世の中にアンテナをはりめぐらせ、書き続ける。
1962年生まれ、北海道出身。東京大学工学部を卒業後、霞ヶ関、地方自治体、東京大学を経て2001年から新潟大学助教授、2007年から新潟大学教授となる。専門は行政学で、イギリスの地方制度改革、市長の経歴に関する研究、イギリスの地方制度改革、政策形成、首長の経歴に関する研究などをされています。著書には、『市長の履歴書―誰が市長に選ばれるのか』(ぎょうせい)『自治体格差が国を滅ぼす』(集英社新書)『データの罠』(集英社新書)『暴走する地方自治』(ちくま新書)など多数あります。また食による地域振興にも力を注ぎ、『B 級グルメが地方を救う』(集英社新書)を出版、そのほかにもB-1グランプリ特別審査員を務めるなど、ご活躍されています。地方自治体、総務省、人事院などでの研修の講師なども務め、地方自治の行政推進のサポートをされている田村秀さんに、お仕事・執筆に対する思いをお伺いいたしました。
見過ごされがちなものや一歩先のことを書きたい
――早速ですが、近況を伺えますか?
田村秀氏: 最近もいろいろな本を書いてます。世の中にはいろいろなランキングがあって、それに引っかからないようにという内容の『ランキングの罠』という本を去年書きました。今は道州制に関したものを、というお声を掛けていただいたりもしていまして、4月から学部長もしているものですから、嬉しい悲鳴です。
例えばB級グルメなどもそうですが、世の中で見過ごされがちなものを自分の執筆において明らかすること、一歩先のことを書きたいなというのが僕の目標かもしれません。でも、僕は理性的というよりはどちらかというと感性の人間なので、まずは現場を見ます。現場にはいろいろなヒントや問題があるので、問題について早めに警鐘し、面白いものは面白いと紹介します。
――グルメについても本を出版されていらっしゃいますね。
田村秀氏: 『B級グルメが地方を救う』です。グルメについてもいいものはいいと、早い段階で紹介します。今年に入ってからは新潟大学のブックレットの『新潟と全国のご当地グルメを考える』というものを大学で作っていて、B―1グランプリのことや、最近の動きなどを書いています。B級グルメという言い方は、安っぽさが先行しているようなイメージが強くなっているので、これからは「ご当地グルメ」という言い方の方が良いかなと今は思っています。「おや?何だろう」というように注目して欲しいという理由から、僕はB級という言葉を使い始めただけだったので、AやBではなく、むしろ地域性、ご当地性の方が大事なのです。また、地域性とかご当地性が大事だという思いは、地方自治のことにも通じるのです。
両極端な本を読み、世の中の様々な違いに気がつく
――どのようなお子さんだったのか、読書体験とも絡めてお伺い出来ればと思います。
田村秀氏: 本籍は苫小牧ですが、転勤が多く小学生の時に九州、茨城、北海道3回転校しました。転校生だったからか、なんとなく落ち着く感じがある図書室に行きがちで、「1年間に100冊」などと自分なりに目標を立て、多い時は200冊位読みました。中学生1年の時にジョナサン・スウィフトの大人向けの『ガリバー旅行記』を読んだ記憶があります。ある意味、乱読だったのかもしれませんが、その結果「小説は自分に向かない」と感じ、それからは市立図書館などで借りて、心理学の本や、ノンフィクションを読むようになりました。自分でも面白いなと思うのは、竹村健一と本多勝一という、本当に両極端な2人の本を当時読んでいたことです。両者の本を見たことで、世の中にいろいろな考え方があるということを改めて本の世界でも理解しました。
――幼い頃からいろいろなことに興味を持っていたのはご両親の影響もありますか?
田村秀氏: 父も母も、ある意味放任主義で、「本を読め」や「勉強しろ」と言われたわけでありませんでした。ただ、勉強したいのだったら参考書などは買ってあげるという感じで、僕は感謝しています。最初は福岡市内で、その次に茨城の鹿島郡の波崎という自然豊かなところで、その後は苫小牧。同じ日本でもそれぞれ全然環境が違いました。転校が多くいろいろな地域を見た、ということを僕はマイナスに捉えておらず、むしろ、それが今の地方自治に対する僕の思いに繋がっている気もします。
現場主義。40種類以上のアルバイトを経験。
――本で世の中の様々な違いを改めて気がついたということですが、その後ご自身に変化はありましたか?
