大澤幸生

Profile

1968年、京都生まれ。東京大学工学部卒、工学系研究科博士(工学)取得。大阪大学基礎工学助手、筑波大学大学院ビジネス科学研究科助教授、東京大学大学院情報理工学研究科特任准教授などを経て現職。専門は人工知能、意思決定支援、知識工学。チャンス発見、創発システムデザインなどを研究。著書に、『未来の売れ筋発掘学』(編著、ダイヤモンド社)、『チャンス発見のデータ分析』(東京電機大学出版局)、『ビジネスチャンス発見の技術』(岩波アクティブ新書)、『イノベーションの発想技術』(日本経済新聞出版社)等がある。

Book Information

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データのマーケットを創造しよう



大澤幸生さんは1995年、東京大学工学研究科で博士(工学)を取得したのち大阪大学基礎工学部助手、筑波大学大学院ビジネス科学研究科助教授、科学技術振興事業団研究員、東京大学大学院情報理工学研究科特任助教授、東大大学院工学系研究科システム量子工学助教授、同システム創成学専攻の准教授を経て、2009年7月より東京大学大学院工学系研究科システム創成学の教授を務められています。「チャンス発見学」なる新分野を創始され、著書に『未来の売れ筋発掘学 データマイニングを超えた価値センシングの技術』『チャンス発見のデータ分析』『チャンスとリスクのマネジメント』など一般向けの著書も出されている大澤さんに、読書について、また電子書籍についてのお考えを伺いました。

データを売り買いするマーケットの「チャンス」


――研究についてお聞かせ下さい。


大澤幸生氏: 直近では、「データを売り買いするマーケットをどうやって作るか」という研究をしています。本も1つのデータと言えますが、そういうマーケットが既にあって、そのようなデータを誰かが持っているとします。ところがこの「誰か」は、自分のデータを売りたくないし、ましてやあげたくもない。でもそういう人は、自分にとって納得できる条件や価格であれば、データを提供することがある。提供する側としては、結果として自分にとってどんなメリットがあるかが大事なのですから、重要なのは、なんのためにこのデータを使うかということです。

――これはなんでしょうか?




大澤幸生氏: この四角形のものはデータジャケットと言って、「データの中身は売りたくない、見せたくないんだけども、データの概要くらいまでは見せてあげよう」といった「データジャケット上のIM(Innovators Marketplace on Data Jackets:IMDJ)」という考え方になります。今、なんでもフリーでデータをあげます、それが正しいですということが、妙にはやっています。日本では、これがなぜ正しいかという理由を国内の事情を考えて十分に議論する前に、欧米で、特に政府関係のデータがフリーでオープンにされる動きが盛んだから、日本も急いでオープンにしなければならないと焦っているように見えます。政府関係のデータは、本来国民のものなのである程度まで公開すべきでしょうが、ビジネスのデータは、競争優位を得るためのものなので、オープンにしないのは当たり前です。ですから相当きつい条件で公開の条件設定をしなければいけない。しかし、「こんなデータがありますよ」という概要くらいならもう少し出しやすい。その時にデータを受ける側からも、データの保持者に「データをこうやって使うから見せて」と適切に要求を言うべきです。例えばそのデータだけではなく、他のデータと組み合わせましょうとか、あるいは、こんなツールで分析するので、あなたの会社にとっても面白いことが分かります、などと話し合うのです。そうすると、場合によっては無料でデータを出してくれることもある。そういう新しい観点から、データそのものを公開しなくても参加できる、データの市場を構築するのが目的です。

――企業もメリットさえ分かれば参加しやすいのですね。


大澤幸生氏: 欧米では、データブローカーという商売も成り立っています。でも、まだそこには、システマチックなコミュニケーションを経て、「このデータに対して、他のどのデータや分析ツールと組み合わせれば、どれだけの価値が与えられるか」ということを考えながら売り買いする方法は確立していない。そういうことをやって、様々な業界の人がデータからチャンスを発見できる世界を作りましょうというのがIMDJという提案なのです。

工学との出会い:本当に追いかけたい何かを求めて


――幼少の頃から、研究者への憧れはありましたか?


