大津広一

Profile

慶応義塾大学理工学部卒業。米国ロチェスター大学経営学修士(MBA)。富士銀行、外資系証券、ベンチャーキャピタルを経て独立、現在は経営コンサルティング、企業内研修講師に従事。これまで3万人以上の社会人学生にアカウンティング、ファイナンスを指導してきた。早稲田大学では、毎年40名の留学生に英語で会計を指導している。 著書に『ポケットMBA 会計力と戦略思考力<新版>』『ポケットMBA ファイナンスと事業数値化力』(日経ビジネス文庫)、『企業価値を創造する会計指標入門』『戦略思考で読み解く経営分析入門』『英語の決算書を読むスキル』(ダイヤモンド社)、最新刊では、『会計プロフェッショナルの英単語100』(ダイヤモンド社)がある。

Book Information

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慶應に進んでからアメリカへ。多様な価値観に目覚める。


――大学時代はどのように過ごされたのですか?


大津広一氏: 20歳の時、初めて飛行機に乗ってアメリカへ行った時に、「自分の人生をかけるのはこれだ」と感じました。1つの目的であった「大学入学」が達成できて、自分としては次に何を目標にしたらいいのだろうと、1年くらい悩んでいた時期がありました。一緒に行く予定だった友達が行けなくなってしまい、「1人でハワイへ行ってもしょうがないから、本国に行こう」と思ったんです。アメリカ人の寛容さや、社会に対する貢献の姿勢などがすごく刺激的で、日本と全然違うなと肌で感じました。たまたま良い人に出会って、私がのめり込むための場が設定されていたといった感じで、これからの自分の人生の軸とするのは「アメリカで英語」だと思いました。そのためにひたすらバイトしていたので、勉強する時間はあまりなかったんです(笑)。アルバイトはレストランからスーパー、引っ越しの手伝いなど一通りやりました。その頃の冒険心や野心が今の自分を作っているのだと思います。

――その後、アメリカに行かれて、大学院でMBAを取られましたね。


大津広一氏: 留学の前に1回富士銀行に入りました。バブルの半沢直樹の時代くらいです(笑)。

――銀行を選んだのはどのような理由だったのでしょうか?


大津広一氏: 親からの希望ということもありましたが、正直、銀行へ入る時から「そんなに長くはいないな」という感覚が私にはありました。

――その後のビジョンをお持ちだったのですか?


大津広一氏: 1つの組織にいるのが自分の性格からして無いだろうと思っていたんです。ただ大企業で働くことは大事だと思っていたので、経済や日本の金融の中枢である銀行で働くことを決めました。最初から銀行だという考えはなんとなくあったので、できれば銀行から派遣留学をさせてもらえれば1番ハッピーだと考えていましたし、何となくですがその自信もありました。実現していれば、今ごろはまったく違う人生だったのかもしれませんね。でも銀行に入ってみて、大組織というのは自分に合わないなと感じたのと、そこで1つ、人生の大きな転機がありました。
入社3年目に大病を患い、3ヶ月くらい入院したのです。私はとにかく留学したかったので、我慢して結果を出せば、きっと銀行が派遣してくれるはずだと、無理をしていたんです。今はつらいけど、なんとか我慢しようと思ってやっていたら、先に体を壊してしまいました。その時に「人間は、やりたいことをやるために我慢し過ぎると、その前に病気になる。そうすると結局、夢が実現できない」ということを身をもって知りました。英語の点数を上げよう、TOEFLの点数を一気に上げて、留学できる準備をしようと考えて、その時は朝から晩まで、病院でひたすら勉強しました。看護師さんが「こんなに勉強する患者は初めてだ」と驚いていました。

――入院中にそこまで頑張ることができたのは、なぜでしょうか?


大津広一氏: 「なんで自分はこんなところにいなくちゃいけないんだ」と悔しかったんです。だからその状況をポジティブに変えるために、一気にTOEFLの点数を上げようと勉強しましたし、その時に落合信彦さんの本や、ケネディの本など、本もたくさん読みました。ケネディの本がきっかけで、政治にも興味が広がりました。ひたすら本を読むのと、英語の勉強するのを徹底的に3ヶ月やり続け、退院してから、一応銀行に戻りました。銀行に戻って、「今度もし、嫌だと思ったら今度はスパっと辞めよう」と思ったんです。10月1日に戻ったんですが、その日に「これはダメだ。耐えられない」と思って、10月31日に辞めました。

逆境を経験したからこそ、身につく自信がある。



大津広一氏: 銀行を辞めたのが91年で、92年の春に、慶應の大学院に戻りました。慶應大学理工学部と、ロチェスター大学。その時は交換留学があったので、私もそれを使おうと考えたんです。一長一短なのかもしれませんが、単位を移せたりといったように、多少なりとも時間とお金が節約できるんです。それを使って留学して、アメリカのニューヨーク州の、ロチェスターという都市に1年半くらい滞在して、MBAの勉強をしました。私は、アメリカに行って英語を勉強するのはナンセンスだと思っているんです。英語は日本で勉強できるから、アメリカではアメリカ人と勉強したいと思っていました。1ヶ月の語学遊学は私もしましたが、アメリカで1年間英語の勉強をするのは、お金がもったいない。かといって日本でNOVAに行くお金もなかったので、外国人の友達を作るなどして、ひたすら自分で身につけました。

――帰国された後は、どういったことをされていましたか?


大津広一氏: あまりアメリカに残る気持ちはなかったので、95年の夏に、バークレイズという投資銀行の日本支社に、アナリストとして戻ってきました。アメリカで学んだ英語、経済、経営、特にファイナンスを生かせるから、外資系で働きたいという思いもありました。その後は、ベンチャーキャピタルへ行ったり、ベンチャー企業にも少しいたりしました。全て予定通りではなかったし、逆に失敗の方が多かったかもしれない。でもその時はそれが正しいと思ってやってきて、今はその経験が生きていると思っています。



今教える立場として思うのは「成功だけじゃダメだ」ということです。極論ですが、誰も失敗したくないと考えていても、結果として色々な失敗があるわけです。よく逆境ウェルカムだとか言う人がいますが、私も「逆境を乗り越えると強い人間になる」と思っています。

著書一覧『 大津広一

この著者のタグ: 『英語』 『チャレンジ』 『コンサルティング』 『ビジネス』 『留学』 『会計士』 『MBA』 『独立』

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