田村秀氏: 徐々に本の世界だけではだめだ、ということも分かってきました。僕自身は中学まではあまり外向きの人間ではなかったのですが、中学のある時期に「何かをしなくては」と思いたって、新聞配達を始めました。その後も、本に書いてあることを確かめたいという思いから、高校時代も含めてアルバイトに目がいくようになりました。現場主義である沢木耕太郎の本などもけっこう読みまして、自分自身で出来る現場主義とは何かを考えた結果がアルバイトだったので、東大の時を含めて40種類位やりました。
――アルバイトではどのようなことをされましたか?
田村秀氏: 中学で新聞配達、高校の時は魚屋、スーパー、エキストラなどをやって、大学に入ってからは塾講や家庭教師、それから展示会の会場を作ったり回収したりなど。後はダクトの掃除、レストランのボーイ、ビアガーデンなど。他には引越し、検査、交通や騒音の調査、世論調査、ビラ配り、おはぎ作り、結婚式場の搬入の単発のアルバイトなど、あらゆる分野の仕事をしました。僕は力があるわけでもなく不器用でしたから、よく怒られた記憶もあります。
――まさしく現場主義というか、素晴らしい経験ですね。
田村秀氏: 本とそれから先の現実の世界を、必ず両方を見なければいけないと思いました。東大を出た、あるいはその後に役所に行ったことではなく、やはり、本と読んだ時の充実感と共に生まれる疑問などが、自分の原点なのかなと思います。大学の時にオフロードバイクに乗っていたのもあって、それで現場に行ったり、北海道を3週間位テントを乗っけて、いろいろと走ったりもしました。僕の場合は、見かけはあまりワイルドではないのでバイクに乗るように思われないのですが、28歳位まではそういうことをやっていました。
「広く深く」地域に関わって貢献していきたい
――将来については、当時はどのように考えられていましたか?
田村秀氏: 公務員試験に落ちたら1年位留年してマスコミを次に受けようかなと思っていたくらいで、絶対に公務員になろうとは思っていませんでした。ただ、地域のことにはすごく関心を持っていて、役人になりたいというよりは、県庁と市役所ということではなく、企画立案なども含めて、地域に関わる仕事をして貢献したいとは思っていました。
――現場や、根幹に関わって知りたいという一貫した意欲をお持ちなのですね。
田村秀氏: そうですね。でも街づくりやグルメにしても、根幹までいつも迫っているかどうかというのは、自分では自信はありません。でも、少し欲張りな気もしますが、広く浅くではなく、「広く深く」を目指して、各地域を回りながら写真を撮ったり話を聞いたりして本を書いています。グルメ、データリテラシー、地方自治というのが僕の中での3本柱。よく1本に絞れなどと言われますが、それは自分には出来ないから全部やろうと、開き直っています。地域、地方自治あるいは食にもいろいろなものがある。僕自身は役所に入ってからはずっと文系の仕事をしていましたが、理系スピリットは大事だと思います。法律をいじるといっても、社会の様々なデータを使って表現されるわけで、それに対するリテラシーがないといけません。香川県企画部企画調整課長をしていた時、1992年に『クイズ現代かがわの基礎知識』を出した時に思ったことは、客観的なデータで語るべきだということ、地域の人は地域のことを知らないということです。食のことも家計調査など、データでいろいろと語られる。食は地域の個性で、地域起こしとして食が使われるという風に、全部が繋がっていくんです。地方自治のことももっとデータで語るべき点もありますし、3者というのは僕の中では密接に絡まっているのです。
――3つの科学的な視点で、物事の本質や根幹などに近づくのでしょうか?
田村秀氏: 僕は真理は常に1つではないと思っています。ただ、その時に一方向だけではなく科学的にも見なくてはいけない。科学的なアプローチ、地方自治のアプローチもあれば、データのアプローチに食のアプローチもある。もっというと、食の話には正解などなく、自分が美味しいと思えばそれで良いわけなのですが、宇都宮餃子が一番、浜松餃子が一番と言う人もいるように、人は競うわけです。少し罠みたいな話のように思えますが、そういうのもまた面白い。問題点は指摘しつつも、肯定的に捉えようとは思っています。
初めて書いた本は日本初のご当地検定本
――本を出すきっかけはどういったことでしたか?
