルトダウンが始まってるとかいう情報をちゃんとネットで取れた人が約8パーセントいるらしいですよ。ただ、日本はもうひとつネットジャーナリズムが伸びないんですよね。右翼的なネットメディアはあるんだけど。本当に正しい方に力を入れるネットメディアは少ないです。
――災害時は流言が飛び交ったりということもありましたが、ネットでの情報発信には危険な面もあるのではないでしょうか?
浅野健一氏: ネットの怖さもあります。情報を発信する時には、人の名誉を侵害してはいけないし、デマを流してはいけないとかね。小学生がネット上でいじめられたり、裸の写真を子どもたちが流したり、人権侵害でもめてますよね。それってそういうことをやった時の影響を知らないんですよ。それは教えないと分からない。そういう教育を小学校からやるべきだと思います。
――先ほどから、子どもに教えることが重要であるということを繰り返しおっしゃっていますが、やはり教育は非常に重要なポイントですね。
浅野健一氏: スウェーデンの立派なジャーナリストとか法律家の人たちに言われてはっとしたんですけど、人権意識であるとか、人間が皆平等だとかいう倫理みたいなものは、金をかけて教えないと分からないって言うんですよ。だから、障がい者の子どもたちと障がいのない子どもたちが、一緒にキャンプをやって1週間位一緒に暮らす。そういう努力をしてるんですよ。肌の違いとか、男女で絶対に差別してはいけない、誰でも障がいを持つことがあるとということことを徹底的に教え込んでるんです。人とお金をかけて、しかもずっと続けないといけない。どこかでやめちゃうと、すぐだめになるって言ってます。もしその努力をやめたら、移民は出て行けとか、ナチズムみたいなものに一晩で変わるって言います。はっとしましたね。日本国憲法が言う、国民の「不断の努力」によって、人権や民主主義を保持しなければならないということですね。
共同通信に入れば四国新聞に名前が載る
――浅野さんご自身の幼少時のお話も伺わせていただければと思いますが、ご出身はどちらですか?
浅野健一氏: 僕は四国の高松市生まれ。当時は香川郡一の宮村。本当に田舎で、僕が小学校4年生の時、村から初めて東大に受かって、皆でちょうちん行列をしたのを見たことがありましたね。「健ちゃんも東大行け」って言われましたね。
――東大に行くことを期待される秀才だったということですね。
浅野健一氏: いや、すごい田舎ですから、当時あまり勉強する子がいないし、勉強するような時代でもないですから。大体友だちの家に遊びに行っても、本とか雑誌はなかった。うちは、両親が中学と小学校の教師だったし、わりと本とかがあって、いとこにも大学に行く人も多かったんです。
――本を読むことも自然に小さいころから身に付いたのですか?
浅野健一氏: 僕は中学校、高校の時に本当にいっぱい本を読みましたね。主に文庫と新書ですね。岩波新書と中公新書にはお世話になりました。あとは、先生に岩波文庫の古典を読めと言われて読みましたね。高松高校の世界史の先生の影響も大きいですね。授業はフランス革命だけずっとやるんですよ。で、「ルイ14世はインキンタムシで苦しんでいた」とか「ベルサイユ宮殿にはトイレがなかった」とか、面白い話をいっぱいしてくれる先生でした(笑)。あとは、広島大学に行ったいとこが、夏休みに小田実の『何でも見てやろう』(講談社文庫)を読んでいて、「これは面白いよ」って、貸してくれたんですよ。中3だったかな。これがめちゃくちゃ面白くて、自分も四国を出て海外に行きたいと思った。
――ジャーナリズムを意識したのも小田実さんがきっかけでしょうか?
