お客様に、「ありがとう」と言ってもらえる本を
ビジネスで発生する案件を、制限時間内に大量に処理するシミュレーションゲームとして、その高い効果が注目されているのがインバスケット。鳥原隆志さんは、そのインバスケット・コンサルタントの第一人者的存在です。企業研修のほか、様々な切り口でインバスケット的思考を紹介するご著書は非常に人気があります。インバスケットとの出会いや作家デビューのきっかけ、執筆への想いなどを語っていただきました。
新しい「大人の学習法」を提唱
――インバスケットという言葉は、企業研修などへの効果が取り上げられるなど、よく聞かれるようになりました。
鳥原隆志氏: 私も、月に1回程度、インバスケットの基礎編と応用編という形で一般の方に参加していただけるセミナーを開催していますが、知名度が徐々に上がってきたのか、お陰さまで今は満席という状態が続いています。
――ご著書では、様々な切り口からインバスケットの考え方を紹介されていらっしゃいますね。
鳥原隆志氏: 本当にありがたいお話で、色々な形で出版のお話をいただきます。インバスケットは理論ではなく、人の判断力を高めたり持っている力をアウトプットしたりするための道具だと私は思っています。色々な方面に使えますので、出版も『究極の判断力を身につけるインバスケット思考』や、『入社2年目のインバスケット思考』、『「仕事を任せる」インバスケット法』など、各論的に特化した形で出させていただいています。私の本は、基本的にノウハウ本でも知識の本でもなく、読者に主人公になっていただいて、アウトプットできる本として読んでもらえたらうれしいです。本に書いてある問題を読むだけではなく、挑戦していただきたいという思いがありますので、私自身は新しいジャンルの本だと思っています。問題を解決する人に限界まで近づいた時に初めて、本の中のヒントを吸収していただけると思います。人間は、限界を感じないと、必要性も感じないし、なかなか知識を新しく入れようとしません。だから大人の学習法の1つとして、必要な場を本で作って、自分自身で限界まで挑戦していただければいいなと思います。
昆虫観察、創作、吹奏楽、今につながる経験
――幼少時代は、どのようなお子さんでしたか?
鳥原隆志氏: 小児ぜんそくで、小学校3、4年生の時は、ほぼ病院から学校に通っていました。体調によって通えなかった時もありましたので、学校の勉強も遅れ気味になり、将来に不安を持ちました。自分は本当に大人になって、一人前に働いて食べて行けるのか、3、40歳になった自分は、周りの大人のようにネクタイを締めて仕事ができる状態なのか。ひょっとしたら病院で過ごしているんじゃないか、などと思っていました。
――読書はお好きでしたか?
鳥原隆志氏: 文字を読むのが苦手だったので、ほとんど読んでいませんでした。でも、昆虫図鑑、歴史図鑑などの図鑑はよく見ていました。動物や昆虫が好きで、学校の自由研究クラブというのに入って、蚕やゴキブリなどを調べたりしました。先生から蚕の幼虫を渡されて、自分で育てたこともあります。長期間で突き詰めて勉強することに楽しみを覚えて、夜までずっと観察をしていました。繭になって、そこから絹を取ろうということになるのですが、そのためには幼虫を殺さなくてはいけないんです。でも育てていると次第に愛情が湧いてきて、ゆでて殺すのが嫌で泣き叫んだことを覚えています。
――昆虫の観察は、行動を分析する今のお仕事にも通じているところがあると思われますか?
鳥原隆志氏: 昆虫や生物は変化していくので、「変化」ということが共通のキーワードとしてあるのかもしれません。インバスケットも、踏襲されたものを深くやっていくことと、色々な層に向けて新しく変化させていくというのが、楽しいところです。
――文章を初めて書かれたのはいつ頃でしょうか?
鳥原隆志氏: 中学校の頃にノートなどに、物語のようなものは書き始めていました。日常的な生活から突然タイムスリップするといった内容の物語を書いていたような気がします。
――インバスケットも、ある立場の人が直面するストーリーの存在がありますが、そのように創作をされていた影響もありますか?