大澤幸生氏: 生まれは京都なのですが、生まれた病院の近くに湯川秀樹先生のご自宅があったらしく、学者というものに対するあこがれは昔からあったのかもしれません。でも途中で、ウルトラマンやお巡りさんになりたくなったりもしましたので、特に一貫性があったわけではありません。小さい頃に水泳を習っていて、中高と水泳部でした。最近でも板橋区と文京区主催の水泳大会に出まして、両方とも40代のバタフライで2位に入りました。昔は泳ぐほうが楽しくて、特に勉強好きではなかったような気がします。

――なぜ、勉強が好きになったのでしょうか?


大澤幸生氏: なぜ途中から勉強が好きになったかというと、中学2年生の頃にアインシュタインの書いた本に出会ったのです。一日中、謎について考えているようなイメージや、写真でモサモサのままの髪の毛を見て、「こういうのって良いな」と思い、研究者になりたくなりました。その影響なのか、物理や数学を好きになり得意だったのですが、それと今が直接結び付いているかというと、今に至るまでには色々な断絶があったような気がします。高校の3年生くらいまでは、数学や物理が好きな普通の理系少年でした。大学に入ると、天才のフリをするのがうまい人間がたくさんいるのがわかって、それが嫌でした。

――天才のフリ。どのようなことでそれを感じたのでしょうか?


大澤幸生氏: 初めのうちは圧倒されてしまいましたが、よくよく話してみると、天才ではないことが分かったんです。「研究者のフリをしている人がたくさんいる世界は嫌だな」と思いました。もっと生々しく真実そのものを追いかけたい。あるいは、利益を追いかけるフリをしてる人じゃなくて、実際に利益を追いかけたい。ところが、真実を追いかけるフリをしている人はいるんだけども、利益を追いかけてるフリをしている人はそんなにいないんです。皆、フリではなく、本当に追いかけている。その中間点をとって、私は両方やりたいと思いました。そうすると工学という選択肢に絞られてきたのです。

人工知能との出会い



大澤幸生氏: 「何か面白いことがないか」と思っている時に、人工知能という研究分野に出会いました。それまで私は、コンピューターのことを人工知能と呼ぶのだと思っていましたが、むしろコンピュータという機械の上で働くソフトウェアを人工知能に高める研究があるのを知って興味を持ったのです。人間のようにものを考えるアルゴリズムとか、人間のように動くロボットをどう作るかが人工知能の問題で、機械そのものだけを作るわけじゃなかった。「これは面白いんじゃないか」と思い始めたのが大学の3年生ぐらいでした。ある先生に『Human Information Processing』(Peter H. Lindsay Donald A. Norman著)という有名な本を貸していただき、あまりにも面白かったので、自分でもその本を買いました。

――それが学問との本当の出会いですね。


大澤幸生氏: それから、私は藤崎先生という方に巡り会いました。天才ですが厳しくもある先生で、1月に先生の家で行われた新年会に行って、しゃべっているうちに、2月に提出だった卒論の研究テーマがごろっと変わってしまったこともありました。卒論を書き始めた当時は、73キロだった体重が、書き終えた時には58キロにまで落ちるほど、とにかく一生懸命に頑張りました。恐ろしかった藤崎先生でさえ「たまには寝なさい」と私に言って来られました。最後に先生から「おめでとう」と言われた時はうれしくて本当に泣きました。

――藤崎先生は、なぜテーマを直前に変えられたのでしょうか?


大澤幸生氏: 恐らく先生ご自身、もともとの私のテーマなど覚えておられなかったのではないかと思います(笑)。藤崎先生の登場は本当に強烈でした。大学の3年生だったと思いますが、学期の最初の授業で「知識とは何か」という問題を出されたんです。私は「考えてみたらこれは面白いな」と思い、簡単なものを手書きで書いて、藤崎先生のところへ持っていったら「非常に面白い」と言ってくれたんです。それが私の中の1本目の論文です。後に私のドクターを取る時の指導教官になっていただいた石塚先生にも相談に行きました。石塚先生はデンプスターシェーファー理論という、確率推論みたいな既存研究について紹介してくださいました。さらに、甘利先生というニューラルネットワークで非常に有名な先生のところにも出かけて行って話を聞いてもらいましたが、「まあまあ待ちなさい。これぐらいのことを考えてる人はこの世界にいっぱいいるんだから」と言われました。そういうことも1つの大きな刺激となりました。当時は熱意やエネルギーがすごくあり「とにかく動かなきゃ」という気持ちでした。これほど考えたんだからそれを論文に書いて、人に見てもらおうという感じだったのかもしれません。

