時代に向き合えば、自分の明日が見える
高橋敏夫さんは、日本近現代文学を専攻する研究者であり、文芸評論家。文学を通して文化・社会・歴史にまで対象を広げた言論を展開しています。教授を務める早稲田大学での講義も、ジャンルを超えて縦横に語り尽くす独自のスタイルで、教室があふれるほどの聴講生を集める超人気講座となっています。高橋さんの知的営為の原動力を、本との関係を踏まえてお聞きしました。
教えることは学ぶことの10分の1
――早稲田大学ではどのようなテーマで講義されていますか?
高橋敏夫氏: 大学では、ホラー論や怪物論など、他の大学ではあり得ないようなものを開講していまして、講義の実況中継のような本も出しています。1クラス400人ぐらいの、文学部では一番大きな教室でやっています。
――高橋さんの授業は聴講生が非常に多いことで知られていますね。
高橋敏夫氏: 毎年決まって前の方に座っているおなじみの学生もいるんですけれど、基本的に大学というところは、学生が毎年変わっていきますので、生きた時代と接している感じがしています。僕には特技がありまして、座っている学生の顔は表情をふくめて、見渡しただけでほとんど頭の中に入ってしまう。19、20歳の学生の関心が、一番新しい人たちの感心なのですから、400人の時代のまなざしを受けながらしゃべることで、大変スリリングな日々を過ごしています。どんな物書きも、それぞれの仕方で時代と接していますが、家にこもっていればそんなスリリングな機会はめったにない。よく人に「大人数の講義って大変だね」と言われるんですが、こんなにありがたいことはない、と感謝しています。
――いつも新しい「時代の目」にさらされることには緊張感もありますか?
高橋敏夫氏: 期待に応えるような興味深い話ができないと落ち込んでしまい、もう何日もがっくりきてしまう。ノートを読み上げているような講義だと、落ち込むこともないですが、楽しみもないはずです。長い間やってきてようやく分かるようになったことは、僕が喜んで話すと、向こうもまた喜んでくれるということです。
また最近、大学には多くの留学生がやってきます。早稲田大学は、留学生が最も多い大学で、学部から大学院まで、韓国・中国はもちろん、アメリカやヨーロッパ、旧東欧地域など、いたるところから来ているので、時代の目だけではなくて、グローバルな目のようなものにも晒されるのですよ。わたしのような物書きにとって、こんなにいい場所は他には考えられないような気がしています。
――教える場所というだけではなく、ご自身も学ぶ場所になっているんですね。
高橋敏夫氏: そうです。僕は教師のつもりは全然ありません。いわゆる教師らしい教師、教えるという立場を死守する教師もいるんですが、僕にとっての理想の教師というのは、学びうる人間であって、そうでなくては教えることもできない。学生一人ひとりの表情、まなざし、態度、学生との実際の会話など、どこにでも学ぶことは転がっていますので、日々学んでいます。教えることは学ぶことの10分の1ぐらいでないとセレクトして教えられない。大学で、学生一人ひとりが見えなくなり、学ぶことができないようになったら、即刻大学をやめようと決めています。
チェーホフが、内面の世界を広げてくれた
――文学の研究者となるまでの読書体験についてお聞きします。まず小さいころはどういったお子さんでしたか?
高橋敏夫氏: 出身が香川県で、すぐ近くが海なものですから、とにかく釣りが大好きで、子どものころの記憶の70%ぐらいは釣りです(笑)。魚が泳いでいるのを見ると今でもわくわくします。ずっと釣りをしていたいのと、目はいつも外に向いていたのもあって、幼稚園のような特定の場所に行かなければいけないことが苦手でした。
でも、その外側に向かっている目が、色々な契機を経て内側に向かうようになりました。その契機が、ロシアの文学者チェーホフでした。両親が大好きでよく読んでいまして、幼稚園になる前から読み聞かされたんです。まったく無謀な親ですね。そうすると、内面的なものが小説を通じて入り込んで、自分の心の中が広がっていくような気がしてきて、その感覚がだんだん好きになってきました。そうなると風景も違って見えるようになって、釣りをしていても、幼稚園でもどこへ行ってもいい。母親がそのころ読んでくれたチェーホフの1節が、未だによみがえってくることがあります。
――印象に残っている作品には、どのようなものがありますか?
高橋敏夫氏: 『かもめ』や『三人姉妹』などは今でもかなりそらんじているのですが、『ステップ(曠野)』という短い小説からは、音が聞こえてきます、今でも。馬車に乗って少年が旅をして、色々な風景を見るんですが、その出発のときに、日本でいう漬け物にあたるザクスカをガリッとかんだら、ステップですから高原の空気が乾いていて、その音がとても大きく聞こえる。なんでもないことなんですが、チェーホフの小説は、そういう不思議な音や風景に満ちている。そういった表現に接することで、自分の内面の世界が広がってくると、学校に行かなければならないなどということが、たいしたことではないと思うようになりました。
そのような機会は、子どものころに持つことはなかなか難しいので、誰かが押しつけではない形で見せてくれると、楽しいんじゃないかと思います。今でも、家の書棚にチェーホフの全集が並んでいるのが目に浮かびます。
――ご両親もそういった教育的効果を考えられていたのでしょうか?
高橋敏夫氏: たぶんそんなふうには考えていなかったと思います。両親とも読むのも朗読するのも好きだった。父親は大学のころに、政治運動のかたわらチェーホフの演劇をやっていたりしましたから、単に好きだったんだと思います。父親も母親も、教育しようなんて思わないタイプの人間で、そこは僕も似ている。母親の影響は大きくて、母親は始終本を読んでいたという記憶しかないのです。薄暗いところで母親が本を読んでいて……人が本を読んで泣いたり笑ったりするのを、僕は初めて知りました。
著書一覧『 高橋敏夫 』