ポジティブで合理的な「あまのじゃく」であれ
竹中正治さんは、都市銀行で外為ディーラー、エコノミストとして活躍され、その後アカデミズムの世界に転身。アメリカ経済、国際金融論などの研究、教育に携われています。動的なマーケットの実態を目の当たりにされてきた経験が、実務と学問の橋渡し役としての独自の活動につながっています。竹中さんのものの見方、そして発想の源となる豊富な読書、思索のスタイルなどについて伺いました。
自分で本当にわかってないことは教えられない
――教員、研究者としての活動についてお聞かせください。
竹中正治氏: 龍谷大学では、講義としてアメリカ経済論と国際ビジネス論を担当しています。研究専門領域は国際金融論、現代アメリカ経済の2つです。東京の自宅に家族がいるので、単身赴任で行ったり来たりしている生活です。
――現在は大学で教えられていますが、もともとは銀行のご出身だそうですね。
竹中正治氏: 私はアカデミズムの世界で育ってきた人間ではなくて、三菱東京UFJ銀行に2009年の3月まで勤めていました。2003年から2007年の1月まで、ワシントンの事務所の所長をやって、戻ってくると、三菱東京銀行がUFJと2度目の合併をしていました。「もう、おまえのポジションは本部にはないよ」ということで、東京銀行が96年に設立した国際通貨研究所のチーフエコノミストとして2年間ほど働きました。その間に雑誌に論考を書いたり本を出版したり、学会などでも研究発表することができました。そして2008年の秋に龍谷大学でアメリカ経済論の専任教員の公募があり、それに応募したところ、ご縁があって採用され、2009年4月から教授として教えています。
――仕事の内容が大きく変わったと思いますが、教員としての生活はいかがですか?
竹中正治氏: まさか私が大学の教員になるとは20代、30代のころは想像もしていませんでしたが、なってみると、結構私に合っているな、と思います。基本的に人に説明する事が好きなたちなのかもしれません。
――学生を指導する事には、難しい事もあるのでは?
竹中正治氏: 専門知識がある人同士でコミュニケーションをするのは、ある意味で楽なんです。ところが、全然知らないまっさらな学生相手に、経済の概念とか、ビジネスの成り立ち、マーケットの成り立ちなどについて説明する事には、経験とスキルが必要です。自分の中で本当に整理されてよく分かっていないと、相手にも絶対伝わらない。正直なもので、自分の中に「あ、分かってないな」という部分があると、相手も絶対に分かった気にならないんです。
経済の仕組みが、本を読んでもわかった気になれなかった
――いつごろから経済学に興味をお持ちだったのでしょうか?
竹中正治氏: 私は中学校ぐらいまではむしろ理科系で、科学者とかエンジニアになるイメージがありました。中学校の社会科の先生で、歴史などについて、非常に知的に触発してくれるいい方がいらっしゃって、その先生の話を聞く中で、歴史、あるいは経済とか社会がどういう仕組みで動いているのか、という事に関心がいきました。高校に入った頃には、社会科学分野への興味がはっきりしてきて、社会科学の王様は経済学だと思いました。法学は面白そうじゃなかったし、政治学とか社会学も経済学に比べるとあまり確立していないように感じました。かっちりできあがっているのは経済学だろうと思って、経済学部を志望したわけです。
――東大の経済学部を目指されたのはどうしてだったのでしょうか?
竹中正治氏: 当時は社会的な風潮で、まだ左翼がかなり強く、東大ではマルクス経済学と近代経済学がきっ抗するぐらいの感じでしたね。さらにちょっと時代を遡ると、60年代ぐらいには、マルクス経済学の先生が多かったんです。私自身、高校生から大学生ぐらいのころは、マルキシズムを中心に左翼的な思想に強く影響を受けていて、そういう勉強がしたいと思って東大の経済学部に進みました。
――銀行へ就職する事に決めたのはどうしてでしょう?
竹中正治氏: 4年生になった時は、大学院に進んで研究者になりたいという気持ちと、実際の経済、ビジネスの世界で経験したいという両方の思いがありました。経済を中心に世の中の事を理解したいと思って、近代経済学とマルクス経済学を双方真面目に勉強していたのですが、いくら経済学の勉強をしてもマーケットの中で人間はどうやって意思決定しているのかといった事が、いまいち分かった気になれませんでした。このまま本を読んでいるより、ビジネス、市場の世界に飛び込む必要があるという気持ちがだんだん強くなってきました。なぜ銀行を選んだかというと、日本の中にいても面白さに限界がありそうだったので、世界に出たいと思った事、また当時都市銀行の中でも外国為替専門銀行と呼ばれ、ユニークな存在であった東京銀行は、国際金融と外国為替取引きを専門にし、ドメスティックな他の都市銀行とは違った存在だった事があります。
アカデミズムとマーケットの「ブリッジ」として
――銀行では主にアメリカで活躍されましたが、どのようなお仕事をしてらっしゃったのでしょうか?