浅野健一氏: 小田実さんの影響もありますけど、あとは中学校は香川大学付属高松中学校だったんですけど、電車下りて学校までの間に四国新聞本社があったんですよ。これがまた平屋みたいなボロボロの新聞社で、まだ活字を1つ1つ拾っていたわけですね。それで、僕は不思議だったんですよ。こんなボロボロの新聞社で、「王がホームランを打った」とか、どうやって取材してるのかなって思ったんですよ。で、色々調べていったら共同通信からニュースが配信されてるんだって分かって、共同通信に入ったら僕の名前が「浅野共同特派員」って四国新聞に載るなと思って、共同通信って良いなと思ったことがありますね(笑)。実際、1989年から92年までジャカルタ特派員になってよく名前が出ました。
ケネディ暗殺を日本で最も早く知った高校生!?
――学校の勉強では何の教科が好きでしたか?
浅野健一氏: 中1から英語が始まりますよね。これがすごい不思議だった。ローマ字で書いてるのを見て、何だろうと思って。あ、日本語とは全然違う言葉があって、この英語っていうのをやると何か色んなことが分かり、世界が広がるんだと。それで英語はすごく好きになって必死で勉強しましたね。高松に栗林公園っていう名園があって、そこに外国人観光客がよく来ていたり、キリスト教の教会の日曜学校に行くと牧師さんがただで英語を教えてくれたりしたので、出掛けていったりしていました。教会のアメリカ人のご夫妻がいて、その生活が日本と全然違う。欧米の雰囲気に触れた。あとは、岩国市にFEN(Far East Network)があって、今はAFN(American Forces Network)ですが、アメリカの軍人のために英語で24時間放送しているのを聞いたり、Voice of Americaとかも短波で聞いていましたね。ビートルズとか、最新の音楽を聴けますからね。高校1年生の時に、尊敬していたジョン・F・ケネディ米大統領が暗殺されたのですが、朝3時ごろそれもラジオで聞きました。
――それはもちろん生放送で。
浅野健一氏: 生ですね。FENにAPネットワークニュースっていうのが流れて、「President Kennedy assassinated」「Kennedy was shot in his brain」って興奮した声でリポートしてる。で、僕はassassinateって言葉が分からなかった。辞書で「ass」というのがあり、おしりの穴とある。これはちょっと違うだろうと。「assassin」という単語があり、殺人者ということを知り、ああ、暗殺されたんだって。朝、起きてきた父親に、ケネディ大統領が暗殺されたみたいだと伝えた。その日の朝、NHKと毎日放送がアメリカから初めての衛星テレビ中継をやったんです。NHKの特派員がね、「この日米同時中継の、初めての放送で最も悲しいニュースを私たちはお伝えしなければなりません。ジョン・F・ケネディアメリカ大統領が今朝、ダラスで暗殺されました」ってやったんですよ。それを僕は知っていたから、父親が「お前はなぜ死んだって知ってたんだ、すごいな」って言われましたね。恐らく僕、ケネディ大統領が死んだっていうニュースを日本で最初に知った10人位の中の一人だと思うんです。共同通信の夜勤の記者と、NHKの職員くらいでしょう。共同の記者がもし居眠りしていたら、聞いていませんからね(笑)。それで、そのAPの記者の中継を聞いて、「ジャーナリストは世紀のニュースの現場に行け、世界にニュースを発信するなんてすごい」と思って記者になりたいと思った。
アメリカの高校でジャーナリズムへの思い強まる
――高校時代には留学もご経験されているそうですね。
浅野健一氏: 英語が好きだったので、海外に行きたかったんです。それで、高校の時にアメリカのミズーリ州の田舎に留学したんですよね。AFSという米国から始まったNGOの国際奨学金制度がありまして。竹内まりあが後輩ですけど。あと、広島の秋葉忠利・前市長とか、猪口邦子議員、川口順子元外相もそうですね。日本全国から年に110人位、ただでアメリカに1年間留学できた。その時は四国の4県から6人受かった。卒業が1年遅れるので、東大を受ける生徒は受けないんですよ。入試に不利だから。まず、アメリカで1年遊ぶともうパッパラパーになってね、帰ってきたら漢文とか忘れてるし、日本史とか全然だめになるという心配があったようです。
――外国で生活すると、外国語で思考していることに気づく瞬間があると言われますが、英語に自信がついたのはどのくらいの時でしたか?
