読書人が本の世界を豊かにする
飯尾潤氏: 吉川幸次郎先生か誰かの本で読みましたが、中国には科挙に合格して官僚になるという目的を持って勉強する人がいましたが、科挙に合格できずに地元にいても、「読書人」として本を読む。読者がいることによって、学問のコミュニティーが成り立っているという。「読書人」が本を読むこと自体が、学問を支えて、文明を支えるという発想がある。だから私も、さまざまな本を立ち読みではなくてお金を出して買って、読むことでコミュニティーの一員になるということを意識しています。本が読み継がれることによって、さまざまな研究が発展して、あるいは私は小説も好きだけど、創作にもつながってくる。
――飯尾さんご専門の研究もさまざまなジャンルの本を読むことで発展していると感じますか?
飯尾潤氏: 三谷太一郎先生という、政治史の文化勲章も取られた大先生がいらっしゃって、最近出された本で、丸山真男先生のことを論じて、政治学は「総合の学」だと論じておられる。細かく小さなところの分析をすれば全部がわかるという学問じゃなくて、政治には世の中のいろいろなものが持ち込まれるので、それに応じた学問が必要だということかもしれません。あれこれ気が回る私のタイプに合っている学問だと思います。ただ最近、「科学としての政治学」ということが強調されて、細かく分析的になりがちなので、そういう点では私は少数派なのかもしれない。
私は学者の中では、勉強量はそんなに多くなくて、ものを考える時間を取っている方だと思います。情報を仕入れることに熱心な方はいるけれど、私は、本はゆっくり読んで、頭の中につながりを作って、「知識」にすることがうれしいです。暗記が苦手で、そのまま暗記はできない。そのままを覚えないといけない学問もありますが、私はそれを自分で組み立て直して体に入れている。ただ、問題は誤字脱字が見つけられないこと。間違っていても読めてしまうから(笑)。時々思わぬ勘違いをしていて、こりゃいかんなと思うこともあります。また本を読むことももちろん大切だけど、それ以上に対象(私の場合は政治)に直接に接触して、それは何だろうと自分の中で組み立てるので、どちらかというとフィールドワークをしている動物学に近いところがあります。実験はなかなかできないけど、どうなっているのかを実際に見る点は、本だけを扱って研究している人とも違いがあるかもしれないです。
良い本を作るために文を練る
――本を書くことも読書人のコミュニティーに参加する手段となりますね。
飯尾潤氏: 私は、文章を書くのが好きで仕方がない人ではなくて、楽しみだけ考えたら、読むだけで書かないのが一番楽しい気もします(笑)。どちらかと言うと、私はしゃべるのが好きで、書くことは苦しい。しゃべるのはハンナ・アーレント風に言えばアクション(活動)で、消えてしまうものだけど、人との関係の中で成り立っている大切なことです。物を書くのはワーク(仕事)で、時間に縛られるレイバー(労働)にならないように、完成型を考えて書きたいですが、苦労もあります。編集者に励まされて、なんとか書いている。
――執筆はどのような形で行っていますか?
飯尾潤氏: 長いものはほとんどパソコンでワープロ・ソフトを使って書いてきました。1985年から使っているからかなり初期からです。未だに使っている一太郎は、最初はバージョン2だったのです(笑)。推敲しないと完成しないタイプですが、ワープロだと簡単に書き換えられるということに甘えて、ちょっと甘い文章を書いているな、と思うこともあります。前の世代で私みたいなタイプだったら赤字を入れて、紙が足りなくなって紙を張ったりしていなくてはならないでしょう。
――作りこむことで1冊の本になるのですね。
飯尾潤氏: 良い本というのはよく練られた本だと思っています。とにかくたくさんの本をお書きになる方もいますが、そういう本を読むと、1歩止まられた方がいいのではないかと思うこともあります。完成されたものが読み継がれるというのと、コミュニケーションのためにたくさん発信されているものは違うと考えるべきではないかと思います。ブログやTwitterと、本みたいに完成されたものとの距離が近くなると、そこで誤解が起こります。
著書一覧『 飯尾潤 』