出会うことのすべてから学べ


――その当時としては、とにかく前へ進む感じですね。


大澤幸生氏: 私は数年前から、東進ハイスクールというところで、高校生たちに講演をしているんです。そういう時に「高校生たちに何か良い本を紹介してくれ」と言われた時に、必ず紹介するのは広中平祐先生の『生きること学ぶこと』という本です。「すべてのことから、とにかく学べ」という精神を伝えています。私自身も、せっかく出会ったんだから、そこから学ぼうということをいつも考えています。今もどちらかと言うと、学生に対して教えているつもりはあまりなく、彼らが教えてくれるように仕向けて、つっこむことをやっています。学生にとっても絶対その方が良いと思います。だから私は、冗談でドSだと言われることがあるんですよ、本当はドMだといくら言っても(笑)。

――先生の情熱と、原動力はどこから来ているのでしょうか。


大澤幸生氏: 食べて寝ること、それと欲望でしょうね(笑)。他にはありません。人間も生き物ですから、ものすごく単純だと思います。人間とロボットの違いは、欲望です。人間はいつか死ぬ、死んだら終わりで修理できないから欲がある。これが、いくらロボットが知性を持っても越えられない欲望の源泉だと思います。

自分の「欲望」に素直に執筆する


――本はいつもどのような思いで書かれていますか?


大澤幸生氏: 本でも論文でも書く時は、とにかくどっと書きます。書きたくない時は考えないし、書かない。でも「ああ、そうだこれを書きたい」と思う時にはどっと書きます。もう自分がダメだなと思っている時は、魂が乗りません。工学家としては魂などと言うのは、らしくないかもしれませんが、やっぱりあるんです。全体として理路整然としなきゃいけないんだけれど、理路っていうのは、無機質な鎖がつながってるんじゃなくて、基盤的な学理とか原理とつながっていて、その先に欲望があるのが工学だと思っています。だからその欲望がないと、書いてる方も読んでる方も嫌々になってしまいます。

――欲望を持って、魂で書いているという感じでしょうか?


大澤幸生氏: はい。統計学の本みたいなものや、一見すごく難しい本や論文の場合も同じです。その人がどんな欲望を持っていたんだろうと考えながら読まないと、私は読めない。だから物語でも、あまりにも禁欲的な話とか、すごい哲学者が書きましたといった本は苦手ですね。それだったら私は漫画を読んで、書き手と読み手との欲望の一致度を感じる方が幸せです。専門的な本を書く時でも、論文を書く時でも、私は要するに自然な欲をアピールしたいのです。

――ご自身では、どんな欲望を持って書かれていますか?


大澤幸生氏: それは、読む人がどんなことを欲しているのか、それは自分も欲しいことだろうということです。単純に言うと、「私も欲しい、だから読んでいる人も欲しいだろう」という極めて単純な理屈です。ひたすらその欲しいものを、自分の方法でどうやって獲得できるかという筋道をただ単に書きます。

電子データなら、読まれる前の「露出度」も調整できる


――本を読む形態も少しずつ変化してくる中で、発信者としてはどのように感じられますか?


大澤幸生氏: 本には、皆に読んでほしいと思っている本と、恥ずかしくて誰にも読まれたくない本があります。そういうのは、先ほどお話したデータジャケットに似ています。いくらお金を積まれたって誰にも読ませたくない本もある。一方では、こちらがお金を払っても読んでほしいものや、その中間の本もある。だけど、書いたということは、「こんな本を書きましたよ」と言いたがっている自分も一方でいるんだと思います。そういう時、ちゃんと真正面からまじめにきちんと理解してくれて、エッセンシャルなところだけを頭に入れて、それを有効に利用してくれるといった真剣な態度の人であれば、ぜひ読んでほしい。だけど、例えば、本の中で私がしたアドリブのつもりで入れた文章が、「あれはなんかつまらん」と言われたり、ちゃかされたりすると、恥ずかしくて穴があったら入りたくなります。以前、2ちゃんねるで笑いものにされたことがありましたが、そういう場合、書いた人に対して怒りを感じるというよりも、恥ずかしさが勝ります。ご質問への答えになってませんね(笑)。

――紙の本、電子媒体、それぞれの良さはどういったことでしょうか?


