評論は、時代と関係を切り結ぶ作業
――今まで執筆されてきた評論は、相当な量になっているのではないですか?
高橋敏夫氏: 評論と膨大な書評があって、前に書評集を出した時に数えたら、書評は学生のころから新聞・雑誌を合わせると、2500本ぐらい書いているんです。コラムなんかだと400字で、書評だとだいだい1000字ぐらい、著作は400字詰め原稿用紙に換算して500枚ぐらい、新書本だと300枚、12000字ぐらいです。でも、僕にとって、400字書くのと12000字書くのは、あまり変わらない。
書評はひとつれっきとした世界なんです。書評は相手の本の宇宙を自分の宇宙として表したものだと思います。そう考えると長い短いはあまり関係がない。さっき言ったアイデア、1行が自分にとって宇宙になる。著作は、早いと1週間ぐらいで200枚か300枚書けることがあります。反対に書評が1ヶ月くらいかかることもあるんです。相手の宇宙と自分を出会わせるより、自分で作る方が、充実した1行もあれば実にスッカラカンの400枚もあるので楽なんです(笑)。書評というのはなかなか難しいですね。
――高橋さんが執筆される時に最も心がけていることはどういったことですか?
高橋敏夫氏: 書評は、時代と自分がどういう風に関係しているのかを確かめていく作業だと思っています。学生の目も時代のまなざしだし、向こうからやってくる本も、やっぱり時代からのメッセージです。時代と自分が切り結んだ時、自分の今が見えてくる。自分の今が見えたら、明日も見えるはずなんです。ずっとそうやって生きてきたんだな、と思います。評論家は、そういうものに魅入られてしまっているんでしょう。そういうことは放っておいて、釣りに戻ればいいじゃないかとも思うのですが、なかなかそういうわけにはいかない。だから時代とつながれなくなったら潔く辞めようと思っていますし、学生の顔がみんな同じ顔に見えるようになったら終わりだと思っています。一人ひとりの学生の目と自分がつながっていると思っているから、僕は「学生諸君」という言葉がかけられない、「みんな楽しみましょう」なんて言葉を発するようになったら終わりだなとも思っています。
本を電子化して、全国を飛び回る
――高橋さんは、書籍の電子化についてはどのようにお考えでしょうか?
高橋敏夫氏: 僕は日本全国で年間100回ぐらいの講演会があって、週に2回ぐらいは必ずどこかでしゃべっているんです。そこで一番困るのは、本を持ち歩けないことです。10冊ぐらい必要な時に、昔は全部持ってガラガラ引っ張って歩いていたんですが、今は前日に家でパソコンに取り込んでPDFにして、大事な部分だけ持って行っています。だから、ブックスキャンでこれを1冊100円でできるというのを知ったときは、おどろいた。とても興味がありますね。
――紙と電子データの違いについてはどのようにお考えでしょうか?
高橋敏夫氏: 本には独特な身体感覚があります。大きさや、持った瞬間の感じがあって、本を見た時に、買った時の本屋さんの湿っぽい感じを思い出すなど、記憶につながっているんです。電子で読むと、データの記憶はあるかもしれないけど、やはり物としての記憶がない。ただし、物としての記憶があるということは、いいことかどうかは分からない。本がない時代はそんなものはなかったわけで、歴史的に作られた記憶なんですが、まだ我々はそこから抜けられない。
物書きは、時代の目にさらされているのだから、時代が求める新しいものも取り入れて、フットワークも軽くしていかないといけないので、電子書籍はとても大事なツールだと思っています。ただ、日本ではまた電子書籍の環境が整っていなくて、今使っているのはせいぜい青空文庫ぐらい。Kindleは持っているのですがほとんど使わなくて、スマホですね。これはありがたいもので、講演でしゃべりながら、「ちょっと待ってください、今ちゃんと引用しますから」と言ってその場で調べたりしています。これからもっと便利になっていってほしいと思います。
――電子書籍の普及にあたって課題となるのはどういったことでしょうか?
高橋敏夫氏: 本を作るのは、編集者と物書きの共同作業です。電子書籍を自分で作って、Kindleで売るのも、すごく面白いんですが、共同作業を欠いてしまうと、時代の目というより自分だけの目になってしまって、いいのか悪いのか判断ができない。だから、出版社の編集者ではなく、ファイナンシャルプランナーのように、独立した編集プランナーみたいな人が出てくるといいですね。
それと、評論が弱い分野はすぐに滅んでしまいますから、電子書籍を意識した評論というものが、きちんとした形でできていけばいいと思います。例えば文学なんかは評論が強い世界だから、ずっと生きている。最近の携帯小説やライトノベルなど、面白いものもたくさんあって僕も読むのですが、評論がじゅうぶんには形成されていないので、やがてうまく立ち行かなくなってしまうのではないかと思います。編集や出版、評論も、色々なタイプのプランナーのような存在が、インターネット上を歩き回ることになていけば、面白くなると思っています。