自分の故郷を元気にする人を増やしたい
山崎亮さんは、地域の問題を住民自ら人とのつながりをベースに解決することをマネジメントする「コミュニティデザイナー」。過疎地や離島の地域興しとしてだけではなく、都市住民の孤立化、また東北の震災復興へのヒントとして、その活動に熱い視線が注がれています。山崎さんにコミュニティデザインの考え方、また、活動の原点となった学生時代の思い出を、本や音楽、ファッションなどの話題を踏まえお聞きしました。
デザインでコミュニティを元気づける
――山崎さんが取り組まれている、「コミュニティデザイン」とはどのようなものなのでしょうか?
山崎亮氏: コミュニティデザインというのは、人と人をつなげて、ある種のコミュニティを作って、地域の課題を解決していく力を付けるお手伝いをするということです。僕らが地域に入っていって、そこの課題を解決するのでは、僕らがいなくなるとまた課題が出てくる。僕らが中心人物になってしまうと抜けられなくなりますし、抜けた後にチームが崩壊したりもすることもあるので、この辺りが難しいところです。本人たちの意思で新しい課題を見つけて、どんどん解決にトライしていけるような気運を作る仕事です。それをデザインの仕事のやり方を入れながらやっていくので、英語で表記するとすれば、コミュニティ・エンパワーメント・バイ・デザインや、バイ・デザイン・シンキングなどというような言葉になると思います。
――コミュニティデザインという概念は全く新しいものなのでしょうか?
山崎亮氏: コミュニティデザインという言葉を調べてみると、1960年ぐらいに初めて、住宅の配置計画を物理的にデザインするという意味で使われていたことが分かりました。2番目は1980年ぐらいから、コミュニティの意見を聞きながらデザインをする、デザイン・ウィズ・コミュニティというような意味になりました。3番目が、私が言っているコミュニティ・エンパワーメント・バイ・デザインなのだろうと思っています。
――そういった意味でのデザインが必要と感じられるようになったのはどうしてでしょうか?
山崎亮氏: もともと設計をやっていて、特に公共建築や公園の設計の場合、僕が仕事を始めた時点で、ワークショップなどで地域の住民の意見を聞きながらデザインを決めていくスタイルになっていました。ワークショップを5回ぐらいすると、やっている人たち同士が仲良くなっていって、良いコミュニティが生まれるのですが、設計が完成したら「これで終わり」という感じで、みんな霧散してしまうので、これはもったいないなと思っていました。ここで仲良くなった人たちがさらにつながって、例えば公園ができればそこで歌って踊ってくれる人たちになってくれればもっといい。設計に意見が反映された人たちが、やる気になって活動を続けてくれることが大事ですので、そこに重点をおいてやれるような仕事をコミュニティデザインと名付けて、2005年に今の会社、studio-Lを作りました。
著書一覧『 山崎亮 』