高橋敏夫

Profile

1952年生まれ、香川県出身。早稲田大学第一文学部を卒業後、同大学院修士・博士課程で日本近代・現代文学、文学理論、「異化の詩学と政治学」を研究。関東学院女子短大助教授を経て早稲田大学文学部教授に。学生時代より文芸評論家として活躍し、その対象は演劇・映画・マンガ・音楽と多岐にわたる。雑誌や新聞で文化批評・社会批評を展開する傍ら、大学では「ホラー論」「怪物論」「アイヌ文学・オキナワ文学論」「ノンフィクション史」「戦争文学論」「歴史・時代小説論」などの講義・ゼミを行い、早稲田祭の学生アンケートで「早稲田で一番面白い授業」に選ばれるなど人気があり、学外からの聴講者も多い。

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時代に向き合えば、自分の明日が見える



高橋敏夫さんは、日本近現代文学を専攻する研究者であり、文芸評論家。文学を通して文化・社会・歴史にまで対象を広げた言論を展開しています。教授を務める早稲田大学での講義も、ジャンルを超えて縦横に語り尽くす独自のスタイルで、教室があふれるほどの聴講生を集める超人気講座となっています。高橋さんの知的営為の原動力を、本との関係を踏まえてお聞きしました。

教えることは学ぶことの10分の1


――早稲田大学ではどのようなテーマで講義されていますか?


高橋敏夫氏: 大学では、ホラー論や怪物論など、他の大学ではあり得ないようなものを開講していまして、講義の実況中継のような本も出しています。1クラス400人ぐらいの、文学部では一番大きな教室でやっています。

――高橋さんの授業は聴講生が非常に多いことで知られていますね。


高橋敏夫氏: 毎年決まって前の方に座っているおなじみの学生もいるんですけれど、基本的に大学というところは、学生が毎年変わっていきますので、生きた時代と接している感じがしています。僕には特技がありまして、座っている学生の顔は表情をふくめて、見渡しただけでほとんど頭の中に入ってしまう。19、20歳の学生の関心が、一番新しい人たちの感心なのですから、400人の時代のまなざしを受けながらしゃべることで、大変スリリングな日々を過ごしています。どんな物書きも、それぞれの仕方で時代と接していますが、家にこもっていればそんなスリリングな機会はめったにない。よく人に「大人数の講義って大変だね」と言われるんですが、こんなにありがたいことはない、と感謝しています。

――いつも新しい「時代の目」にさらされることには緊張感もありますか?


高橋敏夫氏: 期待に応えるような興味深い話ができないと落ち込んでしまい、もう何日もがっくりきてしまう。ノートを読み上げているような講義だと、落ち込むこともないですが、楽しみもないはずです。長い間やってきてようやく分かるようになったことは、僕が喜んで話すと、向こうもまた喜んでくれるということです。
また最近、大学には多くの留学生がやってきます。早稲田大学は、留学生が最も多い大学で、学部から大学院まで、韓国・中国はもちろん、アメリカやヨーロッパ、旧東欧地域など、いたるところから来ているので、時代の目だけではなくて、グローバルな目のようなものにも晒されるのですよ。わたしのような物書きにとって、こんなにいい場所は他には考えられないような気がしています。

――教える場所というだけではなく、ご自身も学ぶ場所になっているんですね。


高橋敏夫氏: そうです。僕は教師のつもりは全然ありません。いわゆる教師らしい教師、教えるという立場を死守する教師もいるんですが、僕にとっての理想の教師というのは、学びうる人間であって、そうでなくては教えることもできない。学生一人ひとりの表情、まなざし、態度、学生との実際の会話など、どこにでも学ぶことは転がっていますので、日々学んでいます。教えることは学ぶことの10分の1ぐらいでないとセレクトして教えられない。大学で、学生一人ひとりが見えなくなり、学ぶことができないようになったら、即刻大学をやめようと決めています。



チェーホフが、内面の世界を広げてくれた


――文学の研究者となるまでの読書体験についてお聞きします。まず小さいころはどういったお子さんでしたか?


