「日本が良い社会になってもらいたい」という思いで書き続ける
荒井さんの専門はミクロ経済学・日本経済論ということですが、かなり広い分野で研究され多数の著書を出版されています。研究分野のなかには、日本の雇用制度・文化の経済学・教育の経済学などが含まれており、最近では『喫煙と禁煙の健康経済学-タバコが明かす人間の本性』という健康経済学の著書も刊行しています。グローバリゼーションが引き起こす問題点を先駆的に論ずるとともに、日本の組織が有する問題点も指摘されてきました。良質な文化の形成を主唱し、研究に際しては「できるだけ広い問題意識を持つことが重要」とおっしゃる荒井教授に、執筆に関連することだけでなく、経済学的視点から見た現在の電子書籍や図書館についてのお考え、また今の日本に対する思いなどもお聞きしました。
バイクの上でアイディアが生まれる
――早速ですが、荒井さんの普段の執筆スタイルを教えていただけますか?
荒井一博氏: 自宅や研究室のパソコンに向かい、落ち着いた環境で集中して書きます。最初に新聞を読むなどある程度ウォーミングアップしてから書き始めます。講義の準備が必要なときは、それを片付け頭をすっきりさせてから執筆を開始します。執筆のアイディアをどのようにして得るかはすべての著作者に共通な課題だと思います。「馬に乗っている時と寝床に入っているときと厠にいる時」という「作文三上」の話もありますが、馬上の現代版ということで私はオートバイ運転を追加したいと思います。
――オートバイにお乗りになるんですか?
荒井一博氏: アメリカン・スタイルのドラッグスター・クラシック400とスーパーカブ50の2台を持っています。オートバイに乗りながら美しい景色を見ていると、いろいろな考えが頭のなかに浮かんできて、執筆のアイディアもしばしば出てきます。バイク運転の快適な季節や時間帯はある程度限定されますが、夏は明け方がお勧めです。道路がすいていて快適な運転を楽しめるだけでなく、薄暗い状態から明るくなるまでの時間の経過と景色の変化を味わうことができます。空気も冷たく新鮮で、1時間余りドラッグスターを飛ばせば脳が活性化され、その日一日快活に仕事をすることができます。
――アイディアを出すのには良い方法なのですね。
荒井一博氏: そしてオートバイに乗ってしばしば富士山に日帰りで行っております。5合目までバイクで行けるのですが、山梨県の河口湖のほうから入る「富士スバルライン」と、静岡県の須走のほうから入る「ふじあざみライン」を私は使っています。
「富士スバルライン」は有料で、スーパーカブの料金はドラッグスターと比べて格安なので、しばしばスーパーカブで行くようにしています。スーパーカブで五合目まで上って来れるのかと観光バスの運転手に驚かれたことがあります。スーパーカブは燃費もいいので、大学から新宿までの片道電車賃ほどのガソリン代で富士山の日帰りができるんです。このルートの麓付近では野生の鹿が頻繁に道路に飛び出してきます。ドラッグスターを高速で運転して鹿に出くわすと非常に危険なんですが、スーパーカブのような小型のバイクだと鹿を比較的容易に避けられます。鹿に出くわしたら急ブレーキをかけないといけないので、うっかり景色ばかり見ていると大変なことになります。「ふじあざみライン」は無料なのでドラッグスターで行くことにしています。道路の坂もかなり急で、スーパーカブにはしんどいともいえます。
あいにく、最近富士山が世界文化遺産となって今年の夏から車両規制がなされており、以前ほど自由にバイクを乗り入れることができなくなりました。これからは規制されていない日や期間に行かざるをえません。富士山への日帰りツーリングが、アイディアを生み出す1つのプロセスになっているんじゃないかなと思います。
試験問題の国語はそれほど得意でなかった
――大学入試に荒井さんの文章がしばしば出題されていますが、若いころから国語が得意だったのですか?