田村秀氏: 僕が初めて単著を書いたのは、香川の人が香川のこと知らないといけないと思いから書き始めた、前述の1992年の『クイズ現代かがわの基礎知識』です。その頃、香川のイメージアップの話をしていて、田尾さんという、有名な麺通でもある当時タウン誌の編集長だった方から、うどんで行こうという話も出ていたのですかが、蕎麦屋もラーメン屋もある、という話になりすぐ潰れてしまいました。その2年後の平成5年に香川と徳島共催の国体があり、共催ということで国体を優勝しない宣言しようという案も出ましたが、それも却下されたわけです。そういうこともあり、組織の中で言ってもしょうがないから、自分で何かイメージアップを図ろうということで、クイズに決定しました。香川のイメージアップの前に皆が地元のこと知らないという問題を払拭しなくてはならなかったので、当時はまだインターネットもなかったので、香川を知ってもらうために本を出すことにしました。地元の出版社さんに協力してもらい、全部手作りしました。
――本の内容はどのようなものですか?
田村秀氏: 僕が全部図書館で香川のいろいろな出来事の記事を古い新聞から自分で探してきて、構図、メモ、答え、解説、写真、グラフも全部当時ワープロで自分で打ちました。町の数や、高校野球などのデータ系から、大御所は誰かなどという情報満載の4択問題の本です。当時はクイズ番組はたくさんありましたが、これはご当地検定が始まる前の92年、今から21年前なので、僕は勝手に日本最初のご当地検定本だと思っています。妻が、出産で実家の方に帰っていた時期も長かったりなどで、時間があったというのもあるでしょうか。写真は出版社に探してもらうなどして、政治経済もあれば、文化、風俗もあるという感じの本です。
――精力的に活動される田村さんの意欲の源はどういったものでしょうか?
田村秀氏: この時は、30歳になるまでに何か形に残したかったという思いがあったと思います。これを出版したのが29歳の時でした。自分の名前出すとつまらないと思い「かがわクイズ問題研究会」などと勝手に名前を作ったりもしました。「僕」を売ることよりも、この「本」が売れることが大事だったので、国から来た県の課長ということもあり、個人の名前よりもクイズ問題研究会の方がもっともらしいと当時思って使いました。最初1000部出したんですが、増刷になった時や、平積みになった時は嬉しかったです。
もっと一般の人に発信するべきこともあるのではないかという思い
――その後もたくさんのご著書を出されていますが、書く時の気持ちに変化はありましたか?
田村秀氏: その後は、共著は何冊かありましたが、単著はしばらくありませんでした。2003年に大学にきて初めて『市長の履歴書』という本を出しました。最初の頃は学術系の本ばかりでしたが、道州制の本を出してからいろいろ書いていくようになりました。道州制の本や政策形成などの本などを書いたんですが、なんか違うなと感じていました。
学者の世界はやはり狭く、ある意味では仲間うちだったり、学者共通の言語もあって、その中でいろいろと研究を深めていくのは良いのだけれど、もっと一般の人に発信すべきってことがあるんじゃないかと思い始めました。それで2006年に『データの罠』を書いたんですが、これが一番売れています。この本を出した時に、書評などをたくさん書いてもらえて、出して1ヶ月もしないうちに、日テレさんのディレクターから電話で「『太田総理』で世論調査についての番組をするから出てくれないか」と言われたりするようになりました。
ボツになった企画も他にもいくつもありますが、僕は基本的には自分で売り込みをします。単純にお金というよりは、いかに広まるかが大事だと思っているので、ぜひ出してもらいたい。
――地域の本に関しては香川だけではなく、新潟についての本も出されていますね。
田村秀氏: 新潟のいろいろな問題。新潟の人はいうのは、地元愛があるので新潟のことを悪く言わないんですが、地元に対してラブイズブラインドになってしまっている部分もあるということを『消滅か復権か 瀬戸際の新潟県 12の課題』を2010年に書いたのですが、地元ではけっこう評判になりました。11年の地震、その後副学部長になって忙しくなったのですが、西の方で名古屋で河村氏、大阪で橋下氏が首長になるという社会の動きがあって、周りがにわかに熱狂しているけれどどうなのか?ということを『暴走する地方自治』で書きました。
――学部長の仕事もあってお忙しい中、執筆もあるわけなのですが、どんなイメージを持ってお仕事をされていらっしゃいますか?
