経済学の先生たちに会いに行って決断
――大学院へ進むにあたっては、どのようなことを考えられたのでしょうか?
小野善康氏: 東工大は理系の大学なので、今は9割以上の学生が大学院に進みますが、当時も8割ぐらいが大学院に進んでいたと思います。自分の人生を振り返ってみると、4、5年先の自分がどうなっているか予測がついたことはありませんでした。例えば大学では社会工学に入ろうとは思っていなかったし、理系から文系になるとも思わなかったし、もちろん研究者になろうとも思っていなかった。でも、東工大で学んでみて、経済学が本当に面白かったから、「大学院で経済を学ぼう」と思ったんです。しかし、東工大にはないので、困って父に相談したら、「まずは自分の行きたい分野の先生のところに話を聞きにいかないとダメだ」と言うんです。父がむかし、工学部か理学部かを選ぶ時に、物理学者の寺田寅彦に会いに行ったそうなのです。それで僕は、東大や一橋、京大などの先生を探して、会いに行ったりしました。それぞれの先生のお話を聞いて、その中でも東大の先生が“こういう本がいいよ”“こうやって勉強したらいいよ”と丁寧に教えてくれたので、「ここにしよう」と決めました。どの先生もみな会ってお話を聞かせてくれて、とても感謝しています。実際に会うことは、すごく重要だと思います。
――そこが人生の大きな1つの節目だったという感じでしょうか。
小野善康氏: そうですね。はじめは“2年たったら就職する”というつもりで大学院に入りました。後で聞いた話なのですが、筆記試験に関しては、どうも合格した人たちの中では最低の際どいラインだったようです。その後の面接では、あらかじめ提出していた学部の卒業論文について、7、8人の先生からあれこれ質問を受けるんです。すると大柄で眼光の鋭い先生が、成立するのが当たり前のことについて、突っ込んだ質問をしてきた。それで、「はあっ?なんでそんなことがわからないんだ」って思いながら説明したら、「そうか、そうか」って納得していた。控室に戻って、同じ面接を受けに来た仲間にあれは誰かと聞いたら、宇沢(弘文)さんだって言われて、冷やっとしました。結局、それで面接は終わったんですが、後で聞いたら「面接が最高だった」と言われたんです(笑)。今思えば、あえて突っ込んだ質問をして、本当に僕が自分で考えてやったのかどうか、確かめようとしていたんでしょうね。
論文掲載がきっかけで再び大学へ
――大学院ではどのように過ごされましたか?
小野善康氏: 学部の訓練を全く受けていなかったので、はっきり言うと常識がなかったんです。例えば、学術雑誌。我々学者は学術雑誌で勝負するんです。雑誌に論文を寄稿すると、他の学者が審査するんですが、そこでおそらく9割は落とされる。今はそういった雑誌が1 00冊ぐらいありますが、当時も50冊ぐらいあったと思います。僕は入った当初、そういった雑誌の存在すら知りませんでした。でも研究はとても面白かったので、自分のロジックで一生懸命書いて、教えてもらった英文の雑誌に寄稿したら通っちゃったんですが、「これは結構すごいことなんだよ」と仲間から言われました(笑)。研究は面白いものの、やはり修士の2年になってから会社の就職活動を始めました。『成熟社会の経済学』の中でもエピソードを書きましたが、あの当時は、高度経済成長は終わっていたけど、まだ景気が良かったので「よく来てくれた!」といった雰囲気で迎えられました。東大では、「なんで辞めるの?大学院に籍をおいておけばいい」と、3人の先生から言われました。それで会社に「大学院に籍を置きながら来てもいいですか?」と聞いたら、1 社が了承してくれたので、その会社で3、4年間勤めました。
――研究者へと方向が変わったきっかけは、何だったのでしょうか?
小野善康氏: 親切な先生が、「慶応大学で土曜日にゼミをやっているから」と紹介してくださったんです。それから、仕事の後で急いで寮に帰って論文を書いたりもしました。もちろん、大いに遊びもしましたけどね。それで、その論文を雑誌に投稿したら、今度はイギリスの学術誌に掲載されました。それで、大学に戻ることにしたんです。
――本を出したきっかけは、どのようなことだったんでしょうか?
小野善康氏: 論文を読んでもらった先生からも「博士論文を出したら?」と言われ、自分でも出そうかなと思い始めていました。僕の大学院の同期の金本(良嗣)君や、1、2年下の吉川洋、伊藤元重、植田和男なんていう人達は、みんな博士をとるためにアメリカへ留学していました。「じゃあ僕もとるか」と思って、東大に論文を出したら、周りの連中に「そんな恐ろしいことをしたのか」と言われました。後で聞いたら、東大の経済の課程博士は、その当時、まだ僕で戦後1 1 人目くらいだったそうなんです。要するに、日本で博士を取る人がいないので、あえて勧めたようです。そういった状況を知らずに「面白いから書いて出しちゃった」というのが博士論文で、それが僕の最初の本になったんです。論文を出す段階になって、「君が出せば、ほかの連中も安心して出せるようになるよ」って言われました(笑)。
著書一覧『 小野善康 』