荒井一博氏: 私は読書少年というほどではなく、どちらかというと野外で遊んだり、自転車に乗って友達の家に行って遊んだり、いろいろな自然を観察したり景色を眺めたりするのが好きでした。出版社の方からも「文章が上手い」とか「あまり手間をかけずに出版できた」といわれることが多いのですが、高校時代は国語がそれほど得意な科目でなく、どちらかというと教科書や試験問題などの文章に批判的になってしまいました。深く読んでしまうというか「ここはおかしいんじゃないか」などと思ってしまって、あまりいい点数が取れませんでした。大学時代に読んだMoby Dickでは三原色に関して誤った記述があることを発見しました。現在では、他人の書いた文章表現が気になります。批判的な態度は大学以上の学問では有効なんですが、受験勉強のように与えられたものをこなすことが重要な場合には、負の効果しか持ちません。古文と漢文に関しても教科書と授業だけでは十分に理解できるようになりませんでした。その結果、応用力もつかなかったので、国語はあまり得意でありませんでした。もっと説明が多く自習しやすい教科書だったら違っていたと思います。ただ、『万葉集』や『古今和歌集』や『新古今和歌集』に関しては、感動し興味を持って勉強しました。
――書くことについてはいかがでしたか?
荒井一博氏: 小学校2年生の時に、ある日突然ストーリーが頭に湧いてきたので、それを書いて先生に見せて褒められたことがありました。中学や高校では、自分の書いた作文を先生が授業で取り上げたこともありました。大学時代には英語で短い物語を書いたことがあって、イギリス人の先生に面白いと言われたこともあります。書くことはかなり好きで、著書・論文・雑誌の記事などを楽しんで書いてきたことが、今につながっているのかなと感じます。
学生時代に興味を持ったことが、今につながる
――得意な科目は何でしたか?
荒井一博氏: 大学に入るまでにいちばん得意だった科目は地理で、2番目が英語。その次は物理、化学といった感じでした。全国の優秀な学生が受ける地理の試験でトップになったこともあります。結局、地理学を自分の専門にはしなかったものの、今でも日本や世界の地誌にかなり関心があります。テレビをつけた時にぱっと外国の風景が映ると、それがどこの国のものなのか、かなり高い確率で当てることができます。
――将来どういった職業に就こうかなどは、その頃から考えられていましたか?
荒井一博氏: 地理にも関心がありましたが、実は物理もかなり好きだったので、「世界の森羅万象を物理学で説明できるようになったらいいな」と、高校に入った頃からずっと物理学者になることを考えていました。でも、高校2年生の終わりころに文系と理系のどちらに進むべきかを悩んで、結局、文系に進むことに決めたのですが、その後もなかなか物理を諦めきれませんでした。しかし、物理学ではかなり業績のある人でも大学で職を得るのが難しいということを後で知って、また年齢とともに人間や社会に対する関心が相対的に高まってきて、物理学を専門にしなかったことは私の人生における最良の選択の1つだったと今では思っています。
――大学時代の関心は、どのようなものへ向けられたのでしょうか?
荒井一博氏: 大学に入っていちばん興味を持った科目は文化人類学です。アメリカ人の女性文化人類学者の授業から大きな刺激を受けました。美人の先生で、アフリカに行ってフィールドワークをした時に集めたものなどを持ってきて見せてくれました。経済学などには取り澄ましたような側面がありますが、そうした社会科学と比べると文化人類学は本音の学問という気がしました。文化的多様性に関する文化人類学の研究は地理学にも近いと感じました。文化人類学者になろうかと一時期考えましたが、こんな遊びのように面白い学問で職が得られるのかと心配になりあきらめました。未開地に行って現地でフィールドワークをする自信もあまりありませんでした。文化人類学に関心を持ったことが、後に「文化の経済学」を提唱する要因の1つとなりました。
――印象に残っている本などはありますか?