鳥原隆志氏: そうかもしれないですね。その頃は、頭の中に何人か登場人物がいて、気性の荒い人間や思慮深い人間など様々なキャラクターがいて、劇団のように、彼らが交互に役割を変えていってるようなイメージがありました。でも、インバスケットの本では、ストーリーはあくまでも問題に入るための手段であって、ストーリーが前に出てしまうと、面白さがなくなってしまうんです。あまりキャラも個性的だと現実から離れてしまうので、なかなか難しいです。
高校の時に、学園祭などの劇の台本を作ったこともありました。吹奏楽もやっていましたが、これも今思えば得るものがありました。曲は最初ゆったりと入ってきて、いくつかコブがあって、サビがあったりといったようにストーリーになっているのです。本も、あまりコブばかり作っても面白くないけれど、平らな部分ばかりだと、盛り上がりがないまま終わってしまうこともある。ゆったりとしたストーリーから急に速くしたりと、構成も曲とよく似ているなと思います。
起業への想いを胸に、ダイエー入社
――ダイエーではどのようなお仕事をされていたのでしょうか?
鳥原隆志氏: 入社して、お店の販売担当になりました。色々な売り場を担当させてもらったんですが、辞める時は、スーパーバイザーという仕事をやっていました。
私は入社式の時から「40歳までに会社を辞めて起業する」ということを決意していました。通勤でいつも通る幹線道路沿いの建物の中で、今の会社があるビルがこの付近では一番背が高かったので、「ここに自分の事務所ができたらいいな」とずっと思いながら車で走っていました。その夢が現実となり、ナポレオン・ヒルの『思考は現実化する』ではありませんが、不思議なものだと感じています。
――ダイエーでどういったことを身につけたいと思われていましたか?
鳥原隆志氏: 自分は会社員として過ごすのではなくて、何か使命があるんだと思っていました。当時ダイエーは大きかったので、色々な仕事ができて、いつか必ず自分の好きな仕事に出会える会社だと思っていたので、給料をいただいて勉強ができるという感覚でいました。だからこそ嫌なことがあっても辞めることはありませんでした。周りには辞めていく人もいましたが、1年2年で、やっと教えてもらえるポジションになったところで辞めるわけですから、もったいないなと思っていました。どのような仕事でも、その後の道につながっているような気がします。私は物を販売する会社にいましたが、今書いている本も同じように、お客様が求めている本を書かないとやはり売れません。本は出版社や編集者、取次さんなど、多くの方が携わってできるものであって、1人で書いて、作るものではありません。大勢で仕事をするというのはどこの会社でも一緒だな、と思います。
昇格試験で、インバスケットと運命の出会い
――インバスケットに出会われたのは、どういったきっかけだったのでしょうか?