浅野健一氏: 3ヶ月くらいですね。夢を英語で見るようになったらもう勝ちなんですよ。英語でけんかできたら良いんです。あとは、ガールフレンドとデートができればいい。面白いのは、留学すると3ヶ月から半年で、外国人の顔を日本の友達の誰に似てるって思うようになる。白人の子の顔やアフリカ系の顔を、外国人と意識しなくなりますね。それから普通の付き合いができる。
――アメリカの高校の授業で印象に残っている内容はありますか?
浅野健一氏: 高校の3年生の時に、アドバンスコースみたいなのがあるんです。例えばミュージックという科目は1年生からあるんですけど、その次に、コーラスをやりたいとか、楽器をやりたいとかがある。それと同じように社会科系もあって、僕はジャーナリズムとサイコロジーという科目を取ったんですね。ジャーナリズムの先生も、多分記者の経験があるんですね。それでキャンパス新聞があって、そのクラスで作るんです。僕はキャンパス新聞のメンバーになって、日本のことを色々紹介する記事を書いたりしました。高校にジャーナリズムのクラスがあるんだ、すごいなと思いましたね。アメリカは大学に行ったら日刊紙があるし、FMラジオ局も持っているんです。カリフォルニア大学バークレー校とか、ハーバードもイェールももちろん、コロンビア大学にも日刊紙があります。APが大学新聞には記事を全部ただで提供するんですよ。いわゆるアカデミックユースという無料サービスです。マイクロソフトにもあるあの考え方ですよね。
――ジャーナリストになるという気持ちはそのころには既に固まっていたのですか?
浅野健一氏: はい。僕が通っていた県立高松高校では教師が東大とか京大に行けって言うんですよ。僕はもうジャーナリストになるって決めていたから、マスコミに行きたいんで、早稲田か慶応に行くと言いました。それで最初はNHKの特派員になりたいなと思ったんですが、大学に行ったら、本多勝一さんがNHKのサイゴン特派員が現地の権力者や米大使館幹部などを招いて派手なパーティーをやっているとか、ベトナム戦争の真実を伝えないということを書いていて、受信料を払うべきではないと訴えているのを読んだら、もうNHKに行く気がなくなりました。共同通信、朝日新聞、毎日新聞に絞りました。TBSにもちょっと行きたかったんだけれど、昔は有力6社の入社試験が同じ日だったし、毎日とTBSは72年度の入社試験がなかった。しょうがないから共同と朝日、どっちにしようかなと思って、海外に強い共同を受験したんですよ。
何かを書くと、必ず誰かを傷つけることになる
――共同通信で記者として活躍されるわけですが、冒頭でも少しお話しいただいた『犯罪報道の犯罪』を、現役の記者の時にお出しになりましたね。
浅野健一氏: 84年に出したんですね。でも実は、83年まではペンネームで書いていたんです。救援運動家で映画監督の山際永三さんが編集した小野さん著『でっちあげ』(社会評論社、1979年)の2章『でっち上げの共犯者―マスコミの人権侵害』の筆者、中島俊は私のペンネ―ムです。社内で人事などで差別され干されるので実名を出せなかったのです。まだ記者になって8年目でした。共同通信の人間はすぐ分かるんですけどね。だからいろんなペンネームで書きましたよ。妻の旧姓とか、曾祖父の名前を使ったりとか。中島俊は勝手に編集者がつけたんですよ。共同の役員に中島俊って人がいたんです。そうしたらその役員から「浅野君だろうこれ。僕の名前を使わないでくれ」って言われたんですけどね(笑)。83年に本名で「マスコミ市民」に「スウェーデンの犯罪報道」の連載を初めましたが、70年代に書いたものは全部ペンネームです。
――浅野さんが一貫して追求するテーマのひとつが、報道による人権侵害の問題ではないかと思いますが、知る権利と名誉・プライバシー権という2つの重要な基本的人権は抵触・衝突することもあります。その問題についてのお考えをお聞かせください。