竹中正治氏: 1982年の夏から84年いっぱいニューヨーク支店に勤務して、この2年半は外国為替のディーリング業務で、「売れ!」「買え!」と言われながらやっていました。1982年の夏に第1次メキシコ危機という大きな事件があり、メキシコ政府が大量に米銀や日本の銀行にお金を借りていたんですが、「はい、返せません」という事態なりました。そういう国際金融の大きな事件を経験して、金融政策が大きく変わったり外為市場が大きく動いたり、株が上がったり下がったりする中で、80年代と90年代を生きてきました。
――ディーラーからエコノミストとなったのはどういった経緯だったのでしょうか?
竹中正治氏: 通貨オプションのチーフディーラー兼次長を長くやっていましたが、外為のディーラーは、40歳を越えるとしんどい仕事です。外為市場は株や債券と違って24時間です。東京で月曜日の朝から始まって、それが終わってもすぐロンドン市場、ニューヨーク市場とつながって、ニューヨークが終わるとすぐ東京。寝ている間も相場は動いています。若いうちはいいのですが、40歳を過ぎたころ「いつまでこれをやるんだろう」という疲労感を感じるようになりました。そんな時、「調査部の次長というポジションがあるぞ」と言われて、自分がもともとエコノミストという職種に憧れていたという事を思い出しました。ポジションが変わったのが2000年の3月です。
――調査部ではどのようなお仕事をされていましたか?
竹中正治氏: 次長を3年やって、そのあとアメリカのワシントンの所長をやりました。私は、日本に向かってはアメリカの政治、経済、金融、あるいは外交などの調査レポートを書き、一方、現地のアメリカ人には、当時大きな問題だった日本の銀行の不良債権処理や、日本の経済、金融のプレゼンテーションをしていました。それを4年間やったおかげで、知識がどんどん蓄積されて、アメリカ経済論を担当できるまでになったわけです。また日本に帰国してからは、日本金融学会などにも参加して、アカデミズムの先生とも交流するようになりましたから、そういう世界の事もある程度分かるようになってきました。
――学者と接して、どのような印象を持たれましたか?
竹中正治氏: アカデミズムと一般のマーケットの現場の人たちのブリッジができる人が少ないなと分かってきました。私も大学に移ってからは学術書を出版してそれで京都大学で博士号(経済学)を頂いたりしていますが、私のアカデミズムの実績などに比べれば遥かに大御所の素晴らしい先生たちがたくさんいます。ところが両方をブリッジする部分に自分のアドバンテージがある事に気づきました。例えば今、ほぼ毎月トムソン・ロイターのコラムを書いていますが、ああいうのを読んでいるのはほとんどマーケットの人だと思っていたら、大学の先生たちから「ロイターで竹中さんの論文を拝見しました」と言われて、だんだん自分の立ち位置というものができてきました。
忘れられないデビュー作の快感
――本を執筆されるようになったのはいつごろの事ですか?
竹中正治氏: 最初に本を書いたのはかなり若いころで、90年、34歳の時です。銀行で、当時始まってまだ日も浅かった通貨オプションのディーリング業務をやる事になりまして、オンラインのシステムもない中で、みんな手作業で管理するような世界からスタートしました。当時は役席になっていましたが、課長以上がこの取引きを全然分かっていないから、「おまえに任す」と言われたんです(笑)。それで非常にチャレンジングな気持ちになりまして、一種の企業内ベンチャーみたいな感じで、システム部との交渉とか、営業店の指導とか、それからディーリングの手法そのものも自分たちで考えながら、スタンダードになるようなものを作っていきました。この3年間がとても楽しくて、私にとっては貴重でした。その時に、『通貨オプション戦略―ディーラーが明かす必勝法』という本を日経新聞社から出す事になりました。
――本を出版するまでにはどのような経緯があったのでしょうか?
竹中正治氏: 行内的な説明書みたいなものを書いているうちに、「これ、もしかして出版できるんじゃないか」という気持ちになってきて、当時外為の取材をしていた日経新聞の記者さんに話をしました。エマージングなものって新聞社や出版社が飛びつきやすいんです。
――本が出た時はどのようなお気持ちでしたか?
