竹中正治

Profile

1979年東京大学経済学部卒、同年東京銀行入行、東京三菱銀行(現三菱東京UFJ銀行)の為替資金部次長、調査部次長などを経て、ワシントン駐在員事務所所長。ワシントンから米国の政治・経済の分析レポート「ワシントン情報」を発信し、National Economists Club(WDC)役員、Conference of Business Economists会員を務めるなどエコノミストとして活動。帰国後、(財)国際通貨研究所、経済調査部長・チーフエコノミストを経て、現職。日経ビジネスオンライン「ニュースを斬る」、毎日新聞社「エコノミスト」、週刊ダイヤモンド、トムソン・ロイター社コラムなどの諸論考のほか、書籍の執筆も多数。

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ポジティブで合理的な「あまのじゃく」であれ



竹中正治さんは、都市銀行で外為ディーラー、エコノミストとして活躍され、その後アカデミズムの世界に転身。アメリカ経済、国際金融論などの研究、教育に携われています。動的なマーケットの実態を目の当たりにされてきた経験が、実務と学問の橋渡し役としての独自の活動につながっています。竹中さんのものの見方、そして発想の源となる豊富な読書、思索のスタイルなどについて伺いました。

自分で本当にわかってないことは教えられない


――教員、研究者としての活動についてお聞かせください。


竹中正治氏: 龍谷大学では、講義としてアメリカ経済論と国際ビジネス論を担当しています。研究専門領域は国際金融論、現代アメリカ経済の2つです。東京の自宅に家族がいるので、単身赴任で行ったり来たりしている生活です。

――現在は大学で教えられていますが、もともとは銀行のご出身だそうですね。


竹中正治氏: 私はアカデミズムの世界で育ってきた人間ではなくて、三菱東京UFJ銀行に2009年の3月まで勤めていました。2003年から2007年の1月まで、ワシントンの事務所の所長をやって、戻ってくると、三菱東京銀行がUFJと2度目の合併をしていました。「もう、おまえのポジションは本部にはないよ」ということで、東京銀行が96年に設立した国際通貨研究所のチーフエコノミストとして2年間ほど働きました。その間に雑誌に論考を書いたり本を出版したり、学会などでも研究発表することができました。そして2008年の秋に龍谷大学でアメリカ経済論の専任教員の公募があり、それに応募したところ、ご縁があって採用され、2009年4月から教授として教えています。

――仕事の内容が大きく変わったと思いますが、教員としての生活はいかがですか?


竹中正治氏: まさか私が大学の教員になるとは20代、30代のころは想像もしていませんでしたが、なってみると、結構私に合っているな、と思います。基本的に人に説明する事が好きなたちなのかもしれません。

――学生を指導する事には、難しい事もあるのでは?


竹中正治氏: 専門知識がある人同士でコミュニケーションをするのは、ある意味で楽なんです。ところが、全然知らないまっさらな学生相手に、経済の概念とか、ビジネスの成り立ち、マーケットの成り立ちなどについて説明する事には、経験とスキルが必要です。自分の中で本当に整理されてよく分かっていないと、相手にも絶対伝わらない。正直なもので、自分の中に「あ、分かってないな」という部分があると、相手も絶対に分かった気にならないんです。



経済の仕組みが、本を読んでもわかった気になれなかった


――いつごろから経済学に興味をお持ちだったのでしょうか?


竹中正治氏: 私は中学校ぐらいまではむしろ理科系で、科学者とかエンジニアになるイメージがありました。中学校の社会科の先生で、歴史などについて、非常に知的に触発してくれるいい方がいらっしゃって、その先生の話を聞く中で、歴史、あるいは経済とか社会がどういう仕組みで動いているのか、という事に関心がいきました。高校に入った頃には、社会科学分野への興味がはっきりしてきて、社会科学の王様は経済学だと思いました。法学は面白そうじゃなかったし、政治学とか社会学も経済学に比べるとあまり確立していないように感じました。かっちりできあがっているのは経済学だろうと思って、経済学部を志望したわけです。

――東大の経済学部を目指されたのはどうしてだったのでしょうか?


竹中正治氏: 当時は社会的な風潮で、まだ左翼がかなり強く、東大ではマルクス経済学と近代経済学がきっ抗するぐらいの感じでしたね。さらにちょっと時代を遡ると、60年代ぐらいには、マルクス経済学の先生が多かったんです。私自身、高校生から大学生ぐらいのころは、マルキシズムを中心に左翼的な思想に強く影響を受けていて、そういう勉強がしたいと思って東大の経済学部に進みました。

――銀行へ就職する事に決めたのはどうしてでしょう?


竹中正治氏: 4年生になった時は、大学院に進んで研究者になりたいという気持ちと、実際の経済、ビジネスの世界で経験したいという両方の思いがありました。経済を中心に世の中の事を理解したいと思って、近代経済学とマルクス経済学を双方真面目に勉強していたのですが、いくら経済学の勉強をしてもマーケットの中で人間はどうやって意思決定しているのかといった事が、いまいち分かった気になれませんでした。このまま本を読んでいるより、ビジネス、市場の世界に飛び込む必要があるという気持ちがだんだん強くなってきました。なぜ銀行を選んだかというと、日本の中にいても面白さに限界がありそうだったので、世界に出たいと思った事、また当時都市銀行の中でも外国為替専門銀行と呼ばれ、ユニークな存在であった東京銀行は、国際金融と外国為替取引きを専門にし、ドメスティックな他の都市銀行とは違った存在だった事があります。

著書一覧『 竹中正治

この著者のタグ: 『大学教授』 『海外』 『アウトプット』 『経済教育』 『金融』 『為替』

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