鳥原隆志氏: ダイエーの管理職の登用試験の中の1つに、インバスケットが入っていました。そのほかの試験は筆記試験で、答えがあってそれを記憶するといったものなのですが、インバスケットに関しては、人によってそれぞれ言うことが違うんです。先輩にアドバイスをいただこうと「どんな試験ですか?」と聞くと、「判断をする試験」だとか、「全ての業務をこなす試験」などと言われて、当時の私にはよく分かりませんでしたし、当時はインターネットや本でもインバスケットに関してはほとんど出てなかったので、本当にベールに包まれた試験でした。スーパーバイザーとして問題解決の判断を日々していましたから、楽勝だと思っていましたが、先輩から過去の問題集を見せてもらって勉強をした時は、全くできませんでした。しっかり判断しているつもりでも、先送りをしていたり、当たり障りのない判断をしていたり、表面的なことばかりやっていたり、ただ数をこなすことだけに力を入れていたりしている。自分の回答を見た時、「自分が評価者だったら、こいつは絶対管理者にしないな」と思ったんです。私はその昇格試験には合格したんですが、インバスケットのことについては自分の中でモヤモヤが残っていたので、そこから研究を始めることにしました。最終的に経営者になるという目標があったのですが、昇格試験という通過点で「経営者はおろか管理者にすらなれないのではないか」という自分への怒りがすごくあって、その怒りが当時の私のバネになっていた感じです。
――インバスケット・コンサルタントとして独立するまでの経緯を教えてください。
鳥原隆志氏: 独立を本当に意識し始めたのは、35歳くらいからです。30代前半までは、独立するという気持ちはありましたが、日々の仕事に追われていました。報酬も悪くはなかったし、人間関係もできていましたし、仕事も面白かったです。でも35歳くらいで、先程も話に出てきたナポレオン・ヒルの『思考は現実化する』を読んだ時に、このままだと流される、と焦り出しました。でも、会社を辞めることはやはり怖かったです。立場もありますし、家庭もありますので報酬も必要です。太いクモの巣が体に絡み合っているといった状態で、後ろに引かれる圧力を感じながらも少しずつ前に進む感じでした。転機になったのは、やはりインバスケットでした。ブログなどで自分のことを発信し始めた時に、1人の会社員としてではなくて、一個人として、お客様が求めていることに取り組むことによって満足感を得るという体験をして、私の中で新しいビジネスが見えてきた感じでした。
――最終的に独立へと行動に移すことができたのは、なぜだったのでしょうか?
鳥原隆志氏: 私の中で期限を決めていたから、初めの一歩を踏み出すことができたのかもしれません。私は40歳までには独立すると決めていて、あとは何を道具として独立するかといったことだけだったのですが、たまたまインバスケットというキーワードに出会うことができました。仕事と自分の好きなことは異なるものだ、という考えもありますが、自分が好きで、なおかつ、お客様からも喜んでもらえるキーワードというものが必ずあると私は思っています。インバスケットも私だけが体験したわけじゃなくて、多くの方が管理職の試験として、もう15年くらい前から受けられていたものです。その出会いから、自分ができなかったところを頑張ろうと自分で思ったことが、今のビジネスと結び付いたわけなので、私自身は、インバスケットを多くの方にお伝えする使命をいただいたのだと思っています。
本は、形のないものを形にする
――執筆されるようになったのは、どのようなきっかけだったのでしょうか?
鳥原隆志氏: 本を出すことはあまり考えていませんでした。インバスケットを広めるためにはどうしたらいいのか考えていて、パンフレットやダイレクトメールはすぐに捨てられてしまうので、良い方法がないかとある知人に相談した時、「形がないものを、形のあるもので表すことが大事だ」と言われて、本を出すことを勧められました。でも、どう出したらいいか分からなかったのですが、たまたま書店で、タイトルは忘れましたが「本を出す本」といったものを見つけました。その本には、本を出す心構えから企画書の書き方、執筆、出版までのことが詳しく書いてありました。本を出すにはまず企画書、ということでまずは企画書を書くことにしました。
――企画書ではどのようなことをアピールされましたか?
鳥原隆志氏: 「インバスケットの本」というタイトルの企画書を出しても誰も手に取ってくれないだろうと思ったので、小売店にいた時と同じように「多くの企画の中から、いかにタイトルで手に取らせるか」ということを考えました。数字を付けると信ぴょう性が出るので「判断力が100倍良くなる本」などといった強烈なタイトルを付けたんです(笑)。どの出版社に送ろうかなと書棚を見た時に、出版社によって、柔らかい雰囲気、堅い雰囲気、あるいは権威的な感じといったように、本も雰囲気がそれぞれ違っていることに気が付きました。入門書なので、易しい、柔らかいイメージがいいなと思って、そういった雰囲気を持つ本を出されている会社に企画書を送らせていただきました。
――出版社の反応はいかがでしたか?