荒井一博氏: 大学の学部時代には、ジョン・ケネス・ガルブレイスの著作を読み、卒論を書きました。ガルブレイスは該博な知識を持ったアメリカ制度学派の経済学者で、経済学者以外にも多くの読者を持っていました。ガルブレイスを読んだことによって、主流派経済学を客観的に見る目がある程度養われたと思います。また、後に新書を書く時の参考にもなりました。そのほかにも、シェイクスピア、ヴァージニア・ウルフ、ジョン・ゴールズワージーなどの文学作品を苦労して英語で読んだことが印象に残っています。
――色々なものに興味を持たれたことが、今の執筆分野の広さにつながっているのでしょうか?
荒井一博氏: 大学院に入ってからは「教育の経済学」の研究をし、それに関して修士論文を書きました。そして後にノーベル経済学賞を受賞したゲーリー・ベッカーらの文献を多く読みました。当時そうした研究をしている日本人経済学者はほとんどいませんでしたが、そのような分野が米国を中心に形成されつつあることは学部時代から知っていました。教育は経済成長・階層化・文化などの経済現象と関係する事柄です。私は特に階層化に関心がありました。なぜ、人々の稼ぎは異なるのかという問題です。研究者になってから教育に関して何冊かの著書を書きましたが、その基礎はこのときに形成されました。
米国の大学院に入学してからは、経済理論を中心に勉強しました。そうした経済学科目が多くあり、数学科の科目も充実していたからです。経済理論の研究では英語のハンディキャップがほとんどありません。この当時読んだ書籍で最も印象に残ったのは、こちらも後にノーベル経済学賞を受賞したジェラール・ドゥブルーのTheory of Value: An Axiomatic Analysis of Economic Equilibriumです。ほとんど高等数学ですが、読み終わった後になぜか体がジーンとなったのを覚えています。普通の本と違うということを体が感じたんじゃないかと思います。現在の私はこのような経済学に批判的ですが、これを読んだ経験があるから正当な批判もできると考えています。
結局私は、学部と大学院修士課程と博士課程で、それぞれ違う勉強・研究をしたことになります。このように比較的多くの分野にわたって、興味の赴くままに、そして機会が与えられるままに研究してきたことが、比較的広い分野で著書を執筆できる要因になったと思われます。
アメリカに行った時は、不安よりも希望が大きかった
――アメリカに行こうと思われたのはなぜでしょうか?
荒井一博氏: 経済学がいちばん発達しているのがアメリカだったので、武者修行のつもりで、奨学金の得られた大学に行きました。私が海外渡航したのは留学の時が初めてでした。今ならば、夏休みにちょっと行ってみてから留学先を決める、などということもありうると思いますが、海外渡航が稀であった時代なので、下見なしのままアメリカに行きました。でも、不安よりは希望の方が大きかったといえます。その当時の日本では聞いたり話したりする英語の勉強が今ほど盛んではありませんでしたが、米国では英語がそれほど勉強の障害になりませんでした。一部には非常に分かりづらいしゃべり方をする教師もいましたが、一般的にいって大学の人がしゃべる英語は、日本人が学校で学んだ英語、つまり上流階級の人たちがしゃべる英語に近く発音も明瞭なので分かりやすいんです。研究のほうも数学を多用する分野だったので、あまり言語の壁はなかったように思います。
――アメリカでも読書はされましたか?
荒井一博氏: 留学先の図書館には、日本から取り寄せた日本語の書籍、特に日本文学の全集などが結構たくさんありました。アメリカに留学して2年ほどしてからほとんど毎日、日本の小説を読むようになり、その時に「砂漠に降った雨のように本の内容が体にしみ込んでくる」体験をしました。自分の生まれ育った世界ではあるが、その時点で生きていた世界と大分異なりまた忘れかけていた世界が眼前によみがえってきたからです。日本で読んだのではこのような体験ができないと思います。今でも文学にかなり関心はありますが、小説を読み始めると仕事が手につかなくなるので、今のところはあまり読まないようにしています。これから時間的に余裕が出てきたら、小説も電子書籍などを利用しつつもっと読みたいと思っています。
研究に関しては電子書籍が不可欠
――電子書籍の可能性についてどのようにお考えですか?