高橋敏夫氏: 出身が香川県で、すぐ近くが海なものですから、とにかく釣りが大好きで、子どものころの記憶の70%ぐらいは釣りです(笑)。魚が泳いでいるのを見ると今でもわくわくします。ずっと釣りをしていたいのと、目はいつも外に向いていたのもあって、幼稚園のような特定の場所に行かなければいけないことが苦手でした。
でも、その外側に向かっている目が、色々な契機を経て内側に向かうようになりました。その契機が、ロシアの文学者チェーホフでした。両親が大好きでよく読んでいまして、幼稚園になる前から読み聞かされたんです。まったく無謀な親ですね。そうすると、内面的なものが小説を通じて入り込んで、自分の心の中が広がっていくような気がしてきて、その感覚がだんだん好きになってきました。そうなると風景も違って見えるようになって、釣りをしていても、幼稚園でもどこへ行ってもいい。母親がそのころ読んでくれたチェーホフの1節が、未だによみがえってくることがあります。

――印象に残っている作品には、どのようなものがありますか?


高橋敏夫氏:かもめ』や『三人姉妹』などは今でもかなりそらんじているのですが、『ステップ(曠野)』という短い小説からは、音が聞こえてきます、今でも。馬車に乗って少年が旅をして、色々な風景を見るんですが、その出発のときに、日本でいう漬け物にあたるザクスカをガリッとかんだら、ステップですから高原の空気が乾いていて、その音がとても大きく聞こえる。なんでもないことなんですが、チェーホフの小説は、そういう不思議な音や風景に満ちている。そういった表現に接することで、自分の内面の世界が広がってくると、学校に行かなければならないなどということが、たいしたことではないと思うようになりました。
そのような機会は、子どものころに持つことはなかなか難しいので、誰かが押しつけではない形で見せてくれると、楽しいんじゃないかと思います。今でも、家の書棚にチェーホフの全集が並んでいるのが目に浮かびます。

――ご両親もそういった教育的効果を考えられていたのでしょうか?


高橋敏夫氏: たぶんそんなふうには考えていなかったと思います。両親とも読むのも朗読するのも好きだった。父親は大学のころに、政治運動のかたわらチェーホフの演劇をやっていたりしましたから、単に好きだったんだと思います。父親も母親も、教育しようなんて思わないタイプの人間で、そこは僕も似ている。母親の影響は大きくて、母親は始終本を読んでいたという記憶しかないのです。薄暗いところで母親が本を読んでいて……人が本を読んで泣いたり笑ったりするのを、僕は初めて知りました。

マルクスで体験した「世界を知る」感覚


――就学前からそういった体験をしていたことで、学校に入ってからも何らかの影響がありましたか?


高橋敏夫氏: 小学生になると、色々と学校で教わるんですが、全く記憶がないんです。たぶん、小学校に上がる前に、自分の内面的な世界みたいなものが、チェーホフというすばらしい作家によってできてしまったので、小学校の教科書がほとんど入って来なかったんだと思います。
つよく記憶に残っているのは、中学に入って1年生のころに読んだ漱石で、これが2番目の体験です。僕は読む時はたいてい全部読んでしまうので、家にあった漱石全集を中学1年の時に一夏かけて全部読んでしまいました。小説とエッセイですが。毎日、暑いのに正座をして、部活の前に2時間ぐらい読むんです。『吾輩は猫である』などは楽しんで読んでいたのが、だんだん世界は緊迫してきて、人が苦しみぬくような小説になって、自殺の話も出てくる。汗をたらたら垂らしながら、気が付いたら正座をしていました。今にいたるまで、正座をして物を読んだのはその時だけです。漱石はその一夏で卒業しました。

――その後、意識して読まれたのはどういった本でしたか?