竹中正治氏: 日経新聞の1面の広告に「『通貨オプション戦略』竹中正治」なんて出ると、やっぱり気分がいいですよね。本屋に行くと平積みで売ってくれて、快感がありました。その感覚が残っていて、「そのうちまた書いてやろう」という気持ちはずっと秘めていました。でも、銀行で仕事をしているとなかなか自由に書けないんです。アメリカから帰国して研究所勤務になり、銀行本体から離れた時に、ずっと書きやすくなり、それまでためていたコンテンツを一気に本にしました。
本は、アウトプットを前提に読む
――銀行の業務で、経済に対する見方はどのように変わりましたか?
竹中正治氏: さきほど大学で4年間勉強したけど、なかなか経済現象が分かった気になれなかったと言いましたが、80年代前半にニューヨークで外為ディーリングをやっていた時にも、まだ分かった気持ちになれませんでした。初めて分かったような気持ちになったのが、大阪支店に配属されて、85年から87年の夏まで通常の法人担当の融資や外国為替取引きの営業担当をやった時です。現実の企業の財務担当、海外部門の事業担当の人たちと直接話をする中で初めて、「あ、企業ってこうやって動いているんだ」と分かり始めました。企業は経済学ではミクロの単位で、その中にさらにミクロの人間がいて、組織の制約の中でいろいろ考えながら選択をして、時には間違いを繰り返したりもする現実から、なぜ景気が良くなったり悪くなったりするのかとか、なぜバブルが起こったり崩壊したりするのか、という事がようやく見えてきたんです。そういう気持ちになり始めたのは30歳のころです。だから、大学生の諸君にいつも強調している事は、「勉強というのは一生涯だぞ」という事です。大学を卒業したら勉強は終わりなんて考え方をしていたら大間違いです。とりわけ今の世の中は変化が速いですから、世の中の変化に自分自身が積極的に適応していくためには、新しい事を勉強し続けなきゃいけません。
――バブルなどの現象に対しては、右往左往したあげく、結局大きく損をしてしまう事にもなりがちですが、私たちはどのように経済の状況を見るべきでしょうか?
竹中正治氏: 私は結局「自分の頭で徹底的に考えなさい」という事を言っています。なぜバブルが起きるのかというのは、今も私の大きな1つのテーマですが、1つは一種の群れる心理、みんな同じ方向に走って行っちゃうような心理があります。学生諸君には「合理的なあまのじゃく」になれと言っています。あまのじゃくは、みんなが「右」って言うと「左」って言う。でも単にそれじゃだめで、みんなが「まだ株は上がる」と言っている時に、「本当にそんな事言えるのか?」と、うのみにせずに考える。「行き過ぎてるな」と思った時は人と逆をやる決断力、ちょっとした勇気が必要です。そうすると人生は変わります。楽しくなってくる。自分で考えずにみんなと同じ方向に走って、それがひっくり返されて、失敗したり、大きな波にのまれることを繰り返していては、ただ波にもまれているだけの人生です。私の直近の本である『稼ぐ経済学「黄金の波」に乗る知の技法』では、「少しばかりの勇気があれば、景気の波も、バブルとその崩壊も「黄金の波」に変わる!」と言う事を書いていますが、そういう見方ができるかどうかです。
――合理的な判断には、学問的な知見も必要となるのではないかと思いますが、よい勉強法はありますか?
竹中正治氏: やっぱり本を読んで考える事がベースになりますが、私にとって一番効率のいい本の読み方、勉強の仕方は、自分で書くこと、しゃべることを前提にして読む「アウトプット勉強法」です。漠然と本を読むのではなくて「何か書く」とコミットして、そのために勉強すると集中力が働きます。おそらくこれは私だけじゃないと思います。世の中に向けて強いメッセージを発信しているような人たちは、アウトプットの目的がまずあってそのために勉強する。学生には「ただ単に先生の講義を板書して、テキストを読めと言われて読んでいるだけじゃ面白くないだろう」と言っています。今は本を1冊読んだら書評をブログに書くことは誰でもできるし、Amazonのレビューも書ける。数行でもレビューを書くと、一度読んだ本がよく頭に定着します。最近はちょっとサボっていますが、私も一時期Amazonにずいぶん書いて、700番レビュアーぐらいまでいったことがあります。
電子書籍は、チェック機能が物足りない
――電子書籍はお使いになっていますか?
竹中正治氏: 私は本を読む時、線を引っ張ったり、チェックを入れたりしないと気が済まないので、実はいまだに使っていません。チェックを入れて読むと、あとでその本を思い出して引用しようという時に、パラパラめくってチェックを入れたところだけ見ていけばいい。何もチェックしないで読んじゃうと、「あれどこだっけ?」と探さなきゃならない。電子書籍はそのへんが物足りないという気がしています。
――電子書籍の未来はどのようになるとお考えでしょうか?
