中本千晶

Profile

1967年生まれ。山口県周南市で育つ。 東京大学法学部に入学するも違和感を覚え、司法試験も受けず官僚の道にも興味を示さず「リクルート事件」の年にリクルートに入社。10年余りの会社員生活の後に独立。 ものごとの本質を分かりやすく面白く読み解くのを得意とする。とりわけ宝塚歌劇に深い関心を寄せ、主な著作に、「宝塚読本」(文春文庫)、「なぜ宝塚歌劇の男役はカッコイイのか」「ヅカファン道」「タカラヅカ流世界史」(東京堂出版)がある。 また、2004年より、本を出したい人と出版社をつなぐNPO「企画のたまご屋さん」も運営。現在代表理事を務める。

Book Information

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著者デビューで見出した自分の道


――2000年にリクルートをお辞めになった後は、どのような生活をしていましたか?


中本千晶氏: 最初の1年半ぐらいは、何もしない時期を作ろうと思って、近所の公園を散歩して、東京都立図書館で本を読む、という、まるでリタイアした人のような生活をしていました(笑)。

――初めての著書を出されたのは、ちょうどその1年半の時期を経た2002年ですね。きっかけはございましたか?


中本千晶氏:若者よ、問題解決で起業せよ!』です。本を出したのは、まだ会社を辞めていない頃、社会起業家の片岡勝さんに出会ったことがきっかけです。独立起業に関する本を読んでいたら片岡さんのことが出ていて、この人は面白そうだと思ってホームページで事務所を調べて行ってみたんです、そしたらたまたまご本人がいらっしゃったので、30分ぐらいお話しをすることができました。

――アポなしで、その場で声をかけられたということですか?


中本千晶氏: 片岡さんご本人にはアポは取っておらず、むしろアポを取ったら会ってくれなかったのではないかと思います。当時は会社を辞める決意が97%ぐらいは固まっているけれど、あと3パーセントのところでどうしても心が決まらないといった時期でした。そうしたら、片岡さんからは「君は辞めてもおそらく使いものにならない。会社員のアカを1年間ぐらいかけて洗い流すべきだ」と言われたんです。ムッとしましたが妙に納得しましたね。それから会社員のアカを洗い流すためのリハビリ生活に入りまして(笑)、片岡さんの事務所に週1ぐらい遊びに行っていました。そのときに「君、一緒に本を書いてみない?」と声をかけていただいて、片岡さんの起業塾の学生さんたちのルポを書いたんです。それをやりながら「やっぱり書くことが楽しいから、これを仕事にしたい」と昔の夢を思い出したという感じです。

――執筆に協力するという形ではなく、いきなり著者としてデビューしたというのは驚きです。


中本千晶氏: 出版社の方からは「著者をどなたにしますか」と聞かれたんです。私はその質問の意味が全くわからなくて、「私が書いたんだから私に決まってるじゃないですか!」と答え、片岡さんも、「君が書いたんだから、僕が監修、君が著者でいいよ」と言ってくださいました。今ならば出版社の方が言われたことの意味もよく分かるんですけど(笑)。何事も「知らない」ことの強さってあるなと思います。

著者が役者なら、編集者は演出家


――その後も次々と著書をお出しになられますが、その時はどういったお気持ちでしたか?


中本千晶氏: 最初は確かにうれしかったのですが、色々な本作りを体験する中で、自分の思い描くとおりの形にしていくことが意外と難しいということが分かりました。『若者よ、問題解決で起業せよ!』の時は深く考えなかったのですが、その後出した何冊かの本は、色々なことがあって、正直、自分としてはあまり納得できない出来のものもあります。出版業界の嫌なところも見えてきましたし、文章に関しても、自分の思ったことを上手く織り交ぜつつ、読んで役に立つ文章を書く、というバランスもなかなか分かりませんでした。それがやっとできたと思えたのが『「東大脳」の作り方と使い方』(後に改訂され『東大卒でスミマセン』(中公新書ラクレ)として出版)です。

――中本さんの理想の編集者はどういった方でしょうか?


中本千晶氏: 私の好きな「舞台」に例えると、著者は役者で、編集者さんは演出家です。それに、本作りにはデザイナーやフォトグラファーなど色々な方の協力も必要ですが、それが舞台でいえば小道具や衣装といったところでしょうか。そういうものが1つになって初めていい作品ができる。著者は、編集者から求められるように演じることも必要ですが、結局はその人勝負ということになります。また、著者が立つ「舞台」が最も面白いものになる演出を考えてくれるのが良い編集者ではないかと思います。

――2004年に「企画のたまご屋さん」を立ち上げられたのには、なにかきっかけがありましたか?


中本千晶氏: 2003年の秋に、池袋のイタリア料理屋さんで吉田浩さんと飲んでいる時でした。アイディアマンの吉田さんが突然、「この時代、出版社を1社ずつ回るのは時代遅れ。メールの時代なんだから、一斉に送ればいいのでは?」と言い出したのです。私もそのアイディアに大きな可能性を感じたので、やることにしたんですが、実際にやり始めたらすごく大変でした(笑)。



――どういったご苦労がありましたか?


中本千晶氏: アイディアがどんなにすごくても、それが形にならなければ意味がないと思います、実際のシステムを1から形作り、運営していくのはなかなか大変でした。でも、ピンチを迎えるたびに不思議と誰か助けてくれる人がいて、おかげさまで何とか今まで続けて来ることができましたね。苦しいときに自分ひとりで悪あがきするだけではなく、周囲の人の力を信じることも大事なんだと学びました。

著書一覧『 中本千晶

この著者のタグ: 『女性作家』 『働き方』 『キャリア』 『起業』 『独立』 『メルマガ』 『NPO』 『宝塚』

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