高橋敏夫氏: 中学3年生の時に、マルクスに出会うんです。『共産党宣言』の文庫本を読んで、最初の1行で、「すべてこれまでの社会の歴史は階級闘争の歴史である」と書いてあって、それまで薄々気づいていながらも何かはっきりしなかった世界が、とつぜんはっきりとしてきたのです。もちろん階級闘争の意味なんてよくは分からないんですが、対立と闘争の構図が初めて見えて、これまでの見たこと聞いたこと感じたことがすべて「分かった!」となった。どうしてぼろをまとう人がいて、立派な車をまるで傍若無人に飛ばす人がいるのか……。自分が子どものころから考えてきたことが、全部その1行に入ってしまう感覚があった。チェーホフや、漱石を読んだだけでも分からないことを、はっきり分からせてくれた。「この1冊」と言われたら、いつも笑われるんですけど、昔も今も『共産党宣言』なんです。
そして、高校時代は政治にあけくれました。マルクス、レーニン、ヘーゲルなどの代表作を読破して、政治活動をしました。といっても1970年代初めのごく平均的な学生でしたが。

政治活動の挫折から、日常の中に政治を見い出す方へ


――早稲田の第一文学部に入学されましたが、専攻は何だったのですか?


高橋敏夫氏: チェーホフを読もうと思ったので、ロシア文学を専攻しました。政治が全部壊れてしまって、人並みに挫折をしまして、自分の原点とはなんだろうと考えて、チェーホフだと。チェーホフは、劇作家の中で初めて、劇の中に日常を持ち込んだと言われている。例えばシェイクスピアの作品には色々な人が出てくるけど、物を食べたりする場面などは出てこないのですが、チェーホフは、人が食事をする場面を持ち込んだ。劇の中に日常が流れ込んだんです。
政治が挫折して、ただ日常に戻るのではなくて、政治的な活動の中で、自分が着視していなかった日常を、もう一度自分なりに組み替えて、政治をどうやってこの日常の中で生かしていけるのかなという風に思って、チェーホフやゴーリキー、トルストイあるいはドフトエフスキーなどの翻訳をして過ごそうと思っていました。
ところが大学がずっとバリケードで封鎖されていた時代で、まともに授業に出たのが学部5年間5回しかなく、ほとんど家にいたり、新宿で友人と飲んでいたりしていました。今、大学生に教えていて、いつも「授業なんか出てくるな、僕は5回しか出ていないんだから」と言っていて、そういう話が珍しいから逆に授業に人が来ています。困ってしまう。

――学生時代から、評論活動を始められていますね。


高橋敏夫氏: 評論的な言葉、世界をギュッとつかんでしまう、それこそ「すべてこれまでの社会の歴史は階級闘争の歴史である」であるというような、アイデアであると同時にキャッチフレーズのような、短い言葉でうまくまとめたものを自分で書きたいと思いました。そうすると小説を書いたりするのは、まだるっこしい。短い言葉を考え始めたら、1日中、その一行を書きつらねてしまう。何百もね。
当時、糸井重里さんなど政治から挫折した人が、世界をどう詞で捉えるかということでコピーライターになって出てきていた。だから僕の人知れぬ試みも決して孤立していたわけではなくて、政治の大きな道が見えなくなって、誰もが自分なりに世界を捉える言葉というものを見い出したい、書きたいと思っていたんです。自分なりに切り開かないと、目の前のちょっとした道も見えない。そんなところから滑り出したんじゃないかなという気がしています。自分のためにアイデアを出すと、ちょっと生きていける。家にいる時は、部屋に黒いカーテンをかけて、昼でも真っ暗な部屋でひたすら物を書いた。それで別のものが見えなくなったのかもしれないんですが、その当時はそれしかないと思っていました。

評論は、時代と関係を切り結ぶ作業


――今まで執筆されてきた評論は、相当な量になっているのではないですか?