荒井一博氏: まず研究で使う論文に関していえば、今は学術雑誌の多くが電子化されているので、研究するには電子ジャーナルがきわめて便利かつ不可欠になりました。論文を掲載している世界の主要ジャーナルが電子化されていて、パソコンでダウンロードすると論文を読むことができます。かつては論文1本を読むために、図書館で論文の掲載されているジャーナルを探し、論文を紙に複写して持ち帰るといったことをしていたので、1本の論文のコピーを得るのにおよそ20~30分かかっていました。最近書いた『喫煙と禁煙の健康経済学』では、何百という論文を扱ったんですが、それくらいの数になると紙媒体の論文を複写機でコピーして整理することはかなり難しくなります。しかし電子ジャーナルであれば、研究室でも自宅でも24時間パソコンでダウンロードできるので、時間的な節約が大いにできますし便利だと思います。
ある論文を読んでいると、それと関連した他の論文を読む必要が出てくることが頻繁に生じます。そうした論文はすぐに読みたいのですが、電子ジャーナルを使えばそれが可能になります。また、過去に読んだ論文のある個所を正確に引用する場合、あるいはどういう風に言っているのかもう一度確認したい場合も、紙に複写した数百の論文の中から当該論文の当該箇所を探し出すのは大変です。電子ジャーナルを使えば、著者名やキーワードによって極めて短時間で検索ができて大変便利です。
さらに、『喫煙と禁煙の健康経済学』のような経済学・心理学・医学などに関係する学際的な研究で、紙媒体の学術雑誌だけを使っていたのでは研究費用がばかになりません。通常、一つの図書館の紙媒体の蔵書だけでは学際的な研究に不十分で、自分の研究費を使って他大学から論文のコピーを取り寄せる必要が生じます。その点、電子ジャーナルならば広い学問分野がカバーされているので、紙にコピーした論文を他大学から取り寄せる必要がなくなり、研究費用が格段に少なくて済みます。ただ、パソコンの画面上で論文を読むのを私はあまり好まないので、プリンターで印刷してから読みます。印刷した論文は合計すると膨大な枚数になり、置き場所がないのでしばらくして処分します。
電子ジャーナルには、置き場所がいらないことや検索が容易なことなどの利点があります。読む論文に関しては、自分のパソコンが図書館になったようなものです。今ではもう紙媒体だけの論文を使っていたのでは、研究がスムーズにいかないと思います。
しかし、現時点では問題もあります。日本の学術雑誌にはまだ電子化されていないものもあり、紙に複写した論文を自分の大学の図書館を通して他大学の図書館から送ってもらわなければならない場合があります。かつて、一日に多数の論文の複写依頼をしたため、依頼件数を減らすようにと図書館から苦情を言われたことがあります。研究したことのある者ならば、気になる論文はいっときも早く見たくなることを理解できると思います。
寝転んで読む、という電子書籍の新しい読み方
――一般向けの電子書籍に関してはいかがですか?
荒井一博氏: 私はSonyのReaderとAmazonのKindle Paperwhite の2つの電子書籍端末を持っていますが、十分には使っていません。今のところ研究費で多くの書籍が購入できるので、電子書籍を購入することはあまりありませんし、電子化されている書籍も多くないと思います。ただし、無料あるいは廉価なものは時々ダウンロードして読んでいます。
――今後、電子書籍に対して期待していることはなんでしょうか?