田村秀氏: これは京浜東北線で、こっちは山手線をといったように、別の電車を同時に走らせるってイメージです。でも、線路はやはり繋がってるし、脱線しないようにしなければいけないっていうイメージです。制御装置が僕といった感じでしょうか。だから、時々混乱することもありますが、コラボっていう感じもあります。
データを豊富に載せることで点と点が繋がる
――電子書籍の可能性についてはどうお考えでしょうか?
田村秀氏: 僕は電子書籍に関してはよく分からないんですが、僕の本で電子化されてる本もありますし、むしろ僕はいろいろな本を電子化して欲しいなと思っています。やはり電子化というメリットは多分活字だけではなく、いろいろな写真などを入れやすいという点もあります。本を作る時に版を作ると、写真や図表などにすごく制約があるので、そういうところのハードルが低くなると良いなと思ってるんです。使いたいデータや表が、たくさんある場合は、むしろ電子化した方が充実した中身になるんじゃないかなと思います。データをたくさん入れることによって、信頼性が高まるという利点もあります。
――今は、テキストをiPadやKindleで読めるという意味での電子書籍ですが、もっと違う可能性があるのではないかと?
田村秀氏: 本を作っていると、すごく制約受けるわけですが、載せたいと思う200~300個の図表やエクセルの生データもあるわけです。例えばいろいろな国ごとのランキングなども途中の一部しか載っておらず、全部載せて、そこで初めて点と点じゃなくなるわけです。やはり値段のこともあるとは思いますが、データの改ざんを出来ないようにしてくれればそれで十分です。活字版だとここまでのデータですが、電子版だともっとたくさんデータがあるということです。僕の場合は、自分の中では当然のように繋がっていますから、いろいろな本、例えば出版しているグルメの本などにもリンクが出来そうです。
編集者との相性も重要
――電子書籍が普及していくことによって、そういう誰でも出しやすいという状況もありますが、その中で出版社と編集者の役割はどんなところにあると思われますか?
田村秀氏: 電子書籍においても、編集者は一種の目利きが出来ることが大切で、後は相性です。この編集者ではなかったら、この本を出せたのだろうかということもあるくらいです。後は、書き手が関心のあるテーマに編集者が興味を持ってくれることでしょうか。もう1つは構成については、アドバイスはするけれど、全面書き直しではなく、書き手の考えを生かしてくれること。そういう編集者だと、書き手としてもやりやすいです。
――テーマが様々なので、やり方もそれぞれ違うとは思いますが、編集者とはどのようなやり取りをされるんですか?
田村秀氏: 僕は、企画だけ出すというよりも、100ページから150ページほど書いた段階で売り込んでいました。ある程度書きながら、頭の中で構成が出来上がっていく感じです。およそのラフスケッチを描いて、取り合えずまず書いてみようと思い書き始め、書いている途中にどんどん直していくスタイルです。後は、ブログの内容がベースになったりしている本もあって、それについては、ある意味旅日記のようなものです。食に関する本は食べ歩いたものを、どうやってグルーピングするかだけだったりしますので、編集者とのやり取りもそれぞれ違います。でも、自分が経験したり、自分が関心を持ったりしたことじゃないと書けないというのが僕のスタイルなので、自分はやはり小説ではなくて、ノンフィクション系、それも社会科学系だなと感じます。
売れる本も書きたいが、基本は変わらない
――最後に今後の展望をお聞かせ下さい。
田村秀氏: 僕は大学に来てからですが、「1年1冊」という目標を立てています。一方で10万冊単位で売れる本も目指したい思いもありますが、それを目指したからといって達成できるものでもありませんので、自分の書きたいことを書き続けると思います。その中で数が売れる本が生まれればいいなと思っています。今の変化の多い時代の中で、立ち止まるなり、あるいは先を見るというものを多くの方に伝えたい。そのために自分が嗅覚をとぎすまさなければいけません。僕は仕事が好きなので、体壊さない程度に新しいテーマに、取り組んでいきたいと思っています。ただ、地方自治系、食系、データリテラシー系という僕の基本の3本柱は、おそらく変わらないと思っているので、その3つの分野に関しては2、3年に1回ずつ何か出していきたいなという思いはあります。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 田村秀 』