大津広一

Profile

慶応義塾大学理工学部卒業。米国ロチェスター大学経営学修士(MBA)。富士銀行、外資系証券、ベンチャーキャピタルを経て独立、現在は経営コンサルティング、企業内研修講師に従事。これまで3万人以上の社会人学生にアカウンティング、ファイナンスを指導してきた。早稲田大学では、毎年40名の留学生に英語で会計を指導している。 著書に『ポケットMBA 会計力と戦略思考力<新版>』『ポケットMBA ファイナンスと事業数値化力』(日経ビジネス文庫)、『企業価値を創造する会計指標入門』『戦略思考で読み解く経営分析入門』『英語の決算書を読むスキル』(ダイヤモンド社)、最新刊では、『会計プロフェッショナルの英単語100』(ダイヤモンド社)がある。

Book Information

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得意の英語と会計のジャンルで、新しい価値観を伝えたい



大津広一さんは1989年、慶應義塾大学理工学部管理工学科卒業後、米国ニューヨーク州ロチェスター大学で経営学修士(MBA)をとり、富士銀行、バークレイズ・キャピタル証券などを経て独立、2003年に株式会社オオツ・インターナショナルを設立されました。現在は会社代表としての仕事の他、早稲田大学大学院商学研究科ビジネススクール講師も務め、企業戦略や財務の専門家として「会計×英語」の指導もされています。著書には『企業価値を創造する会計指標入門』『戦略思考で読み解く経営分析入門』『英語の決算書を読むスキル』『ビジネススクールで身につける会計力と戦略思考力』など、ご自身の知財を惜しみなく綴ったものばかりです。今回は、グローバルな視点をお持ちの大津さんに、読書について、電子書籍についてお伺いしました。

2003年に独立、個人で仕事を初めて10周年


――近況を交えながら、お仕事の内容をお伺いできればと思います。


大津広一氏: 2003年に独立しまして、お陰様でちょうど今年で10周年です。仕事の中で1番ボリュームが多いのは会計、財務分野の企業内研修講師ですが、20代から50代までを対象とした研修を、主に東京、大阪などの企業で年間30社くらい行っています。その中には、選抜研修もあれば、階層別の研修もあるので、その年次や目的に合わせて話す内容を変えています。それから、会計、財務のコンサルティングもやっています。コンサルティングの方は1つの会社に深く入ることが多く、社外監査役も2社ほど勤めています。3つ目が本の執筆で、出版のペースとしては年1冊くらいで考えています。でも、今年はアベノミクスにちなんで3本の矢を放ちます。9、10、11月にそれぞれ1冊ずつ出版する予定で、中でも11月に出版予定のものは、電子書籍への初トライとなります。

――様々なお仕事をされていますが、頭の中はどのようにイメージされてお仕事をされていますか?


大津広一氏: 基本的には、目の前にある1つ1つの仕事に誠意を持って取り組んでいくというスタンスです。執筆に関して言えば、「今年はこういうテーマで書こう」といったようなビジョンが必要だと思います。最近は英語と会計の本を書いていますが、来年は原点に戻って、「独立間もない頃に出版した最初の書籍の改訂版を出そう」と考えています。本は時間が掛かりますので、思いつきではできませんし、テーマに対してはもちろん出版社のOKが出ないといけません。だから、本に関しては比較的長期のビジョンを持っています。企業内研修は、私が積極的に営業するというよりは営業は信頼のおけるエージェントに任せて、私はコンテンツを充実させることに努めています。タイムマネジメントという意味では、昼間は主に研修に時間をあてて、夜と土日は資料の作り込みや執筆などを行っています。研修で使う決算書は、その会社の決算書を用いることが多いので、コンテンツも企業向けにカスタマイズしないといけません。例えばある食品会社さんが「競合会社と自社を比べて議論させたい」と言ったご要望があれば、その資料を作成したりもします。会計のルールや決算は毎年変わりますから、常にリニューアルしないといけません。最新の動向をつかみ、それを受講者と議論していくことが、教壇に立つ人間の価値のつけどころなのではないでしょうか。

アクティブに遊ぶ子供だった。冒険心を持つ性格は今も変わらない。


――どのようなビジョンをお持ちになって、今に至ったのかをお聞きしたいと思います。どのようなお子さんでしたか?


大津広一氏: 子どもの頃は、近所の人たちと密接している団地に住んでいましたので、とにかくアクティブに遊んでいました。今と違って、近所に田んぼや池もありましたから、泥んこになって毎日野球をしたりサッカーをしたりしていました。ですから今の「会計士」というイメージとはだいぶ違う子どもだったと思います。私は横浜出身ですが、山奥の自然に囲まれた良い環境でした。周りは受験勉強をしなかったので、私も高校までは公立校に行きました。

――本はお好きでしたか?


