重要性増す「知識のキュレイター」
――電子媒体についてのお話もありましたが、電子書籍についてはどのようにお感じになっていますか?
飯尾潤氏: もちろん電子書籍も期待はしているところはあります。何と言ったって置き場所の問題がありますから。あとは、辞書機能が使えれば洋書なんか読むのも楽でしょう。自分の専門分野は辞書を引くことはないけれど、周辺分野だと、電子で補助的に辞書ツールが使えれば非常に便利だろうと思います。ただ、今はまだ電子書籍を持ち歩くということはしていないんです。それは私の世代が、やっぱり活字になれているからでしょう。
――電子メディアにより情報発信がしやすくなりましたが、一方で情報過多などとも言われていますね。
飯尾潤氏: 情報はすごく取りやすい世の中になりました。だから、記憶しないといけないという強迫観念はなくなった。でも整理の仕方がないと、知識だって応用はできない。私はその整理をする方の仕事をしたいと思っています。たとえば、官僚たちが「頭をすっきりさせたいのですが」と相談に来ることが多いんで、そういうお役に立てればとは思います(笑)。
――そのような中、本の世界に必要なこと、求めることはどういったことでしょうか?
飯尾潤氏: 冊子でとじて、活字で印刷されて、多く流通しているものに本というものが限定されていましたが、さまざまなメディアが出てくると、従来の形に制約されない。そうなった時に、それが品質の高い著作なのか、情報を得るために出ては消えるものなのかをどのようにマーキングするかが大切です。本というのは、編集作業がすごく大切ですが、その手間をかけているものとそうでないものの区別ができないと、読者は何を読んでいいのかわからない。情報があふれてメディアがクロスオーバーする時代では、セレクションをするキュレイターが非常に重要で、それがまだ十分ではないのではないのかなという気がしています。
アメリカの学術書は本を出すかどうかレフェリー制になっていて、厳しく審査をされます。エディターがレフェリーに出して、意見を戻して本にすると何年もかかる。ひとつ笑い話があって、一昨年「アラブの春」が起こりましたが、アメリカの学術書では去年あたりに「アラブの政治体制は絶対に変更しない」って言う本が何冊も出たそうです。原稿ができてから本を出すのに2年も3年もかかるから、タイムマシンみたいになっている(笑)。学問にはそういうところもあって、それはそれでいい。逆に日本では手間のかかる学術書が今どんどん出しにくくなっています。ひとつは本が多すぎるからですが、本が多いことを問題にしてもしょうがない。出版社は本を出すのをやめられないですから。それよりも、普通の人が手に取るもので、ある程度の品質のものはこれで、もっと読みやすいものは、そんなに手間はかけていないけれどもこういうものがあります、というように住み分けができていない。学術書がベストセラー狙いの本と競争してはダメです。安くてたくさん読ませる本だけではないことを自覚的にやることを考えた方がいい。それが、書くよりはどちらかというと読者であることの多い私の希望です。
(聞き手:沖中幸太郎)
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