コミュニケーションができなければ、話にならない
――東京ガスに入社されたわけですが、入社された理由とは?
西山昭彦氏: どの産業が全体を支えるのか、と考えたんです。金融というのはお金を通じて世の中を支えているわけですが、エネルギーもそうではないかということで、エネルギーを扱う場に就職しよう、というのはすぐに決まりました。エネルギー産業というのは仕事がそのまま社会や家庭にプラスになるのが、見えやすいのです。
――大学院や留学に関しては、以前から考えていらっしゃいましたか?
西山昭彦氏: 25歳の時にテレビでサミットの映像を見ていて、日本の総理だけが英語ができず、会話に入れない場面にショックを受けたのです。その時に、雷が落ちたような感じがしました。ガス会社は地場産業ですから、それまでは英語はあまり必要ありませんでした。その当時、GDPに関して、日本がアメリカに次いで世界の10数パーセントを占めていました。「10数パーセントの責任を担っていても、コミュニケーションができなかったら話にならない」と思って、英語をやろうと考え始めました。英語をやるには留学しなければと考え、会社の留学制度の試験を受けることにしました。その当時は英語の成績はあまり良くなかったのですが、志望理由書には「エネルギーは海外から買ってくるので、海外の資源国の政治、経済、社会、文化全体を分かった上で、エネルギー政策を立てられる人間を作らなきゃいけない」と大きなことを書きました。
――先を見通した上の選択だったのでしょうか。
西山昭彦氏: 5年ぐらい先しか考えていない人もいますが、20年先にどうなるか、何が必要なのかと私は考えました。20年後も考えつつ、目の前にあることも一生懸命頑張ること。日頃の勤務成績が良くなければ、会社が社員に投資してくれることは絶対にないのです。だから、自分が合わない職場でもベストを尽くさなきゃいけない。「合わないから」とふてくされてしまったら、人事考課が低くなり、次も希望のところには行けなくなる。仕事をしていれば、「理不尽だな」と思うこともありますし、イヤな人はいるわけです。でも、そういう人を「変わった動物だな」と思って見ると、楽しくなるかもしれません。つまり、捉え方1つです。心理学の中でも「1日の良かったことを寝る前に思う人と、悪かったことを思う人ではどんどん違っていく」という法則があります。それと同じように、見方を変えることでどんどん好循環していくはずです。20年先を見つつ、今直面する逆境でもベストをつくす。それに尽きると思います。
日本語を排除した生活を楽しむ
――ロンドン大学大学院では政治経済学科でしたが、留学時代はどのような感じでしたか?
西山昭彦氏: 言葉ができなくて、最初は授業が全然分からなかったんです。それで、音楽CD以外は、読み物も含めて全て日本語を避けて、英語づくしの生活にしました。日本人とは、6ヶ月間、1人も会わなかったです。
私はロックも好きですが、イギリスではミュージカルが楽しかったです。例えば1万円のミュージカルのチケットが、学生は昼間の席なら500円、と学割がすごいんです。しかも学生と60歳以上の人は、一番前のいい席。だから毎週行っていました(笑)。
――日本との違いはどのようなところで感じましたか?
西山昭彦氏: 厳しい現実といった一面も見ました。「CATS」などは、何十年も続いているわけですが、最初の2週間で席が埋まらず終わってしまうミュージカルもありました。だから早く行かなきゃいけないなと思いました。突然終わる、ということは日本ではありませんよね。日本で言うダフ屋も、イギリスでは違法ではありません。売店に行けばチケットの時価が分かりますし、当日券は必ず買えます。ローリングストーンズの当日券なら何倍になることもありますし、買値より下がっているのもたくさんありました。
――イギリス留学では学校での勉強だけではなくて、全てにおいて学ぶところがあったんですね。
西山昭彦氏: そうですね。英語が分かるようになったのは7ヶ月目でした。この時から夢も英語版に変わってきて、訳さなくてもそのまま理解できる脳になったと感じました。子供は3ヶ月で英語脳になれますし、誰でも日本語を避ければ英語脳になれるんです。色々な国の人と話すのは本当に楽しかったです。日本人を避けても孤独感はなく、むしろ1日でも長く居たい、という感じでした。
日本人の弱点は「思ったことを言わない」こと
――ロンドンの後、ハーバード大学へ留学されていますね。
西山昭彦氏: 当初はロンドン大学に2年間の予定でした。もちろん得るものはあるんですが、イギリスの大学というのは、カレントじゃないんです。当時中東で起きていたエネルギーの問題などを議論したいと思ったら、アメリカしかなかったので、ハーバード大学へ行きました。その時の志望理由書には、「日本のエネルギー政策を作るために、ぜひ勉強させていただきたい。そして成果は必ずアメリカにも還元されるはず」と日米のエネルギーの繁栄をもたらす、ということを書いたと思います。アメリカの学校は「入学させてくれたらこんなメリットもありますよ」といったことをはっきりと言わないとダメです。よく議論になりますが、例えば、サウジアラビアの王族の息子の場合、「こいつは将来出世して、必ず大学、国家にプラスになるはず」ということでハーバードはとるのです。リターン・オブ・インベストメントですね。
――アメリカで何か発見はありましたか。
西山昭彦氏: 英語ができたあとは、日本人とも交流しました。ハーバードでは、まずアメリカ人が意外と数学ができないことにビックリしました。80人の授業で日本人が3人いましたが、どの質問もその3人が一番できる。アメリカ人に休み時間に聞いたら「分からない」と言うんですが、小6までの算数ができたら、その質問は絶対に答えられるのです。そう考えると、日本の数学教育はすごいと私は思います。あと九九ができるということも有利でした。ただし、それは文系の人たちの中での話で、理系の天才集団がMITなどにいるのも事実です。
――留学同期の茂木(茂木敏充経済産業大臣)さんなどもいらっしゃいますが、どのような生活を送られていましたか?
西山昭彦氏: 「日本人は思っていることを言わない」ということです。私はイギリス、アメリカ時代には言うようになりましたが、ほかの日本人のクラスメイトは、なかなか手を挙げようとはしませんでした。でも別のクラスの人に、手を挙げっぱなしの日本人が1人いて、それが今の茂木経済産業大臣でした。彼は選挙の地盤があったわけではありませんが、当時から「政治家になる」と言っていました。見事にその通りの道を歩んでいるので、すごいと思います。頭が良く、志も高い。総理候補の1人であることは間違いないでしょう。
――今振り返ると、アメリカ時代の勉強はいかがでしたか?
西山昭彦氏: アメリカは、カレントな勉強ができるので面白かったです。日々のニュースや、ジャーナルを読んで新しい知識を入れながら理論に基づいて議論する、といった感じで、楽しくてしょうがなかった。そこで生まれて初めて心底勉強の楽しさを知ったと言っても過言ではありません。暗記するものも、穴埋めのような試験も全くなく、自分の意見を発表して議論して書くだけだったので、本当にクリエイティブな勉強でした。ジャーナルも含め、当時の読書量は大変なものでした。日本とでは勉強時間が全然違います。アメリカの大学院生は遊ぶのは土日だけで、普段は受験勉強と同じぐらい勉強するんです。
著書一覧『 西山昭彦 』