充実した人生のためのサポートを続ける
一橋大学社会学部を卒業後、東京ガス入社。ロンドン大学大学院、ハーバード大学大学院修士課程への留学を経て、2004年には東京ガス西山経営研究所を設立、所長に就任。2013年からは一橋大学キャリア支援室特任教授を務められています。経営コンサルタントとして、人材開発、勉強法、キャリアデザインなどをテーマに、執筆や講演を行い、企業社員の翌日からの仕事ぶりを変える講師としても人気を博しています。著書に『企業内プロフェッショナルの時代』『こま切れ時間活用術』、『女たちは管理職をめざす』など多数あります。「サラリーマン研究で日本一を目指す」という西山経営研究所。著書は50冊を超え、訪問した国は海外50カ所以上にものぼり、2009年にはニッポン新事業創出大賞優秀賞を受賞されました。精力的に調査・活動し続ける西山さんに、仕事に対する思い、仕事を選ぶ、ということについての考えをお聞きしました。
仕事は「自分に合う」ことが大切
――近況をお聞かせ下さい。
西山昭彦氏: 今年の4月から母校に戻って、キャリア教育担当の特任教授になりました。学生と面接したり、就職セミナーイベントをやったり、授業をしたりする日々です。これはビジネス誌の特集ですが、一橋は就職に強い大学で、638大学中1位となっているんです。
本に関しては、奇抜な表紙となった58冊目、『受かる西山式内定バイブル』が11月18日に出ました。表紙に写っているのは東京女学館の西山ゼミのOGなんです。この本では女学館でやってきた就職戦略、実践について書きました。ゼミの中でやってきたものを、外へ全部出そうと思いました。2012年に『西山ゼミ就活の奇跡』を出しましたが、あれは成功の法則を分析した理論書なんです。今回は企業の選び方や「エントリーシートはこう書けばいい」といった内容の実践書となっています。
――現在の大学ではどのようなことをされているのでしょうか?
西山昭彦氏: 授業では主として1~2年生対象のキャリアマネジメントという新しい科目を始めて、150人ぐらいの学生が受講しています。大学1~2年次時代にキャリアの基礎を学んで、おおよその自分のキャリア仮説を作り、その後数年自分の適性をチェックして就活に向かってもらうというものです。
――キャリアマネジメントというものが、必要になってきたその背景とは?
西山昭彦氏: ある学生は自由奔放に生きてきて、企業を幅広く見ることもなく、就活の時のわずか1、2ヶ月で「自分の生涯はここだ」と決めました。そうするとやっぱりミスマッチが大きい。実際、大卒で入社した人の3割が3年で辞めてしまうのですが、それではあまりにももったいない。1年次より、自分に合う仕事をある程度サーベイしてこれかなという仮説を作って、2~3年次で社会人の講義やインターンシップで社会、企業の現場にふれて検証するべきです。そうした方が職業選択のマッチの度合いが高いし、充実した人生を送ることができると私は思います。ある大企業の人事部長に聞くと「3回ぐらい面接をして確信を持って採用した100人のうち、4割は仕事ができなかった」と言っていました。4割といえばかなりの経済的損失となりますが、20分の面接を2、3回しただけでは、採用側からも適性の判断は難しい、つまりマッチ度の測定はそれほどしにくいということなんです。
――仕事を選ぶ時には何を重要視すればいいのでしょうか?
西山昭彦氏: 仕事ニーズと自分の特性がマッチすることで、「自分に合う」ということです。例えば、体育会の主将でバリバリやっていました、という人ばかりではなく、引っ込み思案で人前で話せない、一歩出遅れてしまうといった人はたくさんいます。そういう人もやれる仕事を探していくことが、大事です。例えば、責任感があって、部活ではヒットは出せないものの、最後の1人になっても片付けをしていた人は、営業の支援部隊や経理など、自分を活かせる職種を見つけられればコツコツやれるわけです。業界でも、表舞台に立つ会社ばかりでなく、素材や部品など陰で支えている業界がたくさんあります。縁の下の力持ちが自分は合う、そこでやりがいを感じる人が欲しいのです。だから、自分はどういう人間なのかといった内面も見ないといけません。それをしないまま、誰でも知っている会社の求人の多い営業志望で行くと、「やっぱり違う」という結果になってしまいます。
まずは社会を見るフレームを作る
――小さい頃はどのようなお子さんでしたか?