竹中正治氏: おそらく最終的には本が全部電子化していくでしょう。線を引いたりチェックする仕組みも、もっと良いものが盛り込まれると思っています。そうしたら、私も一気に電子書籍にシフトするかもしれません。
――本はどのように購入されていますか?
竹中正治氏: Amazonで買う事が多いです。新聞の書評を見て「あ、これ買おう」と思う事もあるし、それからFacebookの友達が「この本良いみたい」と書いているのを見て、Amazonをチェックして買う時もあります。また本屋に行って手に取る事もあります。
――SNSなどの情報も、本を選ぶ時に参考にされているのですね。
竹中正治氏: Facebookはどういう人とつながるかにもよります。良質な人たちを選んで自分のネットワークを作っていけば、良質な情報が入ってくる。Facebookで展開するコネクションは自分自身の価値観の反映で、「類は友を呼ぶ」ネットワークだと思います。私のベースはポジティブ思考で、ネガティブ思考の人たちとは無縁で生きていたい。1回しかない人生だし、悲観的に生きるより楽観的に生きる方が楽しいでしょう。だから私は、Facebookを書く時は、まあ、10に1つぐらいはネガティブなネタもあるんですけれど(笑)、基本的にポジティブなネタが中心です。
「自由な市場」の価値を見直す2冊
――最近のおすすめの本はありますか?
竹中正治氏: 最近読んだ一般向けの経済の本では、『人びとのための資本主義』(ルイジ・ジンガレス著)です。
私は学生に「自由競争にどういうイメージを持ちますか?」と選択肢を与えて聞く事があります。1つは「弱肉強食」、勝ったやつが全部総取りしていくようなものですね。もう1つは「公平なチャンス」。手を挙げさせると、たいてい半々ぐらい分かれます。この本は、現代の資本主義は、自由競争を大切に守る事が、結局一番豊かな世界を作るという観点で書いてあります。1人が勝ってマーケットを独占して消費者を搾取するとか、他の業者を全部排除するのは全然自由競争じゃない。日本だと「市場原理主義」なんていう悪口があるくらいで、市場に任せておくと弱肉強食になるというイメージがあるのだけれども、本来想定されている自由競争はそういう事じゃないという考え方です。市場は放っておくとそういう独占状態にもなり得るから、先進国ではみんな「独占禁止法」というのがある。公平なチャンスがあると、誰でもトライできるけど、成功する者も失敗する者もいます。でも権力とか既得権によって成功と失敗が左右されるのではなく、自由な競争の結果でなくてはなりません。それが今、脅かされようとしているというのが著者のメッセージです。例えばウォールストリートのメガ金融機関が本来の自由な競争、公平なチャンスから逸脱しているという主張です。
――他にもおすすめの本はありますか?
竹中正治氏: 『国家はなぜ衰退するのか』、原題は、『Why Nations Fail』(ダロン・アセモグル&ジェイムズ・A・ロビンソン著)。一貫して強く主張しているのが、国の仕組みは国民に対して公平で包含的でなくてはならないという事です。つまり私有財産や人権が守られて、頑張って新しい発明をしたり、新しい事業を成し遂げたりすれば、必ずその成果を自分自身のものにする事ができる制度が経済を発展させる。アメリカはそういう経済として発展してきました。一方、その対極にある世界は、極端に言うと北朝鮮のような世界ですが、今の中国も毛沢東の時代に比べるとある程度まともになって経済的に成長しましたが、依然として共産党の一党独裁の下で官僚が権力を私物化して富の格差が大きくなっている。それは公平で自由な仕組みではないので、きっと壁にぶつかる。『Why Nations Fail』は、そういう国家は結局続かないから、自由主義的な立場からルネッサンスを呼び起こそうという思想的立場です。アメリカの最も健全な思想がそこにあると思います。自由主義的な制度、しかもそれは勝者が総取りするようなものじゃなくて、プレイヤーの自由な挑戦を許して、成功する人も失敗する人もいるけど、成功したらその成功の果実は他の人に奪われない、そういう制度じゃないと経済は長期的には成功しないという立場から書かれています。この2冊はいずれも学術的すぎないし、思想的にも、経済の本としても面白いと思います。
――最後に、ご自身の今後の展望をお聞かせください。
竹中正治氏: とりあえず書きたいものはかなり放出しつくした感じはあります(笑)。最近は経済、金融関係の書きものに傾斜していますが、『日経ビジネスオンライン』で毎月書いていたころは、経済ネタは3回に1回ぐらいで、政治や文化ネタなど、いろいろバリエーションのあるネタで書いていました。もう1度、エッセイ的に、政治の世界とか社会学の世界、文化の世界まで踏み込んで、「素人ですからラフな事を言わせていただきます」という感じで、他分野を上空侵犯するようなものも書いてみようかなと思っています。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 竹中正治 』