荒井一博氏: 将来的には研究以外の読書時間を増やす予定でおり、廉価で場所をとらない電子書籍に大いに期待しています。新刊書に関していえば、現時点で価格は紙の本とあまり変わらないのですが、今後は電子書籍を低価格にしてもらいたいと希望しています。それから、過去に出版された書籍も、できるだけ電子化してほしいと感じます。
電子書籍を使った新しい発見なんですが、実は寝ながら読むのには紙の書籍よりも格段に便利なんです。ただし、私自身は寝ながら読むことが多くありません。紙の本だと、寝ながら読むときに常時手で本を開いていたり手でページをめくったりする必要があります。その点、電子書籍端末は寝ている目の前にうまく立てておけば、手で押さえていなくても読むことができます。また、画面を軽くタッチするだけでページをめくることができます。バックライト機能がついていると、なお便利だと思います。一日中寝転がって本を読みたいとき、就寝時に30分ほど本を読みたいとき、怪我や病気などで座って本が読めないときには、電子書籍に関するお勧めの読書法です。読みながら眠ってしまっても自動的に端末の電源が切れるので問題ありません。枕のそばに端末を立てるスタンドを作って販売したいくらいです。腕を動かさずに手に握ってページめくりや検索のできるリモコン、さらに目の動きで操作できる端末も作りたいものです。
新聞・テレビの過去のデータを蓄積して検索
――書籍や新聞の電子化はどのような経済効果がありますか?
荒井一博氏: 資源的な側面で言えば、電子書籍のほうがエコです。私は新聞も電子版の販売開始時から1社と契約しているのですが、読みにくいこともあってあまり読んでいません。今でも主に紙で読んでいて、たまに手元に紙の新聞がない時や、ほかの家族が読んでいる時や、紛失した時は、電子版の新聞が1週間分位前まで閲覧可能なので、電子版のほうで読むという程度です。そのため新聞紙はどんどん溜まっていきます。世界の新聞紙だけで地球上の膨大な木材資源を使っており、しかも多くの人は新聞が提供する情報の3%も読んでいないと推察されるので、新聞こそ電子版でよいと私は思います。ただし、読みやすくするために新聞の電子版はもう一工夫できると思います。また、電子版の価格は現時点で紙媒体とあまり違わないのですが、配送コストを考えるともっと安くすべきです。紙媒体のせめて半分位にしてもいいのではと思います。さらなる希望は、過去何年か遡って、できたら創刊時の新聞から、すべてを電子版で読めるようにしてもらいたいということです。ついでに付け加えれば、テレビでも同様に過去のすべての番組を見ることができたら面白いと思います。
――新聞だけでなく、TVにおいてもできる可能性があるんですね。
荒井一博氏: それがテレビで実現できたら、過去のデータが放送局に蓄積されるので、受像機の録画機能が不要になります。何年何月何日何時のテレビ番組を見られるということが実現できたら楽しいですし、人々の生活も変わると思います。また、人類の文化としても番組の内容を残しておく価値があると私は感じています。後に残るということで、低質番組の作成をある程度抑制する効果もあるかもしれません。
――電子書籍のさらなる可能性についてお聞かせください。
荒井一博氏: 書籍や新聞の電子化は歴史の必然で、逆行することは考えられません。情報量が指数関数的に増大しているうえに、木材資源の保全が重要になっているからです。また、電子書籍には検索機能のほかに辞書機能が付いているという利点もあります。単語をタッチするだけで意味が分かるということは、特に外国語の文献を読む場合に画期的です。ただ、端末によっては指で必ずしも正確にタッチできないものもあり、改良が必要だと感じます。
私が電子書籍に関してかねてから強く主唱していることは、日本人の必要に適合した優れた英語辞書を電子書籍として作ることです。世界的に見て日本人の英語力がかなり低いことの一因は、日本人に合った優れた英語辞書がないことにあります。日本語と英語は大きく隔たった言語なので、日本人のための特別な辞書が必要なんです。
特に英語の文章を書くときに有用となる英語辞書が望まれます。各単語を使うときの規則と豊富な使用例、またさまざまな日本語表現に対応した英語表現がわかる英語辞書を作ってもらいたいものです。日本人が感じるほとんどの疑問に答えるような辞書が必要です。紙媒体では非常に分厚くなるので使いにくくなり、電子書籍にする必要があります。表記された単語や文章がすべて音声で聞けるようになれば、さらにいいと思います。可能ならば私も参加してどのような辞書にしたらよいかについてアイディアを提供したいと考えています。
これだけの辞書を一出版社が作ることは困難なので、複数の出版社が共同したり政府の補助金を使ったりして半ば公的に作成する必要があります。今日では、国民の英語力が国家の盛衰をも左右するようになっているので、私は1兆円を投資して一つの優れた英語辞書を作っても十分にペイすると考えています。以前から私は「一本の高速道路よりも一つの英語辞書を」と主張しています。
外部経済がある場合に政府は援助をすべき
――書店の役割に関しては、どのようにお考えですか?