西山昭彦氏: 小学4年までは毎日外で友達同士で遊んでいて、勉強というものを全くしなかったんです。5年になって初めて中学受験というものを意識しだして勉強を始めたんです。それまであまり勉強をしていなかったせいか、空っぽ状態の頭にどんどん知識が入っていきました。5年生くらいの時に、先生が「社会のできごとや人物名などを1回で覚えられるやつはいるか?」と聞いたので、私は手を挙げたんですが、周囲を見渡すと、ほかの子は誰も手を挙げていなかったんです。その時はなんでも暗記できました。全科目満点で、学年1位を続けました。しかし、この記憶力はこれっきりで、二度となかったですね(笑)。そんなもんですよね。
――一橋大学の社会学部に入ろうと思ったのはなぜだったんでしょうか?
西山昭彦氏: まずは社会を見るフレームを作りたいと思ったのです。商学部に入ればビジネスそのものを最初からやる。1年生から専門が決まっているし、法律も同様です。でも、私にとっては「世の中全体を見る見方」を作る方が大事でした。そういう意味では社会学部というのは一番いいと思っています。経済を通じて社会を見ると考えれば経済でもいいのでしょうが。世界で大きなニュースがおきた時に、それを自分なりに解釈できるための見方がある、というのが人生において一番大事だと私は思うんです。情報がたくさん溢れている中で、大事なのはどう見るかということ。私のリーダー層調査では「30代で世界観ができた」という人が3割ぐらいいるので、学校だけでそういった見方ができあがるわけではありませんが、自分なりの世界観へと繋げていかなくてはいけません。他国と比べることもいいので、海外駐在や留学すると飛躍的に伸びると思います。
コミュニケーションができなければ、話にならない
――東京ガスに入社されたわけですが、入社された理由とは?
西山昭彦氏: どの産業が全体を支えるのか、と考えたんです。金融というのはお金を通じて世の中を支えているわけですが、エネルギーもそうではないかということで、エネルギーを扱う場に就職しよう、というのはすぐに決まりました。エネルギー産業というのは仕事がそのまま社会や家庭にプラスになるのが、見えやすいのです。
――大学院や留学に関しては、以前から考えていらっしゃいましたか?
西山昭彦氏: 25歳の時にテレビでサミットの映像を見ていて、日本の総理だけが英語ができず、会話に入れない場面にショックを受けたのです。その時に、雷が落ちたような感じがしました。ガス会社は地場産業ですから、それまでは英語はあまり必要ありませんでした。その当時、GDPに関して、日本がアメリカに次いで世界の10数パーセントを占めていました。「10数パーセントの責任を担っていても、コミュニケーションができなかったら話にならない」と思って、英語をやろうと考え始めました。英語をやるには留学しなければと考え、会社の留学制度の試験を受けることにしました。その当時は英語の成績はあまり良くなかったのですが、志望理由書には「エネルギーは海外から買ってくるので、海外の資源国の政治、経済、社会、文化全体を分かった上で、エネルギー政策を立てられる人間を作らなきゃいけない」と大きなことを書きました。
――先を見通した上の選択だったのでしょうか。
西山昭彦氏: 5年ぐらい先しか考えていない人もいますが、20年先にどうなるか、何が必要なのかと私は考えました。20年後も考えつつ、目の前にあることも一生懸命頑張ること。日頃の勤務成績が良くなければ、会社が社員に投資してくれることは絶対にないのです。だから、自分が合わない職場でもベストを尽くさなきゃいけない。「合わないから」とふてくされてしまったら、人事考課が低くなり、次も希望のところには行けなくなる。仕事をしていれば、「理不尽だな」と思うこともありますし、イヤな人はいるわけです。でも、そういう人を「変わった動物だな」と思って見ると、楽しくなるかもしれません。つまり、捉え方1つです。心理学の中でも「1日の良かったことを寝る前に思う人と、悪かったことを思う人ではどんどん違っていく」という法則があります。それと同じように、見方を変えることでどんどん好循環していくはずです。20年先を見つつ、今直面する逆境でもベストをつくす。それに尽きると思います。
日本語を排除した生活を楽しむ
――ロンドン大学大学院では政治経済学科でしたが、留学時代はどのような感じでしたか?