大津広一氏: 読書に関しては、本が好きだったという感じでもないと思います。一通りの伝記などは読んでいましたが、私が本を好きになって読み始めたのは、大学生くらいになってからです。小さい頃に本をたくさん読まなかったことは、私の1つの後悔でもあるんです。きちんと本を読んでおけば、若い時から、もっと多くの発想の広がりがあったのではないかと、今はそう思います。

――慶應大学の理系に進もうと思われた理由は?


大津広一氏: 単純に数字が好きだからです。小学校2年生くらいから、ずっとそろばんをやっていた影響が大きいと思います。頭の回転が速いと言われることもありますが、それに関しては、そろばんの経験が大きく貢献したと思っています。私の頭のトレーニングには、そろばんがすごくフィットしたんではないでしょうか。

――ご両親の教育方針でもあったのですか?


大津広一氏: 親は、自分が苦労した分、きちんと教育しなきゃダメだと思っていたようです。勉強して良い大学に入って、良いサラリーマンになるんだという、いわゆる旧来の価値観なのですが、自分が経験してないからこそ教育が大事だと思ったのでしょう。その点に関しては、本当に親に感謝しています。

慶應に進んでからアメリカへ。多様な価値観に目覚める。


――大学時代はどのように過ごされたのですか?


大津広一氏: 20歳の時、初めて飛行機に乗ってアメリカへ行った時に、「自分の人生をかけるのはこれだ」と感じました。1つの目的であった「大学入学」が達成できて、自分としては次に何を目標にしたらいいのだろうと、1年くらい悩んでいた時期がありました。一緒に行く予定だった友達が行けなくなってしまい、「1人でハワイへ行ってもしょうがないから、本国に行こう」と思ったんです。アメリカ人の寛容さや、社会に対する貢献の姿勢などがすごく刺激的で、日本と全然違うなと肌で感じました。たまたま良い人に出会って、私がのめり込むための場が設定されていたといった感じで、これからの自分の人生の軸とするのは「アメリカで英語」だと思いました。そのためにひたすらバイトしていたので、勉強する時間はあまりなかったんです(笑)。アルバイトはレストランからスーパー、引っ越しの手伝いなど一通りやりました。その頃の冒険心や野心が今の自分を作っているのだと思います。

――その後、アメリカに行かれて、大学院でMBAを取られましたね。


大津広一氏: 留学の前に1回富士銀行に入りました。バブルの半沢直樹の時代くらいです(笑)。

――銀行を選んだのはどのような理由だったのでしょうか?


大津広一氏: 親からの希望ということもありましたが、正直、銀行へ入る時から「そんなに長くはいないな」という感覚が私にはありました。

――その後のビジョンをお持ちだったのですか?


大津広一氏: 1つの組織にいるのが自分の性格からして無いだろうと思っていたんです。ただ大企業で働くことは大事だと思っていたので、経済や日本の金融の中枢である銀行で働くことを決めました。最初から銀行だという考えはなんとなくあったので、できれば銀行から派遣留学をさせてもらえれば1番ハッピーだと考えていましたし、何となくですがその自信もありました。実現していれば、今ごろはまったく違う人生だったのかもしれませんね。でも銀行に入ってみて、大組織というのは自分に合わないなと感じたのと、そこで1つ、人生の大きな転機がありました。
入社3年目に大病を患い、3ヶ月くらい入院したのです。私はとにかく留学したかったので、我慢して結果を出せば、きっと銀行が派遣してくれるはずだと、無理をしていたんです。今はつらいけど、なんとか我慢しようと思ってやっていたら、先に体を壊してしまいました。その時に「人間は、やりたいことをやるために我慢し過ぎると、その前に病気になる。そうすると結局、夢が実現できない」ということを身をもって知りました。英語の点数を上げよう、TOEFLの点数を一気に上げて、留学できる準備をしようと考えて、その時は朝から晩まで、病院でひたすら勉強しました。看護師さんが「こんなに勉強する患者は初めてだ」と驚いていました。

――入院中にそこまで頑張ることができたのは、なぜでしょうか?


大津広一氏: 「なんで自分はこんなところにいなくちゃいけないんだ」と悔しかったんです。だからその状況をポジティブに変えるために、一気にTOEFLの点数を上げようと勉強しましたし、その時に落合信彦さんの本や、ケネディの本など、本もたくさん読みました。ケネディの本がきっかけで、政治にも興味が広がりました。ひたすら本を読むのと、英語の勉強するのを徹底的に3ヶ月やり続け、退院してから、一応銀行に戻りました。銀行に戻って、「今度もし、嫌だと思ったら今度はスパっと辞めよう」と思ったんです。10月1日に戻ったんですが、その日に「これはダメだ。耐えられない」と思って、10月31日に辞めました。