浅野健一氏: 日本のメディア幹部は「人権に配慮する」とよく言いますよね。人権をじゃまなものだとネガティブに見ているんですよね。報道された人からのクレームに対しても、「苦情を処理する」と言うのと同じ。市民から来る苦情こそ大事なんです。知る権利と、名誉やプライバシーは両方大事です。天皇や田中角栄さんにもプライバシー権がありますが、天皇ががんを患っているということは、市民の知る権利の対象でもあるから、天皇には悪いけどそこは我慢してくださいよということで両立できるわけですよね。ただ、普通の大学生が強制わいせつで捕まったとか、有名企業の社員が痴漢の疑いで逮捕されたというのを氏名や所属先を実名で知る権利があるのでしょうか。NHKアナウンサーの森本健成さんは、むずかしいところですけどね。あれは恐らく報道せざるを得ないけど、その時に大事なのはまだ真相が分からないっていうこと。被害に遭ったとされる女性の勘違いかもしれないということを留保しないといけない。「有名な局のアナウンサー」とかにして、名前はしばらく抑制する方が良いかなっていう気がしますね。そうしないと、完全に女の子が嘘をついている場合でも社会的にはアウトですからね。前に関西の私大生が女子学生を使って痴漢事件を捏造して、男性から金をとろうとした事件がありました。男性の逮捕からしばらくして狂言だったと分かったのでよかったですが、実名報道の被害は消えません。PCなりすまし事件で誤認逮捕されて自白もとられた人たちも実名報道されました。
やっぱり一番むずかしいのは、何か書くと必ず誰かを傷つけるんですよ。例えば読売新聞の誤報について批判しても、それを書いた記者はやっぱりつらいし、恐らくその人は言いたいことがあるはずですよね。被疑者、被告人とか犯罪被害者の人も、そっとしてほしいわけでしょ。僕は、戦争責任も含めて権力の責任を書くと同時に、マスコミの加害者性についても書いてきましたが、戦犯で処刑された東條英機さんには娘さんがいるし、岸信介元首相の悪口を書いたら安倍晋三はつらいかもしれないかもしれない。しかし、そういう公人の場合は、それを百も承知で実名が出ることを我慢してもらうことが大切です。
100年後の評価に耐えうるフェアな言論を目指す
――その線引きをどこにするかっていうのはむずかしいのではないでしょうか?
浅野健一氏: 僕の基準は、僕の小学校のクラスメイトが例えば45人位いて、豆腐屋さんをやってたり、農業をやってたり、公務員をやってたり色んな仕事をしているんです。その不特定多数の45人で同窓会をしますよね。その時に、「俺は、こんなことを今書いてるんだけど。ここまで書いて良いかな」って聞くと、「それはわいろをもらったんだからしょうがない」って言われたり、「だけど、その女子大生の名前はいらないのでは」とか、皆の常識ってあるんですよ。「裁判がまだ終わってないから待つべきだろう」とか。「いや、田中角栄さんの場合は逮捕時点で顕名でいいんじゃない」とか。その普通の100人のうち、80人位の人が良いって言ってくれれば良いじゃないかなっていう感覚があります。
例えば、朝日新聞が100人新入社員を採る時に男性80 人に女性が20人、これはやっぱりだめでしょう、おかしいんじゃないのって普通に思う。一次や二次の試験をしている間は半分半分なのに、最終的に合格が女性20人しかいなければ、それは差別だと分かりますよね。男女が結婚する時にほとんど女性の名前を名乗らないなんていうのは、それはおかしいですよね。皆がそうするのかもしれないけれど、だからと言ってそれを男性の性を名乗るという規則にしてはいけない。先ほどの強制連行された朝鮮人の遺骨の話もやっぱり向こうに返さないといけないってことは、皆説明したら「そらそうだよな」って言ってくれます。それが価値基準で、それ以外あんまりないですね。同志社で学生に接する時もそうですよ。8割以上の人たちがこれで良いんじゃないのって説得できるだけの考え方。常識みたいなものは、大事にして書く様にしてますね。
――浅野さんのジャーナリズム活動の原動力はどのようなものでしょうか?例えば、正義感のようなものですか?