西山昭彦氏: 言葉ができなくて、最初は授業が全然分からなかったんです。それで、音楽CD以外は、読み物も含めて全て日本語を避けて、英語づくしの生活にしました。日本人とは、6ヶ月間、1人も会わなかったです。
私はロックも好きですが、イギリスではミュージカルが楽しかったです。例えば1万円のミュージカルのチケットが、学生は昼間の席なら500円、と学割がすごいんです。しかも学生と60歳以上の人は、一番前のいい席。だから毎週行っていました(笑)。
――日本との違いはどのようなところで感じましたか?
西山昭彦氏: 厳しい現実といった一面も見ました。「CATS」などは、何十年も続いているわけですが、最初の2週間で席が埋まらず終わってしまうミュージカルもありました。だから早く行かなきゃいけないなと思いました。突然終わる、ということは日本ではありませんよね。日本で言うダフ屋も、イギリスでは違法ではありません。売店に行けばチケットの時価が分かりますし、当日券は必ず買えます。ローリングストーンズの当日券なら何倍になることもありますし、買値より下がっているのもたくさんありました。
――イギリス留学では学校での勉強だけではなくて、全てにおいて学ぶところがあったんですね。
西山昭彦氏: そうですね。英語が分かるようになったのは7ヶ月目でした。この時から夢も英語版に変わってきて、訳さなくてもそのまま理解できる脳になったと感じました。子供は3ヶ月で英語脳になれますし、誰でも日本語を避ければ英語脳になれるんです。色々な国の人と話すのは本当に楽しかったです。日本人を避けても孤独感はなく、むしろ1日でも長く居たい、という感じでした。
日本人の弱点は「思ったことを言わない」こと
――ロンドンの後、ハーバード大学へ留学されていますね。
西山昭彦氏: 当初はロンドン大学に2年間の予定でした。もちろん得るものはあるんですが、イギリスの大学というのは、カレントじゃないんです。当時中東で起きていたエネルギーの問題などを議論したいと思ったら、アメリカしかなかったので、ハーバード大学へ行きました。その時の志望理由書には、「日本のエネルギー政策を作るために、ぜひ勉強させていただきたい。そして成果は必ずアメリカにも還元されるはず」と日米のエネルギーの繁栄をもたらす、ということを書いたと思います。アメリカの学校は「入学させてくれたらこんなメリットもありますよ」といったことをはっきりと言わないとダメです。よく議論になりますが、例えば、サウジアラビアの王族の息子の場合、「こいつは将来出世して、必ず大学、国家にプラスになるはず」ということでハーバードはとるのです。リターン・オブ・インベストメントですね。
――アメリカで何か発見はありましたか。
西山昭彦氏: 英語ができたあとは、日本人とも交流しました。ハーバードでは、まずアメリカ人が意外と数学ができないことにビックリしました。80人の授業で日本人が3人いましたが、どの質問もその3人が一番できる。アメリカ人に休み時間に聞いたら「分からない」と言うんですが、小6までの算数ができたら、その質問は絶対に答えられるのです。そう考えると、日本の数学教育はすごいと私は思います。あと九九ができるということも有利でした。ただし、それは文系の人たちの中での話で、理系の天才集団がMITなどにいるのも事実です。
――留学同期の茂木(茂木敏充経済産業大臣)さんなどもいらっしゃいますが、どのような生活を送られていましたか?
西山昭彦氏: 「日本人は思っていることを言わない」ということです。私はイギリス、アメリカ時代には言うようになりましたが、ほかの日本人のクラスメイトは、なかなか手を挙げようとはしませんでした。でも別のクラスの人に、手を挙げっぱなしの日本人が1人いて、それが今の茂木経済産業大臣でした。彼は選挙の地盤があったわけではありませんが、当時から「政治家になる」と言っていました。見事にその通りの道を歩んでいるので、すごいと思います。頭が良く、志も高い。総理候補の1人であることは間違いないでしょう。
――今振り返ると、アメリカ時代の勉強はいかがでしたか?