鳥原隆志氏: 7社にあてて送って、2週間待って音沙汰がなかったら、第2弾の出版社に送ろうと準備をしていましたが、今考えれば奇跡的かもしれませんが、数人の編集の方からお話をいただきました。インバスケットについて私と編集者は、素晴らしいものだなと共有できても、編集長さんや営業さんからの「インバスケットって何?」というところから始まるので、まず企画を通すのが大変だったので、最初に本を出した出版社の編集の方はすごく苦労されたようです。その編集の方はすごく好奇心旺盛で、「なぜこの企画を手に取ったんですか?」と聞いたら「インバスケットっていう字が、見たことない字だった」とおっしゃいました。その答えを聞いて、好奇心旺盛な方が多い素晴らしい業界だなと私は思いました。
メッセージを伝えるため、書き方に変化をつける
――そうやって初めて出版されたのが『究極の判断力を身につける インバスケット思考』ですね。
鳥原隆志氏: 1冊目の本のタイトルがギリギリまで決まらなくて、インバスケット思考は、本当に最終的に付いた言葉なのです。それまでは、物流企業の昇格試験、のようなタイトルで出される予定だったんです。編集者と編集長、社長さんをすごいな、と思ったのが、「インバスケット」という字を前面に出すことを決められたことです。かなり勇気が要ると思うんですが、インバスケットに火がつけば2冊目以降が出しやすいということを踏まえた上での、決断だったようです。私は1冊出せれば御の字だなと思っていましたが、出版社の社長さんから、「1冊出したら、2冊目は続編、3冊目はその解説書を書くことを考えて欲しい」と言われました。それが今も頭に残っていて、本を書いている時はもちろん1冊に集中するんですが、次の本のこともやはり考えています。
――本作りのプロから、得るものも多かったのでしょうか?
鳥原隆志氏: 良い出版社の方、良い編集者の方とお付き合いできたので、私は運が良かったと思っています。出版社の中には、「これと全く同じような形で書いてください」という企画をいただいたり、「ライターをつけますから、すぐ出しましょう」という、ビジネス色が強いと感じるところもありますが、私がお付き合いしている編集者の方はすごく本が好きで、読者を第一に考えている方が多いです。逆に、吟味されて出すというより、フィーリングで「こんな感じにしましょう」というのが本になることもあるので、それが出版の面白いところです。最初は「この本を誰が読むの」という感じの本が、「今までになかったから面白い」という観点から、どんどんと変化していくその過程は勉強になります。
――編集者さんとは企画や著述の仕方など、綿密に話し合われますか?
鳥原隆志氏: 編集者にも色々なタイプの方がいらっしゃいます。まずお会いするところから始めるんですが、出版社の名前や企画よりも、その方とフィーリングが合うかどうか、ということが大事です。といっても、一緒に仲良く作っていこうというばかりではなく、時に言い合い、けんかもしながら、主張し合いながら作っていくこともあります。ワンフレーズだけで2時間くらい話し合ったこともあります。企画をいただいた時でも、「書きたいものを書いてください」というよりも、お互いに持ち寄ったものをぶつけ合って作る方が、良いものができると思います。書き手としてはより多くのメッセージを伝えたいというのがあるんですが、編集の方は読み手に1番近いところでフィルターになってくれます。同じ原稿を渡しても、そのフィルターの違いというか、編集者によってかなり違う本ができると思っています。書き手と編集者という関係は、結婚のようなイメージで、本は子どものようなものなのです。
――本ごとに、読者のターゲットのようなものを考えられていますか?
鳥原隆志氏: 自分なりに本を書くためのマップがあって、年齢層であったり、ベーシックと応用だったり、能力別だったりという風に分けています。メッセージを上手く伝えるには、ストーリーをこういう風に考えた方がいいなとか、問題をこういう風にしたらいいな、若い層だったら文章じゃなくて、絵で見るような感じで、1行の文字数を少なくしたりと、せっかくお金を出して買っていただいているのだから、ほかの本と被らないように工夫をしないと読者の方に申し訳ないです。
本の限界を超える新メディアを
――電子書籍について、どのようにお考えでしょうか?