浅野健一氏: 「正義」ってあんまり考えないんですね。僕の場合はフェアネスですね。これ日本語に訳せないんだけどね。公正とかになるのかな。フェアであること、それからディーセント(品格を持っている)であること。ディーセンシーとフェアネスが好きなんですよね。正義は英語でジャスティスでしょ?何がジャスティスかってなかなかむずかしいけど、できるだけフェアであることはできますよね。あとは、できるだけ真実に近づく、できるだけ客観的であること。自分で見たり聞いたりすることを大事にする。それと本を読むこと。そして取材した対象からのフィードバックも重要です。双方向的な議論かな。それを自分なりにやってきています。
あとは、僕の場合はやっぱり自分が書かなかったら問題提起できないことに取り組む。皆がやることをやってもしょうがないんで、誰もやらないことを取材し、書きたいですね。今だったら原発事故後、政府と東電や原子力ムラが何を隠ぺいしていたかという問題ですよね。それと100年後、200年後でも人々が読んでくれるような、河上肇さんの『貧乏物語』(岩波文庫)のような本を書きたいなと思ってます。例えば、僕は、日本は朝鮮への40年間の侵略と強制占領の過去を清算し、朝鮮と国交正常化すべきだと強く思っているけど、これ絶対100年後には、この主張は正しいと思うんですよ。夫婦別姓も認めるべきだと思うし、東アジア共同体の追求は正しいと思うし、すべての米軍基地は日本から出て行くべきだと思う。僕の主張は100年後に正しいと判断されるという確信を持ってやっているんです。間違うことはあると思いますけど、その時は、謝り、なぜ間違えたかの分析、検証が必要になる。
電子書籍で絶版になっている名著がよみがえる
――本からのフィードバックというお話がありましたが、浅野さんにとって本、読書とはどのようなものですか?
浅野健一氏: 僕はいつも思うんだけど、浅野健一が今、価値判断している基準はほとんど過去に読んだ本から来ている。自分が見聞きしたことや、自分が出会った人たち、自分の体験は、恐らく5パーセント位じゃないかな。95パーセントは新聞も含めて、文字情報から来ていると思う。本を読むことによって1度も行ったことのないところとか、会ったことのない人、何百年前の人にも会える。聖書や仏教典もそうですけど、色んな昔の人が哲学したものが読める。僕はあまり小説は読んでいないんです。ジャーナリストの書いたノンフィクションとか、社会科学関係。政治経済とか国際関係とかをよく読みますね。だから今、若い人が本を読まないっていうのは困ったもんです。年々ひどくなりますね。有名な作家や記者の名前を知らないんですよ。メディア学科の1年生で本多勝一を知っている学生がゼロですよ。
――誰も読んでいないのですか?
浅野健一氏: いや、名前すら一人も知らないんですよ。辺見庸、斎藤茂男、本田靖春も、鎌田慧も全く知らなかった。筑紫哲也や鳥越俊太郎とかテレビに出てる人は知ってるんです。有名な人でも、テレビに出ない人は知らない。本多勝一は高校の教科書から消えたんですかね。前は、『カナダ=エスキモー』(朝日文庫)などが載っていたんですよ。多分、消えたんでしょうね。だからもう僕は「読め読め」って言ってね。そういう社会なんですね。
――電子書籍が登場していますが、電子出版の可能性についてはどのように思われますか?
浅野健一氏: 僕はあんまりiPadとかはだめなんだけど、電子書籍は、絶版になったものを読めるようになるというのが大きいですね。僕の本もほとんどが絶版になっていて電子メディアで読んでもらいたい本が、何冊かあるんですよ。「天皇の記者たち」は絶対読んでほしい。それに筑摩書房の「客観報道」ですね。絶版になっているので困りますが。鎌田慧さんの「自動車絶望工場」も今絶版になっている。電子書籍で名著を読む人が増えればいいのですが。
――これから電子書籍のシェアが伸びて、紙がいらなくなるなどと予測される方もいらっしゃいますが、紙メディアの未来についてどうお考えでしょうか?
