問題提起ではなく、「解決方法の豊かさ」をシェアしたい
――今さん自身のミッションは、どのようなことですか?
今一生氏: 今までは新聞もテレビも雑誌も「こんなに深刻な社会問題がある。解決すべきだ」で話が終わる「問題提起型」の記事や番組が多かったです。でも、問題提起なんて中学生でもできる。
僕ら大人がやるべきことは、そういう問題が深刻になる前に解決できる活動を進めている人は誰なのか、実際にどんな解決の仕組みがあるのか、どの程度成果を上げているのかという情報を早く多くの人とシェアすることではないでしょうか。
世の中に社会問題というのは常に存在し、新しい問題も増えていくわけで、「こんなに問題ありまっせ」と言われても気がめいるだけ。むしろ、「こんなファンキーな解決の仕組みがあったんだ」「本当は解決できる方法があるものだったんだ」という記事や番組を増やすことによって解決事例を豊かに示してほしい人のほうが、今日では圧倒的に多数派だと思うんです。しかし、現状のメディアはそうした視聴者や読者のニーズに十分に応えているとはいえません。だから、テレビを見る人も新聞を買う人も減ってしまうんです。
――解決方法が多く提示されていれば、市民が参加できる選択肢が増えますね。
今一生氏: そうです。とくに、楽しい方法で問題を解決している愉快な人のまわりには、多くの人が寄って来ます。たとえば、まちや自然の中で増えていくゴミの問題があります。これは環境汚染につながる深刻な問題ですが、「ゴミがたくさん落ちていたら拾うべきだ」とみんなわかってはいます。でも、ふだんは面倒だからやりません。
そこで、「スポーツGOMI拾い」という大会が全国各地で開催されていて、「5人1組のチームになって、スポーツとして1時間限定でやろう!」と言えば面白がって頑張りますし、チームが優勝すると仲間どうしですごく喜べます。喜んだと同時に、「こんなにゴミがあったのか」と大量のゴミ袋の山を見て気づかされます。
この大会を企画した方は、「ゴミ拾いの入り口を楽しくする」ということを仕掛けたんですね。こういった企画者に対して、みんながロックスターやAKBと同じ感覚で語るようにできたら面白いでしょ。
社会問題=自分問題
今一生氏: 他にも、介護現場における高齢者虐待の増加や、仕事と子育ての両立の難しさなど、深刻な社会問題は無数にあります。しかし、そのように既にジャンルとしてよく知られているもの以外にも、社会問題はいくらでもあるのです。「みんなガマンしてるんだから」と思ってガマンばかりを続けていると、そのガマンがあたかも社会の常識のように正当化されて多くの人の頭に刷り込まれてしまい、どんどん深刻な問題に育ってしまうことがよくあります。
「うちの町には産業が無いから、放射能被曝の不安はガマンして原発を建てて雇用を増やすしかないべ」とあきらめてしまったから、この国には50基以上の原発ができました。その結果が、福島の原発事故を招いたのです。おかげで、誰も住めない領土が生まれ、海にまで汚染水を垂れ流す国際的に深刻な問題にまで大きくなってしまいました。
他にも、「大卒と同じ給与をもらえなくてもしょうがないよね。高卒の仲間はみんなガマンしてるんだし」という常識の下でうなだれたまま、低所得者層の人生しか送れずにいる人たちが2人に1人います。それでも学歴で給与に格差をつける社会の仕組みや常識に対して「みんなでガマン」を続けるのは、おかしなことでしょう。
つまり、社会の仕組みや常識が特定の人を弱者にし、苦しめてしまう状況は、決してその個人的な属性ゆえの問題ではなく、社会自体の問題なのです。社会問題というと、たとえば環境問題なら「南極の氷が溶けてどうしよう」というような大きな話をイメージしがちですが、実は身近な日常実感の中にこそ社会問題(みんなでガマンする構図)はあるのです。
自分が切実に苦しんでいたり、深刻に困っていることがあって、その同じ苦しみを他のみんなもガマンしているなら、それこそが社会問題なんですよ。