西山昭彦氏: アメリカは、カレントな勉強ができるので面白かったです。日々のニュースや、ジャーナルを読んで新しい知識を入れながら理論に基づいて議論する、といった感じで、楽しくてしょうがなかった。そこで生まれて初めて心底勉強の楽しさを知ったと言っても過言ではありません。暗記するものも、穴埋めのような試験も全くなく、自分の意見を発表して議論して書くだけだったので、本当にクリエイティブな勉強でした。ジャーナルも含め、当時の読書量は大変なものでした。日本とでは勉強時間が全然違います。アメリカの大学院生は遊ぶのは土日だけで、普段は受験勉強と同じぐらい勉強するんです。
サラリーマンの幸せの真実を教えられるはず
――本を書くきっかけは、どのようなことだったんでしょうか?
西山昭彦氏: 最初に出したのは36歳ですが、書こうと思ったのはもう少し前です。30歳ぐらいの時に「生涯で1冊、本を出そう」と思ったんです。そう思ったことが出発点で、それから書き続けもう58冊となりました。
――今まで就活や若年層向けの本を出されていますが、どのような思いで執筆をされていますか?
西山昭彦氏: 大学でゼミやサークルを思いきりやったとか、バイトでたたかれたとか、そういった人生の蓄えが必要で、急場しのぎの就活ではだめです。経験に基づいて形作られた自分、といったものが基本ですが、ちょっとした差で志望の会社に受かったり落ちたりしますから、そういった点では外的なサポートがあってもいいと私は思うんです。多少は基本ができているということが前提で、そこからのサポートが結果を作り出します。就活に勝ち働く場に就かなければいけません。そのための1歩を踏み出すために背中を押してあげることができたらと思っています。若年層の社員も、あの一言を聞いたことでその後の人生が変わるということがあります。私なら、入社2年目に先輩から「仕事ができるのは当たり前。プラスアルファを出せるかどうかが実績だ」といわれ、創意工夫を続けることになりました。そういうヒントを出せたらと思っています。
――西山さんが学生に勧める会社選びとは?
西山昭彦氏: 私は、サラリーマン研究をずっとやってきましたから、自分では「サラリーマンの幸せの真実を伝えられる」と思っているんです。その観点からの会社選びとなります。例えば大手商社が120人の大卒を採った時に、120番目で入ったとします。8割が課長になり、2割が部長になりますが、ビリなら一生ヒラで終わってしまうかもしれない。でも別のところで学生の知名度が低く、同期も20人の会社に行ったら中心的人物となり、大切にされるかもしれません。私自身サラリーマン出身で、それらの会社の内情も分かるし、多くの企業研究もしてきました。だからこそ、そういった真実視点からみんなに教えたいんです。
真ん中に立っているからこそ、アドバイスができる
――ご自身は電子書籍という物に対する可能性に関してはどのようにお考えでしょうか?
西山昭彦氏: 可能性はものすごくあると思います。書籍の何十倍にもなっていくに違いないと私は思っています。ユナイテッドブックスから出ている『稼いでいる人が20代からしてきたこと』という私の本がありますが、これを紙で出した時は全然売れなかったんです。でも電子書籍にして、値段も下げたら7万部売れたんです。「電子書籍のビジネス書では、オバケのような数字」と言われました。価格を250円とか、1週間は85円とか、そういう変動型の売り方も効果的だったのかもしれません。紙との違いで、読者マーケットの全体が電子書籍を読む人ではないし、あと消費スピードが電子書籍の方があるので、そういった差を踏まえておく必要があると思います。
――紙の書籍のメリットはどのようにお考えですか?
西山昭彦氏: データとしてPCやスマホで持っているのと、書棚で背表紙を見るというのはやっぱり違うので、その部分は本でもいいと思います。使い分けていけばいいと思います。家などでまとめて読むときは本に対して、電子書籍は節ごとといったようにスキマ時間で読めるので、そこの中で完結していることが大事と思っています。そういったように、本の概念が大きく変わっていきそうですが、読み手側の認識に応じて書き手側にも変化をもたらすと思います。
――その中間にある出版社・編集者の役割は、どのようなところにありますか?