浅野健一氏: 紙をめくった時のインクの匂いがなくなるのも寂しいので、全部電子書籍になるのも絶対だめだと思います。アメリカでは新聞社が次々とつぶれていますよね。ネットで読めることによって、新聞が紙としていらないっていう風になってしまってるっていうのは寂しいです。ヨーロッパって基本的にネットで読むことと新聞を広げて読むっていうのが全然別のものになっていて、ヨーロッパで新聞がつぶれるっていうのは聞いたことがないんですけど。何とか紙の本や新聞も残して、共存していけば良いですね。
――浅野さんは書店にはよく行かれますか?
浅野健一氏: しょっちゅう行きますね。どこか、旅行に行くと必ず本屋さんに行きます。「俺の本全然置いてないな」みたいな(笑)。地方の本屋さんへ行って、『記者クラブ解体新書』(現代人文社)なんかがあるとすごくうれしいですよね。紀伊國屋書店はちゃんと僕の本を置いてくれているんです。書店に浅野ファンがいるという話を前に聞きました。
原発報道の「大罪」を徹底的に追求していく
――本屋の様相が変わったなと感じられることはありますか?
浅野健一氏: やっぱりいわゆる右翼の本。僕は靖国極右反動派と言っているけど。中国人、韓国人は日本人に勝てないとか、日本と中国は戦争したらどうなるかみたいな、SAPIO的な本が増えましたね。成田空港の本屋さんに行くとすごいですよね。同志社大学の生協でも「SAPIO」とか「正論」を最近目立つところに置いているんです。生協は左翼・共産党系と前は言われていたのにね(笑)。生協書籍部の人が「売れるんですよ」って言う。「週刊金曜日」や「世界」は後ろの方に2冊ぐらいしか置いてない。「もっと前に置いてくれよ」って言っても「学生は買わないですよ」って言う。「我々も商売ですから」と言い訳する。
それから、僕は2002年にロンドンに1年いたんですけど、ロンドンの日本人向けの本屋さんにも右翼系の本が多かった。日本の雑誌とか3倍位の値段で売っている。すごい高いんですけど。そこにある本は小林よしのりとかばっかりですよ。やっぱり白人の社会の中でつらいから、日本はすばらしい国だ、日本は強いみたいな本にすがるんですね。景気が悪くなってくるとますますね。
やっぱりアメリカやヨーロッパの本屋さんの風格みたいなものがほしいですね。コロンビア大学のブックショップとか行ったらやっぱりすごいです。チョムスキーの本がちゃんとそろってるし、マルクスもある。日本の本屋はTSUTAYA的になっている。それでも大きい本屋さんはまだ一応がんばってますね。
――知の見取り図というか、様々な本にまとめて出会う場が少なくなるのは問題ですね。
浅野健一氏: 最近ちょっと聞いたんだけど、学校の図書館の予算がすごく限られてるんですね。前は、新書の新しいのが出たら、司書さんが選んで入れていたけど、新しい本があんまり入らないって言います。戦争ばかりしているアメリカも高校、中学の図書室には新しい本がない。戦争で金がかかると切るのは教育と医療費でしょ。だから、ますますアメリカはだめになりますよね。アメリカで新聞社がどんどんつぶれてるっていうのは、そういうこともあるんじゃないですか。英語が読めない人がいっぱい増えてるんではないでしょうか。メキシコから来た人は皆、スペイン語で話してるじゃない。多分カリフォルニアでは2割くらい英語ができないんじゃないかな。
――今後の、新しいご著書の予定があれば教えてください。
浅野健一氏: 本はですね、さっき言った原発報道の検証の本。福島第1原発の吉田社長が「死ぬと思った。地獄を見た」と言っていたときに、テレビではスリーマイル島、チェルノブイリにはならない、大丈夫だと言っていた。このコントラストが全部ばれたのに、記者クラブは居直っていますよね。原発の最初の1週間、1ヶ月の時に権力と東電と、それから記者クラブメディアが、どうやって情報を隠ぺいして、大本営発表報道をしてきたか、市民を裏切ったかっていうことを徹底的に今調べて書いています。タイトルは「原発報道の大罪」と付けようと思っています。もう「犯罪」という言葉では足りない、万死に値する大罪です。現代人文社から出ると思います。もうひとつは私の同志社のメインの授業なんですけど、新聞学原論、ジャーナリズム原論みたいなのを法律文化社で出しますので、それを今準備しています。