逆境を経験したからこそ、身につく自信がある。



大津広一氏: 銀行を辞めたのが91年で、92年の春に、慶應の大学院に戻りました。慶應大学理工学部と、ロチェスター大学。その時は交換留学があったので、私もそれを使おうと考えたんです。一長一短なのかもしれませんが、単位を移せたりといったように、多少なりとも時間とお金が節約できるんです。それを使って留学して、アメリカのニューヨーク州の、ロチェスターという都市に1年半くらい滞在して、MBAの勉強をしました。私は、アメリカに行って英語を勉強するのはナンセンスだと思っているんです。英語は日本で勉強できるから、アメリカではアメリカ人と勉強したいと思っていました。1ヶ月の語学遊学は私もしましたが、アメリカで1年間英語の勉強をするのは、お金がもったいない。かといって日本でNOVAに行くお金もなかったので、外国人の友達を作るなどして、ひたすら自分で身につけました。

――帰国された後は、どういったことをされていましたか?


大津広一氏: あまりアメリカに残る気持ちはなかったので、95年の夏に、バークレイズという投資銀行の日本支社に、アナリストとして戻ってきました。アメリカで学んだ英語、経済、経営、特にファイナンスを生かせるから、外資系で働きたいという思いもありました。その後は、ベンチャーキャピタルへ行ったり、ベンチャー企業にも少しいたりしました。全て予定通りではなかったし、逆に失敗の方が多かったかもしれない。でもその時はそれが正しいと思ってやってきて、今はその経験が生きていると思っています。



今教える立場として思うのは「成功だけじゃダメだ」ということです。極論ですが、誰も失敗したくないと考えていても、結果として色々な失敗があるわけです。よく逆境ウェルカムだとか言う人がいますが、私も「逆境を乗り越えると強い人間になる」と思っています。

1冊目の本は、初めての子どものようなもの


――独立されて、色々と本を出されるわけですが、そのきっかけはどういったことでしたか?


大津広一氏: 1番最初の本『企業価値を創造する会計指標入門』を出版したのが2005年です。私には伝えたいメッセージがありましたし、1人で会社をやっていく以上は、自分のブランドでありマーケティングにもなるから、本は独立した時から書きたいと思っていました。独立した翌年くらいから、本を早く書かなきゃいけないと思い始めましたが、1冊目の時には無名だったので、企画書を作って営業しました。4社送って、2勝2敗。その2社のうちの1つがダイヤモンド社で、リスクの可能性もあったのに、無名の私に出版させてくれたダイヤモンド社には感謝しています。1冊目は書きたい思いが強かったのか、もんもんとして執筆が止まる、などということはあまりありませんでした。それだけ書きたかったんだと思います。今年3冊書くので累計で8冊になりますが、その中でも特に思い入れが強い本で、自分の子どものように感じています。それがうまくいって、3800円くらいの本が10000冊売れたので、版元も結構喜んでくれました。彼らはこの本を大事にしてくれていて「改訂版も出しましょう」と言ってくれていますので、それを来年のテーマにしようと思っています。

――最初に書店に並んだ時はいかがでしたか?


大津広一氏: ニコニコしながら、たくさんの書店を回りました。今でもたまに、どこに置いてあるかなとか、どういう置き方をされているか、特に平積みされているかどうかを見るために、書店を回ることもあります。

――書店から見えてくるものもありますか?


大津広一氏: 世の中の流れを見ることができます。置き方に関しては、書店も色々な工夫をされながら本を置かれているな、というのを感じます。私がベンチマークとしているのは丸の内の丸善です。周りには銀行が多いですし、産業の中枢的な会社も多いです。私の本はどちらかというと、経営企画や財務、会計、それから銀行員向けなので、丸の内の丸善で売れないと広がらないのです。そこでは5冊出したうちの4冊がまだ平積みになっていて、丸の内の丸善での平積み率が私のKPIだと思っています。

――出版社、編集者の役割はどんなところにあると思いますか?


大津広一氏: 私は自分でのめり込んで書きたいタイプです。だから、ペースメーカーの役割とはちょっと違うと思います。そういう意味では出版社の役割は、読者目線と、マーケティング面での支援です。でも去年書いた英語の本は、初めての試みだったので、結構苦労して、途中で挫折しそうになった。無理かなと思った時に、編集の方が叱咤激励してくれました。独立すると、厳しいことを言ってくれる人が、段々少なくなってきますから、ありがたいなと思っています。