荒井一博氏: 日本は伝統的に書店の多い国です。わが国ではほとんどの駅の前に書店があります。しかし、40年ほど前に私がアメリカに留学した時に、日本と比べてアメリカには書店が少ないことに気づきました。最近では日本の書店も少なくなってきましたけれど、当時のアメリカでは今の日本よりももっと少なく、あったとしてもほとんどが小さな書店で、雑誌や軽い恋愛小説などを主に陳列していました。それに対して日本の書店は、たとえ小さな書店でも総合雑誌もあるし、純文学も置いてあります。ヨーロッパやオーストラリアにも行って観察しましたが、やはり日本より書店は少ないと感じました。日本には「本が好き」という文化と伝統が識字率の高かった江戸時代からあって、この出版文化の繁栄が今につながっているわけで、それは非常に好ましいことだと私は思っています。
――日本は本を読むことが好きな人が多いんですね。
荒井一博氏: 良質な書店は経済社会に対して多くの好ましい影響を与えます。私の教科書に書いたことですが、書店は「外部経済」を生み出すんです。外部経済とは市場取引を経ないである経済主体が他の経済主体に利益を与えることです。書店ではだれでも無料で立ち読みができ情報や楽しみを得られることが大きな外部経済となっているのです。私はずっと以前から、駅の近くで人と待ち合わせるときは駅前の書店をその場所に指定しています。立ち読みしながら人を待つことができるので、相手が多少遅れてきても気になりません。それから、書店は街の雰囲気を落ち着いたものにするんです。ある程度大きな書店のある街角には品格が生まれますが、これも外部経済の一種といえます。書店が外部経済を生み出すことを経済学の著書で指摘した人は私以外にいないでしょう。明白な外部経済の例は現実社会に多くなく、書店はその例外になっているのです。
外部経済に関して経済理論が教えることは、補助金を出して外部経済を奨励することです。中央や地方の政府は書店や書籍作成者に補助金を出して、それらがいっそう多くの人の利益になるように図る必要があるのです。減税処置も効果があると思います。書籍の電子化が進行すると書店の数は減っていくでしょう。しかし、書店では新旧多くの書籍が類別されて陳列され、訪れた人が手に取って中身を見ることができるという条件を、インタネット上で同様に実現することは困難です。そのため、生き残る書店も少なくないと思います。日本の誇るべき伝統を守りたいと思います。
図書館でも貸出料を取るようなシステムを
――電子化の流れの中で、今後の図書館に関してはどうお考えでしょうか?
荒井一博氏: 出版物や情報は指数関数的に増えていくんですが、それに対して図書館のスペースには限りがあります。既にあるような形の図書館を物理的に拡大し続けることはもう不可能で、どうしても電子化せざるをえないと考えます。多くの大学の図書館は初めから大きく設計されたものではなく、建て増しを繰り返してきているので、かなり使いにくくなっています。若干極端にいうと、これからはコンピュータが図書館になるので、大きな建物は不要になります。電子化された書籍や雑誌を必要な人に配信するという電子図書館になるんじゃないかなと思います。複数あるいは多数の大学が一つの電子図書館を共有することも十分ありえます。
――図書館における経済的な問題はありますか?