日本報道評議会の設立をこの目で見たい
――教育とジャーナリズムという2つの現場で、まだまだご活躍が続きますね。
浅野健一氏: 両方とも腐りきってますからね。この2つがだめだから、日本はだめなんです。特に大学の疲弊がすごいね。マスコミはまだ間違えると一応批判されるじゃないですか。大学は全くないですからね。大学院出て28歳くらいですぐ専任講師、准教授。社会を全く知らない。しかも知ってると思ってるから怖いんです。暴力団の人って「俺は暴力団だ」っていばってるやついないでしょ?自分がやってることは裏の仕事で、間違ってるって分かってるからね。覚せい剤や麻薬をほしがる人がいるから、ある程度社会の中で必要な人がいるので、それを売ってもいい、「社会的貢献をしている」っていう人はいないでしょ。
大学は、やってることはひどいのに、ちゃんと批判する人がいない。だから、僕は大学批判にも力を入れていきます。これは学生批判でもあります。僕は、大学っていうのは1年生の時に半分やめさせろと思う。東京理科大は4年で卒業する学生はほとんどいないくらい厳しいんですよ。上智大学とかICUも卒業した人に学問をしていない人はほとんどいないですよね。英語もできます。僕は今ある種、後継者を育てることにシフトしていて、自分がやってきたことをつなげる若手の大学の研究者とジャーナリストを育てたいという風に思っています。
――日本のジャーナリズムのあり方を変えるために、今後ご自身で、あるいは後継者の方と取り組んでいきたい課題があれば教えてください。
浅野健一氏: 記者クラブを解体して自由な取材ができるようにすることと、日本に報道評議会を作るのが今後の僕の課題です。僕が共同にいた時代に、日本に外国にあるような報道評議会や、メディア界全体の倫理綱領を作ろうと思ってがんばったんだけど、できませんでした。もう1回仕切り直して、自分の目で日本報道評議会の設立を見たいですね。テレビ界のBPOは僕は評価してるんです。あれを作ったのは大きいです。いろいろ文句を言う人はいるし、完ぺきではないんだけども。広告関係もJAROがありますよね。そうすると活字メディアだけないわけです。今はマスコミ各社がばらばらになって、しかも一般市民もネットで発信できますので、メディア責任制度が絶対に必要だと思っています。出版社、それからインターネットも含めて、知る権利と個人や団体の名誉やプライバシーをどうやって両立させるかを話し合う必要があります。スウェーデンの倫理綱領では、市民の信頼を得るために私たちは評議会の制度を作ると書いてあります。権力を監視し、市民の知る権利に応える。それに対して一生懸命働くという態度を保証するということが書いてあります。だから、がんじがらめの規則じゃないわけです。日本には健全なジャーナリズムの制度がなくて、記者クラブだけがあるっていうのが致命的な欠陥だと思います。新聞労連が1997年に「新聞が消えた日2010年へのカウントダウン」(現代人文社)という本を出しました。週刊金曜日の社長になってる北村肇さんらが中心になって書いたんですけど、2009年に重い腰を上げて新聞協会が報道評議会を作ったが、その時もう最後の新聞は消えていたという終わり方なんです(笑)。労連が予測した10年からもう3年たっちゃったんですよ。新聞、雑誌、単行本が消える日っていうのは、このままほっておくと来ますよ。本屋さんに今いっぱい積んでいる本は別になくてもどうでも良いんですけど、絶対なくてはいけない良書がたくさんありますよね。新聞と政府、どっちかひとつを選ぶんだったら新聞を選ぶっていうのが、民主主義です。ジャーナリストが変わらなければ、活字文化は消えるんです。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 浅野健一 』