電子書籍でなければできない試みをしたい。


――読者が、電子書籍で大津さんの本を読むということに対して、書き手の視点からのご意見をお聞かせ下さい。


大津広一氏: ダイヤモンド社から出した2冊の本は、ハードカバーで相当重いですから、電子化で持っておくというのは、1つのメリットはあると思います。価格は下がるのかもしれませんが、電子書籍にはトライしたいと思っています。今年の3冊のうちの1冊目は、私にとって英語の2冊目の本となります。2冊目は10月に出る予定の、日経の『会計力と戦略思考力』の改訂版です。そして、3冊目は電子書籍で販売します。3冊の中で1番ライトな本ですが、内容が電子書籍に合っていると思うし、広く読者層をつかめるのではないか、と思っています。ライトな電子書籍で価格を下げると、私のコンテンツももっと広がるのかなといった楽しみもあります。編集的な面で言えば、なるべくイラストなどを入れるようにしています。電子出版の版元さんは、電子書籍に関しては詳しいので、価格設定1つをとっても、彼らのノウハウに私は期待をしています。

――電子書籍ならではの新しい取り組みはされていますか?


大津広一氏: 最初は必ずクイズで始まるといったように、クイズ形式を取り入れています。例えば、ユニクロと伊勢丹としまむらの決算書を並べて、「どれがどの会社の決算書でしょうか」といったようなクイズです。なるべく問いかけながら解説していって、「正解はユニクロです」と答えを明かしていきます。2章では、今度はH&Mとウォルマートなど、比較的取っ付きやすい小売りをテーマにするなど、工夫して展開します。電子書籍だから、ブログよりはもちろん内容はありますが、紙よりは少しライトな感じでいくつもりです。

英語と会計で、日本人と世界の橋渡しをする。


――色々な軸で挑戦されていますが、その中で、執筆に対する思いというのはございますか?


大津広一氏: 執筆はいつもチャレンジする領域です。私は新しい価値観を伝えたいと思っています。最初の本に関しては、過去の分析だけではなくて、将来のビジョンを語る言語も会計なんだ、というコンセプトがありました。2冊目の『会計力と戦略思考力』は、インタラクティブに、会計を学ぶというコンセプト。読んでから考えるんじゃなくて、考えてから読むんだという仮説思考でいくべきだと。ビジネススクールの臨場感ある現場を伝えたかった。3冊目の経営分析の本が、1番オーソドックスな書籍かもしれませんが、12の分析指標を選んで、ケースを使って徹底解説したことで、多くの大学で教科書として採用してもらいました。4冊目のファイナンスも、小難しいと思われがちなファイナンスの領域を、縦書きの文庫本でインタラクティブに学ぼうというコンセプト。5冊目に関しては、グローバル共通言語である英語と会計を、ケース企業を使って同時に学ぼうという書籍です。

――大津さんにとって、執筆にはどういった役割があるのでしょうか?


大津広一氏: 自分の描いた思いや考えを、もっとも効果的に世の中に伝達できる大切な媒体です。加えて、頑固おやじにならないために、自分を律するものを持っていないとダメだと思っていて、それが私にとっての「本」なんです。この間、すごく実力があるけれど、ずっと組織に属している方と話している時に、「なんで独立しないんですか」といった話になりました。その人が、あえて組織で働く理由の1つとして、「独立した人のほとんどが頑固おやじになっているから」と言ったんです。私にはその言葉がすごくしっくりきた。独立して、ちょっと本が売れたり、仕事の数が増えたりすると、「自分は先生なんだ」といった感じで、多くの人が頑固おやじになると言うんです。だから私は、そうならないための仕組みの1つとして、伝えたいコンテンツのある間は、執筆を継続していこうと思います。これまでいろんな仕事をやってきましたが、やっぱり一番苦しいのは本を書く事ですから(笑)。



――今後の展望を最後にお聞きしたいのですが。


大津広一氏: 大げさなことは考えておらず、今の3本柱(コンサルティング、研修講師、書籍執筆)を大切にしたいと思っています。早稲田大学でも教えていますので、今ある仕事を粛々と育てていく、という大きなところは変わらないと思います。ただ英語に関しては、とにかく自分が好きでやってきて、たまたま今の時代では、グローバル人材というのがキーワードになっています。英語と会計というのは、グローバルなコミュニケーション言語だと私は考えていますし、親和性が強い面もあって、会計は実は英語で学んだ方が分かりやすいところもあります。ですから、私は日本人が当たり前のように英語を話す、あるいは会計を英語で語る、そういう世の中を作りたいなと思っています。先の東京五輪誘致の成功要因の1つが、最終プレゼンをすべて英語と仏語でやったのは日本だけだったこと、という記事を読みました。どんなに素晴らしい通訳をはさむより、グローバル言語で直接コミュニケーションをとる方が、思いは伝わるのだという好例だと思います。ビジネスの共通言語は英語と会計なのです。だからこそ、日本人の英語と会計というものの水準を高めるために、色々な媒体を使って今後も取り組んでいきたいと考えています。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 大津広一

この著者のタグ: 『英語』 『チャレンジ』 『コンサルティング』 『ビジネス』 『留学』 『会計士』 『MBA』 『独立』

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