高橋敏夫氏: 評論と膨大な書評があって、前に書評集を出した時に数えたら、書評は学生のころから新聞・雑誌を合わせると、2500本ぐらい書いているんです。コラムなんかだと400字で、書評だとだいだい1000字ぐらい、著作は400字詰め原稿用紙に換算して500枚ぐらい、新書本だと300枚、12000字ぐらいです。でも、僕にとって、400字書くのと12000字書くのは、あまり変わらない。
書評はひとつれっきとした世界なんです。書評は相手の本の宇宙を自分の宇宙として表したものだと思います。そう考えると長い短いはあまり関係がない。さっき言ったアイデア、1行が自分にとって宇宙になる。著作は、早いと1週間ぐらいで200枚か300枚書けることがあります。反対に書評が1ヶ月くらいかかることもあるんです。相手の宇宙と自分を出会わせるより、自分で作る方が、充実した1行もあれば実にスッカラカンの400枚もあるので楽なんです(笑)。書評というのはなかなか難しいですね。

――高橋さんが執筆される時に最も心がけていることはどういったことですか?


高橋敏夫氏: 書評は、時代と自分がどういう風に関係しているのかを確かめていく作業だと思っています。学生の目も時代のまなざしだし、向こうからやってくる本も、やっぱり時代からのメッセージです。時代と自分が切り結んだ時、自分の今が見えてくる。自分の今が見えたら、明日も見えるはずなんです。ずっとそうやって生きてきたんだな、と思います。評論家は、そういうものに魅入られてしまっているんでしょう。そういうことは放っておいて、釣りに戻ればいいじゃないかとも思うのですが、なかなかそういうわけにはいかない。だから時代とつながれなくなったら潔く辞めようと思っていますし、学生の顔がみんな同じ顔に見えるようになったら終わりだと思っています。一人ひとりの学生の目と自分がつながっていると思っているから、僕は「学生諸君」という言葉がかけられない、「みんな楽しみましょう」なんて言葉を発するようになったら終わりだなとも思っています。

本を電子化して、全国を飛び回る


――高橋さんは、書籍の電子化についてはどのようにお考えでしょうか?


高橋敏夫氏: 僕は日本全国で年間100回ぐらいの講演会があって、週に2回ぐらいは必ずどこかでしゃべっているんです。そこで一番困るのは、本を持ち歩けないことです。10冊ぐらい必要な時に、昔は全部持ってガラガラ引っ張って歩いていたんですが、今は前日に家でパソコンに取り込んでPDFにして、大事な部分だけ持って行っています。だから、ブックスキャンでこれを1冊100円でできるというのを知ったときは、おどろいた。とても興味がありますね。

――紙と電子データの違いについてはどのようにお考えでしょうか?


高橋敏夫氏: 本には独特な身体感覚があります。大きさや、持った瞬間の感じがあって、本を見た時に、買った時の本屋さんの湿っぽい感じを思い出すなど、記憶につながっているんです。電子で読むと、データの記憶はあるかもしれないけど、やはり物としての記憶がない。ただし、物としての記憶があるということは、いいことかどうかは分からない。本がない時代はそんなものはなかったわけで、歴史的に作られた記憶なんですが、まだ我々はそこから抜けられない。
物書きは、時代の目にさらされているのだから、時代が求める新しいものも取り入れて、フットワークも軽くしていかないといけないので、電子書籍はとても大事なツールだと思っています。ただ、日本ではまた電子書籍の環境が整っていなくて、今使っているのはせいぜい青空文庫ぐらい。Kindleは持っているのですがほとんど使わなくて、スマホですね。これはありがたいもので、講演でしゃべりながら、「ちょっと待ってください、今ちゃんと引用しますから」と言ってその場で調べたりしています。これからもっと便利になっていってほしいと思います。

――電子書籍の普及にあたって課題となるのはどういったことでしょうか?