荒井一博氏: 伝統的な図書館というのは、人々の所得に比べて本の価格が高かった時代の産物で、人々に無料で新しい知識を与えて社会を良くしたいというのが、図書館のもともとの哲学だったと私は考えます。これは経済学的に説得力ある説だと思います。しかし、そうなると利用者は情報や知識を得ているのに、著者や本の製作販売者に十分な報酬を払っていない、といった問題が起きていることになります。後者にもっと報酬があればよりよい活動ができると思います。経済理論的にいえば、そういうことになります。そのため図書館は、本を貸し出す時に、電子書籍も含めて、本の貸出料をある程度徴収するようにするべきだと私は考えます。例えば電子書籍の場合に貸出料として200円前後を徴収すれば、出版社や著者も恩恵を受けて、現在よりもっと優れた書籍を出版できるようになると思います。携帯電話に月何万円もかける人さえいるので、それと比べれば大した金額になりません。月に何十冊も読む人はそれほどいないと思います。出版界は長らく不況にあるといわれていますが、その一因は図書館の制度にあると私は考えます。
日本のことを考えてくれる人に届けたい
――基本的にどのような姿勢で本を書かれていますか?
荒井一博氏: いちばんの基本には、「日本が良い社会になるのに自分の著書が少しでも貢献できたらいいな」という思いがあります。日本の人に「どのようにしたら日本が良い社会になるか、魅力的な社会になるか」を考えてもらいたいと念じて本を書いています。それとは別に、優れた日本語で文章を書いてみたいという思いもあります。当初はそのような考えを持っていなかったのですが、著作を重ねるうちに次第にそのような思いが高まってきました。日本語の可能性を追求したいと考えています。そのため、原稿を編集者に渡す前に自分で大いに努力し工夫をしています。
本の書き手は文化の形成に大きくかかわっているので、それなりの自覚をもって執筆をすべきです。日本社会の文化的水準を下げ日本人を堕落させて金を儲けるというような本も少なくありません。多大な税金を投入して教育の行われている大学の出身者である大学教師のなかにも、そうした書籍を多数書いている人がいます。私はそういう本は書きたくありません。
――ものを書くということは、荒井さんにとってはどのような行為ですか?
荒井一博氏: 一言でいえば「自己の存在を表現すること」です。著書を通して、自分はどういう人間でどういうことを考えているのかを伝えることです。日本を思い日本をよくしようと考えている読者を想像しながら、彼らに訴えるように書いています。売れ行きがよければそれに越したことはありませんが、それよりも日本のことを考えている人たちに自分の考えを伝えたい、と思いながら書いています。
私が文化的側面を強調し、社会で支配的となっている考え方に注意するよう警告を発してきたのもその一環です。ほとんどの経済理論は世界で同様に成立すると暗黙のうちに主張され広く信じられていますが、実際はそんなことがありません。また、経済理論自身にも現実を大きく歪めて表現したものが少なくありません。平易にいえば、一見明快であるが大きく誤った経済理論が少なくないのです。単純な経済理論には特に注意が必要です。ロマン・ローランが「芸術には真実を嘘で包み込むような面がある」というようなことを言っていたと思いますが、学問も同様で芸術以上に深刻だといえます。経済学的な主張のなかには、実際に適用すると日本の経済社会を悪化させてしまうものが少なからず存在すると私は考えます。さらに、今日の世界を覆っている欧米的思考では、人類が今後200年ももたないと私は考えます。人類の存続を長く保障するのは、伝統的な日本人が理想としてきた思考にかなり近いものであると私は信じます。真剣に日本を思う人たちに、経済学的な論理を使ってこうしたことも伝えたいと考えてきました。
――最後に、今後の展望をお聞かせください。
荒井一博氏: これからも色々なものを書いてみたいと思っています。エッセイなどのアイディアもあります。地理や文化人類学に対する関心がまだ残っていて、可能なら紀行文も書いてみたいと思っております。あとは青少年向けの本なども機会があれば書いてみたいと考えています。私は長らく成人を対象に文章を書いて来ましたが、われわれの将来を託す青少年に話しかけることも必要かなと考えるようになってきました。今後は自由な時間が増えるので、新しいことをやってみたいと思っています。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 荒井一博 』