折原みと

Profile

茨城県出身、湘南在住。1985年に少女漫画雑誌『ASUKA』(角川書店)にて『ベストガールになりたいの』で漫画家デビュー。『るり色プリンセス』(実業之日本社)を初めとする数多くの作品が刊行されている。小説家としての代表作『時の輝き』(講談社)、『真夜中を駆け抜ける』(講談社)や『ときめき時代』シリーズ(ポプラ社)などがテレビドラマ化された。漫画・小説以外にも、エッセイ、詩集、お料理本、絵本、CDなど、幅広く活動している。浴衣のデザインや公立高校での講師、ドッグカフェの経営なども行なっている。

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「自分のもとへ来た本」へのいとおしさを大切に



折原みとさんは、若者のみずみずしい恋愛を描く名手。1985年のデビューから、思春期の女性の支持を受け続ける小説家・漫画家です。最近は医療問題など社会的なテーマにも挑戦。絵本や音楽、浴衣のデザインなど多彩な才能を発揮しています。神奈川県逗子市、湘南近くにあるご自宅で、折原さんの生活・仕事のスタイル、読書や執筆に関するお考えを伺いました。

湘南で、書くことの喜びを感じながら執筆


――逗子にお邪魔していますが、素敵なところですね。普段はどのような生活をされていますか?


折原みと氏: 朝起きて、犬の散歩に行ったり、おけいこごとに行ったりで、午前中がなんだかんだで終わって、お昼ぐらいから必ず昼寝をします。これが大事です(笑)。いつ仕事するの?という感じですが。

――執筆をされる時はスイッチを入れる方法があるのですか?


折原みと氏: 本当にまじめに仕事をしようと思った時には、BGMを決めます。あとは指輪をするんです。この作品の時はこの指輪を装着するとやる気になって、仕事モードになるという条件反射みたいなのを作らないとスイッチが入らない。

――BGMはどのようなものをお聴きになりますか?


折原みと氏: 作品に合ったものを探しますが、ヴォーカルが入っていると言葉を書く時に気になってしまうので、なるべくオフヴォーカルのもので、書いているものに合うイメージの音楽を探します。ファンタジー系のものを書く時は、ゲーム音楽から探して来たりもします。なので、CDはジャケ買いといった感じでいっぱい買っています。

――折原さんは今までどのくらいの数の作品を発表されているのでしょう?


折原みと氏: 150は超えていますね。特に逗子に来る前、デビューして10年ぐらいの間は仕事ばかりしていました。今考えると、よくやっていたなと思いますね。

――作品の中には漫画も小説もありますが、それぞれ執筆する時の心構えは違うのですか?


折原みと氏: プロットの段階までは同じですけど、そこから先ですね。小説を書く時も漫画を描く時も、頭の中に映像があって、脳内映画を作っています。脳内映画を文章にするか絵にするかの違いで、途中まで一緒で、出力方法が違うという感じです。

――作家として、最も楽しいのはどのような時ですか?


折原みと氏: もちろん、書いていること自体が楽しいけれど、私は書いている時にキャラクターになりきるんです。だから、創作の中で、自分ではできないことができます。最近は医療漫画をよく描いていて、私は医者にはなれないけど、作品の中ならなれる。そういう別の人生を体験できるんですね。あと、今はもう制服のころの恋愛って絶対できないですよね。だから、こんなこともしたかった、あんなこともしたかったというのを作品で描いています。やっぱり自分が楽しんで書いたほうがいいと思っています。

――逆につらいこと、苦しいことはありますか?


折原みと氏: つらいのは、やっぱり締め切りです(笑)。期限が決まっていても、できない時はできない。産みの苦しみですね。でも、投げ出さなければいつかは書けます。締め切りは破っちゃうこともたまにありますけど。

紙の上なら映画監督も脚本も俳優もできる


――小説を初めて書かれたのはいつごろですか?


折原みと氏: 小学校ぐらいにはもう書いていました。友達と書いたものを回し読みしたり、リレー小説をしたり、同人誌みたいなのも作っていました。

――そのころから将来は小説家や漫画家になりたかったのでしょうか?


折原みと氏: そうですね。その時は漫画っ子だったので漫画家になりたいと思っていました。ただ、男の子が「野球選手になりたい」と言うのと同じで、全然具体的ではなかった。高校生ぐらいの時、『蒲田行進曲』を見て、映画の世界にあこがれました。それとずっと特撮が好きだったので、円谷プロに入りたいとも思ってました(笑)。当時の夢は映画監督や童話作家、絵本作家、漫画家、いくつかあったんですけれど、とにかく書くことや、作ることをしたいっていうのは、一貫してありました。

――19歳のころに上京されたそうですが、それからどのようなことをされたのでしょうか?


折原みと氏: エキストラをやったり、同人誌をやったり、同人誌のイベントでのキャラとか、科学特捜隊のコスプレをやっていました。今思うと、まったく、何をやっていたんでしょうという感じです(笑)。そのころは同人誌とエキストラのバイトで生きていたので、超貧乏でしたけど、貧乏が楽しい時期でした。

――漫画家になるために何かされていましたか?


折原みと氏: 『ファンロード』という投稿誌があって、同人をやっている子がハガキを投稿したりしていて、投稿の常連みたいな感じで人気が出た子がデビューするということが結構多かった。私も、投稿していると同人誌が売れていくんです。そのままシフトして、いつの間にかプロになっていました。

――出版社に持ち込みなどをされたりはしましたか?


折原みと氏: 持ち込みも何度かしました。だから何誌かでほぼ同時にデビューしました。講談社は自分で持ち込みをして、角川は、同人誌をやっていたのを見てくださった編集さんが声を掛けてくれました。あと、雑誌によく、ちっちゃいカットをバイトで描いていたので、編集部さんに「漫画を書いてみない?」みたいに言われたりと、いろいろなルートで、よくわからないうちにデビューしていたんです。

――数多い夢の中で、漫画家が最も早く形になったんですね。


折原みと氏: 最初は映画監督になりたかったんですけど、下積みが長いし、しかも一人じゃできないですよね。ADさんから下積みしていって、万が一監督になれたとしても、自分だけの力で映画は作れないので、きっと自分の思うようには作品はつくれないし、お金もかかる。その点漫画は、紙と画材ぐらいで書けて、しかも全部自分でできる。演出もして、脚本も書いて、俳優も監督もしてということが、紙の上ではできるので「いいかも」と思いました。

著書一覧『 折原みと

この著者のタグ: 『女性作家』 『こだわり』 『アナログ』 『漫画家』 『小説』 『手書き』 『情熱』

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