小学校5年生から勉強に目覚めて、中学生では1番に
――そうした異なる文化を持つ人の間に立つことに関心を持ったのは、いつ頃ですか?
今一生氏: おそらく中学生の頃です。僕は小学生の頃、勉強ができなくて、5年生くらいまでは授業時間が始まってもはしゃぐので、「立ってなさい」と廊下に立たされるというタイプでした。
ところが、5年生の終わりくらいに転機があったんです。同じクラスの同級生が、日曜日に一緒に遊ばなくなってしまったんです。どうも中学受験の塾へ行っているらしい。「なるほど。じゃあ僕も塾へ行ってみようかな」と思って父に伝えたら、「やっと勉強したくなったのか」とすごく喜ばれました。実際に塾へ行ってみたら内容が超ハイレベルで、先生が何を言ってるのかさっぱりわからない(笑)。
でも、「塾の生徒を増やしたい」と塾自体に気合いが入っていた時期で、とても丁寧に指導をしてくれて、メキメキ勉強ができるようになったんですね。6年生の1年間通っただけで、学校で2番目になりました。その同級生はラ・サールへ行ったんですが、僕は受験をしなかったので普通に地元の公立中学校へ行き、中学では3年間ずっと1位でした。
でも、そもそも「勉強が好き」というわけじゃなかったので、友達はヤンキーが多かったです。当時はちょうど『金八先生』の放送が始まり、校内暴力がピークの時代。高校は当時県下で3位の偏差値だった県立木更津高校へ進みましたが、木更津市内にはヤンキーばかり集まるマンモス私立高校が2つもあり、同じ町で同世代が学歴で将来を分断される様子をまざまざと見せ付けられました。
メディアでは「ハイブリッドな視点」が重要
――学歴が異なる人どうしがいる環境に身を置かれたんですね。
今一生氏: そうなんです。だから、ヤンキーと優等生、どちらとも仲が良かったんですね。
そういった付き合いのできる環境の中で、「ハイブリッドな視点」が築き上げられていきました。今日の日本でも2人に1人しか大学へ行っていません。
だからメディアで何かを伝える時にも、大学に進学していない人に対してもどうわかりやすく伝えるか、ということを考えなければいけないはずです。高学歴と低学歴とでは文化が違いますから、両方の文化をふまえて伝えることが大事なんです。
わかりにくいものをもっとわかりやすくして、社会問題を速やかに解決できる仕組みなどの価値ある情報をより多くの人に理解できるようにするのが報道関係者の本来の役割。
でも、メディアでは今、そういった本筋のミッションが見失われつつあるような気がします。東日本大震災の後から、それに気づいた市民も多いようです。
――メディアの属性によって社会的役割も異なりますよね。
今一生氏: メディアにはそれぞれ特性があって、テレビは取材したものを映像で伝えることができるため、生中継の速報性があります。新聞や活字は、印刷する工程があるから、速報性よりも正確性。雑誌には、テレビ、新聞の紙面では拾うことができなかった真実をより深く拾えるといった特性があります。
週刊誌なら最長で5日間くらいは旬のネタを取材できるわけで、「新聞はこういうふうに速報で出したけれど、深く追ってみると実はこんな真実があった」というぐあいに新事実を掘り出せる。
それぞれ、ついているクライアントやスポンサー企業も違います。読売新聞が今の部数を1000万部と公表していますが、朝日新聞や毎日新聞が何百万部の世界、雑誌が数十万部です。
そうすると1けた媒体力が弱いということで、その分しか広告収入が得られません。そういう事情でテレビ、新聞はビビッドにスポンサー企業に気を使いますが、雑誌は太いスポンサーに対しても捨て身でいられるところもあります。僕が雑誌を好きなのは、その点です。
膨大な情報を取材で拾えるから、新聞なら小さな記事で終わるところが、雑誌だったら4ページくらい組める。でも、その4ページが読み応え濃厚でないと意味がない。膨大な量の情報のどの部分を切り取って制限ページ内に入れるか、どの写真を選ぶかといった編集のセンスが問われます。