大澤幸生氏: 紙の本には、いわゆるグループインタビューで商品のプロトタイプを見せて、消費者モニターさんが皆で交換しながら触って「こうだね」と言い合うときと似た良さがある。同じものを、同じ空間で同じ空気を吸いながら触ることができるわけです。一方で電子媒体は、既に1つのデータなので、情報の露出度を設定した上で、ネット世界に持ち込もうと思えば持ち込める。例えば本の表紙だけを見せているといったサイトもあるし、中身まで出しているところもあります。中身を出す条件として「お金を払ってくださいね」というところもある。そういった様に、露出度の調節をうまくやれば電子データの持ち味を活かせると思います。本屋さんにある本は、ビニールをかぶっていると、中が見えなくて表紙だけ見えます。かぶせてなければすべて中身まで見える。この2つだけしか種類がないので、微妙な調整ができない。電子媒体の可能性は、コミュニケーションをして、データの用途について確かめながら徐々に露出度を調節していくことができるという点ではないでしょうか。それは、先にお話したデータのマーケットっていうのを新しく作って本をそこに乗せてゆく可能性につながると私は思います。それが今の研究ともつながっているわけです。


人の本当の意図というのは、スーパーコンピューターでも分析できない



大澤幸生氏: 現状のIMDJでは対面で、データの価値をお互いに確かめ合いながら会話できる仕組みを作っています。本の例で言えば、「この本とこの本を組み合わせると、こんなことが分かりますよ」なんていう会話をする場を作りながら、分析し始めたばかりです。これ自体が先ほどお話したようにデータの価値を議論する新しい方法になっているのですが、さらにこういうものを、一緒にソーシャルネットワークのような仕組みと組み合わせたりしていけば、また違った書籍マーケットの形態があり得ると思います。例えば、昔からAmazonは、本を買った人やAmazon上で閲覧した人に関連するものを適当に勧めてきました。本当にexact matchのものも勧めるけど、絶妙に離れたものを見せたりして、なかなか上手にやっている。ただあれは、書籍の表紙や概要と目次、それからその周りのせいぜいレビュアーのコメントとか、それぐらいしか見ていないから、購買者は判断の根拠を充分持っていないんです。そういう状態で他の商品を推奨しているだけなので、もっと背景のところで、その人がどんな意図を持って、何がしたくてその本を探しているかとか、そういうディープなことがあの仕組みには入らないといけないと私は思います。

――意図までくみ取る、ということでしょうか?


大澤幸生氏: はい、コミュニケーションが起こって深い意図まで自然な形でやり合うことができればいい。著者は、自分の書いた本のことが気になって気になってしょうがない。私はいまだに、自分の本がAmazonで何位になっているかとか、誰かコメントを入れてないかな、などと気になって時々見たりします。もしあの場で読者が私に対して質問を投げたとすると、多分私は答えると思います。そこではコミュニケーションが十分に発生しうる場なので、それをやらないと、書き手も自分の書いた本のマーケットにおけるポジショニングがしたいのにできないでしょう。このマーケットっていうのは、必ずしも本を売り買いするお店っていうことだけじゃなくて、ナレッジのマーケットで、誰がどんな知識を欲しがっていて、その背景にどんな欲望があるか、ということを知らせ合う場です。そういうことができるようになると、本のマーケットは意味が変わってくると思います。

――本の電子化に対しては、どのようにお考えでしょうか?


大澤幸生氏: 書いた方の気持ちとしては、裁断するのは本がかわいそうかなと思ったりします。本の持ち主が頼んで電子化したのを本人に返すだけだったらいいとは思います。最近裁判がありましたが、裁断は恐らく罪ではないだろうと思います。ただ、その前後の段階で、色々な人が気分的に違和感を感じていて、その違和感が裁判へとつながったのではないかという気もします。あと、電子データがどう扱われているのかは本当に分からない。電子化にはそういう怖さがあります。先ほど私が言っていたIMDJは、逆にその怖さを転用する方法だとも言えるでしょう。データには自由度があるので、著者などが隠したいなら隠す。そういった隠す自由度も認め、もちろん信頼関係もあった上で、露出度の調整ができるというメリットを生かしていくことは、とても良いことだと私は思います。世界がそうなっていった時に、日本だけが「それはダメ」という風に言ってしまった時に、世界から取り残されることは明らかです。

――ジャーナルなどは早めに電子化されていると思いますが、そういう可能性はどうお考えでしょうか?