鳥原隆志氏: 可能性はすごくあると思います。本にできることには限界があって「本を読んで自分のできていないところ、目指すものが分かったけれど、そこからどうしたらいいのかが分からない」という声をよく聞きます。本では気付きを得るというところまでしかできませんし、本を読む時間がない方も多いと思うんです。今、色々なメディアが出てきて、昔できなかったことができる時代になって、本だけではなくてMP3を車の中で聴いたりすることもできます。私自身は、電子書籍をまだ読んでいないのですが、私の本をテスト的に電子化したものを使ってみると「なるほどな」と思います。
本は書店で売っているものだと決めつけているところがありますが、実は書店よりコンビニの本が売れる時代になっていたりするのかもしれません。私は大体パソコンで見ながらゲラを校正しますが、このパソコンの中に、持ち歩けない本が入っていると考えると、すごく便利だなと思います。あとはいかに私のような紙の本派の人たちに、電子書籍の良さを伝えられるかだと思います。紙の本と一緒に電子書籍を売っていらっしゃる書店もできたりしていますが、書いている者からすると、紙の本を読まない方に読んでいただくというのは、メリットですよね。
――ご自身は、書店で本を買われることが多いですか?
鳥原隆志氏: ベストセラーとキーワードが気になりますので、書店にはよく行きます。例えば「伝え方」というキーワードが本にたくさん出てきたりすると、それが出てくる背景には何があるのかを考えます。コミュニケーションに迷われている方が多いという背景にたどりつけば、その伝え方とインバスケットが掛け合わせられないか、などと考えたりします。お客様も、どのような方が来られているのかも見ますし、たまに自分の本を立ち読みされている方がいたりして、「どこを読んでいるんだろう」などと見たりもします。書店で私の本をレジに持って行ってくださる姿を見ると、お礼を言いたくなります。新しい本が出ては、何かの本が消えてくという世界ですから、書店は我々の戦場なんです。
今の読者に伝えることで、対象は広がっていく
――本を書かれる上で、大切にされている理念のようなものはありますか?
鳥原隆志氏: 本当に単純な言葉になるかもしれませんが、お客様にいかに「ありがとう」と言っていただけるか、ということです。書いていると、つまずくこともあったり、時には半分くらい書いて捨ててしまう原稿もあります。書いているうちに伝えていることの意味が変わってきたりすることは、お金を出して買っていただくお客様に対して、申し訳ないなと私は思うんです。だから、1年前に書き上げた原稿がまだ本になってないというのもあります。書いている時は、お客様、読者からのメッセージやレビューなどが支えになりますので、何度も読み返します。スーパーだと、再び来ていただいた時にお話ができる時もありますが、書籍はどこでどのくらい販売されているのか分からないし、どのような方が買われているかということや、読んでいただいている人の姿も、著者にはなかなか分からないんです。ネットなど、そういった媒体が良いなと思うのは、読まれた方の感想が、良いものも悪いものもすぐに入ってくるところです。「こういう方に読んでいただいているんだ」ということが分かれば、ターゲットが浮かんできて次が書きやすくなったり、不便を感じてらっしゃる点や、面白くないと思われている点が分かれば、それを改善していくヒントになります。良い時代に書かせていただいていると、私は思っています。
――最後に、今後の作品についての展望をお聞かせください。
鳥原隆志氏: インバスケットという軸は決して外さず、色々な使い方を、各年代層別や用途別といった形で書いていきたいです。今私の本を買っていただいている方に、インバスケットをきちんと伝えるところから、その先へ広がっていく、そういった展望を描いています。最終的には、本を買えない方にインバスケットを伝えるために書いてみたいと思っています。一部の方に良い情報が行くというのは、平等ではないと私は思っています。元々インバスケットは、兵士が自らの存亡に関わる判断をするために生まれたツールなので、例えば日本ではなく貧困の国、戦争をしている国など、そういった生きるか死ぬかの判断をされている方に、インバスケットをお伝えできること、そこがゴールかなと思っています。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 鳥原隆志 』