高橋敏夫氏: 本を作るのは、編集者と物書きの共同作業です。電子書籍を自分で作って、Kindleで売るのも、すごく面白いんですが、共同作業を欠いてしまうと、時代の目というより自分だけの目になってしまって、いいのか悪いのか判断ができない。だから、出版社の編集者ではなく、ファイナンシャルプランナーのように、独立した編集プランナーみたいな人が出てくるといいですね。
それと、評論が弱い分野はすぐに滅んでしまいますから、電子書籍を意識した評論というものが、きちんとした形でできていけばいいと思います。例えば文学なんかは評論が強い世界だから、ずっと生きている。最近の携帯小説やライトノベルなど、面白いものもたくさんあって僕も読むのですが、評論がじゅうぶんには形成されていないので、やがてうまく立ち行かなくなってしまうのではないかと思います。編集や出版、評論も、色々なタイプのプランナーのような存在が、インターネット上を歩き回ることになていけば、面白くなると思っています。

新しい時代に向け、過去を学ぶ


――メディアについても、時代の変化を見ることが重要になるのですね。


高橋敏夫氏: 過渡期というのは、たくさんの勉強が必要です。「ミネルヴァのフクロウは夕方に飛び立つ」と言いますが、メディアも政治も世界も、時代が終わって、次の時代が始まっていく中で、まっさらにならなきゃいけない。ところが、まっさらになるためには、忘れてしまえばいいのではなく、これまでの知識を自分のものにしなくてはならない。過去を知らないと、「いらない」ということも分からないので、空白にはなれないわけです。ですから、過渡期はこれまでのあらゆるものを見る力と、それを押しのけてまっさらになって次を書き付ける力が、両方とも必要です。
我々は、普通の時代の100倍ぐらい大変な時代を生きていると思います。そういう意味では、ブックスキャンの試みは大変素晴らしいと思います。本は、過渡期を生きている人たちの記録ですから、若い人たちも含めて、自分なりの体験を持ち寄るような形で充実させていけば、何が問題であるかということも分かってくるのだと思います。色々意見はあるでしょうが、批判も肯定もあって、だんだん発展していく。批判的なものも全部入れるようなシステムを作っていくことが大事だと思います。

――最後に、今後の展望をお聞かせください。


高橋敏夫氏: 最近10年くらい、時代小説や歴史小説について集中的に考えています。3.11以降、日本の社会は一変して、従来のものの捉え方がいかに落とし穴が多いのかということが分かってきたことで、色々な人の試みが出てきている。その中で僕は、ひらがなの「なかま」という言葉が、大事なタームになってきたなと思っています。この8月に出す評論集のタイトルは『時代小説は行く! 「なかま」の再発見』なんです。

日本の近代文学というのは、孤独な知識人を主人公にしてきた。日本近代小説の始まりと言える、二葉亭四迷の『浮雲』の主人公内海文三という人物は、小役人で、うまく立ち回れず辞めてしまい、次第に病み始める。これが日本の近代文学の出発なんです。何があっても1人で生きて、余計な仲間は拒絶する。それが純文学の、現代の村上春樹に至るまでの主たる傾向です。
でも、あたりまえですが、人は1人では生きていないし、生きられない。その点で、エンターティンメント、大衆文学、時代小説などの世界は、例えば捕物帖でも必ず「なかま」がいるし、孤独が好きなシャーロック・ホームズだって、1人は友人がいる(笑)。僕は最近、大衆文学、エンターティンメントは「1人で生きられない者たちの文学」と位置づけるようになってきました。自分たちの持てるものを持ち寄って、「なかま」が集まる。ダメなことを維持するための「悪しき集団」ではなくて、社会をなんとかしたいと思う「なかま」が、優れたエンターティンメントには、たくさんいる。それを存分に掘り起こせた時、たぶん今までの文学に対する見方も、大きく変わるんじゃないか、と考えています。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 高橋敏夫

この著者のタグ: 『大学教授』 『政治』 『評論家』 『教育』 『講義』 『学ぶ』 『釣り』

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