大澤幸生氏: 昔は、論文なども、学生が使う場合にも図書館で論文を検索して、お金を払って印刷していました。もっと昔は、コンピューターでの検索などもなく、本は図書館へ行ってタグのついた引き出しを開けて探していましたので、今と全然違いました。「当時の私よりずっと論文を読んでないね。なんで?」と時々学生に聞くことがあります。今は、簡単に手に入るものは手に入れようとしない性質というのがとても多く見られます。電子化のメリットを享受する一方、紙の論文図書館で求める行為も大切です。図書館で紙の論文を探して読んでいると、同時に他の論文も目に入りますので、これも紙の本の良さだと思います。

――ある意味、検索エンジンの能力を超えたものを提示してくれるわけですね。


大澤幸生氏: 本屋さんもこの意味では図書館と同じです。表紙を見るだけでも、その本の雰囲気がなんとなく分かります。そして意外なものに出会うことがあります。だから、情報の空間を作って、そこに人を置く。そうしたらどんなことをするかを観察する。空間を作っている人は、そういう意図があって作って良いと思います。人間はそんなに意図通りに動かないけれども、意外な動きをした時に、それがまた実はその空間のおかげだったということになるかも知れません。人の1つの歩き方っていうのは、色々な尺度で見ることができるのではないでしょうか。

――お話を聞いていると、これほど複雑で面白い学問はないのではないかと思います。


大澤幸生氏: 社会を、近似できる部分について近似的に予測やシミュレーションをすることはできるんだけども、むしろそれよりも、個人の意図の理解やシミュレーションを、本質的なところを落とさずに捉えてやろうとする方が難しく面白いと思います。意図を生み出す個性っていうものは、すごいものです。ベイジアンモデルのような方法である程度個性を捉えることはできますが、そこで網羅できない残りの部分に、人間の面白さがあるように思います。

今の夢は、データのマーケット創り


――最後に、今後の展望をお伺いします。


大澤幸生氏: 工学というのは、本来論文を書くことというよりも、実現したいものがあってそっちへ向かって行く根本的な方法を創るということです。私の夢の一つは、データのマーケットを本当に作ることです。今もデータのマーケットっていうのは、あるにはあるのだけれど、検索エンジンに少し似ています。データが沢山リストになって出てきて、そのリスト上に出てきたこのデータは誰々が持ってますよという風に出ていたり、値段が付いていたりする。そういうWebサイトはあるんだけれど、うまくコミュニケーション環境ができていない今のデータのマーケットでは、そのデータの真価を発揮できないんです。結局、宝の持ち腐れが起こっている。そこを変えて、誰もがチャンスを発見できるデータのマーケットっていうのをつくるということ。それが私の夢の一つです。



――その夢を現実のものとするために、今思うことはありますか?


大澤幸生氏: 何が難しいかというと、「この世界に興味をまだ持っていない人も乗せていこう」というそのプロセスが難しい。本の場合は今裁判などが色々あって、逆風が吹いたり、あるいは順風が吹いたりするかもしれませんが、時代はデータのマーケットに向かっていくと私は今思っています。電子出版の業界も恐らく十分有望な業界だろうと思います。ビッグデータというものがありますが、私は、あれは下手をするとピッグデータ、つまりブクブク太っているだけのデータになってしまうと思っています。だけども、本当に良質のデータはある。それは、1つ1つは小さいものだけど、ネットワーク上でつながっている。それをいかにして組み合わせて、そこからインテリジェンスを引き出すかということができれば、それはもはやピッグデータでなく、シャープさを持ったグレイトなデータとなります。これをシャープデータと呼んで、最近はSharp data are mightier than big data(シャープデータはビッグデータより強し)という講演も国内外でしています。そういう世界を創ろうというのが今、私や研究室の皆の夢になっています。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 大澤幸生

この著者のタグ: 『大学教授』 『原動力』 『研究』 『人工知能』 『データ』

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