小学生の頃から文を書くことが夢だった
――幼少期の読書体験も絡めてお話をお伺い出来ればと思います。どのようなお子さんでしたか?
本橋信宏氏: 本とテレビが好きな、おとなしい少年でした。将来については、何か文章を書いて暮らせていけたらいいなと、小学校の卒業文集に書いていました。高校3年の時には、芥川龍之介や江戸川乱歩、松本清張のように書きたいなと、漠然と思っていましたが、その年の秋に、当時ルポライターだった立花隆さんが文藝春秋で、『田中角栄研究 その金脈と人脈』を発表し、その後に田中内閣が傾きました。それでルポライターに興味を持つようになりました。あの頃は平岡正明さん、立花隆さん、竹中労さんなどが有名で、私も同じように文字を書くことを仕事に出来ないかと思うようになりました。
――周りに本はたくさんあるような環境だったのですか?
本橋信宏氏: 松本清張、江戸川乱歩や、夏目漱石など、あと『サンデー』、『マガジン』、『少年』など、たくさんあった記憶がありますが、印象に残っているのは、講談社版『江戸川乱歩全集』とカッパノベルズ版の松本清張ものですね。大学時代には政治経済に関しての本も読んでいたと思います。
――大学卒業してすぐフリーとしてお仕事を始めたのですか?
本橋信宏氏: 大学を卒業して1年半の時です。私が大学2年の時に、テリー伊藤さんが初めて自分で番組ディレクターをするようになり、その仕事を私も手伝う機会もあり、伊藤さんにはずいぶん可愛がってもらいました。卒業後はフリーランスの物書きになろうとしたんですが、入り口がどこにあるのかわからず、とりあえず就職しようとテレビ局を受けたんですが、落ちてしまい、伊藤さんのいた当時のIVSテレビ制作(株)に入れていただくことになりました。でも、仕事が大変ですぐに飛び出してしまう、大学を出て1年半後の24歳の時にフリーランスの物書きになりました。その当時のことは、『裏本時代』に書いています。『裏本時代』は、自伝的、私的ノンフィクションです。ただし、1人称1視点描写なので、1カ所だけ私がいないと書けないシーンについて私がいた描写になっています。ノンフィクションと言い切るには厳密に言えばその1箇所だけルール違反の部分がありますが、事実であることは確かです。ですから広い意味ではあれは私小説だと思っています。
内気だった男がインタビュアーとして走り続ける
――フリーになったその時のお気持ちは?
本橋信宏氏: 「いつかはフリーになる」ということはもう決心していましたので、その時期が早くきたなという気持ちでした。ただ、80年代型のサブカルチャー的なライターの成り上がり方、やり方も、まだ確立されていない時代だったので足踏みしていたところ、双葉社の『週刊大衆』の副編集長に「フリーでやらないか」と声をかけてもらいました。政治経済も扱うので、当時の双葉社、『週刊大衆』にはインテリなかっこいい編集者がたくさんいて、吉原に行って取材などをしている様子を見てすごいな、面白いなと思いました。頭でっかちの若造が、そこで実社会を叩き込まれたという感じでした。それまでは内気だったんです。
――たくさんの方にインタビューをされていらっしゃるので、内気というのはすごく意外です。
本橋信宏氏: 役者の人は、無口で内気な人が多いので一番インタビューが難しいということに、私もインタビュアーになって初めて気が付きました。でも、そのコンプレックスの反動で役者になって成功する人もいます。それと同じように、普段はシャイで引っ込み思案ですが、仕事になると背中を押されなんでも聞けるという時もあります。
――インタビューされる時に、言葉を引き出す技術というものがありますか?
本橋信宏氏: 私は『心を開かせる技術』の中で、優秀な営業マンというのは、実は意外と朴訥な人が多いということを書いたことがあります。あんまり能弁だと相手が身構えてしまい、かえって朴訥な人の方が誠実さを感じられたりする。私自身も後者のほうだと思ったりしています(笑)。例えば「人と会って話せない」などというコンプレックスがあっても、私を突き動かしてきたのは「仕事になると変わる自分」が楽しかったり、怖いもの見たさもあるし、あるいは傍観者の贖罪という部分もあります。
著書一覧『 本橋信宏 』