西山昭彦氏: 以前、『編集長の情報術』を出した時に、12社の編集長を取材したのですが、すごく面白かったです。最後には「編集者はライター・記者とは、違う」という結論に達しました。ライター・記者には、人の懐に飛び込む力が求められるんです。「この人だからしゃべっちゃう」といった人間力が強みとなります。でも、編集者は多少へんくつで、普通の人と違う見方ができることが強みになる。完全に自分だけの世界に入ってしまったら誰もついてこないし、平凡ならば誰も読みません。だからその真ん中あたりに立てる、ということがキーと思いました。友人の医師を見ると、医師と患者の真ん中にいるからこそ見えるものがあって、いいアドバイスができるのではないか。それと編集者の役割とは近いものがあると思います。
これだけは好きという1つのものを見つけること
――本の材料はどのような過程で、浮かび上がってくるのでしょうか?
西山昭彦氏: 今までの積み重ねの中から自然と出てくる感じかもしれません。いつも、何かヒントを考えようとか、変化を考えよう、と動いているのかもしれません。ビジネスパーソンについていえば、大事なことは、自分の仕事テーマを決めるということ。そして、そのテーマに関して長期のビジョンを持っているかどうか、ということ。学びには「好き」ということが一番良い。極端に言えば、ほとんどの科目はCでも、これだけは好きというのが1個見つかればいいと思います。地方勤務や営業など色々な仕事がありますが、好きなものを見つけて追求していけば、発見があります。それが材料でしょうね。それを整理し体系化していくことができたら、毎日楽しくてしょうがないはずです。私は、ずっと楽しいです(笑)。ビジネスパーソンの生きるプロセスに、テーマはいくつも出てきます。
――日々気付いたことなどは、何かに書き記したりなどしていますか?
西山昭彦氏: ポストイットに書いて貼りつけるとか、手帳に書いたりして、アイデアを残しておきます。いつ思いつくかわからないので、家ならばベッドの横などにポストイットを置いておくことが、大切なことです。先ほどの『編集長の情報術』の時に、日経ビジネスの編集長が、「帰りは一駅手前で降りて、歩いて帰る。会社のデスクではアイデアが出ないけれど、その時には出るんだ」と言っていました。とにかく、メモでも電子媒体でもサッと書けるものがあればそれでもいいのです。100のアイデアのうち、実現するのは10もないんですが、まずは残しておくことが大事です。
新しい本や人に会うことで生まれる差
――お仕事や執筆活動などの原動力は、どういったところにありますか?
西山昭彦氏: できるビジネスマンを考えてみると、売り上げとかの日常のこと「こういう売り方はどうか」といったプラスアルファの部分で改革をして大きな差が付くわけです。でも誰かがすでにやっていることも多いので、それをどう上手く入手し使うかです。そのためには、本や人に出会って、どんどん吸収していくのがいい。私は年に150日食事会をやっていますが、それが私のエネルギーとなっています。しかも、毎回違う店で違う人、違う話題を語り合うといった日々で、20年ぐらい続いています。でも、色々な人に会っているだけでいいかというと、やっぱり基盤がなきゃいけない。自分の専門科目を1つ作っておかないと、砂上の楼閣になってしまいます。文系の場合、サラリーマンならば経済学か経営学を、独学でもいいのできちんと学んだ方がいいと思います。みんなが理論を持って分析していけば、仕事も改善できます。見つけだした改善点を会社に提案すればいいわけです。仕事の原動力は基盤と情報でしょうか。それを皆がやれば仕事を改革でき、日本経済もいいほうに変えていけるはずです。
――今後の展望をお聞かせ下さい。
西山昭彦氏: 人生を検証するというテーマの本を1冊作りたいと思っています。50年前の小学生の全国模試の1番から100番、この人たちがどういう人生を歩んでいるのかというのを、まとめてみたいです。生涯キャリア全体を見ることの出来る、そういう本に挑戦してみたいと思っています。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 西山昭彦 』