科学への興味が創作に導いた
――小林さんは、幼少の頃はどのようなお子さんでしたか?
小林泰三氏: おとなしい子で、友達と遊ぶよりも一人で空想しているのが好きな子でした。テレビを見て、終わった後の続きを考えるくせがありました。子どもの頃ってあんまり遅くまで起きていてはいけなかったから、テレビの映画劇場を見ていても、10時頃になると、親が「もう寝なさい」と言う。でも布団の中で、続きはきっとこうなるのだろうなとずっと考えていました。あんまり現実感のない、夢の世界で生きているような、ちょっとぼんやりした子だったんでしょう。
――その頃から小説を書かれたりなど、創作をされていましたか?
小林泰三氏: 書くのはもうちょっと大きくなってからです。中学生ぐらいになってからだと思います。ノートに書いて、それを隠してという感じでした。
――どのようなジャンルの小説を書かれるようになったのでしょうか?
小林泰三氏: SFのようなものです。やはり、科学的なことに興味があったというのが大きいと思います。『宇宙戦艦ヤマト』が小学校の高学年ぐらいで、テレビドラマでも、SFが当時多くて、『猿の軍団』とか、『日本沈没』のドラマ版もありましたし、海外ではスタートレック――当時は『宇宙大作戦』という題名でした。あと『ミステリーゾーン』なんかも見て、SFが好きになっていったという感じです。
――学校の勉強はいかがでしたか?
小林泰三氏: そんなに勉強は好きではありませんでした。なにせ努力が嫌いですから、なるべく努力をせずに生きていきたいし、努力せざるを得ない状況はなるべく避けたい。大学受験の時は、仕方なしに努力しました。まあ、大学に入っておけば後で楽できると思っていました。
――大阪大学の基礎工学部に入学されますね。
小林泰三氏: 基礎工学部というのは、基本的には工学部ですけれども、ちょっと理学部寄りな感じでした。コンセプトとしては、工学部と理学部の中間。科学的なことが好きだったので、工学と理学両方の面があるところが面白いと思っていました。
――創作活動は、大学に入ってからもずっと続けられたのですか?
小林泰三氏: 大学の頃はあんまりしていなかったです。ただ、読むことはずっと続けていました。メインはSFで、あとはホラーとかミステリーとかも読んでいましたし、ギリシャ哲学、仏教哲学、孔子とか、聖書も読んでいました。
デビューのきっかけは妻の一言
――それから工学の専門家として企業に勤務されることになるのですが、プロの作家としてデビューされるきっかけを教えてください。
小林泰三氏: 家内に「書け」と言われたことです(笑)。家内もホラー好きで、よくホラー小説を買っていたんですけれども、ある時、本の中に折り込みのチラシが入っていて、「賞金総額一千万円」と書かれていたんです。「総額」って、大賞と色々な賞を合わせた額ですけど、彼女は大賞が一千万だと思って、「私が書く」と言っていたんですが、締め切りが近づいてきても一向に書く気配がない。「どうしたの?」って聞いたら、「書けへんからあなたが書いて」と。
――締め切りが近づいている状況で、どのくらいの期間で書き上げたのでしょうか?
小林泰三氏: 短編なので4日間で書き上げました。書き上げて家内に「出しておいて」と言って渡して、すっかり忘れていまして、会社から帰ってくると、家内から、「角川から『最終候補に残りました』って電話があった」と。それはもうビックリしました。しばらくは夜も寝られない状態で、夢じゃないかなとか、だまされているのじゃないかなとか。だましても誰も得しないですけど(笑)。でも本屋に行って、『野生時代』を開いてみると、私の名前が書いてあって、「やっぱり本当だ」と。発表の日まで、ずっと電話の前で待っていたような状況です。家内はすでに、本が出たらどんなもんか、とか皮算用があったようです(笑)。
――ブログでも拝見しましたが、奥さまとのご関係が大変面白いですね。どのような出会いだったのでしょうか?
小林泰三氏: 大学時代から付き合っていて、最初は合コンみたいなものです。26歳の頃に結婚して、小説を書いたのは32歳の頃。ずっと発言力は強いですね(笑)。
著書一覧『 小林泰三 』